境界と熊と雷光九尾
「思ってたのと違う」
「あら、楽出来ていいじゃない?」
ゆっくりと流れる窓の外の景色を眺めながらそう呟いた私の言葉に、そう返したのはアリシエル。
私と向かい合わせに腰掛けていて、くすくす笑いながらティーカップに口をつける。
私の膝の上にはくず餅状態のミリアちゃんとすぴょすぴょ眠るサビク、隣にはキサラちゃん。
もう一度窓の外に目を向ければ、馬のように大きな黒い狼に騎乗し並走するスヴィータの姿が見える。
「もっと、こう。なんていうのかな、みんなでパーティー組んで、モンスターとかやっつけながら向かうものだと思ってたんだけど」
「まあ、普通はそうなんじゃない? でも、神殿から聖女の派遣って名目で向かう訳だし、そりゃあ馬車くらい出すわよ。私とスヴィータ、犬は護衛の騎士でお給料も出てるし、ね?」
「きぃも、護衛」
「ええ、期待していてよ?」
「任せて」
現在、例の港町へと向かう道中。
徒歩で向かうのだとばかり思っていたら、出発の日にノアさんが馬車を用意して、これを使いなさいと決定事項のようにいい放った。
神殿の紋章をつけた馬車なので賊に襲われる事はないし、護衛が護衛なので道中のモンスター相手でも安全。
これを使わないなら私もついていくわと言い切られて、渋々了承したのが数十分前のこと。
馬車とは言ったが牽いているのは馬では無くて、巨大な三つ首の狼さん。
レキシファーが襲ってきた時にとーまくんが呼んでいたあのおおきいもふもふで、今も張り切って道を進んでくれている。
『このまま何もなければ、夜までには到着しそうデスね』
「そんなに遠いのかい?」
『まあまあの距離はありますヨ、我が姫。トラブルでもない限りはまあ、大丈夫でショウ』
「馬鹿骨、話に割り込んで来ないでくれる?」
『相変わらズ辛辣デスね、我が後継者』
「ふん。一応恩があるから見逃してるだけだって、覚えておきなさい」
『エエ、勿論ですトモ』
レキシファー……現在レクスはと言えば、すっかり私達にも馴染んでしまった。
彼の人の姿はありすと同じくアニマスピリアらしく、その詳細についても色々と教えてくれた。
それだけではなく、元々スピリアについてさまざまな研究をしていたと言う彼の言葉に偽りはなく、メサルやティム達スピリアですら知らない事まで教えてくれたりもして、さらにはティムの秘密特訓も手伝ってくれていたらしい。
なんの特訓をしていたのかはまだ教えてくれないが、その時が来たら教えるからたのしみにしててと言っていたので、心待ちにしておくとしよう。
「海か。前に行ったのはいつぶりだったかなあ?」
「ふふん、水着なら用意してあるわよ。こっちでも、あっちでもね」
「プライヴェート・ビーチ以外で泳ぐ気はないんだけど」
「国賓の聖女よ、それくらい用意させて見せるわよ。舞台の島がどんな場所なのか知らないけど、泳ぐ可能性も無いわけじゃなさそうだしね」
「探索と調査だっけ。確かに、ありそうではあるよね」
今回のイベントは新たに見つかった島の調査。
アイテムや装備の持ち込みは自由だけど、あまり持ち込みすぎると素材とかを持ち帰れないという自給自足の自己責任方式らしい。
当然、イベントの報酬用の提出用アイテムとかを持ち帰るにもインベントリの空きが必要になるので、基本的には最低限の装備と消費アイテム、食事を確保する為の器具などに抑えるのが一般的らしい。
私もインベントリの中に溜まりに溜まっていた色々な素材達をノアさん経由で売却してもらったのだが、ただでさえ潤っていた通貨がさらに潤ってしまったのは言うに及ばないであろうか。
