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無彩色の願望  作者: 哀川
第四章 屍の器

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第三十二話 共犯者

 ×1


「お待ちください! どうか、どうか!」


 千畳夢は必死の形相で声を荒げる。

 教祖という立場である彼にとっても理解不能な事態となった。足を止めて「退きなさい」と彼は言う。


「無理です! ここで退いてしまったら、わたしは……」


 突き動かされるつもりはない。彼は正義の為にここに居る。他人を利用し、その死を惜しむことなく、目的達成の為だけに進んできた。

 だと言うのに足は止まった。


「何故そこに立つ」

「……わたしはこの者達を殺そうとしました。悪だからです。器は悪だと、あなたが断言したからです。しかし、何故わたしは返り討ちにあった挙句情けをかけられたのですか?」


 彼は千畳夢の右手首をちらりと見る。教団の方針として、公共機関の利用は基本的に避けていた。今を除いて従順だった彼女が救急機関を利用したことを報告された時は驚いたものだった。

 藍歌姫乃が情けをかけるだなんてありえない。となると、当然白瀬九織の名が浮上する。

 狂気を宿しながらもそんな立ち振る舞いができる彼女はやはり厄介だと教祖は怒りを噛み殺す。


「その男は未来視を持つ」人の上に立つときは、如何なる場合においても冷静でなければならない。「我々の望む『魂の解放』が容易になるだろう」

「教えてください……わたし達が罰してきた彼らは、本当に悪人だったのですか? これで死者は救われるのですか?」


 千畳夢の揺らぎを見るのは初めてだった。

 想圏、恋毒、風荻吉野、道隠りんななどの例外を除いて、彼が教団に引き入れた者は心の隙を突いてきた。弱っているところに巧く言葉を使い、目的を統一する。

 勿論器から実害のあった者も居たが、千畳夢は違う。彼女の妹の千畳希の死に付け入ったのだ。やり方は言霊というよりも催眠術に近い。それが途切れかけている。

 正気と狂気──現実と夢の狭間。

 千畳夢は今、迷路からの出口で踏みとどまっている状態だ。


「わたし達は……決めつけが過ぎたのではないですか? 善意も悪意も人が持つ当たり前の感情。それを屍の器で一括りにして正しかったのでしょうか? いや違う……わたし達は先入観を排除した個人で見るべきだった……!」

