第三十七話 演者達の幕引き
内臓をこぼした占い師を挟んで向き合う僕達。灯火花を人質に取られている一点を除けば、僕と礫……黒詰を追い詰められる状況にあるはずだ。
「なあ、藍歌姫乃……」
黒詰は箱塚を見たままで言った。
「貴様、この女に俺を殺せと言おうとしてなかったか? それがなんで……『占い師とはなんなのか?』という質問だけで終わらせられた?」
「僕に理解できたのは、その願望は箱塚さんにとってつまらない──そして、あなたにとっては予想の範疇であったということ。だったら何かしら対策されてると思ったんです」
「……、……」
「……あと、後悔を残したくなかった。死んだ後じゃあ、お喋りはできませんから」
「──そうか。貴様は、正体不明の塊だな。変質者の目に留まるわけだ」
と、彼は箱塚を睨んだ。満足げな表情──ただ熟睡しているようなその表情は、とても永眠しているようには見えなかった。それを黒詰は不気味に思ったのだろう。
それについては、同感。
「……不愉快だ」
黒詰は声を震わせていた。
「話したいという感情を持ち合わせることができるのに、なんで夢様を巻き込んだ!? あの人は! 貴様に傷つけられるような人生は送っていない!」
「いや、だから教祖が……」
話の通じない野郎に苛立ちを覚えているところ、礫が半歩前に出て手で制した。
「あんたの気持ちはわかるよ。大切な人が傷つけられた怒りは──悲しみは、どうしても抑え込めないものだ。だけど、それに他人を巻き込んじゃいけない! 灯火花があんたに何をしたんだ! あんたのやっていることは極悪そのものだ! 殺人鬼と同列だ!」
「────」
黒詰が片眉を上げる。そんな反応にもなるよな、と僕は内心頷いた。
「あんたの復讐はたしかに効果的だ。でもそれを我慢できるかできないか──。普通はやらないんだよ。誰だって、他人を殺したいと思う時はある。でも、堪えて、耐えて、自制するのが大人ってもんだ。パッと見あんたは二十歳前後……俺には、年齢に中身が伴っていないように思うね!」
……何か策があって煽っているんじゃないかと思い始めた。が、礫のまっすぐな瞳を見るに、単純な『無害な女の子を巻き込んだ怒り』と確信できる。
しかし──将来有害になり得るという理由で少女を爆殺しまくっている中学生男子の言葉と考えれば、あまりにも異常が過ぎる。
「いっそ清々しいな、爆弾魔」
黒詰はおかしそうに笑んだと思うと、一瞬にしてその表情が無へと変わり、灯に当てていたナイフを礫に投げつけた。
きっと礫には躱す体力すらない。僕はナイフを弾き飛ばした。
武器のない黒詰……ここだ──殺すなら……。
地面を一蹴りで距離を詰める。
灯の背後の黒詰の喉に──
「よせ! 友達!」
ばぐん、
と、聞きなれない擬音がした。
バランス感覚が消失した僕は床に倒れ伏した。
「ああ! 先輩! そんなっ!」
灯は僕の足の方を見ていた。
一体どういうことだろうと視線を追うと、そこには《血液の塊》があった。
否。
それは四足歩行。
それは双頭。
獣の類。
──が、足を喰っていた。
誰のってそりゃあ、
「ぐ、うぅぅ──!」
僕の足。
両足が、脛のあたりで食いちぎられていた。
「ははははははは!」
黒詰が高らかに笑う。
「あの占い師め! こんな置き土産を遺して逝くだなんて!」
「なん、だと……」
「ん? ああ、貴様、『それ』が俺のだと思っているんだな」
黒詰は懐から銃を取り出し、それを礫に向けて構え、発砲する。
容赦なく、弾丸が礫の喉に入り込んだ。
「────ッ!」
まずい。まずいまずいまずいまずい。
「よく見てみろよ、藍歌姫乃」
黒詰は占い師の方を指す。僕の隣にある死体──それは大した変化のない、ごく普通の死体で──。
「……あ? 血が……」
血がなかった。
床にこぼしていた血も、まだ体内に残留していた血も、なかったのだ。
察する。
この魔獣は、占い師の血液だ。
「大方、己の死をトリガーとする魔獣だろうな。オルトロスとアヌビスをモチーフにしたオリジナルか。死者の魂を裁きの場に導くはずが、生者を嬉々として喰らうだなんて……まったく、つくづく気の狂った奴だ」
箱塚さん……あなたは、死んだ後ですら、状況を楽しんでいるんですか?
