第十九話 虚像
「ごめんね。少し遅かったわ」
白鏡誠司は見下ろしていった。彼の足元には水神筒子と藍歌姫乃が倒れている。筒子の左胸からは既に手遅れになるほどの出血が。それを気にせずに、誠司はいつも通り微笑みを浮かべていた。
「筒子ちゃん……君は死ぬ。だから、創作物特有の謎の延命があることを願っている。今のうちに聞かせてくれ。死ぬ直前、君は何を思う?」
「……まあ、私はそれほど死ぬことに対して抵抗があるわけではないですからね。少なくとも後悔はありません」
掠れた声で、筒子は続ける。
「昔から気にはなっていたんです。《死》とは何なのか……その答えが分かるってなると、やはり、少し高揚するまであります」
「なるほど……、そこまでの抵抗はないと」
「ええ。それに、家族にも会えると思うと幸せです」
「………………」
誠司は目を細めてため息を吐いた。そこから続く言葉はなく、ただただ筒子が口を開くのを待っている。
「けれど……」瞳を閉じ、最期の気力を振り絞って言う。「結構痛いです」
「筒子ちゃん……?」
水神筒子は死んだ。その事実に誠司が涙を流すこともなく、遠い目をして空を見上げるだけ。
「馬鹿だなあ、筒子ちゃん。死後の世界があるわけでもないのに、家族に会えるわけないじゃん」
突き放したような冷酷さ。この思いやりのない言葉を死ぬ直前の筒子が聞いたら何を思うのか……誠司にはある程度予想ができる。
だから、沈黙を選んだ。
「さて」
誠司は姫乃を見て思う。彼には《幸福の幻》を見せているので滅多なことがない限りそれが覚めることはない。時間はかかるだろうが、確実に殺せると確信している。
しかし、危険因子はこの男だけではなかった——
「——どうして君は立っているのかな? お嬢ちゃん」
くるりと回って背後を見る。
誠司の十メートルほど先には、膝に手をついて体勢を保っている桃春がいた。彼女は殺意を宿した視線を誠司に向けている。
「君にもそれなりの幻を見せているはずなのだが……、なぜ意識がある?」
「……あたしの両親はキチガイでなあ……、幽霊の魂を生きた人間の肉体にぶち込もうとしたんだ。それは失敗に終わった、ということにしている。誰かの口から漏れて、どこぞの研究機関に狙われたらめんどくさいからな」
「……つまり」
「ああ。あたしは成功作だ! そしてその事をバラした今、あたしはあんたを確実に殺すしかなくなった!」
恐ろしいほどの執着心に、誠司は顔を引きつらせた。
「人工的な解離性障害と称しても、まあ……決して間違ってはいないな。すごいじゃないの。つまり、精神的な負担は肉体のもう一人が担当してくれるわけだ」
それが、桜内桃春のサイクル。彼女がいつも自己中心でありながら、そのスタイルやメンタルを一切濁さないのは負の感情をもう一人に担わせているからである。
一つの肉体に対照的な人格が二つ。
「ご両親に感謝しないとね」
「……ああ、もちろん」
両手を広げ、縦横無尽に糸を張り巡らす。
「あんたを殺すことができたなら、少しくらいは感謝する」
「かっこいいじゃないの、お嬢ちゃん。俺が女なら間違いなく惚れてるね」
軽口を叩きつつも彼は視界で全ての糸に視線を巡らせている。彼が一歩でも動けば、確実にその糸に触れてしまう。
その先どうなるか、誠司にはまだ見当もつかない。桃春が速攻で仕掛けてこないのは、カウンターを警戒しているから……そこまでの分析をして、誠司は口元を歪めた。
「無意味だってのに……」
彼はそう呟いて、なんの躊躇も躊躇いもなくあくまで平然と歩いて見せた。
すると当然、彼は糸に触れる。……その瞬間、糸は消え失せた。形を留めることが不可能となり再び概念となって桃春の中へと還元する。
「…………はあ?」
桃春が不思議に思うのも無理ない話だ。糸は体に触れただけで崩れるほどの強度ではないし、寧ろ触れた方が怪我をするほどに力を入れたつもりだった。それにも関わらず、誠司は桃春に向かって歩いてきている。その事実を疑問に思わずにはいられない。
とは言え、このまま黙って思考するだけなのは追い詰められるだけだ。何より桃春自身の性格に合わない。カウンターのことについても、彼から向かってくるならばそもそも考慮するに値しない。
桃春は糸を操作し誠司の首に巻き付けようとする——が、またもや糸が彼に触れた途端、それは概念と化してしまった。
「あくまで形を与えているだけで、これはただの魔力だろう? なら、その対称となる魔力をぶつけて相殺させればいい。魔術師ならば必須の知識のはずだが?」
「知ってる。それくらい、さすがにあたしでも知ってるさ。でも……一瞬目をやっただけで即座に分析し、対の魔力を練るような奴は知らない。……天才か」
「まさか……俺は天才なんかじゃあないよ。これはただの知識と経験。四十も生きてきたら、できなくもないことさ。なにせ、人生の折り返し地点だからね」
無意識に誠司は遠い目をした。