「最終警告だ。退きなさい」

「いやです!」


 千畳夢は藍歌姫乃を庇ったまま、退かないどころか踏み込んだ。その瞳に涙を溜めながら。

 教祖は彼女が過去に泣いていることを察する。教祖という立場に歯向かうことへの恐怖ではなく、罪深い過去への涙。


「昔から弱気で、誰かの踏み台で、それでも誰かを傷つけることだけは絶対にしなかった妹に合わせる顔がない……! わたし達に必要だったのは──対話だったのです」


 彼女の言葉は懺悔にも近い。己の思想を押し付けて妹を亡くした彼女の悔恨は計り知れない。

 自分と同じだと教祖は目を泳がせる。


 ──投影していたのだ。

 千畳夢と自分の娘を。成長していればこんな風に育っていたのではないかという妄想──


 防衛本能が戻った弊害を彼は憎む。


「一度、正しさを見つめ直してみませんか? あなたこそ退けないというのなら──わたしを貫いてから、その正義を振るってください」


 自分が利用した相手が最大の障害となるだなんて、そんな不運は予測していなかった。


「不運──違うな」


 教祖は目を伏せた。

 未来とは過去いまの積み重ねだ。いくつもの選択が集束して現在に行き着く。視えなくても予測はできたはずだ。


「わたしは……半端者だったんだ──」


 彼は目を上げた。何を言うべきか、なにをなすべきか、その解を千畳夢へ打ち明ける。捨てきれなかった自己満足を解消する為だけに。


 視界には千畳夢の背後に立つ藍歌姫乃。

 彼は千畳夢の後頭部に触れ、掠れた声で何かを言った。


 教祖がそれを破壊の詠唱と気づいたのは、千畳夢が倒れた直後のことだった。


 ×藍歌姫乃


 正しい正しくないの判断を差し置いて行動に移れる人間を、先生は《結果を残す人間》と言っていた。

 遅れない人間。

 先をゆく才能。

 積み重なる後悔に押しつぶされるか、振り返らずに進むか。

 遅れない人間に未来視が宿ったのならば、その行手を阻められる者はいない。


 この未来はどうしようもない必然イレギュラーだ。彼女と彼の過去が混じり合った結果。式が存在する時点で解が定められているように、この未来は閲覧に近かった。

 白瀬九織の情け。千畳夢の悔恨。全てを捨てきれず、半端に抱えてしまった教祖の過去。

 彼女達が僕を勝利に導いた。


 千畳夢の頭部を破壊する。

 回復した聴覚は千畳夢の悲鳴を捉えない。

 地面に伏した彼女に外傷はないが、僕は確実に殺すつもりで魔術を使った。脳みそのどこかしらがどうにかなっているはずだ。

 感覚が掴めないのは、僕の体の感覚すらもなくなってきているからであって──


「終わらせる」


 千畳夢の屍を越えて唖然とする教祖に手を伸ばす。

 その顔面をぶち壊すつもりでいたのだが、彼に触れる寸前で体が硬直した。


「……なぜだ? なぜあと一歩が届かない……」


 ──教祖は千畳夢と自分の娘を重ねて見ていた。その千畳夢を殺し、教祖は絶望に堕ちる。その隙に教祖に一撃喰らわせて決着……だったはずなのに。

 なんだよ。やっぱ、この眼はポンコツじゃねえか。


「いや──終わりだ」


 教祖は静かに言って胡座をかく。まだ動けない僕に対してその余裕、どうやら僕の敗北は決定したようで……


「君の勝ちだ」


 と。

 彼はまっすぐに僕を見て言った。


「……なんだって?」

「わたしを殺す以外の行動に制限はないだろう。わたしは今、引き際を知ってしまった。君に勝てるビジョンがまったく浮かばなかった。敗北を認めたのだ。我々の血は縛られる」


 ──予想外。

 僕が千畳夢を殺した時点で勝負は決まっていたのか。僕が考えるよりも千畳夢の殺害は大事で、そしてなにより教祖は弱かった。

 全身から力が抜けて座り込む。


「よく殺せたな。彼女は君を庇っていたのだぞ」

「あんたがそれを言うかって感じですけど……まあ、勝つ為の道具ですからね。利用しない手はない。そもそもこの娘は僕を殺そうとした時点で僕に殺されても文句は言えない立場なのだから。そりゃあ殺せますよ」

「は。敵わんな」


 教祖は笑う。表情を崩し、清々しさを見せた。


「狂人が正気に戻るのは痛みを与えられた時か、本人以上の狂人に対峙した時だ。わたしは君に当てられた。この状況で千畳夢を殺せる君に、計り知れない絶望を与えられたよ」

「…………」

「わたしには狂気が足りなかった。故に正気に戻された……」

「じゃあ、改心して自首するんですか?」

「殺し続けるとも。助けを求めている霊魂がある限り」


 脱力させてくれる答えだ。こいつの言う正気の線引きがおかしいことは、きっと永遠に自覚できないのだろう。それこそ誰かに殺されるまでは。


「僕程度に敗北したんだ。いつか契約をするまでもなく殺されますよ」

「君は自身を過小評価しすぎだな。あの状況で──あの盤面で千畳夢を殺せる君は、誰よりも人殺しの素質があるのだぞ。彼女はわたしにとっても君にとっても無害だったのだから」

「……無害、ね」


 愛らしくて、未来があって、庇ってくれて、未来があって、妹を大切に想っていて、未来があって、過ちをただそうとして、未来があって──

 未来通りに殺した僕は殺人鬼? ふざけるな。少なくとも僕のおかげで僕の目の前にいる人達は脅威から救えたんだ。殺人鬼には何一つ救えないはずだろ。


 いつか、白鏡鈴美は言った。


“理由の後付けか……或いは純粋な正義感か。本当に面白い殺人鬼だ”


 頭のおかしい奴らはどいつもこいつも適当なレッテルを貼りやがる。


「そういうあなたの過大評価です。僕は世界が何もしてこなかったら何もしていない」

「そうか……そうだといいな」


 半ば信用していないような返事だったが、そもそもこんな奴からの信用なんてどうでもいい事だった。

 僕は勝った。

 こいつは負けた。

 それでいいじゃないか……。


「……あなたはこれからどこへ?」

「もともと日本の次はオーストラリアの予定だった。敗北してしまった以上、繰り上げる以外にない。……心配するな。血の契約は世界の意思に等しい。わたしが君の目のつくところで器を殺す事は二度とない」

