3
「あれ、師匠。お戻りがずいぶん早いですね」
研究室に戻ると、トリトラが意外そうに言った。隅のほうで、落ち着いた青色の敷物を整えている。ちょうど一人分ほどの大きさだ。
「救助要請をしたパーティがいたのは、三十階だったんだ」
「三十階? そこまで高層ではないですね」
「ユニークモンスターに襲われて、油断してたから仲間が大怪我をして、安全部屋に逃げ込んだんだと。治療師も連れていったから、その場で治療して事なきを得た」
二人の会話に、修太は口を挟む。
「ユニークモンスターって?」
「徘徊しているボスモンスターのことだ。ダンジョンは謎が多いが、ボスモンスターはボス部屋にしかいないことが分かってる。だが、ユニークモンスターは別だ。出現条件は分からねえし、めったとないんだが通路をうろついてることがある。四季の塔が高レベルダンジョンなのは、そいつが出るのも原因だ」
グレイの説明だと、どうも他のダンジョンにはユニークモンスターは出ないようである。
「かなりやばい奴なのか?」
「ああ。その階に出るモンスターは似たような強さだが、ユニークモンスターは推奨討伐ランクが一つか二つ上になる。そのパーティは冷静に対応できたら倒せるくらいのレベルだったが、ふい打ちをくらって総崩れしたというわけだ。救助要請をしたのは賢い。引き際を心得ている戦士は長生きするからな」
彼らの慎重な対応は、グレイのお眼鏡にかなったようだ。珍しく対応を褒めている。
「なんかすごいんだなあ。でも、どうやってその人達がいる場所が分かったんだ?」
「対のアイテムは他にもある。救助要請のアイテムとセットで、冒険者ギルドが月額有料で貸出をしてるんだ。スライム玉っていう」
グレイがそう話したところで、トリトラがベルトポーチから取り出して見せてくれた。青色をしたゼリーみたいな玉が、小瓶の中に入っている。真ん中に赤い石が浮かんでいて、ぐにゃっとうごめいた。
「えっ、動いた! 生き物!?」
「そう。スライムっていう弱いモンスターらしいよ。鉄の森にいるんだって。真ん中にあるのが核だ。これごと真っ二つに切ると分裂するんだけど、二つに分かれても同じ生命体みたいでね、引きあう性質があるんだ」
トリトラが小瓶を回すと、中のスライムはさっきと同じ方向にうごめいて、端にびたっとくっついた。
「冒険者ギルドにもう片方が保管されてるから、あっちに戻ろうとしてるわけ」
「なるほど。つまり冒険者ギルドで保管してるほうを持って、ダンジョンに向かうと、片方の居場所を教えてくれるんだな」
「そういうこと」
なんだかモンスターがかわいそうだが、これで死なないなんて、かなり生命力が強いモンスターなんだろう。修太が小瓶をつつくと、スライムはビョンと伸びて、修太の指があるほうに向かってきた。ペタッと瓶に貼りつく。
「うわぁ、シューター、スライムにまで好かれて……。モンスターにモテモテだね?」
「かわいそうな奴みたいに言うな!」
修太はトリトラに噛みついた。言葉だけなら褒めているが、顔が憐れんでいる。腹の立つ奴である。
トリトラは小瓶を引き離し、ベルトポーチにしまう。
「それで、師匠。ユニークモンスターはどうしたんですか?」
「俺達で始末したぞ。また救助要請を出されては面倒だからな」
グレイはあっさりと答える。
「さすがは賊狩り殿ですねえ。ふー、やれやれ。あとは弱火で一鐘と半鐘煮れば終わりだ。ちょっと休憩しますか」
一鐘と半鐘は、約三時間のことだ。
「ウィルさん、それで終わりですか?」
「もしそうなら、明日は休んでるよ」
ふっと自嘲を込めて笑い、ウィルは伸びをする。どうやら他にも調合する薬があるらしい。
