聖女と私と女神様
「……ごめん、とーま君! 私は図書館に戻るよ!」
「え、ちょ、会長……はやっ!」
気がつけば駆け出していた。
姿勢を低くして、人混みを縫うように地面を蹴る。
言葉が通じなかったりとーま君と一緒だったりで忘れていたけれど、元々図書館に用事はあったのだ。
今すぐに、調べに戻らなくてはいけないと直感が告げるのだ。
『ミラ様、抑えてくださいませー!』
『あはははは! 凄くはやいねー! あ、ミラちゃん、マップ出しとくねー』
広場を抜ける。
視界の隅に表示された半透明の円形の地図と、自身と目的地を示す光点。
ティムにありがとうと返してまた強く地面を蹴った。
後ろから届いていた声はもう聞こえない。
*
「……神話とか、歴史とかに関する本、ありますか!」
図書館に飛び込んで、受付の司書さんに開口一番そう告げる。
さっき来た時にも対応してくれていた、大きなフードを被った女性の司書さんだ。
「はい、ございますよ。ご案内致しますので、こちらへどうぞ」
「ありがとう!」
一瞬驚いた表情を浮かべたけれど、流石プロと言うべきか。すぐに平静を取り戻して受付の中から出てすぐ歩き出す。
司書さんの後を追いかけ、案内を受ける。
一度中庭らしき場所を抜けて、小さな別館のような場所へたどり着いた。
「こちらが、歴史や神話、それらに関する書物を収めた書庫でございます」
「へえ、別の書庫とかもあるんだね」
「はい。普段は公開しておりませんので」
司書さんが懐から鍵を取り出し、書庫の扉を開く。
どうぞと、中へ促されるまま足を踏み入れる。
円形の建物で、壁一面の本棚、中心には読書用であろう椅子と机。
なぜかティーセットまで置かれているのは何故なのか。
「普段は公開してないって……私を入れてもいいんですか?」
「はい、問題ありません。先程王城の近衛を名乗る者共が図書館を訪れまして、精霊を二匹連れた金の髪の羊族の少女の所在を問われました」
「……あー、あの人達か。それと、これとにどんな関係が?」
身を引き締める。
今さらながら、とーま君を置いてきてしまったのは失敗したかなあ。
扉の前に立つ司書さんから距離を取りつつ、身構えた。
そういえば、図書館ではメサルとティムは自由にさせていたし、それを見られたのだろう。
「……? ああ、ご安心ください、行方を伝えるなどしておりませんし、貴女様を引き渡すつもりもございませんので」
「……へ?」
「むしろ、その逆でございますね。彼等がまた戻って来ないとも限りませんので、こちらにお連れした次第でございます」
ぺこりと頭を下げた司書さん。
そのまま彼女が被っていたフードを取れば、そこにあるのは巻いた角。
髪は長く、たぶん腰くらいまであるストレートの青い髪。
「お久しぶりです。とは言っても、覚えてはおられないでしょうが」
司書さんが中から扉を施錠して、書庫を突っ切るようにして本棚へ向かう。
考えが追い付かずに立ち止まったままの私をよそに、備え付けの梯子を動かして高い位置にある本を手に取る司書さん。
彼女は何者なのだろうか。
メサルもティムも、何も言わない。
「こちらへどうぞ、アリエティス様」
「……何者なのか、教えて貰えると助かるんだけど」
「そうでした。まずは自己紹介が必要でしたね」
中央のテーブルに本を置いた司書さん。
警戒しつつも彼女の元へと歩みより、距離は取ったままそう尋ねる。
私をアリエティスと呼んだ羊族の司書さん。
私に真っ直ぐ向き直り、再度頭を下げた。
「名をノワイエと申します。種族は見ての通り羊族でございますね。図書館の司書などをつとめさせております。ノア、とお呼びくださいませ」
「私は、ミラ。アリエティス……その名前で呼ぶのは、まだやめて欲しいな」
「畏まりました。では、ミラ様と」
司書……ノアさんが椅子を引いて腰かける。
対面の席を指してどうぞと訴える彼女の仕草に、仕方なく腰を落ち着けた。
「それで、君は何者なんだい」
「何者、と言う程でもないのですが」
そう言って、こほんと咳払いするノアさん。
さっき取り出していた本を開き、こちらに見えるようにテーブルに置かれる。
そのまま、こちらへと押すように、差し出される。
『私、司書の他に神殿にて聖女なる仕事もしておりまして。十二人の神様にお仕えしている十二人の聖女の一人です』
「精霊語……?」
『はい。神の神託は主に精霊語で下されるので、聖女には必修の言語でございます』
差し出された本を手に取り視線を落とす。
この世界の神様についての本だ。
元々神様は一人で。最初の神様がこの世界に生きる獣人に試練を与えて、新しい神様にした。
そして最初の神様は姿を消して、残ったのは十二人の神様達。
それぞれの神様は自分の代弁者として聖女を一人選び、世界に遣わせ自身の存在を広めて信仰を広める。
それと同時に自身の像に自身の力を封じ、祈る者へ少しの奇跡を貸した。
『私が仕える神は冒険と救済を司る女神、アリエティス様でございます。そして、今朝早くでしょうか……神託を受けました。長い眠りから娘が目覚めると』
神様が住むのは物質界の上位に位置する精霊界の、さらに上。
神界と呼ばれる絶対不可侵の世界で、そこから声だけを聖女に伝えるのだと。
金羊の女神アリエティスは最も若い神様で。
