薬物ハイになった僕
障害者になったところで日常は何も変わらなかった。
公共の施設の入館料が半額になるとか、そこそこの恩恵はあるものの僕は美術館も動物園も行く気になれなかった。
ただひたすら死について考えてしまっていた。
心療内科の先生はそんな僕に新しい薬を処方してくれた。これがまた混乱の始まりだった。
今までの薬に加えてもうひとつ飲むことになった薬は、ダウナーな気分を少しハイにしてくれるもの。この薬を飲み始めて一ヶ月。僕は尻に虫でも沸いたかのように毎日ムズムズしてしまった。
久しく感じなかった性欲が少し復活したものの、処理の仕方を忘れてしまって結局イライラするだけだったり、毎日やたらに早起きになって三時や四時には目が覚めて犬の散歩に行ってしまったり。
用もないのに一日五回もコンビニに行ってしまったりと、僕はまったく落ち着かない状態になってしまった。
ことに週末は症状がひどく出た。
週末は公共機関や医者が休みで、つらくてもケースワーカーや心療内科に駆け込めない。その思いがますます僕を「何か」に掻き立てる。
何かしなくては。何を?絵だ、そうだ絵を描こう…。
そう思っても生活保護で就労支援もない僕には24時間は長すぎて、机の前でおとなしく絵を描くことができなくなってしまった。
どうしてこんなことになったのか。布団の上を転がりながら涙が出てくる。
そもそも僕はなぜこんなところで生活保護を受けながら、三食まずいコンビニの冷や飯を食べているんだろう。
そうだ、父の浮気だ。父の浮気のせいで僕はこんな姿に落ちぶれてしまった。母の料理が食べたいのに、僕はそれすら叶わない。
僕は一生このままこの部屋で保護されて、長い時間を過ごすのか。
嫌だ。働こう。外に出よう。
そう思っても医者にもケースワーカーにも止められてしまう。僕はどうやらまだ社会と繋がれるほど回復してはいないようだった。
できることは絵を描くことだけ。それすら満足にできない。
とにかく僕は「どこかに行きたかった」。
ここではないどこかに行きたくて、遠くに行きたくてたまらなくなった。
母に相談したところ、近県に住む祖母の家には別宅があるので、そこでしばらく暮らせばいいと言われた。
僕は犬をかついで電車に飛び込んで、すっかり介護生活の祖母の離れに突進した。
一晩寝た翌日。僕は自分でもわからない行動に出た。
この近所にコンビニはあるだろうか、と思い、しばらく世話になるならと財布だけ持って近所を散策し始めた。
しかし駅前まで行ってもコンビニもない田舎。僕はターミナル駅まで行って日用品を買おうと考え、ターミナル駅から気づいたら熱海の温泉宿にいた。
祖母にも犬にも自分自身にも何の相談も荷物もなく、熱海で宿を取っていた。
取ってしまったものは仕方ない。祖母に電話して適当にごまかして、熱海で布団に入った夜八時。
僕は唐突に犬が心配になって、熱海から一気に祖母の家までとんぼ返りしてしまった。
温泉町に来て一泊もしないで飛び回ったのは初めてだ。
これだけで軽く二万は吹っ飛んでしまった。自分でもなぜそんなことをしたのか、未だにわからない。
心療内科の先生は目を丸くし、僕の薬の量は減った。
同時にあの急き立てられるようなムズムズとした気持ちもゆっくり去っていった。
忙しいのはいいことではあるが、あれは二度と味わいたくない。
あんな説明のできない気持ちはこりごりだ。
僕はまた一日を長く感じるダウナーな日々に戻った。