表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無彩色の願望  作者: 哀川
第四章 屍の器

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

104/136

第三十三話 架け橋

 それから。

 僕の体に問題ないことを確認した後に、病院を後にした。空明さんが手配してくれた車で僕達四人は妻城市へと戻り、井宮の提案で町のファミレスで昼食を摂ることとなった。

 車に揺られただけでかなり痛んだ体だから帰りたいということを主張してもお構いなし。別にいいけれど。

 他愛もない話をして平和な時を過ごす。十分な気分転換ができたので、結果論ではあるが帰らなくて良かったと思えた。

 因みに桜内は東条さんと依頼をこなしているらしい。快勝したとは言え殺し合いをしたばかりだというのに、まったくよく働く奴だと思った。

 解散したのは午後三時。

 井宮は地下鉄へ。早見さんは学園へ戻る為バスへと向かった。その別れ際に彼女は言った。


『今回わたし達がやったことは隠蔽のしようがないから、隠さずに機関に打ち明ける。大事にはならないだろうけど、アンタ達も事情聴取を受けることになるだろうからそのつもりで待っているんだ』


 面倒ではあるが回避不可能な事なので仕方なし。

 今回僕は殺しすぎた。りんなちゃん、刀太くん(彼については恋毒の責任にできるけれど)、千畳夢、そして風荻吉野。全員が人殺しで、有害で、殺されて当然で──だからと言って殺した時点で話を終わらせてしまうことは赦されない。

 それが赦される場所は地獄だけだ。


「さて……わたし達はどうしようか」


 早見さんの乗るバスを見送った後に白瀬さんが言った。


「どこか行きたいところでも?」


 僕が訊ねると、彼女は慌てて誤魔化すように手を振った。


「い、いや──ほら、狼虎さんのところに再び行かないと話は終わらない訳だろ? もしも今から行くならわたしも……」

「勘弁してよ……今から行くはずないだろ。まだまだ寝足りないんだ。今から寝たって明日の登校に間に合うかどうか……。明日の放課後に行くよ。久留田もそれは了承している」

「……なら、わたしも一緒に行っていいか? 本来なら彼を送るのはわたしの役割だったから──」

「うん。いいよ」


 素直に頷いた。白瀬九織が義理堅い人間だということは既に知っている。この人がそんなことを言い出すだろうという予測は立っていた。

 反対に白瀬さんは僕の返事を予想外に思ったのか目を丸くした。


「意外だな。拒絶されると思っていたが……」

「君が言ったように、もうほとんど終わったんだ。僕が独りで動く理由もあんまりない」


 何も特別なことは言っていないのに、彼女は今度は驚いて見せた。その顔がやがて綻び、


「君は変わったな。ますます好きにさせてくれる」


 と言った。

 妻城市の心臓部でないとはいえ、ここには地下鉄の駅や背の低いオフィスビルが並ぶ。決して人通りが少ないというわけでもないのだ。

 そんな中で彼女は好意を口にする。白い頬に朱色が混じっているのは、他人の視線への恥じらいではなく……。


「それじゃあ、告白の答えも明日が終わった後に期待していいのかな?」

「うん」


 ……あれ?

 後での必要ってあるか?

 今ここで即答していいはずなのに。

 できるはずなのに──


「……まあいいや。それじゃ、また明日」

「待った」


 背中を見せようとする僕の腕を掴む白瀬さん。……かなり力強い。

 なんで? 僕、何かやらかしたか?


「やっぱり信用できない」

「…………え」


 マジのトーンだった。白瀬さんはちょっとだけ悪どい笑顔になりつつ続ける。


「仕方ないだろう? 前回は『また明日』を無視して君は市余町へ行ったじゃないか。疑心暗鬼にもなってしまうよ」

「それこそ仕方なかった話だと思うけど」

「それを抜きにしたって……君のことだ、寝坊したら学校に行かずに市余町へ行くだろう?」


 よくわかってらっしゃる。明日寝坊しようものなら、僕はそのまま狼虎さんの所へ行く。しかし、それは学校へ用がない場合の話だ。

 明日は例外。別に明日にこだわる必要もないけれど、まとめて済ませておきたいというのが実際のところ。


「マジな話、明日は学校に行くよ。やりたいことがある」

「……それは一体?」


 半信半疑の目を向ける白瀬さん。強く掴み続けるその手を、彼女は僕の一言で離すこととなった。



「風荻の住所が知りたい」



 ×七月二十日 白瀬九織


 今朝はスッキリとした青の空が見えている。その下を歩く学生達は閑散としていた。日頃から明るい雰囲気のある学校がどうしたのだろうと疑問に思っていたのだが、玄関に入ってすぐに納得した。一年生の姿がない。彼らは宿泊研修に行っているのだ。

