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入学してから四日目。
その日は少し早めに登校した修太は、教室の自分の席で本を開いていた。ノートも広げ、インク瓶と羽ペンも用意している。
(あの瓶が割れた時、近くにいた奴が一番怪しいよな)
もし大きな動作で投げたとしたら、生徒達は気付くだろう。
何せここの生徒は普通ではない。将来、冒険者や騎士となるべく入学してきた、戦士の卵達だ。そんな不審な動きをしたらすぐに気付くだろう。
(うーん、自然に落とすなら、歩きながら後ろにポイッて感じかな?)
啓介が瓶は割れやすいと言っていた。無難なのは、ポケットに保存袋を入れておいて、手で触れて念じることだ。
(あとは、鞄の中身を探しているふりをして、外に落とす?)
行動は推測できるが、どうしても理解できないことがある。
(やっぱり動機が分からない。きっと犯人も巻き添えになったはずだ。自分の身も危険なのに、どうしてこんなことをする必要があるんだろう)
薬草図鑑を眺め、図を指先でなぞって溜息をついていると、リュークが入ってきた。今日もライゼルを伴っている。
(連れてるっていうか、ライゼルがリュークの傍にいるって感じかね)
アジャンの情報では、二人は――というか、セレスも含めて三人で幼馴染だと聞いている。少し遅れてセレスが入ってきて、二人にあいさつした。
(ありゃあ、明らかにセレスがリュークに惚れてるなあ。しっかしあのライゼルって奴、リュークと距離感が近すぎてなんか変だな)
セーセレティーの親友というのは、男同士でも、あんなにべたべたくっつくものなんだろうか。
(でも、お隣の国じゃあ、男同士も友達で手を繋ぐって聞いたことあるし……お国柄とか?)
日本にいた時に耳にしたことを思い出し、首をひねる。同性愛でも良いのだが、修太にとっては異文化だ。どういう気の遣い方をすれば、正しい対処法になるのか分からないので、どうしても慎重になる。
(トリトラとかを見てると、色々あるっぽいしな)
グレイの弟子でもある黒狼族の青年を思い浮かべて、修太は首をひねる。女顔であることを気にしている彼は、女と間違わられると激怒する。しかしどうも長く見ていると、トリトラが男だと分かっていて、好意を寄せているらしき男もいる気がするのだ。
(あいつ、顔は女みたいだけど、体は普通に男だもんな。それにもう年齢的に、間違えるのは難しい)
十代ならば、まだ体つきが未発達なので、女と間違えるのも分かるのだけれどと、修太は思案する。
そのうち、レコンが後ろの扉から静かに入ってきて、リュークがそちらに駆け寄ってあいさつした。セレスとライゼルの目つきが一瞬だけ鋭くなり、レコンをにらみつける。
(うわ、こわっ)
ものすごく怖い場面を見てしまった。修太ははらはらとリュークとレコンのやりとりを観察する。ただのあいさつだけだったようで、レコンは黒狼族の男らしくあっさりと、ふいっとリュークから離れて、修太の右斜め後ろの席に座った。
どうやら戦ったことで、リュークはレコンを友達と決めたのか、名残惜しそうにレコンを見て、幼馴染の方に戻っていく。
「おはよう」
「お、アジャン。おはよう。なあ、ちょっと質問してもいいかな」
「え? 何?」
ベンチに腰掛け、机に置いた鞄から教本を取り出しながら、アジャンは声だけで問う。修太は声をひそめて言う。
「リューク達を見ていて思ったんだけど、もしかしてこの国では同性愛は一般的?」
「ぶっ、いや、一般的とは言えないけど、そういう奴もいるよ。特に禁止でもないしな。なんでそんなこと……ああ、そっか」
心底驚いた様子を見せたアジャンだが、修太の問いには答え、それからリューク達を見て納得という顔をする。
「あの三人、すげえ結束が固いんだ。だいたいいつも一緒にいるしな。誤解するのも分かるけど、あいつらは友達みたいだぞ。ま、ライゼルには気を付けろよ。あいつ、嫉妬深くて、友達だろうと他の奴に取られるのを嫌がるんだ。セレスのことでも口を突っ込むぞ」
「なんで?」
「兄貴分だと思ってるらしきとこはあるな。二人を守るのは自分って感じだよ。ひょうひょうとしてるけど、あの三人の中じゃ、あいつが一番厄介」
「へえ、意外」
修太は呟きながら、苦手なタイプだなと考えた。
「付き合いの長いお前から見て、リュークってどんな奴?」
「正義感が熱くて、独善的でちょっと面倒くさい奴」
「……じゃあ、違うかな」
「何が?」
修太は首を横に振る。
「こっちの話。なあ、あの事件以降、クラスで変わったことってあったか?」
修太の知らない戦闘学ではどうなのだろうかと、修太はアジャンに問う。アジャンはけげんそうにする。
「何、もしかして犯人探しをしてるのか?」
「気になってるだけだよ」
「まあ、そうだよな。犯人だって疑われてるんだから、そう思うのが自然か」
すぐに使う教材を机に並べ終わると、アジャンは鞄をベンチの下に置いた。
(そういえば、俺があいつらと和解したのは知らないんだっけ)
ふと修太は、アジャンと自分との考えの差に気付いたが、何も言わない。どうせ詳細を話す気はないから、アジャンには知らないままでいてもらおう。
「変わったことなあ。特に無い。しいて言うなら」
「うん」
「思ったより早く、クラスメイトと親しくなったくらいかな」
「ああ、それな」
啓介達と話していて、修太も不思議に思った点だ。
あんな事件が起きれば、普通は疑心暗鬼になって距離をとるはずなのに、クラスメイト達が被害者を気にかけることで、距離がぐっと縮まった。
「ほら、女子もあんな感じだよ」
セレスに、セミロングの銀髪を持った、細身の女生徒が話しかけている。互いににこやかで、楽しそうに見えた。
「あの三人は昔から人気者だけど、三人でいるから近寄りづらいところはあってさ。ちょっと壁が薄くなった感じはするな」
「人気者?」
「権力者の子どもで、有能なんだぜ。お近づきになりたいって奴はわんさかいるさ。俺は自力でのし上がりたいから、そういうのはちょっとな」
「ふーん」
修太は、主席の伯爵令嬢ローズマリィの方にも目を向ける。恐らく平民だろう女生徒と話しているのを見るに、彼女も上手くクラスに溶け込んだようだ。
修太も友達を作りたいと、こっそり気合を入れていると、修太の手元の本を覗き込んだアジャンは眉をひそめる。
「何、その本。なんか難しそうだな」
「薬草の図鑑だよ」
「へえ、いかにも高価って感じがする。でもなんかやけに赤で書き込みがあるな」
「ああ、結構間違えてるから、修正してるんだ。この薬草の花はこんな形じゃないし、ここのがくの辺りが違う。それに効能が下剤って書いてあるけど、逆なんだよな。こいつは腹の調子を整えるんだ」
「……試験結果に加点されるだけあるな、お前」
ちょっと呆れた顔をして、アジャンは首を横に振る。
「薬草学はあんまり興味ないなあ」
「そうか? 覚えておくと野宿の時に便利だぜ。食べられるものが増えるからな。そもそも俺が薬草について学び始めたのは、食べられる野草を知りたかったからだし」
「お前ってさては食い意地がはってるな?」
アジャンは生温かい笑みを浮かべる。
「充分、天才だと思うけど、なんかばりばりの庶民って感じで、親しみがあっていいと思うぜ」
「うん? 褒められてるのか分かんねえけど、ありがとう」
修太は首をひねりつつ、とりあえずアジャンに礼を返した。




