記憶と精霊と薄暗い部屋
『貴女を置いていく事になって、本当にごめんなさい』
真っ暗な空間で、誰かが私を覗きこんでいる。
『本当なら、置いてったりしたくない。でも、こうしなければ、貴女を危険な目に合わせてしまうから』
身体は動かない。ただ、自分が横たわっている事だけはわかる。
『貴女を巻き込みたくない。でも、そうしたら、貴女を一人にしてしまう』
女性の声。頬に触れる温かな感触。
『貴女が目覚めた時には、私は居ない。貴女を置いていく私を、恨んでもいいから。どうか、生きて、生き延びて欲しい』
私の額を水滴が叩く。声を出そうにも出せずに、暗闇の中のシルエットだけを見続けるしかなくて。
『この子の精霊が目覚めるまででもいいの、どうか、私の代わりに守ってあげて』
暗闇に光が灯る。シルエットの胸元だけが照らされた。
白銀に輝く精霊と、女性の口元。
『覚えておいて。貴方はカーミラ、カーミラ・アリエティス。例えどれだけの時間が経っても、貴方の記憶が失われていたとしても』
白銀の精霊が私の中へ溶ける。
見上げる女性は再びシルエットだけになって。
『貴方は私のただ一人の愛しい子。ごめんなさい、愛してる。そして、さようなら』
手を伸ばしたかった。
これは、ナビさんの言っていた記憶なのだろうけれど。
この世界の私が見ていた、最後の記憶なのだろうけれど。
「それじゃあ、元気でね」
視界が完全な闇に染まって行く。
手の平を温かな物が包んで、その中に感じる小さな、冷たい感触。
遠くで大きな音が聞こえる。
大勢の叫ぶ声。何かが崩れる音。
最後に、私の手を包んでいた温かい感触が離れ、そのまま私の視界を覆う。
『おやすみなさい、ミラちゃん。未来の貴女を守ってあげられなくて、ごめんなさい』
そして。
「――お母様っ!」
視界が開ける。
真っ直ぐに伸ばされた腕と手の甲が見える。
変わらず横たわっているのはわかるが、違うのは身体が動き、声も出ること。
薄暗い部屋の中で身体を起こす。
「……今のが、私の記憶、なのかな」
詰め込まれた情報をなんとか飲み込んで、若干ふらつきながら両足を地面につける。
なんとか視界の通る薄暗い部屋。
今まで横たわっていたベッドくらいしかないそこと、唯一の出口であろう四角い形に光が漏れる扉があるらしき壁の一部分。
『おはようございます、お嬢様』
声と共に、胸元から光が溢れて形を作る。
野球ボールくらいの大きさの、翅を生やした白銀の球体。
スピリアと呼ばれる、プレイヤーのパートナーである、精霊。
「おはよう……で、いいのかな?」
『時間的にもおはようで問題ありません。それよりもミラ様、突然で申し訳ないのですが、いくつかご質問をよろしいでしょうか』
「質問? うん、いいけど」
立ち上がったばかりだけれど、そのままベッドへ腰を下ろす。
そういえば、私が選んだ精霊の色は金色だったけれど、この子は白銀だね。
確か、記憶の中の女性の胸から出てきた精霊が、白銀だった筈。
『お嬢様は、手帳をお持ちですか?』
「手帳?」
『はい、ダイアリー、と。意識して、お呼びください』
「ん。……ダイアリー」
パサリと、膝の上に何かが落ちた。
拾い上げてみれば、あの空間で持っていたのと同じ大きさ、デザインの小さな手帳。
開いてみれば、一頁にはやはり、あの空間で見た通りの私のステータスが記されていた。
『……では、お嬢様。記憶は、お持ちですか?』
記憶とは、先程のあれだろうか。
思いつくに、これはチュートリアルみたいなもののような気がする。
少し、ゲームらしくないなと思うけれど。
実際にやるゲームはこれが初めてなのだから、違いなんてわからないのだし……うん。
「記憶は……あるよ」
『では、貴女様の御名は?』
「カーミラ・アリエティス」
『……嗚呼、アリエティス様。貴女の願いは、届きまして御座います!』
白銀の精霊さんが一際激しく輝いて、ぷるぷると震え出す。
声色からして、喜んでいるようにも感じるのだけれど、嗚咽をもらしているようにも聞こえる。
