ホタルと観光と例のアレ
「綺麗ですね」
「お気に召されましたか?」
「ええ、とても」
慌ただしく馬車で出発し、港を離れて街中へ。
目的地の神殿は街……というか、島の中心の湖のど真ん中にあるさらなる島にあるらしく、そこまでは街を観光しながら向かいましょうと提案されて。
女神像も触っておきたかったし、渡りに船とはこの事か。
そして、街並みを目にした最初の印象が、綺麗。
ヴェネツィアを彷彿とさせる、水の都。
いたるところに運河が流れ、馬車を乗せた大型の船や、普通の人が乗る小さな船。
陸地よりも目にうつる青の方が多く、陽光を反射しキラキラと輝いていて。
「この馬車も、後で船に乗りますので。ご期待くださいね」
「それは、とても楽しみです」
「ミラ、あそこ」
「ほへ?」
窓に張りついて景色を眺めながら、キクノスさんにあれこれと解説して貰う。
シエルさんが指す方を見れば、水面を跳ねる飛び魚のようなたくさんの魚の群れがいたり。
その魚を狙ってやってくる水鳥に、その水鳥ごと丸呑みにするでっかい魚が飛び出したりして。
危険は無いのかと聞けば、獣人の乗った船は襲ってこないというか。襲われないように船に魔法がかけてあるらしく一種の観光風景にもなっていて。
あのでっかい魚、意外と美味しいのだとか。
「そうだ、ミラ」
「今度はなんですか?」
「これを、渡しておく」
観光もある程度落ち着いて、女神像のある公園へと向かう途中にシエルさんに何か手渡された。
返事をする前に私の手に乗せられたのは、印章らしきペンダント。
ひっくり返して確認すれば、獅子を思わせる装飾と彫りが入っている。
「それは、王家ではなく、私自身の物。このレオリシェルテ・レオニスの庇護を得ている事の証明」
「それは、とても大事なものなのでは?」
「ミラ以上に、大事なものはない。それがあれば、あいつらのちょっかいも追い返せるはず。今のうちに、渡しておく」
「……お借りしておきます。ありがとう、シエルさん」
「権力には権力で対抗する。私はミラを守ると言ったから、構わない」
一度、私の手からペンダントを取り上げたシエルさんが、そっと腕を回して私の首へ。
装着されたペンダントを服の中に隠して、少し乱れた髪を整える。
キクノスさんは空気を読んでか、レクスとキサラちゃんの二人と会話をしていて。
チラリと、一度こちらを見たレクスの視線は貰っておけと伝えていたので、頷き返す。
「そろそろ、記念公園に到着致しますよ」
「ついでに、昼食にしましょうカ」
「それはいい。ちょうど、小腹がすいていたところ」
カタコトと馬車に揺られてまた数分。
ゆっくりと停止したそれから降り立って、周囲を見渡す。
レオニス王都の女神像のある広場と似たような公園で、いたるところに水路と噴水がある以外は機能的には同じようなものらしい。
屋台が出ていて、子供が走り回り。
住民かプレイヤーかはわからないが獣人達が思い思いに過ごしている、憩いの空間と言ったところか。
「実は、お店はもう予約してあるんですよ」
「魚?」
「ええ、我らがプトレマイオスの誇る海の幸でございます」
「シエルさんは、お魚が好きなの?」
「肉も好きだけど、魚が一番」
ぴこぴことシエルさんの耳が小刻みに動いていて、尻尾が言葉以上に歓喜を示しているのにキクノスさんと一緒に笑顔を浮かべる。
レクスとキサラちゃんの護衛を受けつつ広場を歩き、魚の良さを熱弁するシエルさんに相槌を返す。
女神像があるのは広場の中央で、そこに立つそれは女神アリエティスの見慣れた姿。
「こうやって外で見るのも、なんだか久し振りな気がしますね」
「キクノス、少しいい?」
「はい、如何しましたか?」
女神像を見上げる私に気を使ってくれたのか、シエルさんがキクノスさんとレクスを連れて離れて行く。
キサラちゃんは護衛に残ってくれているが、彼女も私に背を向けて一人にさせてくれるようだ。
……そこまで気を使って貰わなくてもいいんだけどね。
