名も無き人々
「逃げましょう。クロウさんの“マスク”が壊されては、もう隠蔽はできません。力技になりますけど『ミズナ』なら、どうにかしてくれるはずです」
言われるまでもなくいくつかの足音がする。ギシンやその部下がここまで騒いでくれたのだ。すぐに新手が来るだろう。
「……そうだな。これだけのことをしたんじゃあ、こっそりってわけにもいかんだろう」
クロウは手の中の“レアマスク”に視線を落とした。自分の“マスク”と違い、なにができるのかはわからない。装着してみて初めて“マスク”自体が使える魔法を教えてくれるのだ。強力な“マスク”なのだが、実戦ですぐさま使いこなせるか自信がない。
まして、得体の知れないなにかの細工が施された“レアマスク”なのだ。
「頼む」
「はい」
答えたマリエが“レアマスク”を顔に近づけたとき──振動と爆発音がした。
「なんだ!」
「下のほうだよ」
マリエが“レアマスク”を装着した。白義体が全身を包み『ミズナ』が現れる。
『魔法ではないわね。魔力を感じないわ』
「じゃあ、火薬だな。誰かがなにかを爆破した?」
まずいのは脱出口として選んだ道が同じ方向にあることだ。今から他のルートに行くには遠すぎる。
「床をぶち抜けるか? 最短距離を行きたい」
『いいわね、わかりやすくて。通れる穴が開けばいいのでしょう』
『ミズナ』に感情があるとすれば笑ったようだった。水の刃が現れ床を切り裂いた。
水が岩石でできた床をやすやすと切り裂いていくのをクロウとコウは複雑な思いで見ていた。“レアマスク”とはどれだけの力を持っているものなのか。
すぐに床に大穴が開いた。切り口は滑らかでそれをなしたのが水だとは信じられないぐらいだ。そこを『ミズナ』の飛翔呪でおりた。
「兄貴、足音が近づいてくるよ」
弓使いの耳のよさでコウが真っ先に気がついた。
「方向は?」
「こっちからくる」
「逃げ道とは逆だ。さっさと行くぞ」
クロウの支持で一行は足音とは逆の方向に逃げ出した。
「さっきの音はなんだったんだろう?」
「さあな、案外捕まった仲間を助けにきた間諜かもしれん」
『どうして?』
「あっちは地下牢だ。間諜と思われる捕虜が数人捕まっている」
口にしてからクロウは案外それが本当かもしれないと思った。ギシン達が壁を吹き飛ばしながらクロウ達を追いかけていたのは、外からでもわかっただろう。詳細はわからなくとも爆発音と振動は伝わったはずだ。仲間を救う機会を窺っているものがいたのなら、それを好機と捉えただろう。
『追いつかれるわ。飛翔呪よ』
「く!」
クロウにもすぐ目視できた。手元が光ったように見えた。
「避けろ!」
とっさに身をかわし光線を避けた。
放たれた攻撃魔法は威嚇だったようで避けることができた。
「この騒ぎはきさまらの仕業か!!」
救いは相手が“レアマスク”ではないことだった。普通の“マスク”だ。
「どの騒ぎのことだい?」
クロウが憎まれ口をきいたとたん、相手の背後で爆発がおきた。不意を突かれたらしい敵は吹っ飛んだ。全身を覆う“レアマスク”ではない。まともに爆風を受けて壁に叩きつけられ、そのまま床に沈んだ。ぴくりともしない。
爆煙の向こうから小柄な人影が進み出た。その背後には気絶していると思われる男と、それを担ぐ大男がいた。
ふわふわの金髪に勝気そうな大きなつりあがった瞳の若い男はひとつ鼻を鳴らした。
「ふん、どこの間諜かと思えば、女子供か? こんな相手にしてやられるとは思ったより大したことはないようだな」
「……」
「──」
「……背後を突いてくれたことには感謝するが、口を開くなりそれか?」
