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無彩色の願望  作者: 哀川
第四章 屍の器

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閑話

 ×七月二十二日 琴枝京


 あたしには友達がいる。そいつはかなり顔立ちが良い。とにかく凛々しくて、爽やかな笑顔が似合っていて、時折可愛らしい一面を見せて……同性だろうが関係なく恋ができる奴だ。頭が良ければ運動神経も良い。出てるところは出ていて、引っ込んでいるところは引っ込んでいて──あたしみたいな金髪ポンコツ女にまで優しい。

 唯一欠点があるとするなら、それは自分の意思が弱いところ。

 相手に要求をしない。口にしない。それも一つの優しさのあり方なのだろうと思っていたのだが──あいつは変わった。

 最近になってあいつは藍歌姫乃と深く関わるようになった。よく喋り、よく笑う。それ自体は良いことだけれど、相手があの男ってのがあたしには心底気に食わない。

 一年生の頃から藍歌は浮いていた。誰と話すこともなく、当然笑顔も見せない。常に孤独で──それを恥じることもない。堂々としている……と言っていい。

 それにあいつ、一度白瀬のことを忘れやがったそうだ。二年も同じクラスなのに。なのに、なのに──最近になって親しくなりやがった。


「そんなの寝取りじゃんか!」


 食堂であたしは叫んだ。

 周囲の視線が突き刺さるが全然痛くない。正面に座るおかっぱロリ子──鳥谷美々子も気にしていないようで、黙々と食事を進めていた。

 七月二十二日の昼休み。あたしは美々子と二人でいる。白瀬の奴、藍歌と井宮奏斗と桜内桃春と屋上で飯を食うらしい。なんちゅーメンツだよ。


「九織はあなたのものではないでしょ?」


 美々子は鉄仮面のまま言った。


「はー何を訳分からんこと言いよるこのまな板。白瀬九織はみんなの白瀬九織って暗黙の了解でしょ? ならあたしのものって言ってもいいじゃん」

「だったら藍歌くんのものって言ってもいいんじゃ……」

「よくない! 物事には順序がある! あたしに許可も取らないなんて虫が良すぎるでしょうが」

「言ってることがヤクザすぎる」


 やれやれ適当な比喩をしてくれるこのムスメ。


「というか、九織が誰のものかなんて、そんなの彼女が決めることですよ。あなたみたいな野蛮が決めていいことじゃない。……そもそもの話、九織から藍歌くんへ関わりに行ってますよね? 彼の方からは特に……」

「そう! 問題はそこ!」


 あたしは身を乗り出す。


「あたしも藍歌と一年から同じクラスだ。だから断言できる。あいつはマジで終わってる」

「また抽象的な……」

「ただのボッチだってのに、孤高ぶっちゃってさ。一回だって笑わないし、自分から話すこともない。あいつは自分が恥ずかしい人間だって客観視することができないんだよ! 白瀬はあいつに騙されてるに違いないっ!」

「すっごいボロクソに言いますね。偏見の先行が止まることなく」

「食い違いがあるって?」


 あたしは片眉あげて問う。


「あります」


 敢然として笑う美々子。こいつがこの顔をする時は毎回あたしが正論をかまされてノックアウトするが……。いやいや大丈夫! あたしの捉える藍歌にずれはない!


「だ、だったら言ってみなよ。あんたの見る藍歌は?」

「わたしが言ったところで否定を被せてくるだけでしょう。なので、これから改めて彼を観察してください」

「改めて観察? そんなの、同じ結論が出るだけじゃん?」

「そうやって先を急がないでください。その時、彼でなく周りの反応も見ることです。俯瞰的に見ることができれば、ズレというのは案外簡単に自覚できるものですよ」


 納得はいかなかったが、がむしゃらに否定することはせず、とりあえずは美々子の言った通りに観察することとした。


 五時間目は体育。女子は炎天下の中、外で八百メートル走。ルール性のない競技を授業として扱うことには狂気すら覚えるが、あたしはなんとか走りきった。

 日陰となっている体育館の非常口。そこはすでに走り終わった女子達の溜まり場だ。あたしも連中に紛れ、中でバドミントンをしている男子に目を向ける。


「面白いですよ」


 と、すっかり回復した様子の美々子が言った。

 さて。奴はどこにいるのか。あの陰キャのことだ、どうせ隅っこで体育座りをしているに違いない。

 ……予想は大外れ。奴は中央のコートにいた。中々激しい打ち合いをしている。相手は隣のクラスの石澤だ……あいつはたしかバドミントン部に所属している。

 スコアは大差で石澤が有利だが、内容自体は一方的ではない。石澤は当然バド部のソレの動きだけど、藍歌も藍歌でライン際に落ちるシャトルを深いところへ打ち返している。粘り強さを見せて長いラリーを続け──しまいには、まあ、やっぱり石澤が勝った。

