第三十一話 青い心
教祖自身、正義が多数決で決まることはよく分かっていた。賢いからこそ、考えるよりも行動に移る以外になかった。
屍の器の駆除。器に取り込まれる被害者を事前に救済する。その本質は妻と娘の仇討ち。
器に殺された。故に器を殺す。
はっきり言おう。その結論に至るのは当然の帰結だ。
真実なくして偏見なし。
そもそも彼が教祖として崇められている事実と教団として組織が成立している事実は、それなりに器から被害を受けた者がいるということだ(全員が全員被害者だとは思っていないけれど)。
今まで殺してきた器だって、意図してその機能を使った可能性だってある……彼の発言からしてその数は少ないのだが──。
肯定しよう。あなたの在り方は、あなたの中では決して間違っていない。
でも、僕は僕の立場からあなたを否定する。今はまだ生きているから。あなたの立場に興味はない。寄り添う気も妥協する気もない。
正義の衝突が同数だった場合には血を流す以外にないというのもまた当然の帰結──。
ふと思う。
姉さんや先生だったら、こんな争いになるよりも先に、解決の糸口を見つけることができたんじゃないかって。そんな叶うことのない可能性に思考を割くほど無意味なこともないのだが。
“風工瞑美”
彼が唱えて指を鳴らした途端、浅緑の風が僕の首を切り裂いた。──その光景が視えていた僕は無傷を前提に回避したが、未来視よりも風の形が歪かつあまりにも速かった為、首を浅く切ってしまった。
……まただ。また遠距離。飛び道具を使ってきやがる。身体中がボロボロだっていうのに、よりによって遠距離攻撃。風を操る魔術だって? そんなの、どうしろってんだよ。
花の矛を失って残虐性を取り戻した彼の猛攻が始まる。
視認の困難な風の刃をなんとか躱しつつ距離を取る──。
「──なんだ?」
また安全第一の繰り返し……花を殺した時のような気持ちだったら立ち向かって行けるはずだ。防衛本能を殺して、その次は教祖本人を殺せるはずだ。
なのに……なぜいちいち弱気になっている?
重く考えすぎたのか? 応えていないと、それだけのことで。
くそ……羽澄楊絵の笑顔が容易に想像できる。
「いいよ、もう……吹っ切れようか。手間も防衛本能も全部無視してやるよ」
思えば僕はこのやり方しか知らなかった。
死体の盾の性質を聞いて、本当は即座に思いついていたんだ。殺し方はできているって。
漠然とした考えの割に、どこか革新的な気持ちもあった。『こいつは相性が良いな』と。教祖に言わせたら『悪い』のだろうけど。
やる気も状況も僕を動かすには十分に揃っている。
背中を向けていた状態から再び教祖に向く。
僕の策を第一にした未来が道を作る。
あとはなぞるだけ。
視認の難しいこの魔術を完璧に躱わすことは叶わず、良くも悪くも視た通りに傷を増やしながら進むことになる。だが、最小限でいい。
目が教祖に届いた光景を映して、僕はさらに加速した。
それでも彼は動かない。──僕が彼の一歩手前に到達したところで、動かない。
やはり、読み通り──なんて大袈裟な言い方だけど、当然のこととして、この男は退くことができない。どんな緊急事態に対しても、防衛本能を体外に置いている以上は何もできないのだ。
僕という危険を目の前にしたところで、そうやって魔術を放つことしかできない。
分かっている。
防衛本能の死体の本質を知って尚、教祖本人を攻撃する人なんていない──そう考えているんだろう?