「今日はこれで終わりにして、残りは明日ですね。これが終わらないと眠れませんけど」
溜息をつきながら、ウィルはお茶を淹れる。こんなお疲れ気味なウィルに、ブランドンのことを話すのは気が引けると尻込みしてしまう修太だが、そういう遠慮は一切しないグレイが切り出した。
話を聞き終えると、ウィルはしかめ面をした。
「ああ、とうとうブランドンに声をかけられたのか。断ったのは偉いよ。とにかく、書類にはサインしないようにね。彼に呼び出されたら、すぐに僕や助手に声をかけて。執務室に一人で入ったら、絶対に駄目だよ?」
前から口をすっぱくして注意されていたが、それにしては念入りだ。
「どういうことだ」
グレイの問いに、ウィルは苦笑を浮かべる。
「僕も噂でしか知らないんだけどね。専属採取師になるのを断った薬草採りは前にもいたんだよ。でも、ブランドンに呼び出されてから、数日、行方知れずになって。戻ってくると、すっかりブランドンの言いなりになっていたそうなんだ」
「ヤバイじゃん。犯罪のにおいしかしないよ」
トリトラがずばり指摘したが、ウィルは首を傾げる。
「僕もそう思ったから、ひそかに調べてる。でも僕らって、ギルマス派に警戒されてるから近づけなくてさ。何がどうなってるのか、全然分からないんだ。それでその専属採取師のほうに声をかけてみたんだけど、おびえた顔をして何も話さない。近所の人にも家族にも、口を閉ざしてるみたいなんだよ」
さすがは善良の代表みたいなウィルだけあって、悪事は見逃せないらしい。頼りなさそうな雰囲気に反して、かなり行動派だ。
「ブランドンのせいで生活が苦しくなってボロボロにされて捨てられても、何も言わないんだ。恨みがあるなら、口が軽いかと思ったんだけどな」
グレイは首を振る。
「それはどう考えても脅迫だ。もしや、ここのギルマスは裏を仕切ってるのか?」
「まさか! 薬師ギルド関係者は、犯罪者にかかわるのは禁じられてるよ。えーと、デナドーラっていう麻薬を知ってる?」
ウィルの問いに、修太達は頷く。グレイが固い声で答える。
「ああ。レステファルテでは持ってるだけで死刑だ。依存性も中毒性も高くて、一度でも使うと、人生が破滅するってので有名だな」
「そう、それだよ。今は使われてないけど、昔、あれをかなり薄めて痛み止めにしてたんだ。その頃、薬師ギルドのマスターが裏で悪い奴らと取引して、デナドーラを横流しして、セーセレティー国内で社会問題になってね。当時の統治者に粛清されたから今は問題ないけど、あれ以来、薬師は犯罪者とかかわってはいけないと定められてるんだ。これはギルド法じゃなくて、国の法律だ」
ちなみにとウィルは付け足す。
「犯罪をして追放されたのに、薬師業をしているのが違法薬師だよ」
「監視の目がきついって意味か?」
グレイの質問に、ウィルは頷く。
「国の官吏に巡察使っていうのがいて、民にまぎれて見回ってるからね。運良く目を逃れても、見つかるのは時間の問題だ。ブランドンは三年前に紫ランクになって、ギルドマスターにも着任したんだけど、三年も見つからないとは思えない」
「巡察使が抱き込まれている可能性は?」
「一年単位で変わるらしいのに? あの役職は何人いるかは知らないけど、仕事のミスでの罰で、名誉挽回のチャンスとして命じられることもあるそうなんだ」
「なるほどな。そういう奴なら、悪事に誘われたら、むしろ喜んで証拠を集めて、衛兵に突き出すってことか」
グレイは愉快そうに、薄く笑った。修太も興味深く思って、何度も頷いている。
「そんなお役所の人がいるんだ。面白いなあ。歴史ドラマみたいだ」