彼は身内以外の死には関心がない。どれだけ付き合いがある人間が死んだとしても、やはり彼にとっては他人でしかなく、決して感情が動かされることはない。
しかし、どうしてか——。筒子が死んだことが、誠司の頭から離れない。
その一瞬の油断を見逃す桃春ではない。
なんの変哲もない魔力が防がれるのならば、そこに僅かな変化を与えればいい……そう考えたのだ。
「——set。……manifestation」
そう唱えると、誠司に最も近い一本の糸が紅く光を放つ。
桃春が指を鳴らした途端、その糸は爆発した。至近距離で喰らえば無事ではいられない程度の爆発。さすがの誠司もこれには驚いたが——それだけだった。
彼は何食わぬ顔に戻って、平然と歩いている。
「まさか……、この一瞬で対魔力を……」
服に塵ひとつ付かない彼をみて、桃春は絶句した。
「前言訂正」裏表のない微笑みを見せて、誠司は言った。「俺、天才かも」
桃春は歯軋りをする。着々と詰められる間合いに危機感を覚え、彼女は思わず一歩引いた。
「殺す殺すと豪語していた奴が、まさか引き下がるなんてね。威勢だけ良くても、人は殺せないぜ?」
「……くそが」
桃春は自暴自棄になったように腕を引く。そして、糸が誠司に衝突する。
繰り返す——何度も、何度も何度も何度も何度も。
必死に、
もがくように、
荒々しく、
焦燥を感じさせるように。
糸をぶつけては、爆発し、消え失せてしまう。
その回数が五十は超えたところで、誠司と桃春の距離が二メートルを切った。
……途端。
ざくり、と鋭利な何かが人に突き刺さった音がする。
「ああ、なるほど。油断した……環境把握を怠ったか。……」
誠司の歩みが止まる。顎に手を当て、果たして何故油断したのか——隙が生まれたのか、考察する。
「あの女だ」
桃春は言った。
右腕を引き、さらに誠司の背中に刺さった何かが食い込む。
「あの女が落としたナイフ……あんたはそれに気がつかなかったんだよ」
ありったけの糸をぶつけて爆発させたのは、ナイフを取る糸の動きを隠す為——つまりは単純な不意打ち。
「筒子ちゃん……。ああ——そうか」納得したように、誠司は頷いた。「なんだかんだで、悲しいもんだな」
彼の背中から心臓を狙った位置に、筒子の持っていた刃渡り四センチほどのナイフが突き刺さっている。
そう、あくまで狙った位置に。
「惜しかったね。あと五センチほど右に、そして深く突き刺していたら致命傷だったのに」
そう言うと、誠司は背中のナイフを手に取って引き抜いた。
桃春はついに地面に膝をつき、行動不能の一歩手前まできている。
荒くなる呼吸。朦朧とする意識。水神筒子と白鏡誠司を相手にしたのなら無理もない話だった。
「少しでも冷静さがあって、そして体力も十分にあったのなら、首や頭に突き刺すこともできただろうに。筒子ちゃんと君の愚かさに感謝だね」
さて、と誠司はナイフを投げて遊ぶ。
「ひとつ聞きたい。君はどうしてここに居るんだ?」
「あんたが人殺しだからだ」
桃春は見上げて答えた。すると、ナイフを手にした誠司が、桃春の顔面を目掛けて横に振るった。決して躱しきれない攻撃ではなかったが、桃春は体力の限界がきている。だから、後ろに倒れるようにして回避するも、わずかに頬をかすめてしまった。
「そうだ。俺は人殺しだ。でも、筒子ちゃんは人殺しじゃあない」
「その仲間だ」
続いて足を、
腿を、
脇腹を、
肩を、
誠司は浅く刻む。
「なに? キレてんの?」
その一言が、誠司の次を止めることとなる。
「冗談……あんたにキレる権利なんかない。なんの罪もない人間を大勢殺して、それでいて自分の身内が殺されるとキレるって、あんたは神様かなんかか? 殺された人たちは、全員こう思ってるよ……『ざまあねえな』ってな!」
彼の身を支配するのは……殺意。それを向ける相手が目の前に存在するとなれば、周囲のことなど当然見えなくなる。そんな人間を、桃春は何度も見てきた。
だから可能性を信じ——そして、彼を信頼した。
誠司が振りかざすナイフが、桃春の顔面に突き刺さる直前、
ざくり、と。
再び誠司の背中に刃物が刺さる。
「あんたの愚かさに感謝ぁ!」
桃春が煽る。
「まったくだ」
ナイフを突き刺す姫乃も、それに乗った。
両手で力強く差し込み、乱暴に引き抜く。誠司は魂を引き抜かれたかのように力なく倒れた。
「目覚めるの遅かったじゃん。幻術って、それと分かれば……」
「分かってる」
姫乃は食い気味に言った。珍しい反応に桃春は興味を示すが、その無表情の向こう側を知るにはまだ時間が必要に思えた。
目的達成の満足感と生きていると言う安心感に桃春は息を吐いた。胡座をかいて体勢を楽にし、誠司の死体に目をやる。と——
「…………いやいや、それはないわ」
そこに死体はなかった。姫乃も遅れてそれに気付き、さすがに目を丸くする。
「——いつからだ……?」
姫乃の疑問に、桃春は焦りを含めた笑みを浮かべた。