教祖の鳩尾に右手を当てる。
先ほどまで目を見て人を語っていたはずの大人が、多少驚愕の色をその顔に出していたものだから、僕は愉快な気持ちで唱えることができた。
「exitium」
瞬間。教祖が吐血する。小さな衝撃に体を僅かに浮遊させた。
それは当然僕も同じで──死体が僕の鳩尾に手を当て、寸分違わぬ衝撃を与える。
「ぐ、ふ……」
体内で小型爆弾を起爆させられたかと思った。腹の中がぐちゃぐちゃになる衝撃に何かがどうにかなったらしく、血液と胃液が逆流する。
それでも攻撃の手は緩めない。
痛みを誤魔化すために叫びながら追撃に出る。よろけた教祖の足に、腕に、肩に、連続して破壊を唱える。
当然僕にも同じ衝撃が与えられるわけで──
「────」
もはや痛みを感じることが億劫でしかなくなってきた。しかし体は素直で、膝をついて立ち上がることができなくなる。
教祖は立ち上がった。やれやれと重い腰を上げるその様は、子供の遊びに付き合った老体。
「本当に無茶をする。いや──素直に驚いたぞ。『どちらが先に死を感じるか』の我慢比べがしたかった訳だな。冷静に考えれば目に見えた勝負だが……だからこその予想外ではあったぞ。しかし──だ」
彼は正常に呼吸する。先程まで乱れていた魔力の流れもすぐに落ち着いた。
「この山には十の教団の遺体を埋めていてな……肉体再生の結界として利用しているのだよ。即刻とはいかずとも、君に与えられた傷は直に治る」
「マジかよ……」
「察するに──予測か。目先の未来など、視るより考える方が格段に早いというのに。このような視落としもあるというのだから笑わせる。それを過大評価し続けるほどのふざけた世界だから衰退したのだ」
「その判断こそ軽率でしょう。未来視の一つで世界の在り方は──」
「時間稼ぎには乗らないぞ、少年。君と無駄話をするのは君を仲間にしてからでいい」
ああ、まずい。まずいまずい。未来視は何も映さない。僕が拾う情報が足らないのか? それともこの場は詰みだというのか。
しかし、どうして死ぬ気がしないのだろう。まずい状況というのは明白なのに。
「風枝を鳴らさず──」
荒々しい風が教祖に集まる。僕の肉体もその渦に巻き込まれそうだった。
騒ぎ出す森に耳を塞ぎたくなるようで──しかし、教祖が両手で複雑な手印を結んだ後、風が止んだ。
「あ──これ、やば……」
分かってる。そんなこと分かっているのに、なんで負ける気がしないんだ?
「風清弊絶──」
発散された風はもはや竜巻に近かった。
呼吸すらも押し戻され、体は宙に浮いて切り刻まれ──暗転する。
気を失うのだと、気を失う直前で理解した。
×
目を開ける。
風清弊絶を喰らい、地面に叩きつけられる直前でなんとか受け身を取って振り返ってみれば、部分的な更地ができていた。
まったく。木々の持つ自然魔力を用いて自然を破壊するなど忘恩の徒もいいところだ。……使い方合ってるっけ?
