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無彩色の願望  作者: 哀川
第四章 屍の器

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最終話 屍の遺言

 優しい夢を見た。

 それがなんだったかは忘れてしまったけれど、とにかく優しくて……だからこそ、それが非現実なのだと自覚させられた。

 久しぶりに悲しいと思えた。夢の中だろうと顔にも口にも出さなかったけれど、素直な感情が表立った。


“起きて”


 目を開ける。

 柔らかくて落ち着く香りがした。


「藍歌くん」


 どうやら僕は白瀬さんの肩を枕にしていたらしく、白瀬さんの顔が近くにあった。

 瞬時に僕は身を引く。


「ごめん。かなり眠くて、つい」

「気にしないでくれ。わたしから抱き寄せただけだから」


 それはそれで気になる言い分だ。嘆息してからありがとうと言う。


「さあ、着いたよ」


 窓の外には《いちよ》と大きく書かれた看板がある。

 僕達は駅を降り、他愛もない話をしながら狼虎さんの居る病院へと向かった。

 これから終わる奴の話題はない。避けているということでもなく、白瀬さんには未練がないだけのようにも思える。わざわざそんなことを確認するわけもなく……。

 やがて病院に付き、受付で個人情報を記載する。前回のように羽澄楊絵の名を記載しようとしたのだが、白瀬さんの隣でそんなことできるわけもなく、おとなしく正しい情報を記載した。まあ、狼虎さんには既に本名も伝えているんだし、問題はないだろう。


「いよいよだね」


 病室へ向かう途中、白瀬さんは言った。とても爽やかな微笑を作って続ける。


「わたし達はただ見届けるだけだ」

「うん……ほんと、ようやくだよ。最近は一人暮らしの心地がしなかったから、やっと落ち着ける」

「君らしいな」


 そう。この僕らしさが、最後まで久留田を味方として捉えない精神が結果として勝利につながった。僕という奴も案外捨てたもんじゃない。

 ……昨日のうちに久留田との別れは済ませた。以来、あいつは沈黙を貫いている。あいつなりの心の準備があるのだろう。その証明に、僕は覚えのない緊張をこの身に与えられている。

 病室の前で立ち止まる。


 ──なんだ?


 あまりにも。

 この緊張は、あまりにも重い。

 突き刺さるような痛みすら感じる。

 傷み?

 これは一体……。

 扉に手をかけても、シェルターのそれのように重く、幽霊を運ぶだけの半端者には拒絶を強いられているようだ。

 ──そっと、白瀬さんが僕に手を重ねる。


「行こう」


 彼女は扉を見たままで言った。その凛々しい横顔以上に頼もしいものはない。

 僕らは扉を開ける。

 そして──


 中には誰も居なかった。


「留守だったか……タイミングが悪かったね」白瀬さんは苦笑して肩を揺らす。「……トイレかな? それかお風呂か──」


 時刻は六時四十五分。真っ赤な空。最高な夕日が窓の向こうにある。

 それよりも前、ベッド横のデスクに紙とペンが置かれていることに気づく。

 心臓が激しい鼓動に変わる。

 ──まさか。

 まさか、そういうことなのか?

 その紙を手に取ろうと近づくと、ノックが響いて、今度は鼓動が止まりかけた。感情が忙しい。汗が出る。


「失礼しまーす」


 背後から姿を現したのは看護師のお姉さんだった。少量の食事が乗ったトレイを片手にしている。


「狼虎さーん。ご飯っすよー。今日こそ完食を……ありゃ?」


 目をぱちくりとさせて僕達を見る。


「こりゃあすんません。面会中でしたか。……んん? 狼虎さんはどちらに?」

「こちらが訊きたいですよ」僕は不信感を全面に言う。「狼虎さんはどちらに?」

「いえ、風呂の時間でもないし、トイレに行くところも見てないんすよね……ほら、受付を通らないとトイレに行けないじゃないっすか。あたしは見逃してませんで……」


 不安の波に溺れる。いや、それよりも──紙。手紙の内容を。

 突然、バン! と鈍い銃声がした。絶句するお姉さん。半ば察し、諦めがついた。

 振り返る。

 窓から見える中庭、ざっと十メートル先に、女性が倒れていた。


 ──狼虎さんだった。


 鼻血を流して倒れている。

 時が止まる。

 狭い空間に三人居ると言うのに、誰も、何も発しない。

 その静寂の中で、狼虎さんは徐々に血溜まりへ溺れていった。こちらから見れば目立った外傷は見えないが、後頭部はどうなっているのやら。

 そう。

 銃声の正体は、人間が地面に叩きつけられた音だった。

 背後でトレイが落下する音がした。


「だ、誰か、だれか──」


 お姉さんが去って行くのは見なくてもわかる。

 そして、入れ替わるように久留田頼人が現れた。僕の体を乗っ取って表に出るという意味合いではない。死んだはずの彼が、逆立った金髪の、目つきの鋭い彼が、自身の体でそこに立っていたのだ。