 疲れ果てた藍歌が壁際に座り込むと、石澤は楽しげに藍歌の元へと駆け寄った。何を一方的に語りかけているのか、心底楽しそうに──藍歌が鬱陶しそうに何かを返すと、石澤は大きく笑った。


「知ってはいましたが、彼って運動神経いいですよね。今年の体育祭は楽しめそうだなぁ」


 美々子は既に勝ち誇ったような顔をあたしに向けてきやがった。


「……は。何言ってんのさ。運動神経が良いからなんだよ。それで好感度を測るとか小学生じゃないんだから──」


 ──気配!

 斜め後ろを見ると、めちゃくちゃ真剣な顔をして考えるようにしている白瀬がいた。イケメンすぎるそのポージングに見惚れていると、一言……


「カッコよすぎるな……」


 藍歌を見つめて言った。

 す、すごい……白瀬がこんなバカっぽいセリフを言うだなんて! 藍歌姫乃──どこまでも白瀬のイメージを崩してくれる……!


「……まだだ!」


 次の時間は古文。昼飯を終え、体育で運動をした後のこの時間では多くが睡魔に敗北する。藍歌だって例外じゃないはずだ。そして担当教師の浅沼は藍歌を気にかけている傾向にある。眠った藍歌が当てられて恥をかく──なんて想像しやすい未来だ。


「……では、藍歌くん。次の文章の現代語訳を」


 ナイスだ浅沼! あたしは心の中でガッツポーズをした。

 廊下側の奴を見ると、かなり微睡んでいて、授業を理解している様子ではない。

 さあ、恥をかけ! 白瀬に幻滅されてしまえ!


「……ごめんなさい。分からないです」

「『ごめんなさい』じゃなくて『すみません』でしょう。まったく。どうして分からないんですか?」

「さあ、なんでかな──」

「遠い目をしてなんだか深そうな雰囲気を出さないでください……ただ寝ていただけじゃないですか」

「ごめんなさい……」

「だからさ……」


 教室内に笑い声が満ちる。よし。なんて無様な……いや違う! この雰囲気は陽キャがウケをとったときのソレだ! 無様というには明るすぎる!

 振り返ると、白瀬は頬杖をついて、なんて爽やかな笑顔だろう……藍歌を見つめていた。


「藍歌くんは面白いな」


 そんなことを呟いて。

 やられた。あいつ、孤独という防壁を展開している訳じゃなくて、ただ自分から他人に踏み込まない結果として一人でいるだけなんだ。

 次の時間の現代文でも、あいつの班は空気が悪いなんてことはなく……どころかあいつの言葉によって明るい雰囲気が時折見られるまである。無自覚な様子のあいつがとことん鼻につくが。


「ね。簡単にわかったでしょ?」


 ホームルームが終わって、美々子があたしの席に来た。


「自分の視点だけで人は成立しないって」

「……まだ! あたしの客観視こそが偏見って可能性もある!」


 あたしは荷物を取って逃げるように教室を出、バスケ部の部室へ走る。

 扉を破壊する勢いで侵入すると、ちょうど二年生の五人が揃って着替えを始めていた。


「藍歌を知っているかー!?」


 困惑する五人にあたしは感想を強制する。


「誰だよ」

「うん? 誰? 藍歌って」

「ああ、京のクラスメイトっしょ? なんか、死にそうな奴」

「知ってる知ってる。割とかわい子ちゃんだよね」

「いや誰? 藍歌」


 反応的に無害すぎる……。マジで無害なの? あんな奴が?