光の球体の表情は流石にわからない。
『……こほん、失礼致しました。確認したいことは、以上です。カーミラ様の方から質問は御座いますか?』
「とりあえず……私のパートナーは、どうやって呼べばいいのかな?」
『そうですね。今のカーミラ様なら呼び出せるでしょう。サモンスピリア、と。手帳を呼ぶように』
「サモン・スピリア」
胸の奥が熱く感じて、何かが抜けて行く。
ゆっくりと、胸の中から黄金の輝きがあふれ、精霊がこぼれ落ちる。
ゆっくりと胸から離れて宙で停止した球体は、数拍を置いて、翅を振るわせ声をあげる。
あの空間で選んだ金色のスピリア。
『お? おー、外、外ですか外、うわっ、暗っ! なんですかこれ!』
『……』
「……」
白銀の精霊さんと(目とか顔があるのかはわからないけど)顔を見合わせる。
辺りをびゅんびゅんと飛び回る黄金の精霊さんを眺めつつ、どうしよう、と白銀の精霊さんに首を傾げて見せた。
『相変わらず、落ち着きの無い子!』
『わひゃっ!? え、お姉ちゃん!? なんでお姉ちゃんが……アリエティス様は!?』
『いい加減落ち着いて周りを見なさい! 主の前で恥を晒している事にも気付かないのですか!』
『へ? 主? でも、カーミラちゃんは……えっ、カーミラちゃん!? 目が覚めたの!?』
『カーミラ様、でしょう! このお馬鹿!』
白銀の精霊さんが黄金の精霊さんに体当たりして、黄金の精霊さんが床に落ちる。
そんな黄金の精霊さんを白銀の精霊さんが掴んで(?)、一緒に宙に浮かんで、私の目の前でとどまった。
そして。
『カーミラちゃん様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! よがっ、よがったよぉぉぉぉぉぉぉぉ!』
「わっ、わっ!?」
『ちょ、カーミラ様!』
黄金の精霊さんが私に気付くや否や、凄い勢いで飛んできて、私の胸に飛び込んできた。
胸の中に溶け込む事はなかったけれど、受け止める勢いに押されるように背中からベッドに倒れこんで、白銀の精霊さんの慌てる声がする。
『ああもう! スピリアとしての勤めが先でしょうに!』
『がーびばざばぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ』
「えっと……大丈夫、大丈夫よー?」
『申し訳ありません、カーミラ様。少しだけ、お待ちいただけますか』
『ヴェアァァァァァァァァァァ』
最後のはなんか泣き声でもなんでもない気がするけれど、私の視界に移動してきた白銀の精霊さんが申し訳なさそうに翅を振るわせるのを眺めるしかなかった。
*
『あははー、つい嬉しくって、ごめんなさい、カーミラちゃん、お姉ちゃん』
『カーミラちゃんではなく、カーミラ様でしょ!』
「どちらかというと、ミラって呼んで欲しい……かな?」
『……そうですね。他人に聞かれても困りますし。ミラ様、と』
『ん、わかった。ミラちゃんって呼――』
『様を! つけなさい!』
「私はちゃんでもいいから、ね?」
『ミラちゃーん、お姉ちゃんがいじめるー!』
『誰がいじめてますか! ……全く、ミラ様もあまり甘やかさないでくださいませ!』
黄金の精霊ちゃんが落ち着くまで待って、数分後。
改めて、ベッドに腰かけた私と、その膝の上に黄金の精霊さん。
そんな黄金の精霊さんを見張るように、白銀の精霊さんが漂っている。
「とりあえず……二人とも、名前はなんて呼べばいいの?」
『名前?』
『ですか?』
「うん……無いの?」
『そうですね。個体名という概念は我々にはありませんので』
『金色とか銀色とか、だいたい色で呼んでるー』
「うーん。でも、名前がないと不便だし……私がつけても構わないのかな」
『え?』
『え?』
「え?」
二匹(二人?)の精霊さんの動きがぴたりと止まる。
ふよふよーっと黄金の精霊さんが浮かんで白銀の精霊さんと並び、ぴたりとくっついた。
私、何か変なこと言ったかな?
