第3話 忘れられないルージュ
*ガールズラブ要素あります
「……はあああ」
千秋はついさっき、絵美を《吸精》していた時のことを思い出していた。
そして何気なく、鏡を見ながら、自分の唇に人差し指をあててみる。
(……絵美ちゃんの唇、柔らかかったな……。それに甘かったなあ……えへへ)
千秋は顔が真っ赤に上気していくのが、自分でもわかった。
(……何だろう……この気持ち。今までどんなイケメンを《吸精》しても、
こんなこと感じなかったのに。)
四十雀は妙な雰囲気を感じ、千秋の肩に止まった。
そしていつもよりも、彼はトーンを落として優しく語りかけた。
『……お嬢様……。帰ってきてからどうされたのですか?熱でもあるのですか?』
(……ち、ちょっと……ね……女の子はデリケートなんだから、ほっといてよ!)
『そうですか……。お食事はいかがされますか?』
(いらない……。もう寝る……)
『…………おやすみなさいませ』
四十雀はそっと彼女の肩から静かに離れ、見守るかのように部屋の隅に止まった。
千秋は乱暴に布団を敷くと、何も言わずに布団をかぶった。
***
翌朝、桜が舞うようになってきた通学路。
穏やかな風が吹く中、千秋は熱にでも浮かされたように、フラフラとした足取りで学校へと向かっていた。
「おはっよう——! 今日、部活来てくれるよね?」
元気にショートボブを揺らしながら、和美が声をかけたのは千秋だ。
いつものように自分の顔を覗き込んでくる和美。
(……あ……。和美の唇、柔らかそう……)
思わず吸い寄せられるように、千秋は和美の唇を見てしまった。
それはぷるぶるしていて、艶やかで輝いていて……まるで別の生き物のようだった。
「ねえ?千秋? 何、ぼうっとしてるの?珍しいね」
「…………あ。あ、ご、ごめんなさい……。ちょっとね……」
「あれ?私の顔になんかついてた?」
そんなことを言って、もっと顔を近づけてくる和美。
(……あふ……。和美の甘い匂いが……)
思わず、目を閉じてしまった千秋に、和美はえいっ!と、その唇をぷにぷにするように人差し指で触れた。
「きゃ!」
「あはは、ごめんごめん。何だか眠そうだったから。つい、からかっちゃった……。
ほんとごめんね。千秋」
和美は千秋に軽くぺこりとすると、悪戯っぽく、にっ、と笑った。
そして、そのまま後でね!と言いつつ、校門へと駆け出していった。
一方、唇に触れられた千秋は、和美の指の体温を確かめるかのように、しばらく押された跡を手で押さえていた。
***
いつもチラ見して妄想している隣の佳之くんの横顔も、今日に限っては、千秋はあまり見ることがなかった。
その代わり、ずっと授業中も、手鏡で自分の唇ばかり見つめていたのだ。
「千秋ぃ?先に行ってるよ、体育館で待ってるから!」
ぼうっとしている彼女に、そう声をかけていく和美の後ろ姿を眺めてる千秋。
「あ!今日からバレーの練習だったわ!」
急に思い出して、千秋は体操着を取り出して……取り出して……はできなかった。
なぜなら体操着を入れていたバックを、ちゃぶ台の上に忘れてきたからだ。
これから取りに行っても、千秋たちの学園は部活動の時間が2時間までと決まっていた。
取りに行ってる時間が勿体ないし、親友との約束を反故にしたくはなかった。
(げ!体操着忘れてきた!四十雀に……。って、間に合わないじゃない!
ま、いいや。誰かから借りるしかないっ!)
ちっと舌打ちをしながら、慌てて千秋は体育館へと急いだのだった。
***
ハアハアと息も絶え絶え、千秋が体育館に行くと、案の定、すでに準備体操や基礎練習が終わってしまっていた。
おかげさまでとっくの間に千秋の制服は、汗でぐっしょり濡れてしまっていた。
額やうなじにも玉のような汗が流れている。
「どうしたの?千秋。それに体操着は?」
「あはは……はあはあ……ごめん、和美。体操着、忘れちゃった……」
一気にダッシュしてきたために、呼吸が整わない千秋の様子を見て、和美は部員たちに声をかけてみた。
「ねえ?誰かさ、千秋に体操着貸してあげてくれない?」
「……あの……私の予備でよかったら……」
おずおずと体操着の一式を出してきたのは、一条絵美だった。
「わ、ありがとうね!絵美っち。私のじゃ、千秋には小さくてさ」
和美は苦笑しながら、自分のバストのあたりを指差した。
和美はCカップで、対する千秋はDカップ……。
当然、和美の上着は小さいので、おヘソが出てしまうのだ。
絵美から体操着を受け取った時、千秋の指が彼女の手に触れた。
その時、小さく絵美がぴくんとした。
「あ、ごめんなさい……。ちょっと借りるね」
そんな絵美のウブな反応を見て、千秋は何だか守ってやりたい気持ちになった。
***
「……千秋先輩……胸、きれいですね」
「……え?ええ。ありがとう。でも絵美ちゃんのもきれいよ」
無事、練習も終わって、更衣室で着替えている時、絵美は千秋のそばに寄ってきたのだ。
「先輩の肌……まるで磁器みたいにツヤツヤ……」
うっとりとした顔で、絵美は千秋の腕をそっと撫でてくる。
腕を撫でられた時、千秋はぴくんとした。
ぞくりとしたのではなく、むしろ心地いい感覚……。
気のせいか、その瞬間、絵美の頬が赤くなってきたように千秋は感じた。
「先輩……。またいつでも体操着お貸ししますね」
潤んだ瞳で絵美はそういうと、借りていた体操着を大切そうにビニール袋にしまい込んだ。
(絵美ちゃんの反応……。これ、私がかけた《魅了》のせい?でも、私も何だか……)
絵美に腕を触れられてからというもの、何だか千秋は身体が熱くなってしまっていた。
それは熱病のように、自宅に帰る途中もずっと収まる気配はなかった。
***
(おい……!四十雀……。どうした!)
自宅に戻った千秋は火照る身体に苛立つかのように、カバンを畳に投げつけた。
そして鬱憤を晴らすかのように、大声で召使いを呼び出した。
『……どうしたもこうしたも……お嬢様……。絵美様に対して、
《吸精》された上に、《魅了》を施されたからでは?』
(……ま、まあ、そうだけどさ……。
だってそうするしか依頼主の要望に応えられなかっただろ?)
『私に同意を求められても……。ただ同性の場合、《魅了》の効果は約1ヶ月しか
続きませんから、そのまま我慢されて放置で良いと思いますが?』
(が、我慢だと!無理……!絶対無理!女の子好きに目覚めちゃうよ!)
『いいんじゃないですか……。女の子が好きになっても。愛の形は様々ですよ。
自然体が一番ですよ……』
(佳之くんはどうするの?佳之くんは?
ふんだ!もういい!腹いせに焼き鳥にしてやるから、ちょっと来いや!)
ピロロ——ン!
ちょうど千秋が逃げようとする四十雀の尻尾を掴んだ時、千秋のスマホが鳴った。
「ん?メールか!ちっ、これから焼き鳥パーティにしようかと思ってたのに!」
腹立たしそうにスマホを操作しメールを見る。
そこには依頼主の逢坂はるかから、ありがとう、という主旨のメールが届いていた。