どんな距離も一瞬で無くし、世界を渡る力を持っているのだと。
『私は貴女の味方でございます。例え王族であろうと、他の神であろうと、誰に何を命令されようとも、私が仕えまするはアリエティス様のみでございますので』
「ノアさんは、あの人に会った事があるの?」
『はい。あの方が女神になられる前には、友人としてお付き合いさせていただいておりました。小さな頃のミラ様にも、何度かお会いさせていただいております』
「だから久しぶり?」
無言で頷くノアさん。
この人、いくつなんだろうか。
「あの人が神様になったのって、どれくらい前なのかな」
『およそ五百年程前でしょうか』
「……私、五百才越えてるのか」
『眠りについている間、プレイヤーの時は止まっていると聞いております。ですので、ミラ様の肉体は眠りについた当初のままかと』
「そういう問題なのかなぁ?」
『些細な問題でございますよ、ミラ様』
頁を捲る。
書かれているのは、神様の名前と簡単な成り立ちくらい。
試練を与えられたとは書かれていても、その試練がどういった物なのかとか、どういう経緯で神様になったのかとかは、触れられていなかった。
本を閉じる。
「本はこれしかないのかい?」
『ここにある物で最も詳しく記されているものはそちらのみです。詳細が記された書物は、その殆どが王城の書庫にございます。が、決して王城……王族には関わりませんよう』
「理由を聞いても? それに、ノアさんから直接聞くのはダメなのかい?」
ノアさんが静かに首を振る。
『何かあった時は、神殿か、この図書館においでください。例え夜中であろうと、いつでも私は貴女の力になりましょう』
コトリと音を立てて、テーブルに何かが置かれる。
『過去の真実を求めるのであれば、それは貴女自身の手で見つける他にありません。我々が口にすることは許されておりません……ですが』
ノアさんが席を立ち、テーブルに置いたそれを再び手にして、テーブルを迂回して私の元へ。
自然と見上げる私に、彼女は姿勢を屈めて、目線を合わせた。
『貴女が求め続ける限り、きっと道は開けるでしょう。この世界のどこかには、かの地へと続く道を開く方法もあるかもしれません』
ノアさんが、私の手を取る。手のひらに何かが落とされる。
彼女は両手で私の手を包み、落としたそれを握らせる。
そのまま引き寄せられる。
『貴女が無事で、本当に良かった』
それは私に向けられた言葉だけど、私に向けられた言葉ではない。
彼女の記憶の中の、過去の私へむけた言葉なのだろう。
「ノアさん、あのさ」
『私の事は、ノアと』
「じゃあ、ノア」
『はい』
彼女の腕の中で顔を上げる。
放す気はないらしい。抱き締められたまま、視線を交わす。
「これだけは教えてほしい。彼女は……私のお母様は、私を残して、それでも望んで女神になったのかい?」
『いいえ』
「そうか。なら、やることは決まったよ」
神界とやらに乗り込んで、あの人を女神にした最初の神様とやらをぶん殴って、取り返す。
神界に行く手段はあると教えてくれたのだから、探さない理由はない。
この世界がどれくらい広いかわからないけれど、目標があるというのは、いい事だ。
迷わずに、真っ直ぐに、駆け抜ければいい。
『ミラ様。貴女には、この世界で自由に生きる選択肢もございます』
「わかってる。それだけを求めて生きるなんて事はしない、息が詰まってしまうよ」
『私でよければ、貴女の帰る場所として、常にここでお待ちしております』
「うん、ありがとう。それじゃあ、ほったらかしにしてしまった人もいるし、私は行くよ。会えてよかった」
『はい、私もです』
包容が解かれ、二人共に立ち上がる。
閉じられた書庫を後にして中庭を抜ける。
図書館を出るまで、彼女が送ってくれる。
「ミラさん、一人は危ないって言ったじゃないですか!」
図書館の外にはとーま君がいた。
とーま君の頭の上にはノクトがいて、その両肩にはなぜかメサルとティム。
『ミラ様! ご無事でしたか!』
『ミラちゃーん! 落っことして行くなんてひどいよー!』
静かだ静かだとは思っていたけれど、どうやら落っことしていたらしい。
ごめんねと謝ればメサルとティムが飛んできて、髪の中に突っ込んで両肩に納まる。
「いってらっしゃいませ、ミラ様」
「うん、行ってきます。また来るよ」
「次は、とっておきのお茶をご用意しておきますね」
「楽しみにしているよ。それじゃあね」
彼女に手を振り、とーま君の隣へ。
深くお辞儀をする彼女へとーま君が首を傾げているのを見て笑いをこらえ、彼の手を握ろうとして、ノアさんに渡された物を思い出した。
開いた手のひらには、一本の小さな鍵。
「……なんですか、それ?」
「んー。秘密、かな」
インベントリへ放り込んで、改めて彼の手を握る。
まずは冒険者組合だったっけ。
それから外に出て、身体を動かそう。
「さあ行こう、とーま君。道案内よろしく!」
「了解です、会長」
『なにやら、吹っ切れたような顔をしておるな?』
『ミラ様、何があったのか聞かせていただきますよ! さっきの女性の事についてもです!』
『ミラちゃん、とっても嬉しそうだね!』
「アニマスピリアオンライン……誘ってくれてありがとうね、とーま君。これからがとっても、楽しみだ!」
一章・了
二章から真面目にゲームします、たぶん