 ぼうとしたまま部活が終わり、その帰り道──マックでも寄ろうと話していたとき、あたしはとんでもない失態に気づく。


「──現文の課題忘れてきた!」


 叫んで足を止めると、部活仲間の一人が振り返って「明日朝にやりゃいいじゃん」と言う。が、そういうわけにもいかない。現文の担当は授業態度を甘く見る代わりに提出物を厳しく見る。課題の丸写しなんてバレるに決まっているし、そもそも朝からやって間に合うかどうかという量で。


「ごめん! あたし戻るわ! 先行ってて!」


 不満の声が遠退く。

 くそー……腹減ってるのに。これも全部藍歌のせいだ。あんな奴があたしの脳内メモリを無駄に喰うから。

 ストレスを原動力として、あたしは五分で学校に着いた。

 既にほとんどの生徒が下校していて、オレンジの差し込む校舎は足音の一つ一つが目立っていた。


「……一人って、つまんな」


 藍歌って生きてて楽しいのかな。そりゃああたしだって一人になりたいときくらいあるけど、藍歌のレベルは退屈だ。あたしは退屈しない為に生きてるんだから。

 教室に入る。

 ……藍歌が居た。


「うぇ!?」


 思いっきり動揺しちゃった。しかし藍歌は微塵も動かない。やっぱこいつはどこかしら感情が欠落しているようで、ただ黙って机に向かって頭を悩ませている様子。

 き、気になる……。

 そんな気持ちを抑えてあたしは現文の課題を机から取って……教室を……出なかった。舌打ちしてから藍歌の机を前から蹴る。


「……よう」


 あたしが見下すと、藍歌はようやく視線を上げた。机には日誌が展開されている。一日を通しての感想の欄が空いていた。


「どうも」


 藍歌が返す。どこまでも簡素な奴……。


「あんた、何してんの」

「見ての通り。日誌を書いている」

「……本ッ当ムカつく! なんでこの時間にそんなもの書いてんのって言わなきゃ分からんか!?」


 あたしが机を叩くと、藍歌は一層目を殺して言った。


「浅沼先生に受取拒否されたんだ。適当すぎるって……。真面目に書くまで先生も帰らんとさ」

「は、は……ぁ? それで何時間も悩んでるわけ?」

「悩んでるっつーか、解らないんだ」

「────」


 ずっと気に食わなかった。『自分解ってます』みたいな雰囲気が。まさか、その否定をこいつの口から聞くだなんて──。


「一人一人の雰囲気はともかく、それが集団になると、どうしてもね。知らねえよって感じ」

「……贅沢!」


 あたしは叫ぶ。

 こいつの態度はあまりにも贅沢だ。今日の様子を見たからこそ……。


「あんた、色んな人に色んな感情を見せてもらって、なんでそんな贅沢ができるの? あんたみたいな……あんたみたいな……!」


 これを言うとやばい気がする──と、心では思っていたのに、本能は踏みとどまることをしなかった。


「あんたみたいな欠陥のある奴には勿体ないんだよ! 周りの想いも! 白瀬の想いも!」


 ……言ってしまった。心臓が騒ぎだす。こいつがそれをどう感じているか解らないのに、あたしはなんてことを……。


「そうだね。九織さんも趣味が悪い」


 そう言ってペンを回すが、キャッチに失敗してあたしの足元に落ちてくる。


「でも、最近は欠けてるなりに心が動いている方だよ。感情を全面に出すことが良いとは今でも思わないし、誰かと関わりすぎたところで疲れるんだろうなって思うけど……『こいつ楽しそうだな』って傍観するくらいはできるようになった」

「……なんだよそれ。だったら、あんたももっと関われば……」

「割とすぐ死ぬ人達ばっかだし、虚しいだけだよ」

「────」


 何も返せなかった。そもそも、こいつが何を言ったのかすら一瞬理解できず……あたしが正常に頭が回ったのは、藍歌が「なんてね」と言ってからだった。


「つまらない冗談だ。赤くて白くて青くて黒い嘘。ただ──九織さんだったらここで黙らなかった」

「な……なにを……!」

「君が彼女に憧れているのかどうか知らないけど、君にこそ遠い存在だよ、あの人は。僕を目の敵にするのは勝手だけど、君……他にすることはないの?」

「……違う! あたしは……白瀬が好きなんだよッ!」


 ……言ってしまった。またも勢いに任せて……人生初のカミングアウト。なんで親にも言ってないことをこんな奴に言わなきゃならないんだよ。

 けど、いつもより藍歌の丸みを帯びた目を拝められたのは最高だ。


「驚いた……君はレズなんだ」

「言い方ぁ!」


 最悪と最高の感情があたしの涙腺を緩ませていたのに、一気に乾き切った。こいつほんと最悪……言葉選びが下手くそすぎない?


