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――数日前。
放課後に薬師ギルドに顔を出した修太は、中に入ったとたん、待ち構えていた人々に取り囲まれた。
「ねえ、あの防犯グッズ、私に売ってくださらない?」
「モンスターの警戒音を鳴らすアイテム、おいくらですか?」
「こういう商家の者でして、ぜひ、ご検討を」
いっせいに話しかけられて目を白黒させた修太だが、我に返ると謝る。
「あれは友人の試作品なので売れません、すみません。えっと、商人さん? これ、そいつの名刺なんであげます。アリッジャの商人ギルドに問い合わせしてください」
イミルの事件以降、噂を聞きつけた女性や商人に押しかけられ、修太はてんてこまいで対応していた。女性達には謝り、商人には啓介の連絡先を教えた。
もちろん、すでにピイチル君――電話もどきの魔具――で啓介にも連絡してある。啓介は自分のことみたいにイミルの元師匠に怒っていたが、アイテムが役に立ったのはうれしそうだった。
タイミングがいいことに、危険性の試験も済んだので、本格的に販売を始める予定だったらしい。噂が広まっているのを商機と見て、サランジュリエの商人ギルドに多めに回すつもりだと言っていた。なんでも、商人ギルドで契約すれば、違う都市でも委託販売できるようである。
最近、めっきり商人らしくなってきた啓介の様子に、何をやらせても天才肌だなと修太は感心しきりだ。
「はー、やっと対応が終わった……」
ウィルの研究室に入るなり、あいているテーブルに座り、修太はぐったりと天板に伏せる。今日はウィルの第二助手、エスター・リッツレインしかいないようだ。
「おつかれさまですわ。適当にかわして逃げればいいのに、真面目に対応なさるんだから……。ところで、入荷したら教えてくださいね!」
エスターがお茶を淹れてくれた。どう見ても下心まんさいの親切だが、修太はありがたく受け取った。
「この都市の商人ギルドで委託販売する予定だと言ってたので、時期が分かったら教えます」
「もう手紙が来ましたの? 早いですわね」
「えっ。あ、はい。そうなんですよ、ははは~」
ピイチル君なんていう、簡単に連絡をとれる魔具はまだエレイスガイアにはない。危険だから口外しない約束をしていたのに、疲れでうっかり口をすべらせてしまった。修太は下手な誤魔化し笑いで、場をにごす。
しばらく休憩して体力を回復してから、エスターの指導のもと、今日の雑用をこなす。今日は薬草をフライパンで煎る作業だ。窓際にあるキッチンストーブか、外の共同利用のかまど、それ以外はオイルランプで熱することもある。
薬草ブレンドティー作りで慣れているので、少し教えてもらえば、修太はすぐにコツをつかんだ。香ばしいにおいが研究室に立ち込める。
「エスターさん、ウィルさんは診療所を持ってるわけではないのに、こんなに薬草を用意して、無駄にならないんですか?」
「ちゃんと考えて用意していますし、いつ大量に必要になるか分かりませんから、余裕を持って保管しているんですよ。ギルド勤めの薬師は、ギルドでは幹部扱いで、研究をしながら、ギルドの業務をしているんです。ギルマス派のミスをしょっちゅうカバーしているので、ウィルさんも私達も忙しいんですわ」
エスターは迷惑だと言いたげに、綺麗な顔をしかめた。
薬師ギルドに勤める薬師は、研究室と倉庫、畑を与えられる。事務や経理、清掃をする職員には薬師資格がない者がいるが、研究室持ちのほうがギルド幹部とされている。
なんといっても、薬草学と薬の調合に秀でていないといけない。職員になれる薬師は青ランク以上だ。