「なら安心ですね」

「──君はどうする?」

「僕……?」

「未来視を持ち、狂気を手駒とし、君自身も誰に劣ることのない狂気を持つ。ただ老いていくには惜しい力を持っているとは思わないか?」

「そうですね。あなたみたいな半端者を殺し回るというのも、それなりに面白いかもしれない」


 僕は目を見て答える。あなたと同業者になるつもりはない。あるとしても、敵対陣営だと。

 生きているうちに二度と会えない相手だからこそ、ここまで言わなければ気が済まなかった。


 彼は軽く飛んで穴を出る。そして見下して言った。


「死後に縁があれば、また」


 僕は頷く。


「ええ。あなたはしっかりと正義に裁かれてくださいね。僕を殺しかけた人がくだらない最期を迎える事があれば興醒めだ」

「努力しよう」


 彼は消えた。

 これからも僕の知らない土地で知らない人間を殺し続けるのだろう。

 人は毎日死ぬ。それだけだ。それだけなのに……どうしてこうも惜しい気持ちが胸に留まる? まさか、もっと救えた命があったと……そう思っているのか? 冗談。僕にできることはここまでだ。


「……って、おいおい。マジで聞き忘れてた」


 透視の魔眼。彼が本当にそんな物を宿していたのだとしたら、井宮の探知を逃れられるはずがない。しかし、嘘をついている様子でもなかった。

 彼は何か勘違いをしているのではないだろうか。魔術なんかよりも、もっと上の──。

 ……だとしたら、どの道僕が訊いたところで何もできないか。然るべき人間が然るべき罰を下すべきだ。僕の知らない所で、僕の知らないタイミングで。

 横になる。ごつごつとした地面を枕にしても眠れないはずなのに、不思議と睡魔がやって来た。散々動き回ったというのに寒気もする。汗が冷えたにしては早すぎる。


「出血が過ぎたか……」


 一人つぶやき、感覚がなくなりつつある手で携帯を取り出して白瀬さんへ《ヘルプ》とメッセージを打つ。場所も状況も説明が面倒だった。それでも彼女なら来てくれるであろう正体不明の確信がある。


「なあ、久留田」


 僕は心の中に声をかける。


“無理”


 まだ何も言ってないのに、のっけから否定しやがった。


“医療術は知識と技術がないと成り立たねえんだ。魔術師ならなんとかなるって問題じゃないんだよ”


「使えねー……」


“はあ? 俺頑張っただろ! くっそボロボロの体で防衛本能ぶっ壊したんだぞ? 防衛本能──守る心がなけりゃ、千畳夢をどうこうしたところで勝てたかどうか怪しかっただろうが”


「それはまあ……。にしても、よく入れ替わったな。僕がお前を味方と認識していたらルール違反で負けていたのに」


“お前がちょっとやそっとで心を開く奴じゃないってのは理解してたさ。もしも負けてたらごめんなさいして終わり”


「……やっぱ、お前は碌でもないよ」


 目を閉じる。まさかこのまま死ぬとは思わないけれど、きっと次に目を覚ますのは二、三日経ってからだろう。未来視の疲労も溜まっているし。


“藍歌”


 久留田は静かに眠りにつく僕の邪魔をする。


“よくやったな”


「………………」


 僕はどうもと答える。

 意識が遠ざかる中、誰かが近づく足音が聞こえた。


 ×七月十九日(日曜日) 午前七時三十分


 思ったよりも早く目が覚めた。ごく普通のベッドの上。白一色の落ち着いた雰囲気の部屋。間違いなくここは人形医療研究所。空明さんの息のかかった病院。よし、記憶に問題はない。