僕は彼女の亡骸を睨んだ。
「最初は貴様の前で灯火花を殺すつもりだったが……最ッ高だ。二度と歩けなくなった貴様を見下ろすのは気分がいい。予定変更だ。灯火花の前で貴様を少しづつ殺してやる。貴様は灯火花を救えない絶望を抱えて死に、灯火花は貴様の死に絶望を抱えて死ぬ。その方がいい。そうですよね、夢様!」
黒詰が指を鳴らす。
すると、床に魔法陣が出現し、鹿を模った魔力の塊が二体、現れた。
「貴様はこれに喰われてしまえ」
鹿が、ゆっくりと、僕に寄る。
箱塚の魔獣はというと、礫を壁に追い詰め、今にも奴を喰らうところだった。
──『二度と歩けなくなった貴様』だって?
僕には礫の魔法、因果逆転再生が使える。二度と歩けなくなったわけじゃない。そのことは箱塚も知っていた。なぜ黒詰は知らない?
箱塚の不気味な死に顔は、この展開すらも予想しているのだろうか。
こいつ、とんでもない天邪鬼だ。
多分、箱塚は黒詰に全ての情報を共有しているわけじゃないんだ。
いける。
完全に油断してる!
ここまで近づけているんだ、今度こそ仕留められる。
礫は……もうだめだな。あいつは死ぬ。構う必要は──
「…………」
礫が、僕を見つめていた。
血の流れる喉を押さえながら。
静かに、首を横に振る。
……なんだよ、それ。分からない。諦観か? それとも、信じろって? 何を? まずはお前を助けろとか?
なしだ。
僕は僕を信じて進む。
右足が再生したところで、跳躍してナイフを伸ばす。
「なっ──!?」
衝撃を露わにする黒詰。
やっぱり知らなかったんだ。
僕の判断は正──
「ああ、くそ」
……正しくなかった。
不意をつけたものの、ナイフは突如発現した半透明の結界に阻まれる。
「惜しかったな、藍歌姫乃」
鹿の角が、僕の脇腹を突き刺す。
「がはッ」
宙ぶらりんになった僕に黒詰は顔を近づけて言った。
「貴様の敗因は、表裏協会──表と裏の最高意思に属する者がどれだけの実力者なのかを考慮しなかったことにある。しかしそうか……今の回復は魔術よりも上位の術だな? さっさと殺すに限るか」
もう一匹の鹿が、大きく口を開けていた。その体が裏返ってしまうのではないかと思うほどの開き具合に、素直に気持ち悪いと思えるほど。
灯が泣いている。何かを叫んでいるようだが、何も聞こえない。ただ、時間がゆっくりと流れている気がする。
首だけで礫を見る。
哀れみの視線だった。
奴は既に魔獣に下半身を喰われていた。なのに、痛みにもがくでもなく、ただ哀しみを僕に伝達する。
礫が、魔獣に触れる。
直後の発光は、何もかもを吹き飛ばした。
×
「あれ?」
僕は吊妃名の部屋にいた。ソファーに座っている。なぜだろう。場面転換が謎だ。
「よっ」
テーブルを挟んで向かいのソファーには礫が座っていた。
「あ、死んだんだ、お前」
ここは僕の心象世界──屍の器として、こいつの侵入を許したと、そういうことなのだろう。
「軽く言うなよ! 誰のせいだと思ってんだか……」
「合理的と思ったんだけどね……」
でも、失態は失態。そこは認めざるを得ない。
「ここに来たってことは、無念があるってことだよな」
「そりゃああるさ。姉貴のこと、そして母さんのこと……委員長──六美のこと。何もかもやりきれてないよ。でも、どうやら俺に留まる資格はないらしい。今お前が目にしてるのは、ただの残留思念だよ」
礫の体が徐々に薄まってゆく。
消失が、始まっている。
「なあ、友達。嫌味を言っていいか?」
「…………」
「黒詰は宣言通り、時間をかけて俺達を殺そうとしていた。本当にゆっくりと。地獄以上の拷問だよ。でも、だからこそ、そこに勝機があったんだ。表裏協会の奴が助けてくれたんだよ、俺達を」
「────冗談」