 抜けていた。もう一週間もすれば夏休みに入るこの時期に適応できずにいる。実感が湧かない。ここ最近非日常が続いたせいだろうか。

 切り替えなければ。

 決心して教室に入ると、


「あれ? 白瀬がまた怪我してる!」


 早速捕まった。詰められることは覚悟していた。

 わたしはあらかじめ用意していた「兄と喧嘩をしたんだ」という嘘をついてこの場を凌ぐ。京や美々子の質問に応じながらも、藍歌くんの席に目を向ける。

 彼は着席していた。わたしよりも傷と術式を隠す包帯が目立つ姿で、頬杖をついて眠っている。それ以外は普段通りの彼に安堵するが、昨日のことを思えばその気持ちも不安の波に溺れてしまう。


『風荻の住所が知りたい』


 彼は言った。


『君と風荻が市余町へ向かう前、公園に寄ったと言っていたな。そこであいつは普通に楽しんで、子供のことを《未来》とまで言っていたそうじゃないか。あいつの言葉に嘘は見えないと、だから僕も君も風荻吉野が人殺しとは思わなかった。……それじゃあ納得できないんだ。僕が殺していいと思った奴にそんな一面があるのは不愉快なんだよ。風荻吉野という人間を本当に知るのは産み落とした親だろ?』


 わたしは浮かれていたのだと知った。風荻くんの話は終わったも同然だと一人で舞い上がっていたのだ。藍歌くんが締めくくるには足りないと言うのに。

 正直なところ、これ以上風荻吉野を知ることは怖いし、そんな彼の両親に会うことも避けたいことではある。不安は拭いきれない。


「来なくてよくね」


 藍歌くんにそう言われて、わたしは唖然とした。

 昼休み。彼が席を立ったのを視界の端で捉え、わたしは追いかけた。住所を一体どの先生に訊くつもりだというのか(そもそも個人情報を教えてくれるとは思えないが)、彼が向かった所は職員室。その向かいの廊下でわたしは彼を呼び止め、これからのことに弱音を吐露すると彼は言った。


「逆になんで来るつもりなの」

「え……」


 逆になんで、というのはわたしのセリフだと思った。昨日罪の分散を語ったというのに、どうして風荻くんを知ることについて、わたしが部外者でいられるだろう。


「君は風荻に殺されかけたんだぜ。そいつの家に行ける方が変な話だよ」

「藍歌くん。わたしがここで引く女だと思うか?」

「……まあ、そういう人だよね」


 半ば諦めたように藍歌くんは肩を揺らす。


「それで、誰に訊こうとしていたんだ?」

「浅沼先生。あの人なら行けると思って。押しに弱そうっつーか」

「教師をなんだと思ってるのさ……。わたしの意地を抜きにしたって、君一人じゃここで詰んでいたかもしれないよ」


 笑みと共に軽口を叩く。彼は少しムッとして「できるとも」と言った。

 僅かな表情の変化も珍しく感じるわたしにとって、些細な動きも嬉しいものだった。

 桜内さんや井宮くんに突き動かされる藍歌くんを傍観するだけで羨ましがっていたわたしはもういない。彼の隣で、彼らの隣で笑ってもいいのだ。


「冗談だよ。とにかく協力する。行こう」


 わたしが先導して職員室に入る。浅沼先生はおにぎりを片手にパソコンを睨んでいた。確認するまでもなく忙しそうではあるが、気を遣っていては停滞する一方だ。


「先生。今、大丈夫です?」


 浅沼先生はわたし、藍歌くんと視線を巡らせて表情を柔らかくする。


「勿論。どうしました? 傷だらけの二人して、真剣な顔で」


 先生は小首を傾げる。彼女は二十六歳だったか。その歳になってもその仕草が自然と、そして同性のわたしすらも愛らしいと思わせるのは才能に近いように思う。わたしもこんな風に歳を重ねたい。