 右腕がやけに重いと思ったら、白瀬がベッド横で眠りについており、上半身を預けていた。

 どうやら意味もなくそばに居てくれたらしい。寝顔すらも綺麗な彼女をよく見れば涙痕があった。……起こしにくい。


「──生きてる」


 それだけのことがどうしてこうも特別に思えるのだろう。

 静かでゆっくりと、それでも退屈しない時間が流れる。

 ただ生きているだけの事実が心地いい。これが動き回った後の睡眠の効果ですか、先生。

 ぼうと光さす窓を眺めていると、


「違う……幅跳びは竹馬でしてはいけない……」


 白瀬さんが寝言を言った。


「……どんな寝言だよ」


 たまらずツッコミを入れると、白瀬さんが目を開けた。体を起こし、微睡んだ眼差しで部屋を見まわし、それから僕を見る。

 微笑みは歓喜を表し、わずかに溢れた涙を拭って彼女は言う。


「おはよう」


 ×


 すぐに土師林先生を呼んでもらった。彼は入室して直後、


「メキシコで暴れてきたんですか?」


 と半ば怒り気味に言った。


「二週間後に来いと、そうお伝えしましたよね。何故五日後に死にかけで戻ってきたんですか……?」

「……ごめんなさい」


 僕が形だけの謝罪をすると、土師林先生は大きく肩を竦めた。そんな様子を見て白瀬さんはパイプ椅子に座って空笑いをしていた。

 ──どうやら僕は白瀬さんと桜内に発見された後、空明さんに助けを求め、彼女の力を借りてここまで運んでくれたらしい。

 その時、血液の約四十パーセントが失われており生命の危機にあったようだ。『どうせ病院で目を覚ますんだろうなあ』なんて思ってた事を告白したら、土師林先生は真顔で「本気でメキシコに飛ばしてあげましょうか」なんて脅迫してきた。どうやら命を粗末にする人に厳しいようだ。

 ともかく、処置は前回同様に血空を用いた再生促進。しかし血空の結合術式は先生の独断で以前よりも高度で強力なモノにしたらしく、これだけの怪我にも関わらず一週間で運動機能に問題なくなるほど回復するとのこと。その分痛覚敏感の副作用があるそうだが、メリットの方が大きいのでそこは妥協するしかなさそうだ。

 自分の体を大切にしろという圧を散々かけてから先生は病室を出て行った。教師とはまた違った感覚の説教だからとても疲れた。


「わたし達を想っての言葉だったね。ありがたいけど……少し疲れたな」


 白瀬さんは大きくあくびをした。


「……? 君も何かしたの?」

「うん。桃春と一緒にね。火駒番って不思議な名前の人と、ダンサーみたいな女の子と戦ったんだ」

「あぁ……だからか」

「うん?」

「いや、教祖よりもそいつらと先に戦闘する予測を視たんだ。視ただけに終わったのは、君達のおかげだったんだな。助かったよ」

「何を……助けられたのはわたし達だよ。本当にありがとう」


 感謝している割にはどこか虚な目をする白瀬さん。僕を見ていると同時に誰かの死を眺めているようでもあった。

 察するに──


「……千畳夢は?」

「彼女は──昏睡状態にあるよ。空明さんの友達だったらしくて。御家の付き合いもあったらしいから、千畳の家に何があったのかを伝えに行ったよ。『このまま残しても信者に消されるだけ』だと、彼女もこの病院で回復を待つ身となった」

「ああ、生きてたんだ。……それより、千畳夢と空明さんが……?」


 そんな予測はしていなかったから驚いた。

 たしか僕が視た千畳夢の過去みらいは今から三年前が──魔術師育成学校中等部二年。飛び級でもしていなければ現在は十六、七歳。空明さんも同じ歳だ。


「彼女が魔術世界から逃げ出そうとした実際の理由は千畳さんにあったらしい。かつての友人が自分に何も相談せずに怪しい教団に入り、人を殺しまわるようになった。その後、魔術世界で起こる不条理の全てを『魔術師は皆頭がおかしいから』と捉えるようになったそうだ」

「そしてその不満が今年になって爆発した……か」


 まあ、世界を嫌うには十分すぎる理由ではある。


「ただ、分からないな……どうして僕や家族の人に裏表の優劣を建前としたんだろう。普通にワケを話せばよかったのに」

「目を逸らしていたんじゃないかな。わたしが楊絵から逃げていたように……。あの娘がわたしに懐いてくれた理由が今なら分かる。あの時のわたしと空明さんは、きっと同じ目をしていたんだ。でも、それは信じたい気持ちの裏返しでもあって──。……ごめん。勝手で適当な事を言った……」