「隠蔽、捏造、改竄。俺達我善姉弟の事件記録に対してそんなことをした結果の末路だ。そりゃあバレるさ。黒詰は確かに優秀みたいだけど、それ以上の優秀が協会には揃ってる。神鹿の痕跡を辿って、黒詰の場所を特定したんだ。だから、俺達が耐えればそれでよかったんだ。少なくとも俺の未来視はそう映していた」
だから、あの時首を振ったのか。
何もするな、と。
「でもお前は焦った。因果逆転再生を黒詰に見せちまった。あの魔法を見せたら、そりゃあ早々に決着つけようってなるわな。だから俺は……やるしかなかった」
「……三つ。目的達成の為合理的と判断した行為には従うこと……」
爆破の魔術を行使し、僕が生きていることに賭ける。
血の契約に従うのなら、これ以上にない判断だ。
「……でもさ、礫。お前一人だったら逃げられたんじゃないの? 箱塚の魔獣が出てくる前に」
「無理さ。無理だったってことにしようぜ」
僕は視線を落とした。
なんて情けない。
僕の判断が招いた結果は最悪のものだ。未来視さえ使えたのなら、あるいは……。
「ま、これでお前に致命傷があったらお笑いだけどな。もしくは灯火花に」
「……短い共闘だったね」
「ん? あぁ、九日に契約して、今が十日の夜……まじで短かったな。でもさ、結構色々話せたよな」
「うん」
「いらんことまで話した気がするよ」
「うん」
「……姉さんに会いたい」
「うん」
「……母さんの病気を治したい」
「うん」
「……六美と、もっと話したい」
「うん」
「お前と、友達になりたかった」
「でも、無理だった」
切り捨てるつもりじゃない。
ただ、結果としてそうなった。
追い詰められた時に僕が信じたのは僕だったし、そもそも名切さんを殺したこいつを赦すことはできない。
僕に善意を向けてくれてありがとう。
死んでくれてありがとう。
礫は僕の心を見透かしたようにフッと笑った。
「さて! 俺はもう逝くよ。来世があればまたな」
「……やり残したことがあれば、僕が叶えるよ。もちろん可能な範囲でだけど」
「え? マジ? ……マジ!? お前が? 頭でも打ったのか?」
「前言修正しても?」
「いや冗談だよ! そうだな……委員長には、いつか全てを話そうって決めてたんだ。拒絶されたとしても、通報されたとしても、伏せたままってのは、気持ちが悪くてさ……」
「約束する」
礫は透き通るような笑顔を浮かべ、ついには消失する。
“ありがとう、友達”
そんな言葉を残して。
×
意識の覚醒を自覚の直後、早急に辺りを見回した。
粉々になったプレハブ。
燃ゆる木々。
どれだけ気を失っていたんだ?
早く灯を見つけなくては。
くそ、ダメージが酷い。魔力が上手く循環しない。脇腹も左足も再生できないどころか、半身が火傷を負っている。這いつくばるしかないのだが、その度に激痛が全身に響き渡る。
「灯……灯……」
多分、体感五分。
ようやく、火の海の周りに横たわる灯を見つけた。
抱きかかえて錠剤を飲ませる。
大丈夫。息はしている。
「灯、起きろ。……灯!」
呼び続ける。
それ以外、もう何もできなかった。
何回──何百回名前を口にしたか、ようやく灯が眼を覚ました。
「姫、ちゃ……」
「……もう大丈夫だよ」
本当に良かった。苦労の甲斐があった。これで死なれちゃあ何もかもやりきれない。
安堵して眼を瞑る。
疲労から寝てしまいそうだ。まあ、ここで寝てしまうと永眠確定なのでそれはしない。早くこの赤い山から降りなくては。
「かはっ」
咳き込む灯。少し遅れて僕の顔に何か付着した。
眼を開ける。
灯の口周りにべっとりと血がついていた。
──吐血。それが、僕にかかったのか。
「だめ、みたい、ですね……」
苦しそうに、それでも無理矢理微笑んで見せる灯。
「間に合わなかった──?」
気を失っていた時間が長かったってのか……?