……とはいえ、武器も防具も何もかもが貰い物で、そんじょそこらの装備に交換する意味も必要もなく、強化も勝手に行われてしまう現状、お金があっても使うことがなかったりもする。
回復アイテムのポーション類も勝手にうにが量産しているものがあるし、出掛けにリザレクトポーションの追加もノアさんに渡されて、ついでに言えば食料すらも専用の魔法収納箱とやらをスヴィータが受け取っていた。
とまあ、自分のお金を使う事がなくて、勝手に貯まる一方なのである。
「という訳で、はいこれ」
「うん?」
「水着よ、水着。あと、日傘」
「……バカンスに行くわけじゃあないよ?」
「一応スヴィータも用意してるけど、自分でも持っておきなさい?」
半ば強引に渡された小さな包みと傘を受け取り、インベントリに放り込む。
ふわりふわりと、相変わらず私の側で浮かぶ一冊の本に意識を向ければ、受け取ったアイテムがぽんと消えて収納完了。
ヒュギエイアの杯と呼ばれるこの本についても、レクスやジークさんに色々と教えて貰ったのでなんとなく理解はしている。
一度ニーナさんに会いに行ったのだが、その時彼女は留守にしていて、会えずじまいでプトレマイオス連邦に向かうことになった。
帰ってきたらジークさんと一緒にもう一度訪ねてみようと思う。
『ミラちゃーん!』
「おや、ティム。外で遊んでたんじゃないのかい?」
『えっとね、伝言! そろそろまりょくへき? が近いから、一旦停止してまかく? を討伐するんだって!』
「ああ、とーまくんが言ってた境界ってやつか」
「ムダに現実よりなのに、妙なところでゲームっぽいのよね、この世界」
「確かにね」
暫く馬車が進んだあと、ゆっくりと速度を落として停止する。
その間に装備を神装アイギスに変更し、頭には黒いヴェールを。
腰の左右に二本の刀を差して、装飾欄に聖装剣イリス達を。
最後に、神楽さんから貰った大太刀、雷光九尾を背負えば完全装備だ。
「禊に貰ったのは、ちゃんと持ってきた?」
「うん、ちゃんと持ってるよ。私って、そんなに頼りないかなぁ?」
「愛されてる証拠よ、頼りないかは関係なくてよ」
懐に忍ばせてあるのは、禊ちゃんが魔法を込めた術符の束。
その中でも一際目立ち、異様な魔力を放つ金色の符は切り札で御守り。
禊ちゃん曰く「やベーときにつかうの。いりょくはほしょーするの。しんらいてんはざんなの」とのこと。
しんらいてんはざんがよくわからないけれど、おそらくは強力な魔法を込めてくれたんだろうと予想しているのだが。
……彼女の本気の魔法を見たことがある故に、気軽に使えるような代物じゃあ無い気がするね。
『ミラ様、そろそろ』
「うん、今行く」
「まあ、負けるどころか苦戦する事すらあり得ないでしょうし、さっさと終わらせましょう?」
「ああ、そうしよう……この子も初めての戦いで張り切っているしね」
『きゅ!』
背中から顔を覗かせ、私の肩へ乗り移った小さなソレが鳴いて、私の頬を舐める。
外から場所の扉が開かれ、まずはキサラちゃんが降りる。
続けてアリシエルが降りた後、そのまま差し出された手を取り私が降りて、サビクを乗せたくず餅ミリアちゃんが続く。
全員が降りれば扉が締まり、外から扉を開閉してくれたスヴィータが側に控える。
「……これが魔力壁?」
「ええ。触れたらエリアボスが出てきますから、すぐ動けるようにしておいてくださいね」
「りょーかい」
『きゅ!』
「はいはい、わかったわかった」
目の前に広がるのは、うっすらと光を放つ半透明な壁。
祈り人にのみ作用する、神からの試練とか色々と呼ばれている世界を区切る不思議な境界。
魔核と呼ばれるエリアボスを倒す事で通行可能になるっていうシステムで、やけにリアルな世界の中のゲーム的要素……らしい。