薬の検品を担当している部署もあるが、それ以外は、エスターの言った通りだ。システムは冒険者ギルドと同じで、掲示板に依頼を貼りだして、それを引き受けた薬師が薬を作って納品し、報酬を得る。
だが、調合が難しいものや急ぎのもの、期限が迫っても誰も引き受けない依頼なんかがあると、幹部が調合することになっている。それがギルドでの業務だ。
「そんなしょっちゅうミスするような人を、どうして辞めさせないんです?」
煎り終えた薬草を平たいざるへ移しながら、修太は首をめぐらせてエスターを振り返る。
「ギルマスの配下なの。マスターは藍ランク以上の薬以外は、配下に全て任せているのよ。中には能力ではなくて、伝手のために配下にしている人もいて……」
「それがそういう人ってこと?」
「そう。できないなら最初からこちらに回してくれればいいのに。そしたら余裕を持って対応できるのよ。迷惑ったらないわ。でも、依頼主が困るからってウィルさんは引き受けてしまうのよね。できないって断ったら、ギルドの信用問題にもなるし……」
エスターは溜息をついて、修太がざるにあけた薬草をうちわであおいで冷ます。そして新しいざるを置いて、修太に次の薬草を煎るように指で示した。
「ギルマスが辞めさせないのは、他にも理由があるわ。派閥の人間が減るからよ。自分の味方が多いほうが、会議の時に何かと有利なんですって」
「ああ、ウィルさんの派閥が大きいから?」
「そういうことですわ。ウィルさんに野心はなくても、ギルドマスターからは敵視されているんです。わたくしとしては、一度、尻拭いを断って、その方に責任をとっていただくほうが良いと思うんですけどねえ」
不満がたまっているのか、エスターは愚痴をこぼす。それでも作業の手を止めないのはさすがだ。
「はい、これで終わり。あとはいいですから、論文を読んでくださいな。学会が近いので、そちらの幹事に書類を送らないといけないんですの」
「分かりました。学会って王都に行くんですか?」
「今回はこの都市ですわ。学術都市の名は、伊達ではありませんのよ」
サランジュリエは気まぐれ都市といわれている一方で、ダンジョンについての学問と研究をする都市としても有名だ。
「聖堂のほうの薬師が幹事なんですのよ。良かったわ。ギルマス派が担当すると、こちらの参加枠が減らされますからね」
「うわぁ、意地悪……」
「あなた、ウィルさんに拾われてラッキーですわよ」
修太はこくこくと頷く。そして、鍵付きの書棚から論文を取り出して、テーブルについて読み始めた。
家に持ち帰って読みたいのだが、未発表の原稿なので、研究室から出さないように言われている。内容についても口外しないように注意されていた。
専門用語が多いので、修太が読む速度は自然と遅くなる。辞書を片手に読まないといけない。いっそ泊り込んで読むべきかと迷っている。
「ただいま……。ああ、もう最悪。またソド君がやらかした! 今日はここに缶詰になりそう!」
書類を抱えて戻ってきたウィルが、扉を開くなり大きな声で嘆いた。
「明日は休みのはずだったのに。くそー、休日手当のせいで、貯金が増えていく! うれしくない! 僕は森に出かけて薬草を愛でたかった!」
明日は紫の曜日だ。週に一日は休みをとるようで、よほどの急ぎでもない限り、ウィルは仕事に出てこない。
「休みの日にも、薬草採取ですか?」
論文から顔を上げ、修太は呆れを込めてウィルに声をかける。
「あとは観察と調査? それに家の手入れもしたいんだよ。僕の家の庭が荒れ始めてさ。薬師だっていうのに、自分の庭はめちゃくちゃなんて悲しいよ……。もう、ほとんどここが家だ。せめて部屋の掃除をしたいなあ」
「洗濯ってどうしてるんですか?」
「そこの洗濯屋に頼んでるよ。すっかりお得意さんだ、ははは」
乾いた笑いをこぼして、ウィルは影を背負って自分の席につく。