せっかく、ここまでしたのに。
ここまでボロボロになったのに。
礫が、死んだのに。
「まさか。まさかさ。大丈夫。だめなんかじゃない。お前は助かるよ。そうに決まってる……」
「あ、はは。なんか、らしく、ないよ、姫ちゃん」
本当にこれが最期になるのか?
すごいな。
本当に無意味になるんだ。
「ごめんなさい。わたし……目の前のことで、すぐ、頭、いっぱいになっちゃって」
意味とかじゃない。
これは。
純粋な喪失感。
「姫ちゃんが、怖い人なんじゃないかって、いつか大切な人が、殺されちゃうんじゃないかって。そんなことないって、分かってた、はずなのに。こうして、ボロボロになって、助けに来てくれる……」
灯が僕の頬に手を伸ばす。
僕はその手を握りしめた。
「全部箱塚のせいだ。僕が心底関わりたくないタイプの人間だった。そんな奴にあったら、だれでもおかしくなるよ。気にするな、それこそお前らしくない」
「……でも、こうして、死ぬんだから、わたしは、ほんとバカで……」
「違う。僕のせいなんだ。僕の行いがきっかけで今回の復讐は発生した。どのみちお前は巻き込まれていたかもしれないんだ」
「ほんとうに、ごめんなさい。姫ちゃんに、ここまで、言わせて、傷つけて、決めつけて、話そうともしないで……」
声を震わせる灯が涙をこぼす。
「姫ちゃ……寒い」
「……ああ。本当に今日は寒いね」
僕は灯を強く抱きしめる。
久しぶりだ。死なないでほしいと思えるのは。
「まだ寝るなよ……お前にはまだまだ話したいことがあるんだ。頼む、頼む──」
「……せん、ぱい……あったかい……」
灯が眼を瞑る。
抱きしめていた体がぐったりとし、重みが増した。
「はははははははは!」
横から笑い声が聞こえた。
黒詰だ。十メートルほど離れたところ、拳銃を構えている。全身大火傷の状態で、整っていたその顔面は狂気で満ちていた。
「不様だ! 平気で人を殺す貴様が、殺されて苦しんでいる! 最高だ! 最高だ! これこそ俺の求めていた復讐だ! どうだ? 心にくるだろ! それが『喪失感』だ! もう見て見ぬふりはできないなぁ!」
僕は無言で自分のおでこを指さした。
その意味がわからないようで、黒詰は内心首を傾げている様子だ。
「ここが無能の脳みそだ。外さないでくださいよ、表裏協会」
「────この異常者め!」
コンマ秒後に死ぬ。
別に、今ならいいや。
せっかくそう思えていたのに。
黒詰の背後──上空から、短刀を手にした男女が一瞬にして迫り、彼の両腕を切り落としたのだ。
「両腕さえなけりゃあ、今後一切の不正ができないというものですよ」
青年が煽るように言った。
次に女性が続けて、
「まあ、処分の内容次第では首も切られるわけだけどね」
と、黒詰の背後に周り、首に手刀を喰らわせる。
意識を落とす黒詰。鮮やかな制圧だ。もうどうでもいいんだけど。
「灯……」
ボロボロになった髪の毛を撫でる。ただ寝ているだけにしか見えない。すぐに目が覚めて、また僕にくだらない話をしてくれるのではないかと、そう思えてしまう。
「────理を断ち切れ、無息の理」
別の男の声がしたかと思うと、火の海だった森が一瞬にして沈んだ。
顔を上げる。
190センチは下らない屈強な体つきの三十代ほどの男性は、僕の記憶に比較的新しい人だった。
「西陽野陽一郎さん……」
肩書はたしか長官補佐。
「死にました。死んだんです、僕の後輩」
彼は強張った表情のまま固まる。
「こんな事態になるまで気づけなかったのはわたしの失態であり、我々表裏協会の失態だ。黒歴史として一生残る記録となるだろう」
怒りだ。
黒詰ではなく、この人は、自分自身に怒りを向けている。
そして。
この人は、僕が一番聞きたくない言葉を、向き合わなくてはならない言葉を、容赦なく、迷いなく、正しさを伝達するのだった。
「これは君の選択の結果だ。君以外に抱えることのできない傷みだ」