「ああ! そんな! まさかそんな!」


 彼は障害物を避けるまでもなく透けて狼虎さんの元へ走って行く。白瀬さんも窓を越えて追いかけて行った。彼女がどんな顔をしているのか気になるところではあるが、久留田が出て行ったと同時に心に落ち着きを取り戻した僕は、彼女達を追うよりも先に手紙──遺書を手に取った。


《七月十三日の夜、わたしは全てを思い出してしまった。自殺に失敗し、あまりにも愚かなことに、二人を失った悲しみまでも忘れて生き延びたわたしを、きっと誰もが嘲笑したことだろう。これ以上そんな無様を晒すつもりはないが、しかし一つ葛藤があった。

 このまま死ぬよりも、二人を苦しめた奴を殺してから後を追った方が良いのではないかと。その方が二人の無念も晴れると。

 睡眠を忘れて出した結論は、復讐になど意味がないということだ。犯人を殺したところで二人は帰ってこない。仮に復讐に成功したとして、結果新たな悲しみを生み出すだけと思うと、その虚しさは計り知れない。

 ので、わたしは大人らしく死ぬこととした。

 二人は復讐を望んでいるのだろうか? わたしには分からない。

 サイアクなことに死者の気持ちなんて分からないのだから》


 遺書には涙一つ残されていない。とても綺麗な遺書だった。この文面には強い意志を感じる。生前の彼女に遺書のケチをつけていたらその場でねじ伏せられていたかもしれない。

 ──今だからこそ、僕は言える。


「復讐の連鎖を断ち切る責任があなたにあったとは思えません」


 僕は遠くの死体に向かって言った。

 窓から中庭に降りて死体に向かって歩く。久留田は狼虎さんの前で膝をついていた。そのやや背後で立ち尽くしている白瀬さんの隣についたところで、いよいよ院内は騒がしくなっていく。


「何を正しいと思って死んだんだ! こんなの、ありえない……アンタが死ぬことによって何が生まれる!? アンタは何を目指した!? 命の重さを散々謳っていたアンタが自殺だなんて、そんなの無責任じゃないか! 俺は……狼虎さんの為に復讐を果たしたのに!」


 久留田の想いが届くことはなかった。

 狼虎さんに言わせれば、久留田の復讐は自己満足に終わったのだ。

 軽率な決めつけが虚無を齎す地獄。

 泣き崩れる背中は、見ていてあまり面白いものではない。


「生と死は一方通行だな……」


 僕はあまりにも綺麗な夕焼けに視線を逃して言った。

 どこまでも遠いからこそ、儚く、身勝手を押し付けられる。

 美しい幻想とはいえ、どこまで行っても幻想でしかない。

 今が現実なんだ。


「あ、藍歌! 藍歌ッ!」


 久留田が必死の形相で僕の肩を掴む。


「もう一度だけ──お前を使わせてくれ!」

「……何をするの?」

「教団のやつらを全員ぶっ殺す! 風荻一家もだ! 殺さなきゃならないんだよ!」

「久留田……血の契約をしただろ。お互いに二度と関われないんだよ。それに、風荻の家自体はまともで……」

「そんなのやってみなきゃ分からねえだろうが!」

「久留田くん!」


 ──被せるように、白瀬さんが叫んだ。

 僕の手を奪うように握る。


「わたしを使え。もう、彼で人を殺さないでくれ。君の願いはわたしが連れていくから……」


 ぎこちなく張り付けただけの笑みを静かな涙で濡らす。彼女の手は痛いくらいに強く握り続ける。


「お、俺は──」


 久留田は身を引く。白瀬さんの顔を見て正気に戻らない方が無理だ。

 彼は深く息を吐く。

 そして、僕と白瀬さんの間を見る。何もない空間に対して、


「俺の人生って、一体」


 疑問をぶつけるのだった。

 直後に彼は消えた。余韻の残る消え方ではなく、一瞬にして消えた。


 僕達は病院を後にする。

 さてと。あとこの町でやるべきことは──



 ×七月二十一日 白瀬九織


「白瀬! メシ!」


 いつもながらの短いセリフが昼休みを知らせてくれる。

 今日も天気がいい。わたしは爽やかな気持ちで返事をして席を立つ。琴枝京と鳥谷美々子は、わたしを喧騒と孤独から逃してくれる貴重な存在だ。こんな表現をすればまるで都合のいいモノとして扱っているように思われるかもしれないが、本当にそんなことはない。