クロウとその小柄な闖入者は視線を合わせた。そうすると長身のクロウが男を見下ろす形になる。
それに気づいたのか男が顔をしかめそっぽを向いた。
「この構図は不愉快だ」
「今はそういうことを言っている場合ではありません」
気絶した男を担いでいる顔に傷のある巨漢が意見した。
「そうだったな」
男は再びクロウの方を向いた。
「我々は協力し合えるのではないか? そちらはここの人間ではないようだ。やつらの軍服を着ていないし、誰何されたのだからな。どうだ」
「──俺もさっきまではそう思っていたんだがなぁ」
この、小柄なくせにやたらと尊大な口をきく相手と組んで大丈夫だろうか、という不安がクロウの頭をよぎった。
相手の身元は察しがついている。気絶している男はある大国の手のものだ。捕虜にした男から引き出した情報によれば偶然迷い込んだ旅人とは別に確実に細作や間諜と思われるものを拘束している。そのうちの一人だけを救出したとなれば確実だ。
相手が猫の手も借りたいのはわかっている。一人は気絶し、もう一人はそれを担いでいるとなれば戦えるのは一人だ。さっきの爆発と漂う匂いを考えれば火薬を使うらしい。それでも魔法を使う多人数と戦うのは不安があるのだろう。
たいしてこちらの戦力は──コウが魔法を防げる“マスク”を有し、直接戦闘なら今のクロウでも戦える。『ミズナ』は最終兵器だろう。
そこまでわかっているとは考えにくいが、『ミズナ』が“マスク”をつけているのは一目でわかる。それを当てにしているのだろう。
「ど、どうすんの? 兄貴」
「……背に腹はかえられんか」
男は勝ち誇ったような顔をした。
「交渉成立だな」
『なら、こうした方がいいわね』
『ミズナ』が気絶している男に淡い光球を放った。その光球に包まれると、あきらかに拷問されたと思われる体中の傷が消えていった。男が気づいてあたりを見回した。
小柄な男が感心したように言う。
「へえ、治癒魔法ってやつかい? お嬢さん。それ、“レアマスク”ってやつだろう。はじめて見たぜ」
気絶していた男が小柄の男がいると気づいたのか、そちらに顔を向ける。
「たい──」
「──いうな! ばかもんが!」
担がれている男を小柄な男が怒鳴りつけた。たぶん、身分か名前を口走るところだったのだろう。
『もう自分の足で走れるはずよ。それならそちらの人も戦えるわね』
傷持ちの巨漢が細身の男を肩から下ろし、うなずいた。
「おい、“マスク”は取り上げとけ。回収されると厄介だ」
眼が覚めたばかりの部下(?)に小柄な男が言いつけた。“マスク”を回収されればまた敵の戦力になる。爆発に巻き込まれた五人ほどの“マスク”を取り上げた。
「ま、戦利品だな」
身分も名前もあかす気はないだろうが、いちおうクロウはきいておいた。
「なんて呼べばいい?」
「あっちのでかいのは『うすのろ』だ。捕まっていた細いのは『まぬけ』でいい。おれ様は『偉い人』だ」
仮名とはいえそれはあんまりではないかと三(四人?)人は思ったのだが、『うすのろ』と『まぬけ』といわれた本人が不服そうな顔をしていたが、異を唱えなかった。ふだんからそう呼ばれているのかもしれない。関係が垣間見える一幕だった。
「剣士、そっちは? そのお嬢さんと子供はなんて呼べばいい」
クロウは肩をすくめた。
「そのままでいいぜ」
偉い人が怖い笑みを浮かべた。
「名乗るつもりはない、か。まあ、お互い様だな、剣士」
「そうだな、偉い人」
舌戦の間にコウが廊下の方を見た。
「兄貴、来るよ」
足音を聞き分けたコウが警告した。
こちらに向かってくる足音を聞きわけたのだ。
ゆっくり喧嘩している暇はない。