「ウィルさんが今日はここにいるなら、俺も泊り込んで、これを読んでもいいですか?」
「構わないけど、君は体が弱いんだから無理しちゃ駄目だよ。それとお父さんに許可とってきて。僕が怒られるから」
「はい。それならちょっと冒険者ギルドに行ってきます」
修太はいったん論文を書棚に戻して、薬師ギルドを出る。それに、ギルド前で待っているコウを家に帰さないといけない。
冒険者ギルドに入ると、すぐにリックに呼び止められた。
「シューター、賊狩りの兄さんなら、緊急要請があって、他の冒険者とダンジョンに出かけてるぞ。先に帰るようにとの言づけだ」
「緊急要請?」
「高層のほうに取り残されている冒険者の救助だって。たぶん安全部屋にいるはずだ」
「安全部屋っていうのがあるの?」
「ああ。たまにあるんだよ、アイテムの入った宝箱しかない部屋でな。モンスターが出ないんだ。扉を閉めて立てこもれば、外から襲われる心配もないんで、休憩場所になってる」
四季の塔に挑む冒険者は、いざという時の救助要請のため、対のアイテムを持っている。片方を壊すと冒険者ギルドのもう片方が壊れ、音を発して、危険を知らせるのだ。
救助要請をすると高い金が必要になるが、死ぬよりはマシなのでたびたびあるんだそうだ。治療師や薬師を含んだ五人一組で助けに行き、連れ帰るのが仕事だ。このダンジョンでは一階に一つある転移ポートまでたどり着けば帰還は簡単だが、そこへたどり着くまでが大変なんだそうだ。
「階層によっては、安全部屋で一つの町になってる。宿や商店を営んでいる冒険者もいるよ」
「それって一層分くらいある広い部屋って意味?」
「そうそう。二層まるごと安全部屋でさ、落とし穴が上の階の安全部屋につながってるんで、どっちも使ってるんだよな。商魂たくましいよなあ。俺はダンジョンに住むのはごめんだぜ。何が起きるか分かりゃしねえ」
だいたい五十階くらいに、安全部屋の町、ダンジョン・シティーがあるそうだ。話を聞くだけでわくわくする。
「俺が冒険者なら、その町を見てみたいよ」
「四季の塔は高ランクダンジョンだから、五十階に行くのも骨だよ。たまにダンジョン研究者が連れていけって依頼を出すんだが、うちはダンジョン内での護衛専門パーティしかおすすめしないな。それがまた高額なんだ」
修太みたいに体調不良になりやすい者は、彼らも引き受けないだろうとリックは言った。
「そんな人達がいるんだ……」
「ああ。そんなに見てみたいなら、親父さんに連れていってもらえよ。お前の場合、三階までしか、こっちは許可しないけどな」
「うーん。今度、駄目元で言ってみる。あ、そうだ。ダンジョンでドロップする食べ物の一覧ってない? おいしそうなら、依頼したい」
前にグレイに頼んで失敗したので、次は依頼という形で手に入れようと思っていたのだ。
「おう、それはありがたいな」
リックはカウンターの裏にしゃがみこんで、分厚い辞典を取り出した。タイトルは「四季の塔攻略情報 vol.1201 監修:冒険者ギルド」と書かれている。カウンターテーブルに広げると、どすっと音がした。
「その本、1201冊も出てるの?」
「ああ。五百年前にモンスター大量発生事件が起きてから、冒険者ギルドができただろ? その頃から出版されてる、歴史ある本だよ。情報が更新されるたびに、ギルド月報で報告して、それがある程度たまったら、修正したものが発刊されるわけ。最初のほうは一年に三回くらい出版することもあって、今じゃ、この量だよ。それでも、まだ攻略されてないんだぜ、このダンジョン」
以前のものは、冒険者ギルドの書庫で、大事に保管されているそうだ。たまにダンジョン研究家が閲覧に来るらしい。