王都にほど近いほど弱く、離れれば強く。
さらには境界を越えると出てくる敵の質や量などもがらりと変わるらしく、実力不相応な初心者が進んでしまわないようにするための壁とも言われているのだとか。
「ていうか、さ。倒してないのが私だけとか、みんないつの間にそんなに進めているのさ?」
「私は飛べますので、空いた時間にささっと開けておきました」
「ずるい」
「私はまあ、神殿騎士の試験的なの受けるときについでに、ね」
そう言うスヴィータとアリシエルを引き連れてくてく歩き、背中の大太刀を抜き放つ。
『きゅ!』
先程から私の首筋を尻尾で擽りあぴーるしていた小さな小さな獣。菫色の子狐が飛び出して、抜き身の太刀へと溶け消える。
とーまくんが光る壁に触れる。
世界が暗転して隔離され、まるで時間が止まったかのように風も、音も、木々のざわめきも、雲も、全てが停止し音が消える。
「それじゃ、手は出さなくていいからね」
「危なくなったら助けますよ?」
「とーまくんは私の格好いいとこを見ていればいいよ、うん」
停止した世界に現れたのは一頭の巨大な、四本腕の熊。
前に遊んだふぃーるどぼすの熊さんとは大きさも威圧感も桁違いのソレ。
二本足で立った姿は三メートルはあるだろうか。
なぜか眼も四つあるそれは眼前に立ち並ぶ私達を既に敵と認識しているのか、殺意を滾らせ全身を奮わせる。
「初撃入れるまでは動かないので、やっちゃっていいですよ」
「随分親切なんだね」
「まあ、東方面最初のエリアボスですしね」
「それもそうか」
構えるは顔の横へ刃を添える霞の型。
膝を軽く曲げつつ、半身を取って刃を向ける。
バチリと弾けるような事と共に、菫色の刀身に紫電が走り、纏う。
きゅ! と、張り切った声音で狐が鳴く。
一度瞼を閉じて、深呼吸を一度。
誰かがこくりと息を飲むのを合図がわりに、瞳を見開き刮目する。
踏み込み、一刀。
稲妻が私の頭の上に狐の耳を、腰からは九つの尻尾を模する。
袈裟に切り抜け、刀を払う。
「初太刀・電光雪花」
稲妻が迸り、弾け、肉体を切り刻み、焼き尽くす。
舞い散る火花は雪の花のように揺蕩い、それらを辿るように電光が駆ける。
ゆっくりと振り返れば、身体を痙攣させる大熊の背中。
タイラントベアと呼ばれる初心者の壁。
切っ先で地面を引っ掻きながら、一歩前へ。
ゆっくりと持ち上げた刃を両手で握り、大上段。
さらに一歩左を踏み込み、半身、構えは八相。
「終の太刀・電光朝露」
無防備な背中に刃を通す。
稲妻で加速した踏み込みのままに、その速度を乗せて刃を振るう。
分厚い皮膚も、鎧のような毛も。
その一切を意に介さず、ただ一撃を以て、命を絶つ。
「まあ、こんなもんか」
『きゅー?』
背中の鞘に太刀を納める。
崩れ、消え去る熊の脇をすり抜け、仲間が眺め待つ場所へと歩を進める。
肩に飛び乗り、私の首に巻き付けた尻尾で頬を撫でる子狐の顎をくすぐって。
「いやいやいや、エリアボスを二撃って、どんな火力してるんですか、会長」
「まあ、お嬢様ですので」
「ミーリャだもの、ねぇ」
「流石、きぃのママ」
『ティムも、頑張るんだから!』
『……あの、ミラ様の肩に居る方はどなたなのでしょう?』
『ぴー?』
『……?』
そういえば、この子狐の事、誰にも言ってなかったような気もする。
出逢ったっていうか、存在を知ったのもつい最近っていうか、今朝だし。
『きゅ?』
「君の名前、どうしよっか?」
『きゅー?』
そろそろアニマル達とスピリアだけでパーティーが組めそうになってきたね、うん。
やったねミラちゃん家族が増え(ry