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文字の読みづらさに本から顔を上げると、いつの間にか室内が薄暗くなっていた。スコールが降っており、バケツをひっくり返したような音が家中に響いている。
カップの中身はすでに空っぽだ。
(そろそろ、夕食の準備を始めるかな)
椅子を立ったタイミングで、玄関から声がした。
「戻った」
グレイの声だった。修太は玄関のある廊下へと顔を出す。
「おかえり。ずいぶん早かったな」
そう言ったのは、ダンジョン・シティーで食事を済ませてくると聞いていたからだ。
「途中でレコンが罠に引っかかってな。今日は虫下しを飲んで、家で安静にしておくようにと医者が」
「下宿に送ってきたところよ。ダンジョン・シティーのほうが近かったから、そこで医者に診てもらえたけどね。あんな場所で暮らすなんて馬鹿げてるけど、医者がいるのは助かるわ」
バロアはそう言いながらスリッパに履き変えて、しかめ面で風呂場に直行する。
「先に風呂を使わせてもらうわね。気持ち悪いったら」
そんな彼女を横目に、玄関に座ったまま動かないグレイとスレイトに問う。
「虫下しって、何があったんだ?」
「虫の巣に落ちたんだ。すぐにレコンを穴から引き上げたんだが、息をした時に、卵が体内に入るタイプらしい。冒険者ギルドで情報を得ていたが、なかなかおぞましかったぞ」
「それはトラウマものだな……」
「国内最難関のダンジョンだから、何が起きてもおかしくねえよ。ダンジョン・シティーの入口で止められて、全員、消毒液をぶっかけられたから大丈夫だとは思うが。あの虫は熱に弱いそうだから、風呂に入るまで俺達に近付くなよ」
ずぶぬれのまま玄関から動かないのは、家に虫を持ち込まないためらしい。
レコンがあった災難に、修太はものすごく同情した。
「父さんは平気なのか?」
後ろからバルが顔を出し、スレイトはひらひらと手を振る。
「問題ねえが、今日は全員、虫下しを飲めってよ。はあ」
うんざりと溜息をついたものの、スレイトは感嘆を込めて続ける。
「サランジュリエの冒険者ギルドの医療部はすげえな。そういう虫やら毒やら、全部解析して、解毒剤を作ってるらしい。あらゆる毒に対するスペシャリストぞろいだってよ」
「ヘレナさん、毒の魔女って呼ばれてるらしいもんな。すごいなあ」
修太は感心を込めて言った。
医療部部長のヘレナは、ゆらゆらとした動きをしている変な人だが、素晴らしい仕事をしているようだ。
三人が風呂に入り終え、掃除を済ませると、修太達はようやく食事の支度にとりかかった。
「皆で支度して、早く食べましょ。私はパンを作るわ」
「俺はスープを担当しよう」
バロアに続いてグレイが言い、スレイトは冷蔵庫の魔具を覗く。
「肉料理をがっつり食いてえから、メインは俺が作るかね。バル、手伝えよ」
「はい」
昼間の生意気さはどこにいったのか、バルは返事をして、スレイトの隣に行く。
「おい、グレイの養子。なんだ、この肉」
「サラマンダーの肉だよ。王都の名物でおいしいんだぜ」
修太が説明すると、スレイトは合点がいったようだ。
「あれな! 焼くと美味いよなあ。小さめに切って、オーブンで焼くか。バルはハーブを用意な」
「分かった。えーと」
バルが修太のほうを見たので、修太は調味料の位置を教える。
「ハーブ? 乾燥ならそこの棚で、生なら外に生えてるよ」
「ラージラはあるか? オーブン料理だから、乾燥したものがいい」
スレイトが希望を口にするので、修太は迷わず瓶を取る。
「はい、これな。油なら、その辺」
バルに渡して、ついでに棚の下を指さす。油の入った瓶を置いている。
ラージラは小さな葉がたくさんついたハーブで、肉のくさみ消しによく使う。肌荒れにもよく効くので、薬草としても使っている。ハンドクリームの材料となるのだ。
「ラージラの塩シャナ、使う?」
「何それ」
「塩とシャナとラージラを混ぜて香りと味をつけたやつ。食べる時に付けると、美味いんだ」
ハーブを使ったレシピ本で見かけた調味料だ。ハーブの香りをつけたレモン塩に近い。
セーセレティー精霊国は塩での味付けが多いので、ハーブソルトといい、塩に何かをくわえて違う風味にするのだ。
「食べてみれば分かるよ。食卓に置いておくな。それで、俺は何をすればいい?」
グレイのほうを向いて問うと、グレイは「何かあるか?」という目でバロアやスレイトを見た。
