第十五話 愚か者
二十六日の日曜日、午前十一時三十分。ようやく折り畳みナイフが家に届いたその日、僕は桜内に呼び出され、わざわざ妻城市中心部の妻城駅に足を運んでいた。
昨夜突然掛かってきた一本の電話——
『明日、十二時に妻城駅。遅れたら吹き飛ばす』
『その声……桜内か? なんで僕の番号知ってんの』
『じゃ、そういうことだから』
『………………』
……ぶっちゃけスルーしてもよかったとは思う。しかし、その後のことを考えるとやはり足を運ばざるを得なかった。
思えば『妻城駅に来い』というのは、少々アバウトが過ぎるのではないだろうか。札幌駅ほどの大きさがある場所で、一体どこに向かえというのか。
北口の広場で、僕は着信履歴から桜内の番号を探し、電話を掛ける。
応答なし。
不貞寝したい気分になった。
……しかし、ここで帰って寝てしまうとなんだか桜内に負けた気分になる。せっかくだし、久しぶりの妻城駅を満喫しようではないか。最近は退屈潰しの本も無くなってきたところだし。
そんなわけで、僕はエスカレーターで四階まで上がり、書店に足を運んだ。
適当に物色しようとしたその時、本屋付近のベンチで見覚えのある人物を見かけた。
桜内桃春だ。彼女は小学生ほどの少年に目線を合わせて頭を撫でていた。
迷子ですか……そんなの放っておけばいいのに……。と、柱の影に隠れて思う僕であった。
やがて桜内は目を腫らした少年の手を引き、隣り合わせで歩き始める。迷子センターにでも向かうのだろう。
また連絡がつかなくなったら面倒だと思い、僕は数メートル離れた位置を保って、その背中を追うことにした。
少年はいつの間にか満面の笑みを浮かべ、すぐに純粋で無垢な子供になっていた。
桜内も桜内で、屈託のない笑顔を浮かべている。
——《悪の悪》。
東条さんは桜内のことをそう称していたか。
……無理がある。
少なくとも、あんな善人の笑顔をできる桜内に、悪なんて文字は似合わない——。
×
六階にはさまざまな飲食店が敷き詰められており、今のようなお昼時には大量に人が集中する。大抵は店の前に設置されている席すらも埋まっている状態なのだが、今、僕と桜内がいる喫茶店は違った。
店内には、僕たちを除けば店員が二名居るだけ。まあ、最も端の目立たないところに位置しているから無理もないだろうけれど。
味の方も悪くないし、恵まれない店だなあと思った。
パンケーキを一瞬にして平らげた桜内は、続いてパフェに手を付けて言った。
「しっかしさあ、どうしてあたしを見つけた時点で声をかけなかったわけ?」
「あー……」
僕は抹茶ラテを飲み込んでから答える。
「単純に、子ども嫌いだから」
「うっわ……」
ドン引きだった。
いい加減僕の性格の悪さに慣れてほしいものだ。
「僕ぐらいの素直さが生きる上で必要なんだと思うけどね……」
「なわけ」
こんな感じで、当たり障りのない雑談を十分……或いは二十分ほど続け、僕はとうとう口にした。
「……僕を呼び出した理由は?」
「…………」
あからさまに表情が変わる。凍てつくような——と言ったところだろうか。確実にさっきまでの、年相応の少女の笑顔とはまるで違う。
「色奈さんは白鏡を殺さない。今後の魔術世界の打撃を考え、きっと生かすことを望む」
「ふうん。あの人が決めたことなら仕方ないな」
白鏡誠司は死ぬべき存在……この考えに変化はないけれど、東条さんが殺さないと言うのなら、僕はそれに従おう。
「あんたは、それでいいの?」
「どういう意味?」
「白鏡誠司が生きたままってことは、被害者やその遺族の無念が晴れることはない。それで、いいの?」
「いいかどうかは僕が決めることじゃない。僕以外が決めることだ。そういう生き方をしてきた」
「なら、あたしにも決定権があるってことだ」
「そうだな。ただし、誰を信じるかは僕に選択権がある」
不毛な言い合いに僕は肩をすくめた。
まったく……呼び出した理由は、白鏡誠司を殺す為に未来視を貸せってことだったのか。