「なるほどね。だからずっとちょっかい出してくるんだ」

「好きに嗤えよ。よかったな、嫌いな奴のコンプレックスが知れてさ!」

「別に笑わないよ。つまんないし。あと、嫌っているのは君だろ?」

「ッ……」

「僕は僕の意思で他人を嫌う。誰かの感情に左右されるように見えるか?」


 美々子は言った。藍歌姫乃はきっと知れば普通の人間だと。笑わせる。蓋を開けてみたらこの男、あたしよりももっと──


「……あんた、白瀬のこと好きなの……」


 こいつが『好き』だなんて言うわけがない。わかっていても、確かめざるを得なかった。


「さあ……。でも、知れたらいいな」


 その声には感情があった。同時に藍歌は下を向いたから見えなかったけど、もしかすると……。

 あたしは自分自身への苛立ちに唇を噛み、足元のペンを拾って差し出す。


「ほら……さっさと終わらせなよ」

「どうも」


 藍歌が受け取った後も、あたしはこの場から動くことができなかった。このまま出て行ったら人としてもっと終わると思った。

 前の席を拝借して向かい合わせに座る。と、流石に予想外だったようで、藍歌は首を傾けた。


「なに? これ以上絡まれても疲れるんだけど」

「違うって。一緒に考えてあげるの。そもそも考えるまでもないけどさ、こんな日誌」

「どういう意図?」

「あんた風に言うなら、気分さ」

「言わないよ」

「言うだろっ!」


 こいつどんだけ自分を知らないんだよ……。


「あんたさ、今日は色んな奴と喋ってたじゃん。なんか印象に残ってることないわけ?」

「君がいきなり優しくなったところかな」

「ま、最悪それでもいいじゃん。感情が欠けてたって取り繕うことはできるだろ? それを文字にすりゃいいだけ。簡単でしょ?」


 藍歌はやはりどこか分かっていない様子だが、それでも徐々にペンを動かし始めた。

 沈黙の時間は居心地が悪いわけでもなく、どころかあたしには知らない安らぎが与えられていた。


「できた」

「……ん。どれどれ」


 日誌を覗く。感想欄にはこう書かれていた。


《いつもよりも騒がしい一日だった。適当にやり過ごす体育の時間では厄介者に絡まれたり、グループワークでもただの雑談タイムと化したり、散々な時間だった。放課後にはクラスメイトがレズだとカミングアウトしてきた。かなり内容の濃い一日になったと思う》


「なんてことを書きやがる!」


 あたしは藍歌から消しゴムを奪って全力で放課後からの文を消した。


「あんたなんのつもり!?」

「え……まずかったか?」

「まずいでしょうが! 日誌って誰でも見れるだろ! ……そもそもあたしが優しくしてやったことが書かれてねえ!」

「だって、よく考えたら、優しくしてると言うよりは罪滅ぼしに近いじゃない」

「うぐ……なかなか正論言いやがるこいつ」


 申し訳なく思ってる気持ちはマジだけど……それを理解してくれって言うのはさすがにあたしの都合がすぎるか。


「文句があるなら君が内容を考えてよ」

「ああいいよやってやるよ!」


 あたしは簡単に乗せられてゴーストライターとなる。


《今日はらしくもなく爽快な一日となった。体育ではバド部のエースと汗を流し、グループワークでも人並みに話すことができた。放課後には琴枝さんに日誌を手伝ってもらった。滅多にないことの連続だったので一日の経過が早く感じられた》


「……うん。まあ、普通だね」


 書き終えた藍歌は大層な態度で日誌を閉じる。

 え? こいつ何様?


「それじゃ」


 簡潔に言って日誌を片手に席を立つ。あたしが何かを返すよりも先に奴は教室を出ていった。

 ……まあいいや。あいつが言ったように、あたしがやったことは罪滅ぼしに近い。どう足掻いたところで自己満足。

 今の時間で藍歌へ吐いた言葉がチャラになるって意識は毛頭ないけど、少しでも誠意が伝わったらそれでいい。


「あんな奴が汲み取るとは思わんけどさぁ……」


 さて。さっさとマックに行かないと。席を立つと、扉が開いた。一体誰だろうと振り返ると、藍歌が顔を覗かせている。


「忘れ物?」

「まあそんなとこ。京ちゃん、ありがとう」

「────へ?」

「じゃ」


 今度こそ藍歌は消えた。

 どくどくと血が騒ぐ。


「あたしの名前知ってたのかよ……」


 いやいや、それにしたって距離の詰め方ってものがあるでしょうが。あたしは今まであいつに最悪な態度だったのに、どうしてあんなことができるの?