「えーと、あった。階層ごとのモンスターと宝箱の情報一覧だな。モンスターの強さによって、挑戦推奨ランクがあってさ。ランクが一つ違うだけで、強さがけた違いなんだ。推奨ランクとレア度に応じて、依頼料金が変わるぞ」
ドロップ品の一覧を覗き込んで、修太は気になったものについて問う。
「へえ。蜂蜜をドロップするの? 瓶で?」
「壺だったかな」
一覧を見ていると、面白い。食用油や香油、蜂蜜、お菓子や惣菜、パンなど。ちゃんと容器に入ってドロップするらしく、容器を素材とみなして買い取り価格が設定されていることもあるらしい。
「今回は、この赤ランクの辺り、草団子を除いて依頼しようかな。五個ずつで、窓口での買い取り金額に少し色をつけたくらいにしてもらえるか?」
「それは助かるよ。初心者向けの依頼ってあんまり充実してなくてなあ。そもそもこのダンジョンは初心者向けじゃないんで、余所のダンジョンに移るようにすすめるくらいだ。それでも小遣い稼ぎにとか、余所に引っ越す金がないとか、冒険者にもいろんな事情があるからな」
「懐かしい菓子が多くて、つい、な」
なぜか和菓子が多いのだ。
あられ、おかき、芋けんぴ、粟おこし、柏もちというラインナップである。
「なあ、この子羊肉のシチューって、どうやってドロップすんの?」
「それは鍋ごとだよ。途中で食料を得たい冒険者に人気だな。美味くて温まるし、鍋は素材になる」
「なんだよそれ、面白すぎる」
修太は想像して、そのシュールさに笑ってしまう。モンスターを倒したら、床に落ちている鍋。中にはあつあつのシチューが入っている。
「強豪のパーティだと、わざわざアイテム回収係をもうけてるんだぜ。せっかく倒しても、戦闘が続くとモンスターに踏まれることもあるからな。それに、アイテムにつまづいて転ぶこともあって、結構、責任重大なんだ」
「へ~」
あいまいに頷いた修太だが、現場では大真面目なんだろう。確かに物が散乱している場所では戦いにくい。
修太は依頼表にサインして、報酬と手数料を払うと、引換証を受け取った。旅人の指輪に仕舞い込む。
「リック、父さんが戻ったら、俺は用があって薬師ギルドに泊まるって伝言してくれるか」
「分かった」
伝言代に五十エナを支払い、さて冒険者ギルドを出ようかとカウンターを離れると、トリトラが顔を出した。
「あ、シューターだ。やっほー。夕食、いつもの店に食べに行かない?」
今日は、トリトラはダンジョンに行くと言っていた。機嫌が良いので、それなりの結果を得たのだろう。
修太はグレイが緊急要請で留守にしていることと、修太が薬師ギルドに泊り込むことを伝えた。
「それでも、食事はとるだろ?」
「ああ。そうだ、ウィルさんの分を持ち帰りで頼もうかな」
それからまた薬師ギルドに戻り、ウィルに食事を持ち帰る予定だと告げると、めちゃくちゃ喜ばれた。助手はもう帰宅したそうで、作業から手が離せないらしい。
酒場で夕食をとった後、いったん帰宅して着替えや飲食物、家具などを旅人の指輪に放り込み、ウィルの研究室に戻る。
トリトラが素早く風呂に入って着替え、修太についてきた。コウは家で留守番だ。
「薬師はくさいから苦手だけど、夜に君を一人にしておくと、師匠に叱られるからね」
トリトラも一緒に泊り込むつもりのようだ。
「ダンジョンに行ってたから、疲れてるだろ? ウィルさんがいるから大丈夫だよ」
「ん? 特に疲れてないよ。僕らは一週間くらいなら、寝ずに動けるし」
「そうだったな……」
黒狼族の頑丈ぶりを思い出して、修太は首をゆるく振る。
ウィルの研究室に戻ると、ウィルに夕食を差し入れてから、許可をもらって隅に家具を出す。
「仮眠室があるよって教えようと思ったけど、いらないみたいだね」
あぶり肉を片手に、ウィルが面白そうに言った。