それはさておき、奴──教祖は地面に立つ藍歌姫乃という不都合を目の当たりにして機嫌が悪いようだ。今の魔術で勝負がついたと思っていたのだろう。
愉快だ。
滑稽だ。
しかし、それはこの体も同じ。身体強化で多少の誤魔化しは効くが、それにしたって限度がある。誰だって痛いものは痛いのだ。
「そうか──なんて命知らずな……」
教祖が納得の声を吐露する。
からかってやろうと思い、感情を殺して「何がですか?」と言った。
「貴様に用はない。その魂の形は……久留田頼人──だったか」
「……そっか。あんたにゃ見えてるんでしたね」
俺はわざとらしく肩を竦めた。
「血の契約は世界の理に従順に働きます。魔法使いだって同じだ……他ならぬ彼らが遺した手段なんだから。けど、世界の理ってのは観測者がいなければ成立しない。『藍歌姫乃が味方の手を借りない条件は、藍歌姫乃が捉える味方という前提にある』──つまりは、そういうことですよ」
「まるで彼の深層心理を理解しているような言い分だな」
「あんたよりはね。俺はあいつの心に居るんだ、想いも記憶も流れてくるんだから。俺は俺の復讐を済ませてからずっと伏せていた。藍歌はすぐに俺の存在を『記憶の片隅以下』の場所に置いたよ。だから『僕が敗れても久留田が代わってくれる』なんて慢心もない。あいつが目覚めた時に、俺があんたと戦っていちゃあ、さすがに味方と思って契約違反になるがな……」
「何故まだその肉体にしがみつく? 君の目的は達成されただろうに」
「いや、俺は狼虎さんに復讐の報告するまで終われないんだ。それが全てなんだよ」
「それは彼の肉体でなくとも叶うことではないのか」
やや断定するようなニュアンスで教祖は言う。
勿論その通り。俺は別行動をしている白瀬九織に戻ったっていいわけだ。なにも藍歌姫乃でなければならない理由は一つもない。
だが──
「……こいつさあ。俺の復讐の為に死ぬ気だったんだぜ? どう思いますよ。命知らずなんて切り捨てられたものじゃない……他人の為に死ねるんだ。他人の為──妻と娘の為に人を殺すあんたと対極だ。俺は藍歌姫乃という人間が幸せに生きることを望む。こいつは幸せになるべきなんだ」
「それは君の都合でしかないな。側から見れば、彼はただの人殺しだぞ」
「知らん知らん。誰だって殺したい相手の一人や二人いるでしょ。当たり前の世界なんだよ。……つーか、あんたがそれを言うか! 欲望のままに殺しまくってるくせに」
ふと軽く息を吐く教祖。やっぱりこいつはまともじゃない。
こいつに死を思わせて勝負を終わらせる。それが俺のできる最大の恩返しだ。
「君の行為は罪悪感からくる自己満足でしかない。それでも、退かないと言うのか?」
「おうとも。自己満足のできない人間なんて人間じゃねえ。ただの怪物だ」
両手を地面につける。
悪いな藍歌。多少はこの体で無理をさせてもらうぜ。
届かない思いを胸に、俺は魔術を発現する。
×
「あれ……」
目の前には吊妃名の部屋が広がっていた。夢か走馬灯か──僕の意思が働いているから前者が正解か。
古本の匂いは現実感があるのに、正面に座る彼女の姿だけが非常を自覚させる。
「なんて残酷……」
僕は先生に向かって言った。ただの八つ当たりだ。
殺人的な目つきが僕を笑う。先生は心底楽しそうに、
「それで、実際のところはどう思っているんだ?」
と訊いてきた。
……これは自問自答だ。僕が鏡面に彼女を映し出しているにすぎない。
この妄想にどんな意味があると言うのだろう──
「勝てない勝負じゃないってのは変わらないです。一つでもイレギュラーが起こってくれたら……」
「ふうん? 不規則?」
「ええ。何かがどうにかなる予測がある。それだけの情報を捉えてきた。いくつもの式が積み重なって、答えを見つけるのは困難を極める。気づくか気づかないかじゃない。視るか視ないかだ」