 代替不可能の良き友人。

 二人と当たり前のように食事ができる幸せに笑んでいると、正面に座る美々子がじっとこちらを見つめていたことに気付く。


「どうかした?」


 箸を止めて訊ねると、彼女は顎に手を当てて首を傾げた。幼い顔立ちでその仕草は、どこか大人ぶっている様子に見えてとても可愛らしい。


「いえ、まさにわたしが『どうかしたのか』を訊こうとしていたのですが……。なんだか九織、いつも以上に爽やかな感じがします」

「あー、めっちゃ分かる」


 隣で牛丼を咀嚼しながら京が言った。


「イケメンオーラが充満してんだよな。すれ違う有象無象共があんたを目で追ってたの、気付かなかった?」

「そうだったのか。しまったな」

「いや、しまったことはないと思うけど……。そんで? 何かあったん?」

「……ただ、今を丁寧に生きようと思ってね」


 ──現実を見た。

 どこまでも残酷なそれは、想いの届かない悲しみを与えた。

 生と死は一方通行。入れ違いだけが決定されており、衝突することはない。

 彼の物語は悲惨な結末を迎えた。わたしの生き方に影響を与えるには十分だ。


「想いが伝わるのは今だけだから」


 二人は不思議そうな顔をする。当たり前の反応には安心感すら覚える。ここしばらく当たり前が遠いように感じたから……。


「よく分からんけど、やっぱカッケーな白瀬。あーあ。あたしが男だったらもう抱いてるんだがなあ……」


 抱きついてくる京を引き離して食事を再開……しようとしたところで、偶然にもテーブルの横を藍歌くんが通りかかる。トレイを片手にしている。今から昼食なのだろう。


「藍歌くん」


 わたしは迷わず声をかけた。彼は怠そうに振り返る。


「よければどうだい? 一緒に」

「……うーん」


 彼はわたし──の隣に座る京に目を向ける。間が気になって京を見ると、今にも噛みついてきそうな野良犬の顔をしていた。


「いいや。一人で食いたい」

「そっか……。それじゃあ、放課後に」


 彼は頷いて、食堂の端のテーブルに移動した。

 京と藍歌くん、どこか折り合いが悪いのだろうか? そんな話は聞いたことなかったが。


「なんです? その威嚇に全振りした表情は」わたしの疑問を美々子が言った。「気持ち悪いですよ。じゃない……感じ悪いですよ」

「感じ悪いってんならあっちでしょ」


 冗談混じりの罵倒に反応もせず、真剣に答える京。


「いつも『自分解ってます』みたいな態度がムカつくんだよ。そのクセ白瀬と馴れ馴れしくしやがって……」

「わたしから踏み込んでいってるだけだけどね」

「とにかくっ! 嫌なんだよ。心底不気味な奴」

「ふーん。そうなんですね」


 美々子は悪巧みを隠そうとしない笑顔を作った。


「なんだよロリ子。うぜー顔」


 その顔は京も見慣れたようで、すぐに違和感を口にする。


「いいえ、別に。わたしは彼のこと気になっていますけどね。雰囲気なんかは打ち解ける前の九織みたいで、それに、顔も結構良いし……。きっと、知れば普通の人なんだなって思いますよ」


 という訳で、と残りあるトレイを持つ美々子。彼女は席を立って、


「わたしは彼と食べてきますね」

「はあ?」


 京は片眉を上げる。そこまではしないが、わたしもそれなりに驚いた。


「どうして驚くの? 気になる人とはお喋りしたいものでしょ? わたし、あの手の不思議な方とならぜひ付き合ってみたい」

「……わたしも行く」

「ちょっと白瀬!?」


 わたしと美々子は彼の座るテーブルに「邪魔してごめんね」と断りを入れてから座った。

 京のいるテーブルから「あーもう!」とヤケになった声が聞こえた。彼女はズカズカとこっちに来て、藍歌くんの対角に座る。


「言っとくが! あんたを認めるつもりはないからな!」


 藍歌くんは京が何を言っているかさっぱりのようで(わたしもイマイチ分かっていないのだが)、京をじっと見ながらもぐもぐと食事を続ける。


「……なんとか言えよ」

「はあ、どうも」


 あまりにも雑で適当な返事にわたしと美々子は大きく笑った。

 その後も意図しない漫才的なやり取りが多く続いたモノだから、わたしは確信した。今は犬猿の仲(というにはそれこそ一方通行だが)かもしれないが、二人は絶対に仲良くなる。