「大丈夫です。野宿用のテントがあるので、眠い時はそれで寝ますよ」
「僕は床でいいよ。薬師ギルドの売店ってまだあいてるかな? お茶を買ってこよう」
「トリトラ、茶を飲みたいなら、ブレンドティーを持ってきたから、淹れてやるよ。果物もあるけど、食べるか?」
「食べる食べる」
そんな会話をしながら、あっという間に、研究室の隅がキャンプ地に変わった。
「旅してただけあって、たくましいねえ、君」
興味深そうにつぶやいてから、ふと思い出した様子でウィルがトリトラに問う。
「ところで、そこの黒狼族の君、臨床試験には興味ない?」
「ウィルさんっ、無理だって言ったでしょ!」
修太は慌てて口を挟む。話を聞いたトリトラは即答で断っていた。
「そんな怪しげな試験に参加するわけないだろ」
がっかりと溜息をついているウィルだが、諦めきれないのか、それからたびたびトリトラを見ていた。
冒険者ギルドと同じで、薬師ギルドも二十四時間営業のようだ。
急患があれば医院から薬の調合を依頼されることもあるらしく、夜番の職員が交代で待機している。
夜中も運営しているのは受付と夜番だけなので、明かりが少なく静けさに満ちている。
とっぷりと日が落ち、そろそろ深夜に差しかかる頃、修太はギルド内のトイレに行って、戻ってくるところだった。
衛生にうるさい薬師ギルドなので、トイレは薬草園や研究室から最も遠い、受付側の建物の中にある。用を終えて受付前に戻ってくると、鋭い声で呼び止められた。
「おい、お前。どうして子どもがこんな時間にギルド内をうろついている?」
怪しむ声にぎくっとして、修太は足を止めて振り返った。
「用があって、ウィルさんの研究室に泊り込んでいるんです」
「ウィルの弟子か」
不愉快そうにつぶやく男は威圧感があった。
険しい表情もだが、背が高いのに太っているので、存在感がすごい。セーセレティー精霊国ならば美形とされている容姿である。
「もしやお前の名は、シューター・ツカーラではないか?」
「そうですけど、そちらはどちら様ですか?」
「ギルドマスターだ。顔くらい覚えておけ」
声が低くなり、修太の言葉に気分を害したのがありありと伝わってきた。
(いや、普段、マスターの部屋から出てこないのに、どうやって顔を覚えろと?)
理不尽だが、旅をしていれば、こういったことはたまにある。特に貴族は平然と理不尽をしてくるので要注意だ。
それに、ウィルが注意するようにしていた人物でもある。ブランドン・ガーランド。銀色の髪は短く整えられ、鋭い目は藍色をしている。さすがはマスターをするだけあり、大物の持つオーラがある。
「すみませんでした。失礼します」
触らぬ神に祟り無し。修太は会釈すると、ブランドンの横を通り抜け……
「待て」
……ようとしたが無理だった。
「はい?」
修太のこの返事もお気に召さなかったようだ。ブランドンが目を細める。それがまた、猛禽類が獲物を見据えたみたいな目だったので、修太は身構えた。
「お前の功績は、報告書で読ませてもらった。素晴らしい才能だな」
「それはどうも、ありがとうございます」
嫌な予感がしたものの、よそ行きの態度で取り繕う。
「私の専属採取師にしてやろう。どうだ?」
「お断りします」
即答して、修太はぺこっと頭を下げた。そしてそのまま立ち去ろうとすると、回り込まれた。巨体のわりに素早いので、修太は驚いて肩をビクッとさせる。ブランドンはこめかみに青筋を立てているものの、落ち着いた声で付け足す。
「見習いの分際で、私を馬鹿にしているのか? 私が取り立ててやると言っているんだ。光栄に思うべきだろう。薬師ギルドから追い出されたいか?」
「そうですか。薬師の仕事に興味があったので残念ですが、それならしかたないですね。俺は別に構いませんが、どういう理由で追放するんですか? ギルド法で教えてくれませんか」