「おもしろいよ」


 何も面白くないけど、とりあえずそう答えた。相槌としては間違っていたかもしれない。


「そうだとしたら、教祖を倒す為に千畳夢の命を利用した僕はいつかきっと空明さんに殺されることになるんだろうな」

「抜けているな、君も」


 白瀬さんは静かに否定した。


「この病院は空明さんの配慮だよ? 彼女は彼女なりに折り合いをつけているんだ。何が正しくて何が正しくないのか」

「……そっか」


 それならそれでいい。僕が頭を下げるのは病院を使わせてくれた事だけで、千畳夢については謝らない。それが正しい未来なのだから。

 ……なんて。別にムキになることでもないのだけれど。


「全部終わったね。……終わったんだ」


 静かに、それでも重々しく断言する白瀬さん。僕としてはみずきちゃんに語るまで終わった気にはなれないのだが、とりあえず同意した。


「そうだね。久留田を追い出したりとやることは残っているが……一応、終わりでいい。教祖は別の国に行くってさ」

「藍歌くん……なら──」


 その続きよりを言うよりも先に扉が開いた。


「お熱いようじゃないか」


 ──姿を表したのは早見愛海だった。


「……は?」


 意味がわからない。

 わかるのは、彼女の服装がいつか妻城駅で買ったメンズライク系の服ってだけ。……随分と無駄な記憶だな。

 ズカズカと侵入し、白瀬さんの隣でパイプ椅子を立てて座った。

 なんだこれ。誰が何をする為の状況なんだ? 白瀬さんなら何か知っているのだろうかと目を向けてみると、彼女は迫真の表情で「誰この人……」と早見さんを凝視していた。


「初めましてだね、狂人。話には聞いていたが……なんだ、案外可愛らしいだけの人間じゃないか。アンタに人が殺せるの?」


 なんで初対面の人に喧嘩売るんだろう……得することなんて一つもないのに。


「はあ……初めまして。藍歌くんのクラスメイトの白瀬九織です。見たところ同い年かな……? よろしく。君の名前は?」


 なんて当たり障りのない自己紹介だ。謎に煽られたというのに、まるで気にする様子もない。


「……、………………。……早見愛海。藍歌姫乃に血を吸われた女」

「なんで堂々と捏造してんだ」

「はは……二人とも鉄仮面だから分かりにくいな」


 白瀬さんには同情する。僕と早見さんのような人間に挟まれるだなんて、僕なら死んでも嫌だ。独特の雰囲気に押しつぶされてしまうだろうから。


「それより説明してくれよ。早見さん、君がどうしてここに……一体何を知っているんだ?」

「何をって、そりゃあ全てさ」


 と、答えたのは入り口に立っていた井宮奏斗だった。


「よ。元気そうだな、藍歌」


 彼はビニール袋を片手にしていた。中には大量のお菓子が詰め込まれている。院内の売店で買い占めたであろうそれをベッドの上で展開されたものだから、僕は胡座をかくしかなかった。

 中々に程度の低い宴だが、早見さんは堂々と甘いものを頬張り、白瀬さんは困惑ながらも食べ始めた。井宮は人数分のお茶を作っている。


「……なにやってんだこいつら……」


 人並み以上の賢さを持った三人がこんなバカみたいな事をするだなんて……。


「そう言うな。お前の悪いところだぞ。すぐ我関せずだ」


 井宮はベッドに腰を下ろして紙コップを僕の頬に当てた。受け取らなければまともに取り合ってくれない意地悪さが目に見える。

 ……敵わないな。

 僕はコップを取って熱いお茶を口に運んだ。

 火傷した。


 ×


「ところで──愛海は全てを知っていると言っていたよね。一体どういうことなんだ?」


 意味不明な時間が三十分ほど経ったところで、すっかり打ち解けた白瀬さんが本題に切り込んだ。


「ああ。わたしは対策機関の情報設計課から授戒経由で依頼を受けたんだ。『異国の教祖の監視、及び獲得情報の秘匿』……軽い暇つぶしにと思ってね。六月の二十六日にはもうある程度の情報はもらっていたよ」


 軽い暇つぶし──そのフレーズを聞いて想起するのは前回早見さんに会った時だ。


「まさか……あの時から既に行動していたと言うの?」


 早見さんは「予測できなかったかい?」と意地悪を言った。


「ちょ……ちょっと待ってくれ」と、白瀬さんが割り込む。「こんな問題を学生に依頼するものなのか? 愛海の力が井宮くんに負けず劣らずというのは理解したが……依頼というには学生の領分を過ぎているような……」