 なんてくだらない考えをする一方で、


「風荻吉野くんを知っていますか? 一年生の子なんですけど。彼について少しお話ししたくて」


 わたしは一気に切り出した。すると彼女は露骨に表情を崩す。背筋を爪でなぞられたような動揺を見てわたし──そして藍歌くんも確信したことだろう。

 教師らは風荻吉野について既に何かしらの情報を与えてられている。

 考えてみれば当然だ。彼が亡くなってから一週間も経っているのだから。


「場所を変えましょうか」


 先生は教師というよりも他の生徒の目を気にしているようで、移動先は職員室内の小会議室だった。ガラス張りの空間だが、防音はしっかりとしている。わたしと藍歌くんは先生の前に着席した。


「風荻くんのことですが──彼は今行方不明なんですよ。先日ご両親が捜索願を……。このことを生徒達にどう伝えるものか、審議中でして。ほら、一年生なんて宿泊研修の真っ最中ですし」


 先生は自ら先に情報を開示した。これはとんでもないミスだ。わたし達に先に何の用かを訊ねるべきだった。先生のおかげでわたし達は自然に話を合わせることができる。

 藍歌くんとアイコンタクトを交わした後に口を開く。


「やはりそうだったんですね。実は先週、風荻くんのクラスメイトの薔薇叶未ちゃんに彼の相談をされたんです。彼女、風荻くんが無断欠席したことに不安を覚えたようで。藍歌くんも同じ相談をされたらしく、何ができるのか考えたところ、探偵の真似事しかないと結論が出たんです」

「真似事──つまり?」

「あいつの家を教えてくれってことです。親に話を聞きたい」


 食い気味に答える藍歌くん。浅沼先生は彼の様子に驚いたようで、目を丸くして「な、なるほど」と答えた。

 先生は考えるようにしてからすぐに教師としての自覚を持った顔に戻る。


「それはできませんね。いくら二人がどれだけ信用できる人だとしても、勝手なことをすれば教師としての信頼が落ちるので」


 きっぱりと断るその姿勢は残念ではあるが、一人の教師として安心できる存在と思わせてくれた。

 しかしここで納得する訳にはいかない。いくらでも嘘は思い浮かぶ。信頼されていると言うのなら、その事実を存分に利用するだけだ。


「……何故そこまで必死になるんですか?」


 ──先生は言った。彼女の視線からして、その問いかけは完全に藍歌くんへのものだった。

 ここで余計なフォローはできないし、話を逸らすことも不自然に思われてしまう。

 情けないことに、わたしは手出しができなくなった。


「あいつは……言ったんです。『人を嫌いになるには理由がいるけど、人を好きになるのに理由なんていらない』って。僕にはその言葉にあいつの嘘が混じっているとは思えなかった」


 藍歌くんは悔しそうにしていた。俯き、不快感に歪む瞳を隠そうとする。


「僕は僕の為に風荻を知りたい。なぜそんなことが言える人間になったのかを知りたい。日頃の態度でこんなことを言うのは虫がよすぎるとは分かっていますが──お願いします」


 彼が頭を下げると、先生は迷ったようにして、それから静かな微笑みを浮かべて「待っててください」と会議室を出た。


「……意外だな。まさか君が頭を下げるだなんて」

「すり減るプライドもないしね」


 なんて言うけれど、わたしには藍歌くんが浅沼先生に対して真摯に向き合っているだけのように思った。だからこそ意外だと言ったのだが……どうやら藍歌くんは無自覚のようだ。

 少しして、先生はA4サイズの封筒を片手に戻ってきた。それには住所が書かれている。


「一年三組の配布物です。副担任の横坂先生から預かってきました。……お願いできますか?」


 ──先生は建前を作ってくれた。

 わたしと藍歌くんは「ありがとうございます」と頭を下げて、彼が封筒を受け取る。


「わたし達が要求しておきながら心配するのも変な話ですけど、大丈夫ですか?」

「ええ。大丈夫ですよ。何一つ悪いことはしていませんから。……ただ──教師のあり方としてはよくないですね。白瀬さんと藍歌くんにお願いされたからという差別的な想いがあったことは否定できません。それは教師として間違っている」