 ……それよりも。先程の美々子の藍歌くんを狙うような言葉は、この輪を作るための冗談と捉えていいのだろうか? 藍歌くんと喋る美々子がいつになく色づいた笑顔をしているところだけが不安要素となった。


 ×


 どこまでも賑やかで新鮮な昼休みはあっという間に終わり、現代文の時間がやってきた。皆一様にさて寝るぞと体勢を崩す中、わたしは一人考え込んでいた。


“それじゃあ、明日の放課後に”


 昨日、全ての事が済んだ後の帰路で彼が言った。

 告白の回答。応じるか否か。

 実のところ、わたしには結末が見えていた。

 密度の濃い時間を共有した。何に変わることのない最高で最悪な時間は、どんな形であれ確かな思い出となった。

 ──それはあくまでわたし視点。

 一度存在を忘却されたわたしは、きっとすぐに過去の人となり、彼の記憶から居場所を失うことだろう。

 恋仲は無理だとしても、せめて、彼の友人であり続けたいとの旨を伝えて頭を下げる。そんな情けない放課後となるのは明白で──問題は、わたしがそれで満足できるのかということ。勿論高望みが許される立場ではないし、藍歌くんとの人間関係が続くだけでそれは喜ばしいことなのだが──


「白瀬さんはどう思いますか?」

「好きです」


 ……ん?

 なに?

 誰に何を訊かれた?

 静止する教室内。現文の加藤先生……彼女はとても気さくで優しい先生だ……が、わたしの解を聞いて唖然としている。慌てて黒板に視線を移すと、短歌と俳句がどうのこうのと書かれていて……何を訊かれたのかさっぱり分からない。


「あの、すみませ──」


 わたしの謝罪は、突然と上がった黄色い声に潰される。


「白瀬が好きだって! 好きだって! 確かに言ったよ!」

「ああ! 言ったな! 意味わからんけど!」

「九織にそんな感情あったの!? わたしに言った? わたしに言った!?」


 一斉に盛り上がる教室は先ほどまで微睡に満ちていたとは思えなかった。


「ダメじゃんか白瀬」京が振り返って得意げに言う。「あんたみたいな王子様気質の奴が簡単に好きだなんて言っちゃあこうもなるよ。なんだよ、寝ぼけてたの?」

「はは……まあ、そんなとこ」


 ちらりと廊下側に座る藍歌くんを見る。彼もわたしを見ており、ちょっとわざとらしく肩を竦めてから再び前を向いた。

 幸運なことに、恥ずかしいだけの時間とはならなかった。


 ×


 ホームルームが終わってすぐ、わたしはクラスメイトに囲まれてしまっていた。多くが遊びの誘いであり、中には五時間目の揶揄いもあったが──とにかく、わたしが身動きが取れずに困り果てていると、


「白瀬さん」


 友人の間から藍歌くんが言った。静まり返る様子は現文の時と同じ。


「この後用ができたんだ。早めにいいか?」

「あ──うん。勿論」


 わたしはすまないと友人の輪を抜けて藍歌くんの背中につく。教室を出た後で騒ぎ声がするのもまた同じだった。


 五階の物置に着く。放課後の喧騒が小さく聞こえるこの場所なら、もし仮に涙を流すことになったとしても問題ないだろう。

 ……ここでわたしは静かにフラれるのだ。彼が去るまではいつも通りの顔でいたいところではあるが……。


「それで、答えなんだけど、よくわからない」


 彼は一息に言った。

 意味ありげな間を置くこともなく、部分的に語彙を強めたりもせず、本当に一息に、どこまでもいつも通りに彼は言った。


「それじゃ、また明日」


 藍歌くんは軽く手を上げてわたしの横を過ぎてここから出ようとする。


「いやいやいやいや待って待って!」


 慌てて両手を広げてキーパーとなるわたし。


「どういうこと? わたしはてっきりフラれるのかと……」

「……あの日なら──君に告白された夜なら、きっとそうしていただろうね」

「そ、そうだよね……」


 はっきりと口にされたら結構心にくるな……。


「でも、それがなぜ?」

「後悔する……そんな気がしてやまないんだ」


 藍歌くんはわたしから目を逸らす。


「恋だの愛だの、それがどんな感情なのかは知っているつもりだった。だから、それに当てはまらない君のことなんて──そう思っていたんだけど。それは後悔の未来に繋がるって、そう思った。色んな人を見てきたせいかな……」


 そう言って、彼は。


「僕は知っているつもりになっていただけなんだ」


 ほんの少し──とても分かりにくい変化で……口角を上げた。


「………………………………藍、歌くん……君は──」

「ああ、だから待ってくれって言うんじゃないよ。君はこれからも好きに恋をすればいい。僕だって答えを絶対に見つけるかと言われればそうでもないし。暇だったら考える程度の認識で……」