「おっと」
「出口はわかってるようだな。走れ。後ろを崩すぜ」
偉い人(仮名)が小さな球をいくつも取り出した。指にはめていた黒い物にこすり付けると導火線に火がついた。
クロウはそれが何かわかった。
「火薬球か」
偉い人が嬉しそうに言う。
「おうよ、珍しいか?」
「剣より火薬を愛用する騎士は見たことないんでね」
魔法を使う騎士はいない事もないが、火薬は忌避する者が多い。
だが、偉い人にはそんな禁忌は無いようだった。
「相手が魔法なんぞという飛び道具使ってんのに、こっちが剣なんぞ使っていられるかよ」
近づいてくる人影を確認してから自称偉い人が火薬球を投げた。
「走れ!」
爆発音とともに粉塵と瓦礫がとんだ。度重なる爆発に天井が耐え切れず崩落する。
走りながらクロウはたいしたものだと思った。
火薬は扱いや管理が難しい。湿らせてしまえば爆発しないし、へたな管理をすれば暴発する。ちょうど崩すだけの火薬の量を的確に見抜くには経験が要る。だが、火薬は砲弾ぐらいには使われるが、個人で扱う者は少ない。いまだ戦いの主流は剣だ。それに逆らう偉い人(仮名)は異端児なのだろう。
後から轟音が響いた。
『魔法で瓦礫を突破しようとしているようね。ああ、よけい道が崩落したわ。何人か埋まったわね』
「ざまあみろ」
ケラケラと偉い人(仮名)が笑った。
通気口から天然の横道に入り込み、複雑な回り道をして一行は敵の基地から少しはなれたところに出た。
「ここまでくればいいだろう。目印になりかねん。“マスク”をとってくれ」
『そうね。わたしが出ているだけで敵をひきつけるわ』
『ミズナ』が自ら“マスク”に手をかけた。白義体が解け、“マスク”の装着面に吸い込まれる。体型が極端に変わり──そこにいるのは可憐な少女──マリエだった。
「おっどろいたな、“レアマスク”ってのは体型もそこまで変わるのか?」
偉い人が眼を見張る。
そこから先は、まぬけ(仮名)さんの誘導で細い道をこっそり進んだ。ときおり上空を“マスク”をつけた人や飛竜が飛び交う。
「ふん、魔法感知で探してやがるな。“マスク”をはずさせたのは正解だぜ」
「張り出した岩とかで目視がききませんから。このトンネルを抜けたら渓谷から出られます。そしたら、もう大丈夫すよ」
「この間抜け、誰が捕まったせいでおれ様が出張ってきてると思ってやがる! さっさと行け」
まぬけ(仮名)の腰を蹴飛ばす偉い人(仮名)だった。
自然の抜け道をとおり地上に出ると渓谷の向こう側に出られた。
「なんで、こんな便利な道知ってんのに捕まりやがった」
偉い人(仮名)が顔をしかめてまぬけ(仮名)にきく。
「深入りしすぎたんすよ。動きがあったもんで」
「動き?」
「なんでも、飛行船が落ちたとか、落とされたとか。あの基地唯一の“レアマスク”所有者が出張ったそうっすよ。正確な情報つかもうとして、あのざまっす」
思わず視線をはずすクロウ、コウ、マリエだった。タイミングからして『ミズナ』が落とした飛行船のことだ。
唯一の“レアマスク”所有者とはギシンのことに違いない。
「落とされたとしたら、どこだ? うちは動いてねえぞ」
まぬけ(仮名)が首を横に振った。
「ぜんぜんわかってないっす。やつらも詳しい情報はつかんでなかったみたいっすよ」
偉い人が舌打ちする。
「ち、このまぬけが。そのあげく捕まりやがって」
まぬけ(仮名)さんが捕まったとき、まだギシンは基地に戻っていなかったのだろう。因果とはどこに繋がっているかわからない。
偉い人がクロウの方に顔を向けた。
「さてと、悪いが同行してもらえるかな? あんたらがナニモンで、あそこで何をしていたのかも聞かせてもらいてえんだがな」