 大人の苦悩を吐露されたところでわたしにできることはない。子供の安い共感は笑い飛ばされるのがオチだ。

 ……それで引くようなわたしはもう居ないけれど。


「先生。わたしには好きな人がいます」

「え、ほんと? あの白瀬さんが? 誰? どんな人なんですか?」

「いえ、恋バナがしたいんじゃなくて……。わたしは彼の為だったらなんでもする。誰かに嫌われるようなことだってするかもしれない」

「まさか。あなたのような人がそんな……」

「普通なんですよ。誰かを特別扱いすることなんて、生きている限りは普通なんです。わたしのような人がそう思うくらい。だから、あまり自分を嫌いにならないでください。みんな浅沼先生のことが好きだから」


 微笑みかけると、浅沼先生は顔を赤くしてウェーブのかかった髪をいじりながら「これは卑怯……」と小さく言った。

 何がどう卑怯なのだろうと疑問に思っていると、先生はわざとらしい咳払いをし、藍歌くんに言った。


「知れるといいですね」


 どこまでも優しい声音。

 先生が藍歌くんを気にかけていることは多くの人に知られていることだが、この感じは──


「……僕だって誰かを憎むことも、殺したいと思うことさえある。先生は普通ですよ」


 彼なりの慰めの言葉は先生の目を丸くさせる。

 意外に思ったのだろう。わたしも以前までなら同じように驚いたかもしれないが──今は彼が優しい人だと知っている。なんの不思議もない。


「藍歌くん……」先生は自然と笑顔になって言った。「言葉遣いに気をつけましょう」


 ×


 生徒が教師の前で殺したいなんて言ったら注意されるのは当然で。

 思うように締めくくることができなかった昼休みではあるが目的は達成した。

 放課後、わたし達は早速記載の住所へ足を運ぶ。

 風荻くんの家は学校からそう遠くない駅近く──警戒すべき異物が一切ないエリア。神秘出禁のような結界があるわけもなく、そんな当たり前が藍歌くんの次に安心させてくれる。

 一帯は雑多としている。古顔として駅から降りる人達を迎えるかのようなビル群はやがて朽ちてしまいそうな経過が視える。

 少し視線を移せば出口はどこへやら、細い路地裏を見つける。日中だのに薄暗いその遠くを見れば、グレーに塗られた綺麗な壁紙──新築だろうか……その後ろ姿が見えた。さらに向こう側には建設途中のマンションまで姿を現す。