「そいつは表の先入観があるからさ」


 と、早見さんはポッキーを二本同時に咀嚼して答える。


「あんたの気持ちは分からんでもないよ……わたしだって元は表の人間だからね。繰り返すけど、依頼はあくまで教団の監視、及び獲得情報の報告と秘匿。危険性はないんだ」

「……? すまない、どうにも分からない……魔術対策機関の人達は彼らを軽く見ているのか?」

「僕も同じ事を思った。教団の奴らはどう考えても異常者の集まりだったぜ。情報収集だなんて、どこか悠長というか……。いっそのこと、早見さんに教祖を殺してもらうように頼むべきだったと思うんだけど」


 白瀬さんは頷いた。どうやら彼女の疑問を言語化できたらしい。一方で早見さんと井宮は難しい顔をしていた。この二人でもこんな顔をするのか……。


「まあ、十中八九大人の事情があったかもね」


 早見さんの曖昧に濁した言葉を、今度は井宮が繋ぐ。


「愛海にも知らされていない事情のようだから、これは俺の推測でしかないけどさ。確実な弾圧を成功させたくて慎重になっていたかもしれない。思想ってのは容易に拡散していく上に、その変化を視覚で捉えることはできない。迂闊に組織を潰したところで、どこか見えないところで思想を継いだ者が生きていたらまた全て組み直しが必要になる。『だからこそ、教団の情報は必要最低限に拡散し、重要なものは秘匿の必要があった』と考えることはできる。そしてもう一つの可能性は……あまり考えたくないが──」

「──癒着?」


 白瀬さんのひらめきはあまりにも予想外だった。

 たまらず僕は彼女に「どういうこと?」と訊く。


「藍歌くん、思い出すんだ。久留田くんは『一年近く前に異国の機関の人から依頼が来た』と言ったんだろう? そして九月二十日に久留田くんが殺された。当然依頼主は彼の死に気づく。ここで、状況は刻一刻を争う。次の問題が起こるよりも先に、依頼主は日本の機関に情報伝達をしなければならない。……藍歌くんは隠し切れると思うか? 公的機関が目をつけていた教団の一部が国を渡ったとなって、その国の機関に隠し通すことが」

「まあ、無理だろうね」

「ここで『日本の魔術対策機関にも既に情報は共有されている』という前提ができる。そこで違和感が発生するんだ。君達が杉野蓬さんから初めて話を聞いた時、彼女は教団の存在をまるで知らないように話していたんじゃなかった? わたしはその場にいなかったから断言はできないけど……」

「……あ──」


 思い出す。たしかあれは七月十二日の時点での話だ。


『勝さんからの通報の後に我々はこの事件を結びつけ、一つの予測を立てました。屍の器を狙った宗教団体の犯行でないか──と。霊という異質の存在を神聖視する輩は多くはありませんが居ないわけでもないです。そうした連中の犯行の線で我々は捜査をしています。情報が少なすぎるので国内捜査のみならず国外にも情報提供を望む可能性があるのは地獄です……』


 あの感じはたしかに情報伝達がされているとは言えない。それでいて、早見さんに依頼が来たのが六月二十六日──?

 おかしい。

 情報を与える人間を間違えすぎている。


「白瀬さんの言う通りだよ」井宮はやるせなさそうに言った。「不用意な情報の拡散を恐れると言うより、悪事が身内にバレることを恐れているやり方なんだ、これは。捜査一課を使わず学園の人間を使うなんて……」

「じゃあ、癒着ってのはつまり──」

「ああ。殺しを容認してる可能性があるってこと。愛海に依頼をしたのは、搾れるだけ搾り取れたから、ようやく解体の準備を始めようとしたってところかな……あくまで妄想の域を出ないけど」


 だとしたら腐っている。正義を執行する機関の在り方としてあまりにも終わりすぎている。

 だからどうって話でもないけど。


「じゃあ、えっと、あの人……湯逸さんだ。あの人の肩書きはなんだっけ?」

「魔術対策機関妻城支部総司令部長だ。もし癒着がマジだとしても、彼の意思じゃないと思うよ。娘の自殺に協力した以外は潔白──どころか魔術世界をよくする為にその身を捧げてきた人だから」