修太はちらっと受付のほうを見る。目が合った受付の男は知らないふりをして、手元の書類を凝視し始めた。なるほど、面倒事に関わりたくないのは、彼も同じようだ。ギルド法の書かれた本を貸して欲しかったのだが、協力してくれそうにない。
「ギルド法? 私はギルドマスターだ。私がルールだ。そんな単純な道理も分からないのか、小童が」
格下に言い返されて腹が立ったのだろうか。随分と横暴なことを言い始めるので、修太がどうやってブランドンの追及をかわそうかと考えていると、突然、ブランドンの顔が引きつった。
「薬師ギルドのマスターってのは、暗愚なのか。ギルドマスターがギルド法をおかしていいだなんて、初めて聞いたな」
ひんやりした声が後ろから聞こえ、修太はまたもや驚いた。誰もいないと思っていたのに、いきなり声が聞こえれば誰でも飛び上がると思う。
「父さんか、びっくりした! 足音と気配を消して後ろに立たないでくれって、いつも言ってるのに!」
「俺はこれが普通だ。お前が気配を読めるようになればいい」
「無茶苦茶な!」
グレイに抗議したが、とんでもない返事にうなだれるだけだった。そして、ブランドンの怒りは、そのままグレイに移った。
「なんだ、貴様は。暗愚だと? 私を馬鹿にしおって、この都市で生きていけないようにしてやろうか」
「面白い。やってみろよ。現行犯でしょっぴいてやる」
グレイがギルドカードを押し付けるようにして見せたので、ブランドンが息を飲んだ。
「紫ランク……。冒険者か」
ブランドンが顔色を変えるのも当然だ。大臣クラスまでという制限はあるが、紫ランクの冒険者は警察権を持つので、大物でも現行犯逮捕できる。それをすると政治的にまずいことになるので、実行する者はあまりいないみたいだが、グレイはしがらみなど気にしないから、宣言通りにするだろう。
「立場に物を言わせて、見習いに過ぎない倅を恫喝するのか? 弱い相手には何を言ってもいいと思ってるんなら、おかしな話だ。それに加え、ネズミの後ろにいるのが竜かもしれねえとは、想像もしねえんだな」
……あ、はい。確かにそれくらいの差はありますよねえ。
グレイの言うことに、修太は遠くを見る目をした。例えがその通りすぎて、腹も立たない。
「ど、恫喝とは……。私はただ、礼儀知らずの若者を叱責していただけで」
「薬師ギルドを追い出すとか、この都市で生きていけないようにするとか、完全な恐喝だ。ほんの少し前のことをもう忘れたのか? 薬師ギルドのトップのくせに、ずいぶんもうろくしてるんだな」
容赦がない皮肉に、ブランドンは怒りで顔を赤くしたが、しおらしい態度を崩さなかった。
「はは、いやあ、少し酒を飲んで酔ったらしい。酔っぱらいの戯言だと聞き逃してくれたまえ。ツカーラ君、君には期待しているよ」
わざとらしい猫なで声で言って、ブランドンはそそくさと離れていった。
グレイは不愉快そうににらんでいたが、それ以上は追わない。ブランドンが二階への階段を上り、真っ暗な廊下へと姿を消すと、修太は肩の力を抜いた。
「珍しいな、父さんがあの程度で逃がすなんて」
「お前はここで暮らしていきたいんだろうが。あまり溝を深くすると、定住しづらくなる。俺達がただの旅人なら、遠慮なくつぶすんだがな」
あれで遠慮していたのか。修太は別方向で驚いたけれど、グレイなりに気を遣ってくれているらしい。
「そうなんだ。ありがとう」
「構わねえが、お前、今度はどんなトラブルに首を突っ込んでるんだ?」
「知らないよ。トイレ帰りに声をかけられただけだからな!」
修太は弁解したが、グレイは疑わしそうにこちらを見てくる。チクチクとした視線に首をすくめながら、修太は研究室に戻った。