『それは、その、我々に名前をくださると言う事でしょうか、カーミラ様!』
『な、なななななな名前だって! お姉ちゃん、名前だよ名前!』
「……えっと?」
『ああ、そういえばミラ様はダイアリーをお持ちでしたね。』
『ダイアリー? ミラちゃんダイアリー持ってるの? 凄い!』
「えっと、ダイアリー持ってるのって、何か違うの?」
いつの間にかなくなっていた手帳を再び呼んで、膝の上に置く。
興奮して再び飛び回りそうになっている黄金の精霊さんを白銀の精霊さんが押さえつけているのを見ながら、首を傾げてみる。
『ダイアリーを持つ者は、他にプレイヤーと呼ばれておりまして。ダイアリーを持つ者は例え死したとしても、存在の力を消費してこの世に留まる事の出来る超越者であるとされております』
『でねでね、プレイヤーは色んな凄い知識とか、どんな技術もすぐに覚えて自分の物にしちゃうんだ! すっごいよね! ミラちゃんもダイアリー持ってるってことは、プレイヤーなんだよね!』
「ああ、成る程」
ゲームのプレイヤーか、そうでないかの違いが、この手帳を持っているかどうかなのかな
存在の力を消費してこの世に留まるっていうのは……よくわからない。後でとーま君に聞いてみよう。
「それで、二人の名前なんだけど」
『……! その、妹は、ミラ様の正式なスピリアですので……よろしいとは思うのですが。私は、その』
『お姉ちゃん?』
「今まで守っててくれたんでしょう? 正式なスピリアとか、そうじゃないとか、関係ない。これからも、一緒にいてくれるんでしょ?」
『それは……勿論でございます!』
『うんうん、私もお姉ちゃんが一緒がいい!』
「なら、決まり」
パン、と手を叩く。
まだ何か言いたげにしている白銀の精霊さんを無理やり黙らせて、金と銀のスピリア達を交互に見る。
うん、ぴったりな名前がある。
「白銀の精霊さんが、メサル。金の精霊さんが、ティム」
『私が、メサル』
『私が、ティム!』
メサルティムは、おひつじ座の恒星の一部。
ほぼ同じ明るさの美しい二重星。
アリエティスは、おひつじ座。
うん、私の種族的にも、ぴったりだ。
「これから、よろしくね。メサル、ティム」
『はい……はい! このメサル、誠心誠意カーミラ様にお仕えいたしましょう!』
『ティムも、頑張るよ! これでも一人前のスピリアだもん!』
「それじゃあ、そろそろここを出ようと思うんだけど」
『かしこまりました。扉に触れていただければ、解錠されるかと』
『でも、あれからどれくらい経ってるんだろー? お姉ちゃん、わかる?』
『……わからない。けれど、例え外がどうなっていても、私達のする事はかわらないわ』
『うん!』
扉らしき場所に触れれば、音を立てて壁が溶けるように、砂のように崩れて行く。
道を塞ぐものがなくなって、真っ先に飛び込んで来たのは柔らかな光。
壁の向こうにはゆるやかな階段が続いていて、差し込む光が確かに外に続いている事を教えてくれている。
「それじゃあ、行こっか」
『このメサルにお任せください』
『ティムにも、頼ってね!』
……ステータスとか、ランダムで振られたスキルの事とか、色々確認しなければいけない事があるのを思い出したのは、階段を上りきった後の事でした。