 彼よりも上の存在──表裏協会の人間になるのだろうか。そんな予測をしたところで僕達にできることはないし、できることがあったとしても動く気はない。

 僕にとっての問題は解決した。あとは大人の領分だ。


「話を戻そう。わたしはこの約一ヶ月の間に奴らの根城であろう場所に目をつけ、その詳細の情報を機関へ運んで依頼を終えようとした時だった。七月の十三日に学園から逃げ出した情けない天才から連絡があったんだ」

「は?」


 僕は井宮を見上げた。この男……結局動いてやがったのか。


「そう睨まないでくれ」


 井宮は少し大袈裟に肩を揺らして見せた。そして呑気にお茶を一口飲んでから言う。


「何もお前が負ける前提で動いた訳じゃない。だが傍観者にはなれなかった。血の契約がある以上、藍歌に悟られる訳にもいかない。だから俺はあの日──藍歌から電話を受けた直後に愛海に連絡を取った。愛海だったら藍歌の未来視にも引っかからないと思ってね」


 それはその通り。病室に早見さんが来た時の予想外っぷりが証明している。


「そもそも、いまだにお前らが何をしたのか分かってないんだけど……。僕が久留田と入れ替わっていた時か?」

「十回ほど爆発があっただろ?」

「…………ああ。あれか。なんだったの? あれ」

「自己再生術式の結界の礎を破壊したんだ。あの状況で藍歌に勘付かれずにできることはあれが限界だった。未来視を持ってるせいで大変だったんだぞ。こっちは予測の予測を重ねなくちゃならなくて……」

「大変なのはわたしだった。苦労の横取りは感心しないけれど?」


 早見さんは眉間に皺を寄せて言う。

 ……どうやら、仕掛けは山以外にもあったらしい。僕が山へ移るか町へ移るかによって、それぞれで大量の『保険』を用意していたらしく、それらを仕掛けるのは僕の事情を知らされていない早見さん。十三日から十六日の三日間、訳もわからず井宮に協力した。

 井宮の使役する幽霊を通じて状況を確認していたらしく──だからこそあのタイミングで、狙ったような起爆ができた。

 十七日と十八日で井宮が全ての術式を解いたらしいのだが──

 その行為はほとんどテロだ。事情を話せば裏の世界からの理解は得られるかもしれないが、表に押し付けられたものではない。


「結局、あの夜必死になってたのは僕だけじゃなかったんだな」


 自然と力が抜ける。

 白瀬さんと桜内が居なければ教祖の戦うよりも先に襲撃されていた。

 井宮と早見さんの用意した保険がなければ僕は死んでいた。教祖の再生能力を奪えたからこそ、彼は敗北を認めることになったのかもしれない。

 勝手にこいつらの命を賭けて、僕なら出ると思い上がって、実際は守られてばかり。

 情けないと言うよりも、客観して気持ち悪さが勝る。


「藍歌」井宮は僕の肩に手を乗せる。「この一件、まず間違いなくお前が一番頑張ったよ。ありがとう。……そして、その罪は俺達全員で背負うんだ」


 僕が僕の罪を頭で巡らせていると、白瀬さんと目があった。

 生気の宿った瞳。

 狂なく純真なままで僕から目を離さずに頷いた。


「……そうか。なら、それでいい」


 素直に肯定する。

 重荷だなんて思っていないはずだったのに、彼らの態度は僕の心を軽くさせた。

 と──いよいよその長い足をベッドの上に乗せる早見さん。とてもつまらなそうな顔をして僕に言う。


「なにを勝手に納得しているんだい? あんた、ここまでの話を聞いて、まずするべきことがあるだろう?」

「……うん?」

「訳も分からず呼び出され、事情も教えられずにテロの準備に協力させられ、対策機関の信頼を裏切るような真似をしたわたしはどう考えても被害者ポジションじゃないか。多少の労いがあってもいいと思うけど?」


 たしかに。全く否定できない。それをするのは井宮だろと言い返したい気持ちもあるが、罪の分散に納得した以上、早見さんを巻き込んだのは僕にも責任があると考える方がいい。