「いや、もっと絞れるだろう。お前に必要なのは無垢さで、不必要なのは邪念だ。考えるな。反射しろ。ありのままを吐き出せ」
白瀬九織という人間の在り方。
教祖の愚かな過去と、狂っているようで、その実感情のある一面。
この二つだ。
「はは。なんだ、分かってるじゃないか。お前は信じることを覚えた凡人だ。よかったな。それはお前の求める変化だよ」
「どうかな……死に際の妄想すらあなたが出てきてるんですよ? 本当に僕の求める変化なら、あいつらが出てきたはずだ」
「あいつら──ね」
なにがおかしいのか、先生は大きく肩を揺らした。
「あいつらと口にして、お前は白瀬九織を真っ先に思い浮かべたな」
「…………」
「どうだ? 答えはでそうかね」
答え。白瀬九織に好奇心を向けた答え──
「え……それって今必要な問答なんですか?」
「当たり前だ馬鹿者。彼女なくして今のお前が成立しないのは明白だろうが」
「……まあいいですけど。それについての答えは見つけたつもりです。彼女は僕の理想に近いから──だから好奇心を向けたんだ」
「孤独と共存の調和か」
「そうです」
儚げに笑顔を作る彼女と、それでも人を集める魅力。
人生の立ち回りが巧いとでも言ったら、少し卑しい表現に聞こえるかもしれないけれど。
「それがお前の捉える『賢さ』ってやつなんだろうな。ああ。何も間違っちゃいないよ。彼女の在り方は誰にだって眩しい。羨むには十分だ。妬む奴も出てきそうではあるが……」
「嫉妬するよりも先に彼女の虜になるかもしれませんね」
「さてね。彼女の魅力はお前がぶち壊したからな。これからどうなるかは分からんよ」
「──壊した?」
「無自覚とは言わせないぞ。彼女の持つ孤独の強さはお前が破壊した。恋に溺れる快楽を与えてしまった」
「それって不可抗力でしょ? 僕は彼女を破壊したくて縁をきらなかった訳じゃない」
「だが、責任というのは理不尽に付いてくるものだ。お前の周りの世界はお前の事情に興味はないよ。お前が世界に関心がないようにね」
反論する気も失せるほどの暴論に息を吐く。
何も僕が満足する世界を形成したいなんて高望みはないというのに……。
「あーあ。どうなってしまうのかね、白瀬九織は」
「さあ……案外どうにもならなかったりするかもしれませんよ」
「愛の為に狂える彼女が? どうにもならないって? 能天気だな。狂った奴が大それた力を持った……その運命は破滅へと向かっているのさ」
「どうでしょう。今のところ、僕はそんな心配をしていない」
確信に足る根拠など一切ないけれど、反射的に答えることができた。すると、鋭い翠の双眸が丸みを帯びた。柄にもなく驚いた様子の先生こそ、僕を驚かせる。
「なんです……? あなたがそんな顔……」
「──いや。誇らしいと、そう思ってね」
主語を曖昧にされると反応に困る。僕に人の心を読み取れるだけの力はない。
先生は前髪をかきあげていたメガネを下ろし、そのレンズ越しに僕を見る。
「一つお前は見落としている。白瀬九織に対しての理想と同時に、別の感情も同時に生まれたはずだ。……違う。逆だ。お前は一度は彼女のことを忘れたのだから、その感情が最初なんだ。理想というのは付属品に過ぎない」
「なんだって言うんですか? 今度は誤魔化さないで教えてください」
「恋だよ」
「…………」
「知らないよな? だから否定も肯定もできない。お前は白瀬九織に対する複雑怪奇な感情を『理想』で後付けし、『好奇心』で蓋をした。誰だって未知のモンは怖いからな。お前のニュアンスにしたら『面倒』か」
「……全てを否定する気はありませんが、重く運び過ぎですよ」
僕は先生の目を見て答える。
嘘はない。
この人を前に嘘なんてつけるわけがない。
「死に直面した彼女が、会話の中で僕に見せる笑顔が、他人を見透かしたようにする彼女が綺麗だと思っただけなんです」
「そいつは人を好きになるには十分な理由だよ」