「歴史……何?」
「あ、なんでもないです。独り言」
ウィルに問い返されて、修太は手を振った。
「だからね、もし何かひどい真似をしてるなら、ブランドン本人か、彼の周りの人物だと思うんだ。近づけないからどうしようもなくて、しかたないから、薬草採りには気を付けるように注意しているんだよ」
「だから俺にも気を付けろって言ってたんですか」
「そうだよ。僕が君を弟子にできて良かったよ。ただの物知らずなら、彼は相手にはしないんだけど、君の後見人がグレイさんだと分かったら、たぶん引き込まれてた。薬草の知識で話題になった時も、君は面倒がって逃げてただろ? あのタイミングで薬師ギルドに来ていたら、ブランドンに呼び出されただろうね」
ウィルは頭が痛そうに、額に手を押し当てる。
「彼はなあ、薬師の腕は良いから、そこは尊敬してるんだけど。どうも人間性が……うーん、なんて言えばいいか」
「クズ?」
「ツカーラ君、なかなか言うね……」
ごくりと息を飲んで、ウィルは恐ろしげに修太を見た。トリトラも感心を混ぜて言う。
「君、言う時は言うよね」
「会ったことない人なら、会ってから考えるって言うけど。実際、嫌な奴だったし」
「権力を持たせるとまずいタイプだな。初っ端から見下してきたが、あいつは貴族か?」
グレイの質問に、ウィルは首を振る。
「平民ですが、薬師として学会をリードしてきた家の出なんです。親族には王宮で働く薬師もいるので、自尊心が山のように高いというわけ。僕の一族とは昔から敵対してましたが、僕はそういうしがらみはどうでもいいんですけど、ブランドンのことは好きになれないんですよねえ」
言葉を選んでいるのが、グレイにはよく分からないらしい。ずばり問う。
「まどろっこしいな。嫌いってことか?」
「そうやって白黒つけたがるのは、良くないですよ。好きになれないだけで、嫌いというわけではありません。正直、僕の仕事を邪魔しなければ、他人がどうしようと興味ないんですが……。彼や彼の周囲には迷惑をかけられてるので、面倒です」
「なんでそんな奴がギルドマスターになれるんだ? あれは誰でもできる立場じゃねえ。周りに信用されていて、仕事ができなきゃすぐに干される」
「彼自身は仕事ができるし、領主や他の顔役には良い顔をしてるんで、軋轢はないですね」
二人のやりとりを聞いていて、修太はひらめいた。
「内弁慶タイプってことか!」
「何それ?」
トリトラが問う。
「俺の故郷の言葉で、家では威張り散らしてるけど、外ではいくじなしで良い顔してる人のこと」
「おお、まさにそれだ。ウチベンケイだよ。うん」
ウィルがパチンと指を鳴らす。
「薬師ギルドの長は、紫ランクでないとなれませんしね」
「ウィルさんはどうしてならないんですか?」
修太が質問すると、ウィルは目を丸くして、照れ交じりに苦笑する。
「はは、ありがとう。紫ランクへの昇格試験は、材料から自分で集めるんだけどね。高価なものや貴重な薬草ばかりなんだよ。試験を受ければ合格する自信はあるけど、薬草を集めきらないんだ」
「伝手を頼って薬草を集めるところからが試験ってことですか? つまり、人付き合いの能力が必要ってこと?」
「そういうこと。薬師ギルドの顔役には、そういうのが必要なんだよ」
「そんなの簡単じゃないですか。ウィルさんの弟子を集めて、皆に頼めば一発で解決ですよ」
「いや、でもね、そういうつもりで弟子にしたんじゃないしね」
「ウィルさん、ファンクラブみたいなのもあるんだから、大丈夫ですって!」
「え!? 何それ、僕にそんなのがあるの? 初めて聞いた!」