 僕はベッドの上に転がるポッキーを手に取り、早見さんに差し出して、


「お食べ」


 と餌をやるようにした。


「………………」


 空気が凍りついた。早見さんがしばらく僕を睨むと、やがて顔を出して一口目を食べ、二口目で僕の指ごと食いやがった。

 出血が増えたことにより、僕はまたしても土師林先生に怒られることになるのだった。





 ×


「まったく笑わせるとは思わんか? この男……魔術を展開するよりも先、わたしが引き金を引いただけで死んだのだ」

「ええ。文明の力ですね。我々が裏に回ることを納得させる一手です。一時の欲望に任せた結果がこれだ……」

「ああ。欲望は視界を塞ぐ。人間に本来備わっている未来を予測する力を覆うには十分すぎるほどにな。こいつは欲望を取り入れるだけの器になかった。故にこうして死んでしまう。何も得ず、何も遺せないまま存在が終わるのだ。……君の意見を聞こう。君の目には、一体何が映る?」

「この状況に不思議はありません。あなたがやらなければわたしが動いていた。正義が悪を討つ現在を忠実に再現していたことでしょう」

「そうか。気が合わないな。わたしはこの正義に矛盾を感じている。娘の為に人殺しを容認した悪が、別の悪を裁くことは果たして真っ当な正義だと言えるのか? 同族嫌悪と捉えられたところで否定できるだけの根拠がどこにあるだろう」

「…………。いいです? タバコ……」

「構わんよ。口調も楽にしてくれ。君には似合わんからな」


 許しを得てすぐ、彼──心儀心火はタバコを咥えて火をつけた。

 七月十九日二十時。とある館のその部屋のソファーには一人の死体が座っていた。三十過ぎの男。表裏協会第八長官、嶺内みねうち府窓ふまと。裏の世界を意思決定する者の一人。彼を背中にして、心儀心火ともう一人──魔術対策機関妻城支部総司令部長、巳文字湯逸は闇に呑まれた森を眺めていた。


「巳文字さんもいかが?」

「勘弁してくれ。もう六十四だ。早死にさせたいのか?」

「そりゃ失礼」


 たしかに老化の目立つ容姿だが、彼の乱れないスーツ姿は大の大人である心火にすら威圧感を与える。

 発砲は四回。心臓に二発、頭部に二発。返り血はなし。


「……あなたを有用と判断したのは第一長官でしたか。今度ばかりはどう転ぶかな……」

「無知を演じるのはやめたまえ。君がここに居るということは、己の正義を信じた結果だろう。君は君を裏切られるだけの悪を実感できたか?」

「それを言われると弱い……。そうさ。俺は俺の正義を信じてここまで来た。しかし、巳文字さん──あんたを見ていると分からなくなるよ。どこからが正義で、どこまでが悪なのか」

「それを定義して定着までさせるのが表裏協会とその傘下にある者の使命だ。そこに矛盾を孕むことも知っているだろう? 迷いがあるのなら辞めてしまえ。妥協を知らない者はすぐにその身を滅ぼす」

「……巳文字さん。あなたこそ気を楽にしましょうよ。堅物フィルターが邪魔をしてる」


 心火はこの場で頭を撃ち抜かれても文句は言えないなと思った。実際にそうなることはなく、愉快だと巳文字湯逸は表情を緩ませる。


「娘は何を要求することもなかった。分かりやすい正義に憧れ、わたしの背中を追うばかり。基本的に放任していたにも関わらず、当たり前のことを当たり前に熟せる人間に成長していた。だが、人様の娘を昏睡に追いやる失敗をし──そしてわたしに初めて願望をぶつける。『未来に従って正しく死にたい。それがわたしの罰なのだ』と。……それが、生まれて初めての要求だった。叶えてやろうとは思わんかね?」

「独り身だからかな……俺にはその愛情が歪んで見える」


 素直に言うと、巳文字湯逸は一層愉快そうにした。


「わたしと同じ正義を執行しようとした者の意見だ。覚えておくとしよう」


 巳文字湯逸は足音一つ立てずに歩き、部屋の扉を開けた。どこへ行くのかと視線で訴える心火に彼は言う。


「まさか無関係で済まそうとは思っていないだろうな。わたし達の正義を押し付けに行くぞ。──この世界の為に」

「…………へい。お供しますとも」


 心火はタバコを吐き出して踏みつけ、彼の背中を追う。

 その部屋に正義は残されていなかった。

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