 帰宅途中であろう同乗者達が向かうは二、三百メートル離れた大型デパート。

 これらの混在は夏の暑さを一層厄介にさせる。

 が、一つ一つ切り取って認識すれば異物なんてものはない。当たり前の人達が当たり前に生きる為の普通がそこに在るだけだ。

 彼は──風荻くんは、ここで当たり前に育ったのだろう。


「いっそ、この世の終わりみたいな治安の場所だったらよかったのに」


 藍歌くんは呟いた。

 風荻くんを知る為の情報収集はこの段階で行われている。

 目につく物がことごとく当たり前の顔をしていたからだろう、彼は「まったくさ……」と足を早めた。

 すぐに着いた白塗り二階建て一軒家。

 藍歌くんはインターホンを鳴らす。

 ……緊張していないと言えば嘘になるが、平生としている藍歌くんはこれ以上なくわたしを落ち着かせてくれる。

 大丈夫。何も問題ない。


『はい……?』


 機械の向こうからは女性の声が聞こえてきた。


「初めまして。大丘高校二年の白瀬九織です。先生から配布物を預かってきました。今お時間大丈夫でしたか?」

『まあ、わざわざ……今開けるね。待ってて』


 どうして郵便受けに入れないのと突っ込まれることも危惧していたが、案外簡単に事が進む。あとは家の中にお邪魔することだが──。


「お待たせしましたー。さあさあ、上がって」


 ……ここまで簡単に話が進むだなんて。

 わたし達を迎えてくれた風荻くんのお母さんは、とても綺麗で、静かに笑う人だった。どこか体調がすぐれないようで、こんなに暑いというのに着込んでいる。


「いえ──申し訳ないですよ。ただの遣いですから」


 わたしが形だけの断りを入れるも、風荻さんは首を振った。


「いいのいいの。折角なんだからお茶でも飲んで行って」


 気遣いのできる素敵な人。この人に殺しはできないだろうなと思ったわたしは心の中で大きく息を吐く。


「それじゃあ……お邪魔しようか?」


 と、わたしは藍歌くんを見る。


「うん。そうだね。折角だから」


 わたし達は案内されたリビングのソファーに座る。なんの変哲もない部屋を眺めていると、風荻さんが紅茶とクッキーをローテーブルに用意してくれた。

 室内に陰陽師なんて要素は見当たらないが……。


「本当にありがとうね。息子には頭を下げさせたいところだけど、ごめんなさい。あの子ったらどこにいるのやら……」


 風荻さんは向かいに腰を下ろす。かなり疲れているようだ。


「あ──いけない。学校側はまだ伝えていないんだっけ?」

「いえ。わたしと彼は伝えられています。吉野くんが学校に来ていないとのことで、心配で先生にお話を伺って……配布物もその時に」

「なんだ、そういうこと。あの子は学校でどう?」

「とにかく素直な人ですよ。男女の区別なく誰にでも本音を言える、羨ましい性格をしています」


 そう、と風荻さんは納得して微笑んだ。それから藍歌くんへ視線をやる。その動きに気づいた彼はマグカップを置いた。


「僕も同じです。性別も年齢も関係なく踏み込んでいく奴でした。すぐに人を好きになって、それでも嫌うことはなくて……。あいつは嘘をつくことができなかったんじゃないかな。人生を楽しんでいそうで、とても羨ましかった」


 ……か、過去形になっている。


「ど、どうですか? わたし達の捉える吉野くんは、普段と変わりないでしょうか?」


 ボロが出るよりも先にわたしが繋ぐ。

 ぽかんとしている藍歌くんはどこか抜けてて可愛らしいが、それよりもヒヤヒヤさせられる……。


「ええ。よく見てくれている。さすが先輩さん。あの子はとにかく素直なの。何か悪さをした時も、こっちが知る前に白状しちゃって。嘘をついたことがないの、嘘が下手くそだから。けど──そんなあの子も、中学の時の家出に関しては何も語ろうとはしなかった」


 中学生……久留田頼人くんのお姉さん──さなえさんを殺した時のことだ。


「それなりの騒ぎにはなったけれど、わたしも夫も問い詰めることはできなかった。吉野が自分から打ち明けてくれるのを待とうって、それが正しいことだと信じた。でも──間違いだった。あの時話を引き出すことをしていたのなら、こんな不安の時間なんて来なかったかもしれないのに……」


 彼女はどうやら風荻くんが自らの意思で行方をくらませていると思っているらしい。事件には巻き込まれないという信頼か、不都合から目を逸らしているだけか──。

 とにかく、風荻くんの両親がまともだということは分かった。この人に殺される心配はとうにない。

 だからこそ、藍歌くんは納得できないのだろう。彼は難しい顔をして言った。


「嘘をついたことがない。事実を口にしなければ、そもそも嘘なんてつく必要がないってものですよね」


 決して口外できない風荻吉野の本性。上辺だけを語るこの空気に対する不満が吐露された。


「そうだね……」風荻さんは小さく頷いた。「君の言う通り。わたしは親として踏み込むべきだった」

「僕も吉野くんのことが心配です。関わった時間は少ないが、あいつは僕の知らないことを教えてくれた。けれど、探そうにも何かと情報が足りなくて。もしよろしければ、あいつの部屋を調べさせてはくれませんか? 既に確認された後だとは思いますが──」