「かまわないぜ。ただし、こっちも色々と聞きてえ事がある。あんたらがナニモンかとかはきかねえ」
クロウと偉い人の間に見えない火花が散った。
偉い人が踏ん反りがえって鼻を鳴らす。意地の悪い笑みを浮かべた。
「聞かれたからって、答えてやるとは限らんがな」
「……あいつらの正式名称、とか、聞きたくないか?」
ぴくっと偉い人の眉が跳ね上がった。
「どこまで知ってやがる?」
偉い人の問いにクロウもまた意味深な笑みを浮かべた。
「さて、どうかな? あんたらの知りたいことはなんだ?」
「……喰えねえやつだな、見返りは何が欲しい?」
クロウはマリエを示した。
「こっちのお嬢さんがあいつらに狙われてんだ。保護して欲しい。ランバル家のロドウィンって人に連絡が取れねえかな?」
「騎士団長にだと! おまえ、何者だ!」
偉い人(仮名)が叫んで──口をおさえた。失言だったらしい。
クロウも少し驚いたようだった。
「へええ、ロドおじさん、そこまで出世したのかよ」
「おまえ……最初から……」
クロウが不敵に笑った。
「あそこには何人かの間者と思われるものが捕まっていた。そのうちの一人だけを助けるのなら、どこの国のかは明白だ」
偉い人(仮名)が舌打ちした。
「喰えねえやつだぜ」
まぬけ(仮名)が竜笛を吹き鳴らした。
「悪いが、一人残ってもらうぜ。一度に六人は運べねえんだ。うちのうすのろも残すから、ここで待っててくれ」
「飛竜を使うのか?」
「ああ、ちょいと離れたところに根城にしている場所がある」
「待つ必要はねえよ。コウ」
「うん」
コウも竜笛を取り出し吹いた。
偉い人たちが軽く眼を見張った。
「そのガキ、飛竜乗りか?」
「似たようなもんだ。こっちは一年仔でおれ達ぐらいしか運べないが、往復させるよりいいだろう」
やがてすぐに大きな影が落ちた。上空に青黒い鱗を光らせた成竜が現れ、まぬけ(仮名)の傍らに降り立つ。
「よしよし、いい子っすね」
どうやらまぬけ(仮名)が飛竜乗りらしい。すぐにサードも現れ、コウのとなりに降り立つ。
「よしよし、ごめんね。一人にして」
サードが甘えてすりよった。
偉い人(仮名)がクロウとマリエを値踏みするような目でみた。
「おい、剣士。おれと代わってもらうぞ。あんたはこっちに乗れよ」
「なぜだ?」
「そっちはその子供が飛竜乗りだろう。こっちはまぬけだ。この二人は動かせねえ。なら、あんたとおれだ」
「……そうだな」
乗り手の交換をするのなら、まぬけ(仮名)側は偉い人本人とうすのろ(仮名)になるが、コウ側はクロウとマリエになる。サードに負担をかけないですむのはクロウと偉い人の組み合わせしかない。四人の中で一番体重が軽いのはマリエだ。マリエとの交換ならどちらでもサードの負担は増える。逆に一番体重があるのがうすのろ(仮名)だ。クロウとの交換でもサードの負担が増える。クロウと偉い人(仮名)なら、クロウの方が(たぶん)重いので唯一サードの負担が減る。
「なんで交代するの?」
きょとんとしたコウが聞いた。
馬鹿にしたように偉い人(仮名)がいう。
「場所がわからねえだろ?」
「ちゃんとついていけるよ」
憤慨するコウを偉い人(仮名)が笑い飛ばした。
「ガキ、なにがあるかわからねえだろうが。はぐれてもおれがいりゃあ、なんとかなる」
偉い人(仮名)はそういったが、人質の意味もあるのだろう。それぐらいは仕方ない。
クロウがまぬけ(仮名)組の飛竜に乗り、入れ替わりで偉い人(仮名)がサードに乗った。二匹の飛竜は静かに飛び立った。