「特にない」
「座ってていいわよ」
「ああ」
三人が声をそろえるので、修太はショックを受けた。
「なんで! バルには頼むのに!」
「お前、なんでバルに張り合うんだ?」
「俺も手伝いを頼まれたい!」
グレイにそう主張するが、グレイはわずかに首を傾げるだけだった。
「今日は久しぶりにマエサ=マナの料理をしようと話していたんだ。できたら呼ぶから、部屋にいていいぞ」
「そんな!」
彼らの郷土料理など知らないのだから、たしかに修太には手伝えない。
「ダンジョンに行って、疲れてるんじゃないか?」
下ごしらえでもいいのにとねばってみたが、黒狼族達はすぱっと返す。
「まさか」
「あの程度で? ありえないわ」
「馬鹿にすんなよ、坊主」
この質問はまずかったようだ。今度ははっきりと、大人達から追い払う仕草をされた。
「すみませんでした」
修太は謝って、すごすごと台所を出る。去り際、バルにあっかんべーをされて、ムッとした。
ナンみたいな平べったいパン、サラマンダーといろどり野菜、モルゴン芋のハーブ焼き、豆と干し肉入りのピリ辛スープ。
食事ができたとグレイに呼ばれて二階から下りてきた修太は、おいしそうな光景に目を輝かせた。
長テーブルが端に寄せられ、旅の間に使っていた敷物の上に、大皿と鍋が置かれている。食器がそれぞれの席に置かれていて、クッションが転がっていた。
水差しや酒瓶、カップだけ、傍の低い卓に置かれている。
「なになに、室内ピクニック?」
「マエサ=マナじゃ、こうやって食事をするんだ」
「なんかアラビアンナイトって感じだなあ」
イスラム圏の文化を思わせる様子だ。
そういえば黒狼族は敷物の上に直接寝ると聞いている。食事風景も敷物の上なんだろう。
「好きなものを好きなだけ取って食べる」
「へー!」
すでに彼らは小皿に取り分けていた。
修太はいそいそと皿によそい、グレイの右隣の席に落ち着いた。
あぐらをかいたり、片膝を立てて座ったりと、めいめい自由だ。
どうも落ち着かなくて、修太が正座をすると、向かいのバルにびっくりされた。
「なんでそんなにかしこまるんだ? くずして座れよ」
「いや、俺の故郷も床文化圏なんだけど、食事の時はこの姿勢が正しいんだ」
「そうなのか……? 説教される時くらいだぞ、そんな格好をするの」
バルがいたたまれなさそうにこちらを見るのは、そういう理由かららしい。
しかし、修太がピシッと背筋を伸ばして食事をするのを見て、それ以上は言わなかった。
「うまー! ちょうどいいピリ辛さで、豆と肉の味わいがうっまい!」
スープを食べて、修太は感動の声を上げた。
それから、皆の真似をして、細かく切られている肉と野菜のハーブ焼きをパンの上にのせ、包むようにして食べてみる。
「もちっとしてておいしいなあ、このパン。肉と野菜の味が濃いめで、うまーい!」
オイルをかけて、塩コショウを振り、ハーブを添えてオーブン焼きしたのだろう。シンプルながら、食べやすくておいしい。
少し辛い味付けが多いが、パンに薄く塩味がある程度なので、口の中が辛すぎなくてちょうどいい。
「そんなに喜んでくれるとうれしいわ~」
バロアはにかっと笑った。
「姉さんのパンは美味いんだ。シンプルな料理だから、腕の良さが分かりやすいんだよな」
「これを食べると、しかたねえなあってなるんだよな。昔から……」
グレイが珍しく料理を褒め、スレイトもあきらめ混じりに言う。
あんなに振り回されていても、食事で懐柔されてしまうらしい。バロアの飴とむち、天然だけに怖い。
(確かに、グレイが作るパンよりもちっとしてるよな。材料は同じなんだろうに、不思議だなあ)
修太は首を傾げながら、食事を進めていく。
「サラマンダー、美味いな。せっかく外出してるんだ。王都に行って、串焼きを食わねえとな」
「おいしいけど、なんなんだ、その動物」
「でかいトカゲだ。火を出す」
「火を出す、でかいトカゲ? 何を言ってるんだ」
「嘘じゃねえぞ!」
バルに冷たい目で見られ、スレイトが言い返す。
うさんくさいと思ってもしかたない説明だが、そうとしか表現できない。
「王都近くの森に住んでるんだ」
「やっぱり嘘だろ。火を出すんなら、森が燃えてなくならないとおかしい」
「敵意を向けた相手だけ燃やすんだよ。なんでかなんて聞くなよ。そういうトカゲなんだ」
バルの目は、疑わしいと言いたげなままだ。
「なあ、おかわりしていい?」
修太が挙手して問うと、皆の目がこちらを見た。