ばらしてはまずかったんだろうか。修太はひそかに焦るが、強行突破で言いつのる。
「一回、試してくださいよ。ウィルさんがトップのほうが絶対に平和ですって! 材料の薬草リストを作ってくれたら、俺が持ってるかもしれないし」
「いや、あれは希少種だし……って、ツカーラ君なら持ってそうだから怖いな」
気が進まないのか、ウィルは苦笑して頬をかくばかりだ。こういうところは、ちょっと頼りない。
「助手の二人に話しておくんで! がんばりましょう!」
「いや、僕は今のままでも……」
「ウィルさん、紫ランクに昇格して、ヘレナさんに良いとこ見せましょ!」
「えっ、なんでそれを知って……っ」
「仕事ができる男は格好いいですよ。見直してくれますって」
「そうかなあ? ヘレナが……そうかなあ」
「ね!!」
ウィルがぐらつき始めたので、修太はたたみかけた。
「わ、分かったよ。じゃあ、材料がそろったらね?」
「約束ですよ。俺、全力で応援します!」
「うん、あの、ほどほどでね?」
苦笑して付け足すウィルだが、修太は燃えている。周りも喜んで手伝うに違いない。
「倅が世話になっているからな。ダンジョンにあるようなものなら、言うといい。俺が取ってきてやる」
「僕も手伝ってあげるよ。シューターがここまで言うなんて、なんだか面白そうだ」
グレイとトリトラまでそう言ったので、ウィルは顔を引きつらせた。
「わ、わぁ、外堀が埋められていく……。この子、怖いな」
「話も済んだことだ。シューター、帰るぞ。これ以上の夜更かしは体に毒だ。論文の続きを読みたいなら、早起きしろ」
「ええっ、俺、徹夜するつもりで……」
雑談していて時間をふいにしてしまったと修太が慌て始めたが、グレイはきっぱり否定した。
「駄目だ」
これは反論しても無駄だ。修太は渋々頷いた。
「……はい、分かりました」
「トリトラ、次があったら、泊まらせずに夜中で切り上げさせて連れて帰ってこい。あんなにおいのする奴のいる場所に置いておくと、ろくなことにならんぞ」
グレイに声をかけられ、トリトラは興味を示す。
「そんなに嫌なにおいでした?」
「レステファルテの馬鹿王子と似たようなにおいだ」
「ああ、あいつはくさかったな。分かりました」
トリトラがすんなり受け入れたので、修太は挙手する。
「つまり、害のあるにおいってこと?」
「そうだ」
それじゃあ、グレイがピリピリするのもしかたがない。修太は荷物を片付け始める。
「帰るんだね、分かったよ。ところでグレイさん」
ウィルがグレイに向け、愛想笑いを浮かべる。
「臨床試験に興味ありませんか?」
「だから、ウィルさん。無理ですってば!」
まだ諦めていなかったのか。
修太は言い返すまでもなく、グレイは即答で拒否した。
「断る。薬の実験がしたいなら、スラムの連中にでも頼めばどうだ」
「僕が欲しいデータは黒狼族なんですよ。あなた達には、薬が効きすぎることがあるでしょう? 危険な状態でそんなことになったら、こっちの医療ミスになりますし」
「そういうことなら、レステファルテの王都で薬師をしている仲間がいるから、そいつに相談すりゃあいい。黒狼族だ」
「えっ、黒狼族の薬師! ぜひともお会いしたいです! 連絡先! 連絡先ください!」
ウィルの素早い動きに、グレイの眉が寄った。もしかして少し驚いたんだろうか。
「寄るな、うっとうしい」
グレイはウィルの額を手で押して、自分から遠ざけた。
飛びかからんばかりの勢いだったウィルは、「ぬおおお」と言いながら後ろに下がる。
「俺、あれ見たことあるぞ。抱っこされて嫌がる猫」
「ぶふっ」
ぼそりと呟いた修太の言葉に、トリトラが噴き出した。