普段、神殿で見る女神像には気軽に手を触れたりするのははばかられるし、近くでゆっくりと眺められるのは外にいるときだけではあるのだけども。
「……貴女のこと、色々とわかってきたよ」
女神像の台座に手のひらで触れて、ゆっくりと目を閉じる。
頭の中に流れる、ポータルが解放されたと言うメッセージはいつぶりだろうか。
復活地点の設定はキャンセルして、目を開く。
肌に叩きつけられた強烈な磯の香りが鼻腔を駆ける。
勢いよく風が吹き抜け、ヴェールが踊る。
髪を手でおさえながら、思わず見上げた空には綿毛のような。
白く輝く不思議な植物達が舞い飛んで、風に流れて去ってゆく光景。
この島の観光名所の一つで、海ホタルと呼ばれる巨大なタンポポの種子……だったかな。
ノアさんとのお勉強で知った知識がそう教えてくれる。
時折吹く海からの強い風で綿毛を飛ばし、島中へ。プトレマイオス連邦全域へと種を飛ばすのだ。
「行こうか、キサラちゃん」
「ん、パパは、あっち」
「ありがとう」
周囲には海ホタルに興奮して空を見上げる観光客らしき獣人達。
少し離れた場所にいたシエルさん達三人と合流した後は、当初の予定通りにキクノスさんが予約してくれていたと言うレストランへ。
提供された海の幸はどれも美味しくて、現実の方でもお魚を食べたくなって、後でスヴィータにお願いしようと思ったところで。
「осьминогは、ムリ。私、これだけはダメなんだ、シエルさん、タベテ」
「苦手なら、仕方ない。任せて」
「うねうねしてる」
思わず母国語が出るほどに、唯一と言ってもいいほど私の苦手としているものが出てきて半泣きになってしまったりして。
リサーチ不足でしたと申し訳なさそうにするキクノスさんに、気にしないでくれと謝って。
美味しそうにそれを頬張るシエルさんとキサラちゃんからは若干目をそらしつつ、他のお魚は美味しく頂いて。
「この後は、また少し観光を行いながら神殿へと向かいましょう。調査の詳細についての資料の方は向こうに用意してありますので、長旅でお疲れの本日はお休みいただき、また後日打ち合わせをさせていただければと」
「それでいい。配慮感謝する」
「こちらからお願いして来ていただいているのですから、これくらいは当然です」
後頭部を柔らかい物に包まれながら、夢心地で頭の上から落ちてくるシエルさんとキクノスさんの会話に耳を傾ける。
どうも例のアレのせいか私の顔色がよろしくなかったようで、それを目に止めたシエルさんの膝の上に乗せられだっこされている私である。
レクスとキサラちゃんは相変わらず護衛に徹しているのか無言で、聞こえてくるのは風の音と馬車の起こす小刻みな揺れ。
「キクノス」
「ええ、構いませんとも」
「ありがとう。ミラ、ミラ。構わないから、寝るといい」
「うー、むう?」
ぎゅうと、シエルさんが両腕で包むように抱き締めて、私のお腹をポンポンと叩いて撫でる。
しょっちゅう忘れそうになるが、私の小さな身体は言うほど体力は無いのである。
少しはステータスをVitに振ったりすればもうちょっと体力がついたりしないだろうかとぼんやり考えながら、やはりAgiだよねと結論つけて。
「こんなに小さいのに、既に代行なんて。優秀な方なのですね」
「ノワイエの溺愛ぶりは、凄い。一度見に来るといい」
「あのノワイエ様が……信じにくいですが、この子を見ていると、信じるしかなさそうです」
馬車の心地よい揺れと、シエルさんの身体の温もりに包まれて。
慣れない船旅の後に観光ではしゃいで、思った以上に疲れていたのだろうか。
シエルさんの眠ってもいいとの言葉に安心したのか、ゆっくりとまぶたが落ちはじめて。
仕事で来ているのだからしっかりしなければという思いとは裏腹に、私の意識は沈んで行って。
「お休み、ミラ」
同時に、キサラちゃんとレクスの放つ雰囲気が変化した……ような気がした。
осьминог=タコ