「構わない」


 食い気味に答える。すっかりいつもの無表情に戻った彼にわたしは強気で言った。


「わたしの熱が冷めた方が考えなくて楽だったか?」

「うん」

「それは悪い。わたしには叶えられそうにない願いだ」

「物好きだな、君は」

「その意見には肯定できない。わたしからすれば、君の魅力に気づけない方が不思議だ」


 ずっと前から知っていたつもりだけれど、昨日のことでその思いは一層強まった。

 ……しかし、訊くなら今しかないか。


「一つ、いいかな」

「すぐに済むなら」

「わたしは君のことが好き。この気持ちに嘘はない」


 胸に手を押し当てる。激しくうるさい鼓動もたしかにある。


「でも──その原因が屍の器の性質にあるとしたら、それはとても、哀しいことで、だとしたら……」


 その続きに何を言おうとしたのか。きっと、楊絵が認めてくれた白瀬九織の全てを否定するようなことを言おうとした。

 そうせずに済んだのは、彼の目がじっとわたしを捉えて離さなかったから。


「白瀬さん」

「……はい」

「君は屍の器で、僕も屍の器だ」

「……うん? なんだ? 改まって……」

「屍の器が同類に欲情する性質があるってんなら、僕はどうして君のことを忘れるのさ」

「──あ」

「君の告白に応じてないのもそうだし、君が懸念するようなことはないと思うよ」


 なんてこと……考えるまでもなく知れたことじゃないか。抜けていた。あまりにも。桃春が嗤うのも頷ける。


「それじゃ」


 今度こそ粗忽者なわたしの横を過ぎる藍歌くん。

 わたしだけの想い。何も後ろめたく思わなくていいのなら──

 藍歌くんの手を握る。やれやれと振り返る彼が文句を言う前にわたしは大きく言った。


「九織! 君に、そう呼ばれたい! そして、その……君のことも、姫乃と……」

「────」


 心臓がはち切れそうだ。鼓動のリズムが狂っている。

 これが、初めての恋。

 含羞の色のついた視線を藍歌くんへ向ける。


「名前──名前ね」


 彼は繰り返した後に、


「いいよ、九織さん」


 平気な顔をして言った。

 全身の水分が沸騰してしまうほどの錯覚に陥る……。九織さん……九織さんは危険だ。なんだか変に萌えてしまう。


「な、なんで『さん』付け?」


 嬉しさのあまり上がる口角を無理やり抑えて訊く。


「……さあ。君が同い年の出来の人間には思えないからかな。気分次第で外すよ」


 彼を掴む手が緩む。

 藍歌くんはそそくさと去って行った。

 わたしは物置で一人、ただただ余韻に浸っているのだった。


 ×藍歌姫乃


「九織……いい響きだよな」


 僕は一人呟いた。

 今まで口に出してなかったからか、その呼び心地というのは初めて知る。

 ……僕自身、まさか答えを引き伸ばしにするとは思わなかった。

 未来視を使った訳でもないのに、断ると後悔することを確信したのだ。それが『好き』に直結すれば話は簡単だったのだが、残念ながらそんなこともなくて。

 教会で過去の蓋を開けてしまったからというのもあるだろうが、それよりも、僕は彼女を羨ましく思ったのだ。誰かに対してまっすぐ好きと言える、九織の存在が。

 白瀬九織を知りたい。

 その気持ちを『分からない』という言葉で誤魔化した僕をまだ好いてくれていることは幸運だ。


「よく冷めないよなあ……」


 そこまで一筋なのは学ぶべきか否か。

 考えつかないまま、僕は目的地へ辿り着く。


 ×


 法号みずきの部屋はあまり女子中学生の幼さを感じさせない、とても簡素なものだった。ただ白く清潔で、少しいい匂いがするだけ。

 昨夜突然と遊びに来いと連絡を受けた僕は、部屋に招かれて開口一番に言った。


「つまんねえ部屋」


 僕が言うか。なんてセルフでツッコミを入れてみたり。


「ねえなんですぐに怪我するの?」


 どうしてか怒り気味にみずきちゃんが言った。

 机に向かう彼女はキャミソールにショートパンツという無防備を極めた格好をしていた。ボブの髪は後ろで結えている。


「そんな格好で人を迎えるのは感心しないよ」


 僕は近所で買ってきたケーキをローテーブルに置いた。


「いいじゃん。姫乃なんだし」

「何がいいのか分からないけど。ベッド座るね」

「えー。床座ってよ」

「ベッド座るね……」


 腰を下ろす僕。

 まったく、と息を吐いてみずきちゃんはケーキの乗ったテーブルについた。箱を開けてフォークをケーキに突き刺そうとする前に、慌ただしく部屋の扉を開け、