「ええ、構わない。是非見ていって。学校の先輩ならではの新しい発見があるかもしれないから」


 快諾する風荻さんに案内された二階の一室。五畳ほどの空間はしっかりと整理されていた。ワークデスクの上には勉強道具が並び、ベッドの毛布すらも乱れが見えない。

 綺麗好きなんですね、と言おうとしてやめた。綺麗が好きじゃない人なんている訳がない。

 藍歌くんは壁際の本棚に向かい、つまらなそうに物色しては嘆息する。


「教材や漫画ばかりだな……。日記の一つでもあれば……」

「わたしもそう思ったけれど、やはり無かった。まあ、今時律儀に日記をつける人は少ないでしょうし……あの子はそんなことをするタイプでもなかったから仕方ないわ」


 それからも十分ほど情報収集を行ったが、普通でない彼の証拠は残されておらず、家族の前では普通の高校生であったということしか分からなかった。

 それで終わり。

 藍歌くんの望む『成るべくしてして成った人殺し』の要素はなく、風荻くんを囲む世界は当たり前で満ちていた。

 何が陰陽師だ。どこまでも普通じゃないか。


 ──去り際、わたし達は風荻さんからこんな話を聞いた。


『あの子が小学生の時、ずっと兄弟が欲しいって言っていたの。わたしの体が原因でそれは叶わなかったけれど……。一緒にサッカーがしたいって……だから、よく公園で近所の子とサッカーをしていた』


 表面だけを見ればどこまでも好青年。しかし裏を見れば──いや、違う……嘘をつけないのだとして、ならば全てが表面だ。彼は表面の一部を語らなかっただけで、それを裏と言えるだけの情報はなかった。


「殺す為に子供の信頼を得たとか、その手の話だったらよかったのに……」


 電車の中で、彼は独り呟いた。わたし達はクロスシートに腰をかけている。これから市余町へ向かうのだ。

 藍歌くんの呟きを耳にして、わたしは窓際に座る彼に向いた。


「後悔しているのか?」


 わたしが訊ねると、彼は景色の方へ視線を逃した。


「してない。……ただ──約束したんだ。軽い気持ちで人を殺さないって。でも、殺した後でこうして『殺すべきだった理由』を探しているのは、どこか後ろめたい気持ちがあるからなんだ。あいつが重ねた罪の数と、誰かに愛されてきた回数を比べてしまう。……気持ち悪い」

「分かるよ……なんて軽くは言えない。わたしは君じゃないから。けれど──」


 わたしはそっと彼の手を握った。傷のついた手で傷のついた手を覆う。


「藍歌くんが居なければわたしは居ない。罪も罰も傷も、一人で抱え込む必要はないんだ。君は一人じゃない。他の誰もが消えたとしても、わたしは絶対に君の隣にいるから」


 藍歌くんが救ったのはわたしだけではない。風荻くんに殺されたかもしれない未来の被害者を出さずに済んだのだ。たらればの話とは思わない。


「君に救われた命があるのは君にしかできなかった行為の結果だ。この事実だけで納得していいんだよ。少しは肩の荷を下ろしたらいい」

「……白瀬さんは変わったね。とても幽霊の感情に流される奴には見えないよ」

「おかげさまでね。どっちの方が好みかな?」


 わたしがふざけて訊くと、藍歌くんは軽く息を吐いた。……いや、吹いた? 嘲笑に近かったような気もするけど……まさか、笑ったのか?

 慌てて彼の顔を覗こうとするも、彼の表情は既にいつも通りに戻っていた。

 ……別にいい。焦る必要はない。一緒に笑い合えるだけの時間は残されている。今を生き急ぐ必要はない。


 そして、車内での時間が二十分を過ぎたところで。

 ごん! と藍歌くんの方から痛々しい音が聞こえた。半分夢の中だった意識を起こして見てみると、彼は窓にもたれかかって眠っていた。かなり鈍い音がしたが、目が覚めないだなんて。そもそも藍歌くんが人前で寝顔を晒すとは意外だ。

 疲れが取れていないんだろうな、きっと。

 だとすれば──だ。

 命の恩人が疲れて眠っているところ、窓に寄り掛からせるだなんてあっていいのか? 硬いモノを枕にしているところを見過ごすことが赦されるのだろうか、いや赦されない。

 脳内で反語法を復唱しながら、彼の頭をわたしの肩に抱き寄せた。


「下心はない……」


 自分に言い聞かせるが、これはどう考えても下心のある人の言い分だ。

 柔らかな髪の毛。無防備な寝顔。下心満載な感想でわたしは顔を緩ませる。

 ……ふと、藍歌くんが体を起こし、わたしに冷徹な眼差しを送る。


「結構詰めてくるね、君」


 郷愁な顔が誰かと重なった気がした。

 それはどこか作りものくさくて──


「……ああ、なんだ、久留田くんか」

「…………へへ。バレちまった」


 イタズラに失敗した子供のような顔がそこにはあった。


「よしてくれよ……。あ、君は亡くなった時は十七歳だっけ……一応年上なのかな?」

「まさか。人は死んだらそれで終わりだよ。俺は永遠の十七歳。あ、勘違いしないで欲しいんだけど、無理矢理入れ替わった訳じゃないぜ。藍歌はまだ未来視の反動が残ってるみたいなんだ。だから──今しかないと思って」