……待てよ。予定では、明日に白鏡の山に行くことになっている。
つまり——
「あたしは、今日一人でも行く」
「マジすか……」
……《悪の悪》は似合わない。その心は変わらない。
だが、こいつは間違いなく、ド直球に言って自分勝手の極みだ。
「人殺しが生きているなんて許されない。あんたはそう思わない?」
「……人殺しは、生きてはいけない……」
「少なくとも、そんな奴の願いは叶うべきじゃあない」
それには同意する。
もしも白鏡誠司が予定通りに娘さんを生き返らせたとして、その後に魔術世界の頂点に立ったとするなら恐ろしくてたまらない。
ほとんどの人間が、白鏡誠司は人殺しだという事実を知ることはないのだから。
……だいたい、そんな人間が総統するなんて失敗するに決まってる。彼は必要とあらば人殺しをする人間だ。いずれボロが出たときには、東条さんの懸念する打撃以上のことが起こり得るだろう。
なにより、
被害者の、
無念が、
晴れない。
「……よし、言い訳完了」
「あん? 言い訳?」
桜内が首を傾げるのも無理ない独り言だった。
なんでもない、と誤魔化して、僕はじっと桜内の瞳を見つめる。青漆の色にはどこか漆黒の意思が混ざっていそうで、つい呑み込まれてしまいそうな感覚になる。
「実際、どうなんだろうね……僕らが白鏡誠司を殺したとしても、きっとその行為を素直に褒める人は少ない。なあ、桜内……おまえはどう思う? なんで正当な殺しは受け入れられないんだ?」
「正当——正義ってのは、あくまで法を基準に決められる。それに加えて、多数の意見を正義だと信じ込む馬鹿が多い。だから、あたしたち……いや、少なくともあたしは正義にはなれない」
だから——悪になる。
ひどく極端な思考だ。だんだんと、桜内桃春が理解できている気がする。
一か百の考え方を持っていて、しかしその存在は中途半端。僕と同じ曖昧主義……。
「誰にも認められないとしても、あたしはあたしのやり方で悪を滅ぼす」
揺らぐことのない決意。それが行動にできるかどうかは、近くで見ていないと分からない、か……。
「まあいいよ、別に。僕も白鏡誠司を殺したいと思ってたし。ただ……僕はまだ未来視の制御ができているわけじゃあないし、何もできないかもだけど」
「……そう。あんたがそう言うなんて、ちょっと意外」
「普通だろ。生きてりゃ誰だって他人を憎む。で、殺したくなる」
「生きている以上、誰かを殺したくなるのは当然か……。あんたは殺したい人はいんの?」
僕は少し考えるふりをした。考えるまでもなく、殺したい人間は思い浮かぶ。しかし、それをすぐ口にしてしまえば、桜内になんと言われるか分かったもんじゃない。
「……いたな。ほとんど死んだけど」
「——そっか。……ま、殺したいから殺せるなんてこと滅多にある訳じゃあないし、仕方ないんだろうけど」
僕らは再び他愛もない話を続けて、意味もない時間を過ごした。
桜内の表情が柔らかくなったその時、彼女は僕に手を差し伸べる。握手を求めているのだろうか?
「あたしは、あんたを同業者だと『言葉』で理解していた。いつも何考えてるのか分からないし、こっちに踏み込ませてもくれない。はっきり言って、ゴミ野郎だと思ってた」
「言い過ぎ」
「けど、こうして今日、一緒の時間を過ごしていると……分かったよ。あんた、案外友達できるわ。だから、ほら——」
桜内はこちらに身を乗り出し、僕の右手を強引に引き寄せる。
そして、強く握りしめた。
「あんたはこれから友達だ」
「……そう」
素っ気ない態度を見せたその直後、僕も手を握り返す。
意識的か無意識的か……桜内の手の温もりが心地よく思い。
そんな自分に——嘆息するしかなかった。
しばらくして。僕たちは駅に直結しているバス停へと向かう為に並んで歩いていた。
「そうだ。細かいの使っちゃったから、崩してきていいか?」
桜内は答えない。
不審に思った僕が右側を向くと、そこにさっきまで居た桜内の姿はなく、
——さらに、人であふれていた駅には僕以外の存在が一つとしてなかった。




