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修太は、トリトラとコウとともに家に帰ってきた。
コウは家に入る気がないようで、家を回り込んで庭のほうへ行ってしまう。トリトラはちらりとコウの後ろ姿を眺め、修太に問う。
「あの犬、あの辺りを通って怪我しないの?」
「え? 雑草は俺や庭師で始末してるから、怪我をするようなものはないけどな」
「ふーん。師匠、位置を変えたのかな?」
「なんの話?」
トリトラはにっこり笑った。
「なんでもないよ」
絶対に何かある。
修太はそう思ったが、正直、トリトラが何を言っているのか分からない。修太も脇の道を使うことがあるけれど、危険を感じたことはない。
「それはそうと、来る途中でスコールに降られちゃってさ。靴を乾かしたいんだけど、どの辺に置いたらいい?」
「玄関がいいよ。外に置いてると、結構、水がはねてくるから」
修太は鍵を使って扉を開けると、玄関脇を示した。
この国は平和だし、外国からの移住者にも寛容だから気に入っているが、蒸し暑さとスコールだけは面倒くさい。黒雲が出たら、あっという間に辺り一帯が水浸しになる。
この都市は日によって季節が変わるから、秋と冬の日は気温が低くて過ごしやすい。だから修太は、セーセレティー精霊国ではこの都市を一番気に入っている。
玄関に入ると、トリトラは灰色のマントを脱いで、壁のマント掛けに引っ掛けた。
黒狼族は黒い衣服を着る決まりがあり、トリトラもまた、上下ともに黒い恰好をしている。フードが付いている半袖の上着はゆったりめで、腕には白いさらしを巻いて、その上に青みがかった金属製の籠手を着けている。上着の裾は膝より上くらいまであり、体のラインにそった黒いズボンを履いている。そして、素足にもさらしを巻き付けていた。
「あちゃあ、裾も汚れてる。着替えてから入るよ」
彼の言う通り、裾は泥でぐっしょり汚れていて、水が滴っている。
「ちょっと待ってろ。たらいを持ってくる」
修太は先に家に上がり、居間を通り抜けた先に向かう。そして台所のすぐ隣、風呂場に入ってたらいを取ってきた。修太が戻った時にはすでにトリトラは違うズボンに履き替えており、たらいを受け取ってズボンを放り込む。十個までは重さと大きさに関係なく保管でき、時間の流れも緩やかになる保存袋――セーセレティー精霊国では冒険者の必須アイテムから着替えを出したんだろう。
トリトラは身軽さを好むので、腰にサーベルと短剣を装備している以外は手ぶらがほとんどだ。ただ、一見するとそう見えるだけで、黒狼族の戦士らしく、服や靴のあちこちに武器を隠し持っているのだろうが。
「ありがとう。やれやれだね」
「降られたわりに、マントや上着はたいして濡れてないんだな」
「サランジュリエから離れた場所だったし、晴れてるから歩いてくるうちに乾いたよ。ああ、でも、あんまり良いにおいじゃないな。風呂を借りようかな」
「おう、好きにしろよ。部屋ならいつもの場所があいてるぜ。タオルとかもそっちに置いてるから」
「助かる~」
トリトラはスリッパに足を突っ込んで、修太の後ろをついてくる。
トリトラは以前はシークという黒狼族の相棒と旅していた。だが、シークが婚約者と結婚すると言うので別れ、最近は一人で行動している。そのせいか、たまにグレイや修太に会いたくなるらしく、ふらっとやって来ては一ヶ月近く泊まって、またふらっといなくなるという感じだ。
引っ越してきたばかりの頃はまだ客室は一つだったが、仲間の誰が来ても泊まれるようにと家具を増やし、今では四部屋用意してある。
修太の元旅仲間達だけでなく、集落から外出中の黒狼族の女性や、旅をしている黒狼族の男性なんかもたまに泊まるので、多めでちょうどいいくらいだ。
それでもまだ部屋が余っているくらいには、この家は広い。
「師匠、ご無沙汰しています。君達も久しぶり」
居間に入ると、トリトラは長テーブルにいるグレイにあいさつし、ついでのように、暖炉前の長椅子にいる啓介とフランジェスカにも声をかけた。
「「ああ、久しぶり」」
フランジェスカと啓介はそろって暗い声で返事をする。トリトラは不思議そうに二人を眺める。
「君らがへこむなんて珍しいね」
啓介はどんよりした空気をかもしだしながらも、トリトラに問う。
「トリトラ、この間、ビルクモーレに寄ったらいなかったけど、どこに行ってたんだ?」
「この間? ちょうど王都のほうに出かけた頃かな。すれ違いだったみたいだね」
トリトラは長テーブルのほうに歩み寄る。茶を飲んでいたグレイはトリトラを一瞥し、また焼き物のカップに視線を落とす。トリトラは気にせず声をかける。
「師匠、サラマンダーの尻尾酒を手に入れたんですよ、お土産にどうぞ」
そう言って保存袋から一抱えもある大きな瓶を取り出して、テーブルに載せた。黄色っぽい酒に、尻尾が浸かっている。
見た目がえげつないので、修太は口をへの字に曲げる。
「うえー、ゲテモノかよ」
「薬にもなる酒らしいよ。滋養強壮、精力増強ってうたってた」
「適当に付加価値をつけて売ってるだけだろ。精力増強って口上がうさんくせえ」
グレイも疑わしそうに返すが、トリトラは気にしていない。
「面白いんで、偽物でもいいんですよ。味はそこそこですね。メウ酒に浸けてあるんで、さらっとして甘い感じです」
その説明を聞いて、フランジェスカが興味を示す。
「メウ……というと、果実酒か。後で分けてくれよ、グレイ殿」
「勝手に飲め」
どうやらグレイの好みでは無さそうだ。押しのけるようにして、瓶を脇へスライドさせる。
「おいしいのに」
トリトラは残念そうに肩をすくめた。
グレイの許可が出たので、フランジェスカはさっそく台所からグラスを取ってきて、瓶からお玉ですくった酒をグラスへと注ぐ。
「うん、美味いじゃないか。後味がスッキリしてる。尻尾なんか浸けなくても売れるだろ」
「尻尾を浸けるだけで、価格が五倍になるんだよ」
「ぼったくりか、なるほどな」
ふんと鼻で笑い、フランジェスカは頷いた。
「分かってて買うのかよ、意味分かんねえ」
修太は首を横に振る。
「面白いかどうかが大事なんだよ。ところで、何をそんなに落ち込んでるのさ」
たらいを抱えたまま、トリトラはフランジェスカに問う。
「ちょっと面倒なことになっててな。私達は身動きが取れないんだ」
「うう、アリッジャに帰りたいのに。いつになったらお姫様達に会えるんだ」
啓介が膝を抱えて、めそめそし始めた。
トリトラは肩をすくめる。
「なんか面倒くさそうだね。僕は風呂に入ってくるよ」
「俺も手洗いうがいしよう」
質問しておいて関心は薄いらしい。あっさり身を翻すトリトラに、修太もついていく。洗面所兼脱衣所の奥が風呂場なのだ。客室もこの向こうだ。
フランジェスカの恨めしげな愚痴が後ろから飛んでくる。
「聞いておいてそれか、トリトラ。お前達、ほんっとうに冷たいよな!」
「ピアスー、ファナー」
妻子の名を呟き、啓介は長椅子に寝転がる。
なんだかカオスだ。