「ママー! 紅茶あるー?」


 大きく叫んだ。

 すぐに法号母が「後で持って行くー」と返事をする。

 そのやりとりと声色だけで法号家は普通の家族であることが窺えた。以前には分からなかったことだが、どうやらみずきちゃんの回復は歓喜されたらしい。

 穏やかなことだ。

 やがて紅茶が二つ運ばれてきて、みずきちゃんのティータイムが始まった。一口一口幸せそうに味わうみずきちゃんの様子は、まあ、見ていて悪い気はしない。


「……そうだ。怪我をした理由を話そうか」

「……? ……、……」


 僕は今回の一件──白瀬九織と出会ってから今に至るまでを語った。

 改めて振り返ると、理不尽に塗れた痛々しい過去だったことが再確認できた。自虐的に話をし、少し気が楽になるようだ。

 みずきちゃんは僕の話を黙って聞いていた。淡々とフォークを進め、ついには僕が食べようと思っていたケーキにまで手をつけた。なんて図太い神経してやがる。


「────ってことがあったんだ」

「…………まあ、そう言う流れになるんだなって分かってたけど……。教祖様が正当化の為に口達者になってて気持ち悪いっていうのが第一の感想として……」


 みずきちゃんは僕に軽蔑の眼差しを送る。


「なんで物を食べてる時に話すの? グロ混じりの話じゃん。タイミングなんていつでも良かったよね?」

「いつでも良かったからさ。……というか、そんな文句言ってる割に二つ食べてるじゃない」

「まあ、悲しい話だったね」


 露骨にスルーするみずきちゃん。


「失うばかりの人生だったのに、狼虎さんまで亡くなっちゃうなんて……。でも、冷静に考えれば当然って感じもする。そもそも、狼虎さんが入院していたのは自殺未遂からの記憶喪失な訳で、記憶が戻った時のことを考えていなかったのは病院側だよね」

「まあ、一階の病室にしたり、屋上封鎖は勿論のこととしていたけどね。あの魔術師にそんな小細工は無意味だったらしい。それより……僕は狼虎さんが復讐を望んでいないことに驚いたな」

「えっと……『犯人を殺したところで二人は帰ってこない。仮に復讐に成功したとして、結果新たな悲しみを生み出すだけと思うと、その虚しさは計り知れない』だっけ」

「うん。狼虎さんの遺書は綺麗事じゃない。実際に死んで、その主張が曲がらないようにした」


 少なくとも矢戸静樹はそうじゃなかった。恋仲であった十束康太に対して、幸せではなく自殺を望んでいた。


《キレイゴトヲ──》


 現実なんてこんなものだよな、と僕は納得していた。

 しかし、狼虎さんは違った。綺麗であり続けたからこそあの選択ができたし、そして久留田とすれ違う結果となった。

 生と死はどこまでも相容れない。僕達はそんな現実を嫌というほど見せつけられた。


「というかさ……」みずきちゃんは冷や汗をダラダラと垂らして言った。「冷静に考えてだよ? 姫乃が風荻の家に行くのはヤバすぎない?」

「……大丈夫でしょ。風荻ママは良い人そうだったし」

「そういう問題じゃなくて。この一件って、絶対表裏協会に呼ばれることになるじゃん。心証悪くなるようなことしない方がいいって」

「井宮にも言われたなあ、それ」

「当然でしょ……。奏斗さん、なんでこいつを野放しにできると思ったんだろう」


 こいつ呼ばわりだった。加えて軽蔑の眼差しが飛んできた。僕は必要以上の罵倒を回避する為に言い訳をする。


「本気で他人のことを知りたいって思えたんだ。この気持ちが薄れる前に動きたかった」

「……卑怯な言い方。まるで良い事みたいに」

「僕視点で良い事だったら良いんだよ。人の視点なんて考えてられるか」


 紅茶を手にして飲み込む。僕らしい物言いに納得したからか、みずきちゃんは微笑んだ。

 しかしすぐに怪訝な表情をする。


「ねえ、結局、姫乃の中のもう一人ってのは誰だか分かったの?」

「ああ……いや。分からない。どうでもいいと思ってるよ。一度だって僕の邪魔をしたことがないんだし、このまま大人しくするなら住まわせてやるさ」

「……嫌じゃないの?」


 今度は同情するような声色。まったく感情の忙しい娘だが、見ていて飽きることはない。


「そりゃあ嫌だよ。孤独が許されているのが心だ。僕の中に誰かが居るって考えると、認識がなくたってその唯一性は崩壊する。……でも、あいつに言わせりゃあ、器として生きているんだからそれくらいは当然だって」