飛竜でしばらく行ったところに小さな小屋があった。まぬけ(仮名)の飛竜が下降し、コウもそれにならってサードを下ろした。
見た目あまり変わったところのない小屋だった。
「ここ? わりと無用心かも」
「外から見ればな」
偉い人がひらりとサードから降りた。コウはマリエに手を貸して降りる。
「こい。こっちだ」
偉い人(仮名)に促され中に入ったが、小屋の中もたいして変わったところはない。古びた暖炉と台所、どことなくあまり使われていないような感じがある。
うすのろ(仮名)が家具を動かし敷物をはぐと、床板の一部が外れるようになっていた。その下には階段がある。偉い人(仮名)が手燭をつけた。
「この下だ」
根城は地下のようだった。
地下への階段を下りるとかなり広い部屋があった。うすのろ(仮名)がランプをつけるとやっと部屋全体がおぼろに浮かび上がる。
「適当に座ってくれ」
四角いテーブルに椅子が何脚か。仮眠がとれそうな長椅子もある。その大半が白くほこりをかぶっていた。偉い人(仮名)がテーブルにランプを置いて、椅子に腰をおろした。
その向かいの椅子の上に乗せられていたものをどけてクロウが座る。コウは長椅子のほこりを払ってマリエに勧めた。自分はその隣に座る。遅れてきたまぬけ(仮名)が茶器と湯を運んできた。布巾でテーブルをざっと拭き、茶を淹れ始めた。
「あいにく甘いものがないんすけど、これだけでも」
茶が配られると、クロウが口を開いた。
「まず、なにが訊きたい?」
「喰えねえ野朗だな」
「俺達があそこにいたわけは、このお嬢さんの家に伝わる“マスク”にあいつらが眼をつけたせいだ。かわいそうにお嬢さんは一人で逃げ回っていて俺達のいたところまで逃げ込んできた。俺達は昔の伝をたよってお嬢さんをノゼライのランバル家のロドウィン氏に保護してもらおうとしたところが、強襲されてお嬢さんを連れて行かれた。で、取り戻すためあいつらを追いかけていた──というところだ」
クロウの話は嘘ではなかったが、マリエが自力で脱出、飛行船を墜落させたとか、マリエの一族のことを奇麗に隠していた。
「ほんっとに食えねえな。ロドウィン氏とはどういうかかわりだ?」
「親父の昔の知り合い」
「名前は」
「ガウェン」
「なにぃ! まさか、“マスク”のガウェンか!」
血相を変え椅子を蹴倒して偉い人(仮名)が立ち上がった。後の二人も驚いたような顔をしていた。
「あ? そうだが、なんで知ってる?」
「……」
偉い人(仮名)が考えるそぶりをみせた。
しばらくして自分が蹴倒した椅子をおこして座りなおす。
「ロドウィン騎士隊長の知り合いで、傭兵でガウェンというのは一人だ。『“マスク”のガウェン』の二つ名を持つ男。“マスク”を所有しているにもかかわらず、宮仕えを嫌って傭兵をしているという変わり者。探していたんだ。今どこにいる?」
「そいつは、悪かったな。もう五年前にくたばったよ」
「なに?」
「病気でね。次の雇い主を探すため移動中の片田舎で患ってくたばったから、知られてねえのかもな。無駄足踏ませちまったか?」
偉い人は足を組みなおし、横を向いて視線をさまよわせながら指でテーブルの表面を弾く。タンタンタンと規則的な音が響いた。
「た……偉い人、どうします」
うすのろ(仮名)が偉い人(仮名)に伺いを立てた。
テーブルを弾くのをやめ、偉い人(仮名)が正面に向き直った。
「おまえの仕事は、そのお嬢さんをランバル隊長の所に保護できれば終わりか? 次の仕事は決まっているのか? まだ決まっていないのなら雇われる気はないか? 決まっているのなら違約金はこちらで払う。そのお嬢さんの三倍は出すぞ」
それって岩塩三袋?