当たり前で平凡な想いだと先生は笑う。
それを知らない僕には返す言葉が見つからなかった。
「さて。そろそろ時間だ。お前は起きろ。起きて教祖を倒せ。そして友人に感謝されながら寝ろ。動き回った後の睡眠は最高だぞ」
「視えているんですか? 僕が勝つ未来が」
「まさか。だが予測くらいはできる。姫乃……躊躇うな。そのイレギュラーがどんなものであれ、わたしはお前が生きる為の道筋を肯定する。躊躇いがなければ、お前の勝利は確実だ。もしお前に『罪悪感』なるものが生まれたのなら、またここに来い。説教程度はしてやる」
やっぱ、起こるとしたらその手のイレギュラーになるのか……。
僕は立ち上がる。扉の取っ手に手をかけてすぐに開く。
躊躇いはなかった。
×1
風が吹き荒れ大地を削る。
理不尽に薙ぎ倒される木々は月明かりの差し込む隙を大きく与える。
避暑地の姿から変わりつつあるほどの激闘は、決して一方的な運びではなかった。
「Vivens in mundo et nascens in mundo. Indagare chaos cum 10 digitis et novas formas creare. cicatrices permanentes relinquit──!」
手をつき、地の形状を広範囲に渡って変化させる頼人。
己の身を守る壁や、教祖を貫く槍を形成していた。
──藍歌姫乃の肉体に取り込まれた早見愛海の魔術因子。破壊と再生の錬金術のコツを掴むことは、一魔術師として難しいことではない。その全てを容易に使いこなせる訳ではないが。
しかし、圧倒的不利を前に善戦できる程度には強力な魔術だ。
数多の風を強化した壁で防ぐ。
教祖の足元から槍を生やす。
彼は逃げることができないが、頼人に向かってくることによってその攻撃を避けていた。
距離が近くなればなるほど風の魔術の衝撃は大きくなる。吹き飛ばされてはやり直し、繰り返し、繰り返し──。
「そろそろ削れてくれよ!」
車道へと吹き飛ばされた頼人はすぐさま立て直して教祖を睨む。
風を纏いつつこちらに向かってくる中、頼人は力強く、祈るように手を組んだ。
教祖の周囲の地面が彼に蓋をする。半円の内部に無数の針を構築。もちろん地面からの追撃も忘れない。
「逃げることのできないあんたを捕えることは容易さ。ようはタイミングの問題でしかない。俺にそこまでの器用さがないと思わせてから──」
ひゅん、と風が頼人の肩を切る。
教祖を覆っていた地面が一斉に破壊され、その瓦礫も風に乗って頼人を襲った。
「痛えよ教祖様。……マジでずるいって」
教祖の体には確かに傷跡があった。しかしそれは徐々に塞がっていく。
「自己再生術式の結界……やめない? フェアじゃないっつの」
背後に立つ赤眼の死体が頼人に触れる。
教祖と同じ傷が与えられるが、頼人は教祖の傷跡と同じ箇所を最大限に身体強化することでやり過ごした。
「まだやれる──とは言えだ」
とは言え、教祖の結界が万全に作用している以上は彼に死の実感を与えることは難しい。頼人はこの事実を姫乃が戦うよりも先に受け止めていた。
だからこそ、戦闘中には死体の在処を探っていた。死体を結界の礎としていることは理解している。その一つでも破壊できたら結界は崩れるのだ。
しかし、姫乃の肉体を介して探知するには限界がある。魔力の流れも総量も、山の隅々を探るには不足している。
「もういいだろう。死んだ後にまで必要な苦労なのか?」
教祖が遠くから語りかける。
「藍歌姫乃が幸せになったところで、その後は貴様に関係あるまい。どんな得がある? 何が満たされる? 死んでしまえば、全ては無に終わるというのに」
「あんたにだって誰かを愛した過去があるのに、どうして見て見ぬふりをするんだ? 分かってんだろ? 人との関係は損得じゃない。そこまで見失っちまったのか?」
眉ひとつ動かさない彼を見て、頼人は救えないことを悟る。