 面倒事から目を背けるための言い訳に久留田を使う。

 あいつは僕を利用した。僕があいつを利用したところでバチは当たらないし、あいつ自身も文句はないだろう。

 少なくとも。

 現実を確かめることをしなければ、僕達は楽であり続ける。

 ……気づくとみずきちゃんが隣に座っていた。彼女は小さく白い手を僕の頭に乗せ、無造作に撫でる。


「なに……?」

「よくがんばりました。お姉ちゃんだったらこうするから」


 ──法号つるぎの妹は、その笑顔を懐かしい姿に重ねる。

 心にこべり付いた血が洗い流される気分だった。

 どんな過程であれ、最終的にこんな気持ちに落ち着くのならば、別にいい。


「入るよー」


 と。法号母がなんの脈絡もなく侵入してきた。


「…………」

「…………」

「…………」


 凍りつくような沈黙。もっとも、その空気は僕とみずきちゃんが作り出したものであり、法号さんはと言うと、皿に乗せたお菓子の盛り合わせを平気な顔でテーブルに置くのだった。


「ちょっとお母さん! なんで勝手に入ってくるの!」


 顔を真っ赤にしたみずきちゃんが叫ぶ。


「だって、どうせ姫乃くんが持ってきてくれたケーキ一人で食べちゃうでしょ。そんなの失礼じゃない」


 よく分かってんなあ。さすが家族。


「もっと早くに入ろうと思ったんだけど、中々タイミングがね……ごめんね、姫乃くん。盗み聞きしちゃった」


 微笑み混じりに謝る法号さん。かつて死にそうなほど無気力だったその顔は、綺麗な色を取り戻している。


「構いませんよ。僕だって、語る場所は選んでるつもりですから」

「そう? ありがとう。それにしても、あなたはずっと忙しそうね。どこまでも残酷な時間が続いて……。もし困ったことがあれば頼っていいからね? 法号はあなたの味方をするから」


 素直にありがたいと思える言葉を残して法号さんは出て行った。


「まったくもう、邪魔しちゃって」


 口を尖らせるみずきちゃんに今度は僕が手を乗せてやろうと思ったが、あまり面白くなさそうだし、みずきちゃんがつけあがると思ったのでやめた。

 皿の中のクッキーに手をつける。


「ねえ、姫乃」

「うん?」

「救ってあげるんでしょ? これから」

「そう言われると思って、昨日のうちに済ませたよ」


 言ってからクッキーを放り込む。みずきちゃんは珍しく「おお」と感心した様子を見せた。


「救うって言うのも違う気がするけどな。あくまで保険だよ。何事もないのなら、縁は途切れる」

「そんなことないよ。関わった時点で、縁は続いていくんだ。姫乃が久留田さんに影響を受けたように──」


 関わった時点で……そんなことがあれば、とても疲れる。必要最低限に済めばいいと思うのが本音ではあるが、僕の望むように話が進まないことは既に理解している。

 きっと、続いていくのだろう。

 言葉が通じるもの同士、話をして、理想を押し付けて、離ればなれになった後も自分の都合だけを相手の意思と思い込む。

 とても疲れる未来ではあるが、それでも過程に残るものはあるのだ。今回がそうであったように──。


 ×


 帰り道。

 明鏡止水の心で、今にも泣き出しそうな空の下を歩く。

 同情を誘うかのような模様。気分がいいので哀れんでやることにした。

 それは一方的で、明日には忘れてしまいそうな気持ち。

 確かめようのない正しさなど忘れてしまった方が楽なのは当然で。

 ならば初めから考えなければいいと、以前の僕が言う。言葉が通じない存在を相手にすることなど無意味の極みだと。


「──意味がないってんなら、誰も悲しまないはずだ」


 狼虎さんは死んだ。

 久留田は無念を残した。

 白瀬さんは同情した。

 目に見えた結果がありながら無意味と言うのは違う。幸不幸は差し置いて、久留田と狼虎さんの想いには意味があったのだ。

 だから、僕は空を見続けた。

 きっといつか、正しいと報われることを願って。


「なんて──」


 僕の想いはただの現実逃避なのだった。


 雨が降る。

 僕の目に落ちたそれは、誰かの涙のようだった。




 →七月二十日 午後七時


 店じまいの時間がやってきた。

 高校に入学してから続けている喫茶店、《うきよ》でのバイト──慣れることはなく、慣れなくてはという使命感を少女は持っているものの、誰かと視線を交わすことにすら息が詰まる彼女は、足踏みしている現状だった。