内心突っ込みながらクロウは苦笑した。マリエに雇われたわけではない、受け取った報酬といえば岩塩くらいだ。仕事としては割が合わないことこの上ない。偉い人(仮名)はクロウたちを傭兵か何かと勘違いしているようだった。もっともそう話を持っていったのはクロウ自身である。
「切羽詰ってんのか? であったばっかりの俺らを雇おうとはさ。目当ては“マスク”か?」
傭兵は信用第一である。一度引き受けた仕事はよほどのことがないと反故しない。それを知っていながら違約金を払ってでも実力のわからない相手を雇おうとするのは、よほどのことなのだろう。
「そのとおりだ。相手が“マスク”を大量に所持しているんじゃあ、対抗できるものは何でも使いたい。ガウェンから“マスク”を引き継いでいるだろう? あの“マスク”は代々受け継がれてきたものだと聞いている」
マリエの顔がこわばった。
クロウの“マスク”は失われてしまった。マリエにかかわったせいだ。その対価となるものなど今のマリエは持ち合わせていない。
「……やっかいそうだな」
「そりゃあもう、極め付きだ」
偉い人(仮名)が肩をすくめた。
「最初は、まあ“マスク”の盗難だ。さる豪商のとこにあった“マスク”の買い取りで、交渉が上手くいかず商談が成立しなかった。こいつは店側が値段を吊り上げようとしたせいらしいがな。その晩のうちに押し入られた。用心棒は軒並みやられて、盗られたのが──壊されたもんはもっとあったらしいが──件の“マスク”だけなんで商売相手が疑わしいってんで訴えてきたんだ」
“マスク”は希少だがごく稀に売り出されることもある。売値は決まっていないためいくらで譲るかは持ち主しだいだ。その中にはできるだけ高く売ろうと画策するものもいるだろう。
そもそも“マスク”はそう簡単に手に入るものではない。国同士のパワーバランスにも関わるほどの武器だ。
もっているというだけで威嚇になる。どうしても手に入れたいという者も大勢いる。条件が折り合わなければ実力で奪いにきても不思議ではない。
豪商は強欲のためかえって損害を受けた。
「ところが身元はまったくのでたらめ。調べてみたら希少な“マスク”をあっちこっちで買いあさっていたり、売りに出されてないか聞いて回っていたっていうんだ。こいつは怪しいってんで商売やってるところに“マスク”の売買の自粛と、そういった依頼者があったら通報するように通達したら、今度は“マスク”の所有者のところへ直に売ってくれって交渉したり盗みに入ったりするようになった」
なるほどあの大量の“マスク”はそうして手に入れたものかと納得した。そしてそれほど強引な手段を使っていれば、目をつけられても当然だ。
「どうもこの被害は、わが国だけじゃないらしい。調べていってたどり着いたのが件のやつら──組織といってもいいな」
「もしかして、囮を使ったか? “マスク”を囮におびき出そうとして、まんまとかっさらわれたとか」
うっと、偉い人たちが息を飲んだのがわかった。
「帳尻は合わせた」
どこからか調達した“マスク”を使ったのだろうが、持っていかれたのだろう。それを盗られたとなれば、比喩ではなく首が飛ぶ。倒した相手から没収した“マスク”で補うつもりなのだろう。
「おれの前任者が出し抜かれた。もっともこれだけ組織だった相手だと知っていれば、そうはいかなかったぞ」
「そういえば、“マスク”が山積みになっている部屋を見つけたぜ。もっとも──カラだったが」
「カラ?」
「封じられているはずの“魔法”がなかった。移し変えたんじゃないか?」
偉い人の指がテーブルを弾き始めた。
「そんな特殊な技術を持っていると?」
「おそらくな」
偉い人の指がテーブルを弾き続ける。
「あの組織の名はアスガルド」
偉い人(仮名)の指が止まった。
「どこかで聞いた名だな……」
偉い人の視線が宙をさまよう。