 久留田くんはそう言うと頭を下げた。


「ごめん。アンタに限った話じゃないけど、死ぬほど迷惑をかけた。アンタの中に居た時も、藍歌に乗り移る直前も。本当に悪かった」

「……気にしないでくれ。君達を重荷に感じたのは、わたしの弱さでもあるんだ」


 親友の死から逃げ続けたわたしの弱さ。鏡として振る舞いつつも、都合の悪いところからは目を逸らした結果としての罰と思えば、わたしとしては納得できる。


「敵わないな。藍歌が揺らぐワケだよ」


 感心した──いや、気圧されたようで、彼は引き攣った笑いを作る。その反応には納得できなかったが、これが鈍感という奴なのだろう。変わったとは言え、わたしもまだまだだ。

 ……うん? 今『藍歌が揺らぐ』と言ったのか?


「アンタがここまでいい奴だと不安にもなるよ。いつか大損の役が回ってきそうでさ」

「……その必要はない。わたしはわたしの為に生きるよ。知っているか? わたしは好きな人の為に狂えるんだ」

「は──たしかに、余計な心配だったな」


 わたし達は笑みを交わす。事を水に流した誤魔化しではなく、一つ一つを汲み取った結果としての破顔。

 苦しみ、悲しみ、死にかけて、死ぬ思いをして──それでも、確かに未来へ繋ぐ為の時間であったのだ。

 これからも期待と不安に溢れた道となるだろう。狂気を持ったわたしはその道にすら迷うかもしれない。

 想像に容易い。

 しかし、その時、この経験が活きることは間違いない。

 藍歌くんの手を取って、生き繋いだこの命。ただで果てることは決してない。


「藍歌はさ、知ってると思うけど悪い奴じゃないんだ。ただ、あいつの過去には良くないものがあって……」

「それ以上はいいよ」


 わたしは静かに首を振った。

 そんな予感はしていた。きっと家族の話だろう。桃春の話によれば、どうやらお姉さんがいるとの話だが、それ以上のことは不明とのことだ。

 彼がどんな風景を経て今に至るのか、それはとても興味深いところだけれど、それを他人の口から、それも彼の知らないところで知るのは違う。藍歌くんの口から知るべきだ。


「今ここで知ってしまうと、いざ彼と向き合う時に大事なことを誤魔化してしまいそうだから」

「そっか。……うん。アンタなら、きっと大丈夫だ」


 まるで彼の保護者のような顔をする久留田くん。


「俺はそろそろ引っ込むよ。あいつの魂が眠っているとは言え、こうして肉体を起こしていちゃ意味がないから」

「うん」


 ……そう言われてしまうとどこか名残惜しい気持ちが生まれる。わたしが別れの言葉を模索する中、彼は言った。


「それじゃあ、きっと幸せにな。アンタにはその権利があるんだから、叶えてくれよ」


 それは、終わった人からの願い。他者の幸せを願って消えゆく彼に対する言葉は、たった今決まった。


「久留田くん。お疲れ様。君はどうか、安らかに──」


 彼はやっぱりかと言って微笑んだ。どうやら、わたしのセリフは予測の範疇だったらしい。

 久留田くんは静かに、目を閉じてから一筋の涙を流す。


「泣かせてくれるよ、まったく……」


 眠りにつく。またもや窓に頭を打ちつけた。

 これは真の別れではない。狼虎さんに出会ってからようやく終わる。でも、その時に挨拶をする時間は設けられないだろう。だから彼は最期の願いを口にしたのだ。


「本当にお疲れ様……」


 わたしは手の甲で彼の涙を拭って、再び藍歌くんを抱き寄せる。

 今度は下心なんてなくて──



 この後に地獄が待ち構えているなど、まるで予測できていなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