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堕ちた国


 それは軍隊でもない限り所有することすら叶わないものであった。飛行船と呼ばれるもので、魔術の粋を集めた飛行物体である。詳しい仕様は極秘とされている。

 帆船ほどの大きさで、甲板に当たる部分も覆われ全体的に楕円形をしている。いくつか方向転換や高度調整のためのギミックが飛び出しているのだが、素人にはどれがどんな仕掛けであるのかまったくわからないだろう。

 ガラスをはめ込まれた窓がいくつも並び、中に人がいることが分かるだろう。

 周りにはそれを護衛するかのように飛竜が並んで飛んでいる。

 マリエは飛行船の中に囚われていた。

 船で言えば艦橋にあたる部屋だ。マリエを攫った飛竜は一度マリエをのせ直してこの船と合流した。マリエはすぐにこの部屋に連行された。責任者に引き合わされるようだ。

 マリエは泣いていた。

 攻撃魔法が視界いっぱいに広がったその記憶がマリエを苦しめていた。

 マリエは気を失ったのでそのあとのことは覚えていないが、あれでは奇跡でも起きない限り誰も助からない。無関係な人間を巻き込んで死なせてしまった。

 その後悔がマリエを苛んだ。

「脅えさせてしまいましたかな? マリエ・フランシード公女。非礼をお許しください。わたくしはシグラス・コードウェル。このたびの作戦指揮者です」

 背の高い壮年の男が名乗った。

 マリエは顔を上げてその男を睨みつけた。

「あの人達は何も知らなかった! 一晩宿を貸してくれただけだったのに、それをあなた方は!」

「ああ、あの者達のことですな。ことは極秘に行われなければならないのです。たとえわずかな可能性でも危険因子は排除しなければなりません」

 男にも報告が行っていたのだろうが、何の感情もこもらない言葉が関心の低さを表していた。

「危険? 田舎の小さな村の、身寄りのない子供が、あなた方にとってどんな脅威になるというの!」

「そのような些事はどうでもよいでしょうマリエ公女」

 煩わしそうにシグラスが顔をゆがめた。そのことからも本当に十人の何の関係のない人間を抹殺したことなど些事と思っていることがマリエにはわかった。

 それもそうだろう男達がマリエの国を襲ったときの被害は村の比ではない。

 怒りにマリエの体が震えた。

「あなた方は……」

 マリエの怒りなど無視して男は言葉を重ねた。

「荷物を検めさせてもらいましたが、あれはありませんでした。どこに隠されたのですかな?」

「……なんのことかしら?」

 マリエはふいっと横を向いた。

「恍けられては困りますな。あなたの一族が代々秘匿し守り続けたもの。我々が欲するものはそれです」

「知らないわ。ひとつの公国を襲い、何十人何百人もの人を傷つけ殺す価値のあるものなんて、この世にあるのかしら?」

 マリエはひとつ嘘をついていた。マリエが暮らしていたのは村ではなく小さな公国だった。隠れるようにひっそりとあった公国。“マスク”の軍隊はマリエの国を襲ったのだ。

 あるものを奪うために。

「“マスク”です」

 男の言葉は予想通りのものだった。

「“マスク”? あなた方はたくさん持っているじゃない。なのにまだ欲しいの? そもそも“マスク”にそれだけの価値があるのかしら?」

 少なくとも、作戦に参加したものはすべて“マスク”を所有している。それだけの膨大な数の“マスク”を所有している軍隊など滅多にない。

「恍けられては困りますな。あなたの一族が守っていたのは“レアマスク”本物の“マスク”です。後世のものなど“レアマスク”の模倣品にすぎません」

「……知らないわ……“マスク”にそんな種類があるなんて、初耳よ」

 予想していた通りだったので、マリエは同様なく演じることができた。

 彼らの狙いは最初から“彼女”だったのだ。

「それはおかしい。あなたの一族はあれを世に出さぬために公国を築いた。すべては危険な“レアマスク”を封印するためだ」

「知らない……知らないわ! わたしはまだ子供なのよ! 跡継ぎでもない子に一族のことなんて教えると思っているの! だいたい“レアマスク”とやらがそんなに危険だなんて知らないわ」

 すうっと、隊長が目を細めた。

「ですが、城からは“レアマスク”は発見されなかった。公子一族の誰も“レアマスク”を持っていなかった。ならば、唯一我々の手から逃げおおせたあなたが所持しているとしか思えない」