「ノゼライの前身だった国じゃねえか? ノゼライ、オリスト、クエールはひとつの国が分裂してできたっていうぜ。それが確かアスガルド……」
まぬけ(仮名)が素っ頓狂な悲鳴を上げた。
「はあ! どんだけでかい国っすか! 大国三つが国の一部だったって!」
「うるせえ」
「あんた、貴族の出か?」
クロウが言うと、ひくっと偉い人(仮名)の顔が引きつった。
「な、なぜそう思う」
「国の生い立ちなんざ伝えてんのは貴族様、それも発祥のときからある名門くらいなもんだろうが。そんで、偉い人か」
「……くえねえやつだな!」
ここまでの攻防にコウもマリエも一言も口出しできずにいた。
「で、こっちの依頼は?」
悔しげに顔をゆがめた偉い人(仮名)に、一拍おいてクロウが答えた。
「お嬢さんを保護してもらえるのはありがてえんだが、いったん手が空いたら報告しなきゃならん。その後でいいんなら、俺はいいぜ」
ここまで事情を知ってしまえば、断ると後が怖い。もっともそれを計算してのことだろう。なにが何でも引き摺りこもうと。
(喰えねえやつだぜ)
クロウ自身が偉い人(仮名)に言われた言葉だが、言った本人はもっと喰えない、と思った。
「そっちの子供は?」
「え、おれ!」
いきなり聞かれて自分が数に入っているとは思わなかったコウはびっくりした。
「こいつは数に入れるな。足代わりに使っただけだ。危ないことなんかさせられねえよ」
慌ててクロウが口を挟んだが、偉い人(仮名)がきっぱりと言い返す。
「こっちは、そっちの飛竜乗りの子供込みで話してたんだがな」
「こいつは特別な訓練を受けたわけじゃねえ。ふつうの村人なんだよ。こいつの飛竜だって一年仔で、奇獣としてのしつけがされてねえ。悪いが戦力にはならん」
「あ、兄貴!」
コウにはクロウが報告と称してコウを村に返そうとしているのがわかった。そうして自分はこの厄介な事件に関わろうとしているのだと──集団から出て行こうとしているとわかった。
「おれも行く! おれのせいだから!」
「コ!」
名前を叫びそうになったクロウが慌てて口を閉ざした。
クロウが自分のことを思って危険から遠ざけようとしてくれているのはわかったが、マリエと関わって厄介ごとを引き寄せたのは自分だ。クロウが強いことは分っているし、自分がなにをできるのかもわからないが、逃げるわけにはいかない。
偉い人が頷いた。
「きまったな。雇用条件はのちほど決めよう。報告とやらをすませたら、ノゼライのランバル家に行くがいい。話は通しておく」
偉い人(仮名)が懐から小袋を取り出してテーブルの上においた。音からして中身は硬貨のようだ。
「前金か?」
「いや、たんなる足代だ。とっとけよ」
クロウが取り上げ、苦笑してコウに渡した。中を見てみたコウは硬直した。
中身は金貨だった。金貨十枚もあれば町中で一家が一年は楽に暮らせる。それがたんなる足代とは。
「よっぽど切羽つまってんだな」
高額の報酬は厄介な仕事のしるしだとは、クロウの父親が繰り返し聞かせたことだ。自分はいずれそういう道に進むのはわかっていたし、それなりに訓練をつんだ。しかし、コウはそうではない。まったくの素人を巻き込むのはクロウの本意ではなかった。
「おおよ、藁でもつかみたい気分だ。ランバル家でミゥエス大佐に言われてきたっていいな。話は通しておくぜ、剣士」
「クロウ、だ」
「よろしくな、クロウ」
ここでやっと互いの名前が分った。
とりあえずの話し合いがすみ、まぬけ(仮名)が茶器を片付け始めた。
「もう名乗っていいっすか? まぬけ(仮名)呼ばわりは嫌っす」
「ノゼライでな」
正式に契約を結ぶまで黙ってろ、という意味だった。まぬけ(仮名)とうすのろ(仮名)はしくしくと泣いた。
あまりにも気の毒なのでコウは茶器の片づけを手伝った。階段を上り、薬缶を持ったまぬけ(仮名)が隠し戸のふたを押し上げて──手を止めた。
コウの耳が独特の羽音を捉えた。それも一つ、二つではない。
「飛竜の羽ばたきっすか!」