 それでも店主からの信頼は厚く、客からの評判も良い。己を変える為の努力を欠かさないその姿勢が人好きにさせると言う。

 今の彼女を作ったのは、一人の少年だった。

 一年前。現実から逃避するために、彼女は外でコーヒーを飲むという、自分には似合わない行動に出た。


『なに寂しそうな顔してんの、お嬢ちゃん』


 コーヒーを淹れた少年は気さくに微笑みかけた。

 やんちゃな風貌をしていたものだから、ひどく内気な彼女は乱暴をされると思い込んだが、彼と目が合ってすぐに理解できた。

 ──この人の心は、どこまでも温かい。

 それから少女は彼をなんでも悩みを打ち明けることのできる兄のように慕った。やがては彼のようになりたいとさえ思った。


“殺されたんですって。とてもまともな死に方じゃなかったそうよ”

“あの子達は殺されるような人柄じゃないってのに、なんて不運だ”


 少女は拠り所を失うと同時、彼の遺した意思を強く汲み取った。


『君を生かすのは君の心だけだ。悔いのない時間を選びなよ。他人の目を気にして劣化しないといけない理由なんて、誰にもないんだからさ』


 あの日の彼の目は、とても力強く、同時に温かかった。

 その懐かしい感覚を想起させられたのは、つい最近のこと。

 七月十三日だった。紅茶を一杯頼んだその少年は、五時間も睡眠を取ったのだ。

 テーブルに伏せて微動だにしない彼を見て、少女は救急車を呼ぶべきか葛藤した。その時間も五時間ということは置いておこう。


『悩みなんてないですよ。問題があるだけ。それに対して僕がどう動くべきなのかはハッキリとしている。だから悩んでなんかいない』


 突き放すような声色に冷たさを覚えるも、彼の目には懐かしい強さがあった。


「また会いたいな……」


 テーブルを拭きながら少女は言葉にする。

 彼に──彼に会いたい。

 叶わぬ邂逅の代用か、女としての本能か。

 気持ちの整理がつく前にドアベルが鳴った。


「ご! ごめんなさい! 今日はもう終わりで……す……」


 動揺を上回る動揺。

 一人の少女が居た。濡羽色のミディアムボブのスラリと背が高い彼女は、初対面の自分に優しい笑顔を向けた。

 ──綺麗な人。

 それ以上の感想がわかなかったし、あったとしても、彼女にとっては余計な装飾にしかならない。それほどに完成されていた。

 さらに彼女の背後からもう一人が姿を現す。

 同じく黒い頭をした、中性的に見える彼。

 無気力な目で少女を捉え、


「ごめんね。早く帰りたいだろうに」


 と、彼は言った。


「あ、い、いえ。そんな、ことは……」

「……。簡単に説明するね。僕達は久留田頼人の──友達だ。君のことを妹のように大切にしていたことも知っている」


 宣言通りの簡単な説明で少女の混乱は払拭された。


「今日、ここに来たのはあいつの遺言でね」


 彼はポケットから一枚のメモ用紙を取り出して、少女に差し出した。少女は疑問ながらもそれを受け取る。開いてみると、二つの電話番号が書かれてあった。


「上が僕……藍歌姫乃の番号で、下が隣の白瀬九織さんの番号。何か些細な不安でもあったら、僕達を頼ってくれ。すぐに駆けつける。……ごめん嘘。電車で一時間近くかかるけど、極力急ぐから」

「──遺、言?」

「うん。厄介な遺言さ……君が幸せになる為の立役者になれって」


 藍歌姫乃の言葉に白瀬九織は頷いて続けた。


「君からすればわたし達は完全に不審者だから、その紙はすぐに捨ててしまってもいいよ。彼の言葉が果てることは残念だが、何よりも君の意思が重要だから」

「いいえ……いいえ!」


 少女は乱暴に叫ぶ。番号が記載されただけのメモを、まるで赤子を抱くようにして涙を流す。


「そんなことしません! だって、こんなにも、温かいから……」


 確かに感じる彼の意思は、こんなにも温かい。

 少女は恥じることなく大きく泣いた。そんな彼女の頭に藍歌姫乃は手を乗せる。義務的な行為に見えたのだろう、白瀬九織は静かに笑った。

 やがて少女は目と頬を赤く染め、藍歌姫乃の目をじっと見つめる。


「わたしはみらい……冬草ふゆぐさみらいです!」


 宣言のような名乗りを笑うことなく、彼は優しくみらいの涙を拭って頷いた。

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