身構えると、教祖はため息をこぼした。
「器がいつその機能を高めるかわからない。他人の魂を閉じ込め、悪行を成す可能性は大いにあり得る。殺してきた彼らにだって、その例はあった。貴様が幸せを望む藍歌姫乃が他人を傷つける可能性を何故考慮しない」
「誰かが誰かを傷つける可能性なんて誰にだってあるさ。……不毛だぜ、このやり取りは。あんたは己の正義が自己満足でないことを証明したいのなら、家族が殺されるよりも前に器を気にかけるべきだったんだ」
後悔先立たずだなと頼人は小さく笑んだ。
姉──さなえを思い浮かべる。あの日、彼女を一人にしなければ──そんな後悔は死後も続いた。そして果たせたのは復讐だ。
後悔は復讐へと繋がる。
教祖だって変わらない。器に殺された後悔を、器を殺して消化する。ただの復讐だ。
「あんたの身勝手を藍歌に背負わせる訳にはいかない。あいつが今を生きて……自分の意思で死ねるように! 俺の願望を、あいつとあんたに押し付ける!」
頼人は彼の元へ疾走する。
正面から頼人を迎え撃とうと手を伸ばして風を発現させた教祖だが、彼の前に地面が盛り上がり壁を造る。
間髪入れずに破壊される壁だが、それは多少照準を誤魔化す為の小道具に過ぎなかった。
教祖──ではなく、赤眼の死体の頭部へドロップキックを放つ。森の中へ吹き飛ぶ死体を頼人はさらに追った。
「油断しまくってたか! 藍歌も防衛本能から消そうだなんてまるで考えてなかったからな!」
死体が体勢を立て直すよりも先に頼人の錬金術が発動する。地中からの刃が、木々から伸びる槍が、まるで待ち構えていたかのように、罠として発動した。
そう。頼人は教祖と戦いながら、結界の礎を探りながら──更にはこの追撃の罠の準備までもこなしていたのだ。圧倒的マルチタスク。久留田頼人が買われた才能。
「はは! いける! いけるぜ!」
吹き飛びながら削られ続ける死体を追いながら、振り返る余裕すらも見せる頼人。彼は追ってきていなかった。微かに気に食わないといった顔をしていたが、焦る訳でもなく、静かに足を進めてきていた。
それよりも早く──。
全ての罠の発動が終わり、静止した死体は四肢が切断されていた。痙攣を起こして少しずつ再生している。
頼人は死体の胸に手を当てる。
「やっぱ……完全無敵の使い魔なんてそう創れねえよな」
人体の構造をそのまま流用している以上、頼人にはある程度の予測はついていた。錬金術の探索能力を使って確信する。やはり弱点はそこにあった。
「exitium」
死体に大穴が開く。
心臓の消失。
魔力が流れる。その軌道を追った先、教祖が立っていた。
「……遅かったじゃん。疲れたの?」
「わたしが追いかけたところでこの結果は変わらなかった。無駄な体力は消耗したくないものでな」
魔力は教祖の中へと消えた。防衛本能が還ったのだ。
「──見事だ。久留田頼人。限界の近いその肉体でよく動く。頭に回す酸素も十分すぎるようだな」
「………………、……っ」
「貴様がわたしの味方でいてくれたら、どんなに事が楽に運んだことか」
「褒めてもらってるところ悪いんだけどさ」
劣等感を抱えて言った。
全てを終わらせるつもりで勝つと息巻いていたというのに、結局は使い魔を倒すところでリミットがきてしまった。
あまりにも不甲斐ない。悔しさから無意識に唇を噛んでいたが、そこまでの身勝手を彼の肉体でしていいわけがない。
一息に怒りを吐き出す。
「俺の出番はおしまいだ」
×
意図してから醒めるというのは、寝起きのような曖昧な意識とは程遠く、ただの瞬きのような錯覚さえ起こしてしまいそうなほどの覚醒だった。
実際が一瞬か一時間か、どれだけ経過したかも分からないのに、クリアな頭で状況分析を熟すことができた。
荒れた山。数メートル先に立つ教祖。ようやく死体となった死体──撃沈した防衛本能。これらを僕が無意識のうちにやってみせたなんて自惚れはない。