「あの量をもう食べたのか?」
「結構、お皿に盛ってたわよね」
スレイトとバロアはいぶかしげにしている。グレイが口を挟んだ。
「こいつは大食いだから、食べる分を確保しておかないと、全部食べられるぞ」
「え? 男が四人いるから、十人前くらい作ったのよ」
バロアの言う通り、平たいパンは大皿に山のように積まれている。グレイは最初からそれを見越して、大鍋でスープを用意していた。
「とりあえず、食べる分をよそっておこうぜ。坊主、残りは食べていいぞ」
スレイトにうながされて、彼らは自分の分を確保した。修太は遠慮なく、おかわりをする。
「うまー! 本当においしい。最高」
幸せいっぱいの顔で、ガツガツと料理を食べていく修太を、バロア達はあぜんと見ていた。
「え? 本気なの? どこにそんなに入ってるのよ!」
「胃だけど」
いつも訊かれるが、そこ以外のどこに入ると思っているんだろう。
残りをぺろりとたいらげると、修太はいそいそと立ち上がる。
「バロアさん、食後にデザート、食べる?」
「ええ!? あんた、まだ食べるの!?」
「デザートは別腹だよ」
修太が真顔で返すと、バロアの顔が驚愕に染まった。
「す、すごい。エズラ山のボスを鎮めた時より、感心しちゃうわ」
「なんでだよ」
どう考えても、功績はあっちのほうが上だろう。
その後、プリンを出したら、不思議そうに一口食べたバロアは固まった。尻尾の毛がぶわりと逆立つ。
口に合わなかったのかと修太が訊こうと思った瞬間、バロアは目元を手で覆った。
「おいしすぎて涙が出た」
「そんなに!?」
さすがは天下のプリン様である。
異世界人すら魅了するとは。さすがだ。
「この子、マエサ=マナに連れて帰ったほうがいいんじゃない?」
「おい。集落には入れないだろ」
グレイがツッコミを入れるが、バロアはぶつぶつと呟く。
「エズラ山のボスとも仲が良くて薬草の知識もある……。そして、おやつはおいしい」
「姉さん、八割が菓子だろ」
「年の差がありすぎるけど、私と結婚するのはどうかしら!? あだー!」
「いい加減にしろ」
グレイの手刀が、バロアの頭に振り下ろされた。バロアが頭を抱えてうなる。
「シューター、相手にしなくていいからな。面倒だから、菓子については教えてやれ」
「ああ、うん。レシピくらいあげるから、元気出して、バロアさん。プリンならおかわりがあるよ」
修太がプリンの器を見せると、バロアは即座に復活した。
「きゃー! ありがとう、甥っこー!」
修太がよける暇もなく、俊敏に近づいてきたバロアにぎゅむっと抱き着かれた。
豊満な胸に顔が埋まるが、何か思う前に息苦しさでもだえる。
グレイのチョップが再びバロアの頭に落ちた。
「やめろと言ってるだろ」
「いだーいっ。ちょっ、首、しまってるから!」
「うるせえ」
グレイは無視して、バロアの後ろ襟を引っつかんで修太から引き離す。
げほごほと咳き込む修太に、バルが言った。
「だから大丈夫だって言っただろ」
バロアがプリンを喜ぶかと訊いたことへの言葉だろう。
「ここまで喜ぶのは予想外だよ」
「大人の絞め技って怖いよな」
少しは加減を覚えるようにとグレイから叱られているバロアが、聞き捨てならないと叫ぶ。
「絞め技って何よ。ハグよ、ハグ!」
「姉さん、話はまだ終わってない」
「すみません! 悪かったと思うけど、そこまでぶち切れなくても」
「今だけじゃない。前からいつもそうだ。考えなしに見境なく行動して……」
たまっていたフラストレーションが爆発したようで、グレイがこんこんと小言を言い始めるのを、スレイトが苦笑して眺める。
「あーあ。グレイの説教タイムに突入しちまったよ。我慢が切れると、ああなるから。さんざん振り回されてたから、いい気味だぜ。――お、こいつは美味いな! カリアナにも食べさせてやりてえ」
おいしいものを食べて、真っ先に妻の名前が出てくるあたり、族長夫妻は円満みたいだ。
微笑ましさに、修太は自然と笑みを浮かべる。
「私も食べたいー!」
一方、待てをさせられているバロアの泣き言が響く。
説教モードのグレイには誰も逆らえないので、修太はプリンを冷蔵庫に戻しておいてあげるのだった。
第九話、終わり。
お遊び回でした。
それと、いただいていたリクを消化した形です。
修太たちの家に黒狼族が泊まりにきた時の話がみたい~というものと、他の黒狼族と修太の食事事情ですね。
次こそ、リックとの話です。