「バカじゃないの! バーカバーカ!」


 血液が沸き立つ不思議の感覚を燃料として足早に歩くあたしは、他人の目から見れば変人そのものだ。誰も居ない校舎でよかった。

 なんてことだ。

 知れば普通?

 全然そんなことはない。

 その上。

 あたしよりも、なんて《器》の広い奴だ。


「ムカつくムカつくムカつく……」


 繰り返しているうちに足を止めた。

 あいつは言った。『ありがとう』と。それよりも先──いや、なんならあたしが誠意を見せるよりも先、まずは『ごめんなさい』を言うべきじゃなかったの?

 負けた感じがする。もう、何もかも気に食わない!

 玄関から引き返し、あたしは職員室へと走る。二階へ上がるところの踊り場で藍歌と鉢合わせた。

 文字通りに頭をぶつけたものだから、あたしはたまらずしゃがみ込んだ。


「なにしてんの?」


 藍歌は他人事のように言いやがる。いや、他人事なんだけどさ……こいつは痛くないのかよ。

 見上げると、藍歌はあたしに手を差し出していた。

 そっか。こいつ、ここまでできるんだ……。


「パンツ見えてるからさっさと立った方がいいよ」


 藍歌は無感情に言う。


「安心しろよ。これ、見せパンだから」


 ただの黒いインナーパンツなのに。勘違いしている藍歌はなんだかピュアに思えた。

 あたしはくすりと笑って奴の手を取る。

 手を離すと、藍歌は何か考えるような仕草をして言う。


「意外とガードが固いんだね。女の子が好きだってんなら、男の目なんか気にならないだろ?」

「え? まあ、女子に比べたらだけど……」

「よく分からないな……。女の子に見られてる恥ずかしいから見せパンを履いてるってんなら、着替えとかどうするの? 君の感情的には異性の前で裸を晒すことになるわけで……」

「うるせえ! なんで堂々そんな話が振れるんだよ、あんたは!」

「……ごめん。君みたいなのは初めてだから、好奇心で」


 素直に謝られると調子狂うな……。

 あたしはこいつに感情を左右されすぎだ。さっさと謝ってさっさとスッキリしよう。

 と、決心した時には藍歌は階段を下りていた。


「ちょ、ちょっと待って!」


 あたしが踊り場から呼び止めると、さすがに振り返る藍歌。視線だけで「何の用」と訴えている。


「その、悪かった。今までの……なんて言うか……」

「別に気にしてない。殺しに来ないだけマシだ」

「あんたの冗談は聞いてて疲れるなぁ」

「僕を疲れさせた分と思ってくれ。……!」


 ふと、藍歌は何かに気づいたように玄関へ目を向けた。あたしも階段を下りて見ると、外で井宮奏斗と桜内桃春が待ち構えるようにしていた。


「ああ、そういやあんたってあの二人と仲がいいもんな。遊びにでも行くの?」

「いや……怒られに行くんだ」

「怒られる? あの二人も?」


 訊くと、藍歌は難しい顔をした。どうやら説明が困難な事態らしい。

 しばらく迷ったままで動かない藍歌の背中を、あたしは笑顔で叩いてやった。


「さっさと行きな。あんたのことだ、どうせ明日には平気な顔して着席してるでしょうよ」

「──うん。そうかも」


 藍歌は曖昧に頷いて歩く。そのまま去ることはせず、あいつは靴箱の手前で足を止めた。

 そしてらしくもなく、少しだけ声を張って──


「パンツの話はまたの機会にしよう」


 なんて言いやがった。

 その時ちょうど部活終わりの女子バレーボール部の集団が後ろから来ていて、これがあいつなりの仕返しなのだと悟った。

 諸刃の剣を躊躇いなくぶん回す……やっぱり気に食わない!


 後日。

 琴枝京と藍歌姫乃は怪しげな関係にあるといった噂が出回ったことは語るまでもない。

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