「久留田か……」
すっかりと忘れていた。あの男の存在はまだ僕の中に居たというのに。
ただの独り言だったが、教祖が「そうだ」と答えた。
「君は久留田頼人を味方と認識していなかったようだな。無意識かつ第三陣営の乱入……世界は問題なしと判断したらしい。己の薄情さに救われたな」
「だって……あいつ、最初は心を破壊するとかなんとか脅迫してきたんですよ。交渉よりも脅迫を先とする奴をどうして味方に思えるんですか? 少しでも一緒に居たら情が湧くとでも? 僕がそんなやつに見えますか」
「……そうか。わたしに足りないのは──それだったのか」
呆気に取られた彼の様子は初めて見るもので、とても人間らしかった。
正気に見えるその目は、まるで狂気を捉えているようだった。
×
躓いた。
話すことはもうないと先に駆け出した僕だったが、破壊されまくった足元が災いした。
普通に躓いた。
やっぱ久留田は碌でもない野郎だ。
前方では教祖が風を纏っていて、僕の未来を決定付けるには十分な絶望を示している。
そこに。
山を揺るがす爆音がした。
心臓に響くほどの衝撃だが、確かに遠いモノだ。立て続けに九回。それは次第に近づき、音は鼓膜を強く刺激し、衝撃は体勢を崩す。
「無茶苦茶だな──」
教祖は遠い目をして言った。誰に対しての言葉なのか、僕には見当もつかない。
直後に僕らの立つ場所の、半径十メートルが一瞬で陥没した。
浮遊感。
五メートルほど落下を余儀なくされることよりも、耳が使えなくなったことの方が重い。
──いや、もっと気になるべきことがあるだろ。
このイレギュラーは違う。あくまで直感だが、これは僕が導き出すべき未来ではない。しかし彼がバランスを崩したのは幸運だ。
着地してすぐ、僕は遅れて落下してきた土の槍(きっと久留田が作ったものだろう)を掴み、教祖へ投げつける──と同時に僕は走り出した。
教祖は風の魔術を使って槍を跳ね返してくるだけでなく風の刃も寄越してきたが、それは見えていれば何ら問題はない。
サイドフリップで回避と同時に再び槍を握る。
この大穴で先ほどの風清弊絶を使えばこの人だって土砂に埋もれる。いくら接近したって問題はない。そして、使い魔を創り、遠距離に特化した魔術を使う人間などここまで近づけてしまえばどうということはない。
槍先を教祖の右胸へと突き刺す。確かな手応え。
槍を引き抜く無駄はせず、更に接近して破壊の魔術を──
唱えれば勝てたかもしれないのに。
教祖の正拳突きが僕の腹に届くのが先だった。
軽く吹き飛ばされてスタート地点へ戻る。
「う、ううぅ」
気持ち悪い。痛い。足が震える。恐怖ではなく疲労だ。
膝をつく僕に教祖は詰め寄る。効いていないと言わんばかりに槍を引き抜いて。
たまらず下を向いた。
やっぱり、僕はこの程度か。
期待のイレギュラーなんてどうせ運なんだ。知っていたよ。未来なんてどうしようもないほどに未知だって。
残された現実は、教祖が僕に絶望を与え、僕を仲間にして、器を殺して、殺して殺して殺して殺して──僕は死ぬ。
それなりに僕らしい人生とも言えるじゃないか。
嘘だ。流石にここまでの道を歩かされるほどの罪を背負ったとは思わない。
……こんな窮地だというのに僕と言う奴はふざけてやがる。死ぬ直前になったらもっとマシな思考になるのだろうか。
──誰かが僕の前に立っていた。
まだ耳が死んでいるから気づかなかった。
顔を上げると、少女が両手を広げて僕を庇うように立っていた。中学生か……もしかすると高校生かもしれない。清楚で可憐な様はこの場所ではとても浮いている。
誰?
こいつ誰だ?
ハーフアップの髪の毛を見て数秒、彼女が千畳夢だと思い出した。
千畳夢。僕を殺そうとして、返り討ちにあったお嬢様。
「……? ……、……ああ。なるほど。そういうことか」
さて。最期の未来を視るとしよう。