 隊長がマリエに向かって一歩進んだ。マリエは思わず後退る。

 青白い顔をしたマリエは震えながら言葉を紡いだ。

「……荷物の中にはなかったのでしょう?」

「あなたが“レアマスク”と知らずに運んだ可能性はあります。どこかに隠した可能性も。いいですか、“マスク”は本来二つの機能しかありません。魔法に関連したものを吸収する機能と、吸収した魔法を複製して放出する機能です。ですから強力な“マスク”というのは多くの魔法を吸収したものです。その中でも“レアマスク”が封印しているものは桁外れです。それを所有したものがふるえる力というのも、スタンダードな“マスク”とは桁が違う。まさにレアなものなのですよ。どこに隠したのですか? 今のうちならまだ我々も紳士的に振舞いましょう。しかし──」

 隊長がマリエに向かって手を伸ばした。

「服に手をかけたら舌を噛みます!」

 マリエは血相を変えて叫んだ。触れるところだった隊長の手が空を泳いだ。

「失礼。しかし年端も行かぬ女性に淫らな行為をしようというわけでは……」

「いや! いや! 近寄らないで! 舌を噛んで死にます! けだもの! 蛮人!」

 マリエは取り乱して泣きじゃくりながら我が身を抱きしめ、罵りつづけた。

 隊長が溜息をついた。

「これでは話もできませんな……今日のところはお部屋でお休みいただきましょう」


 マリエは窓のない部屋に軟禁された。

 外に見張りはいるだろうが、部屋の中には見張りはいない。

 鳴き続けているかのように思われたマリエの脳裏にマリエにしか聞こえない声が響いた。

『わたしがやりましょうか?』

 マリエは声に出さず考えるだけで意思を伝えた。

『いまは無理。警戒されているわ。もう少し油断させてから』

 マリエの取り乱した姿に相手は無力な子供と侮っただろう。それでも連れてこられてすぐであれば相手の警戒も強い。

 再びマリエにしか聞こえない声が響く。

『本拠地に連れて行かれる前でないと、逃げるのは難しいわよ』

『そうね。あそこまで知られているなんて……』

 マリエは唇を噛んだ。男の口ぶりからマリエ以外の一族はすべて囚われたか、男達の手にかかったと思っていいだろう。“レアマスク”の秘密を知り、なおかつ求めているとすれば……

『なにか対策もあるのでしょうね。でも無力な子供と思い込んでいるわ。機会はあるはずよ』

『そうね。機会を待ちましょう。わたしがあなたの一族とあの人達の仇をとってあげる』

『……ありがとう、ミズナ』


 暖かな火が揺れていた。闇の中でのそれは心強いものだった。

 クロウはペンダントをかざし、そこに灯る光点で方向を確認した。

「兄貴、追いかけないのか? こうしている間にもマリエがなにをされるか」

「仕方ない。サードに無理はさせられん。お前も疲れているだろう。夜にはあいつらも寝るさ。あいつらの飛竜も休まなきゃならん」

 日が傾くと、クロウが野営の準備をするようコウを促した。最初は反発したものの、結局押し切られコウは眼下に見えた森にサードを下ろした。

 すぐにクロウは場所を決めて火をおこした。その間にサードは自分で獲物を狩っていた。紅く染まった空はすぐに暗くなった。そうなって初めてコウはクロウが野営の準備をした理由がわかった。

 陽落ちればあたりは闇に包まれ、火がなければ足元さえも見えない。これでは追跡するどころではない。

 長い間飛びっぱなしというのはさすがにサードにとっても重労働だったようで、餌になる獣をとって貪り食った後、眠ってしまっていた。口では追いかけたそうなコウも眠り込んだサードにもたれかかっている。

「喰って寝ろ。追跡は明日の朝だ」

 分厚くきったパンの上に焼いた干し肉を乗せたものを手渡され、コウはそれにかぶりついた。クロウも同じものを口にした。

 しばらく焚き火が立てる音だけが響いていた。

「兄貴……」

「なんだ?」

「あのとき、なにをしたんだ? 兄貴の手元に魔法が吸い込まれたみたいに見えた」

「これだ」

 クロウが懐から取り出したのは“マスク”だった。

「“マスク”……でもあの時はかぶってなかったよね?」

 コウはあの時のことを思い出したが、クロウは“マスク”を装着せず、両手に持って魔法にかざしていたように見えた。

「当たり前だ。“マスク”の吸収能力は装着しているときは働かん」

「え? えっと、“マスク”って魔法に関係したものを中に取り込むのは知ってるけど、発動中の魔法も取り込むの?」

 クロウが人差し指を立てて唇に当てた。

「秘密だぜ? 俺のご先祖様が見つけたんだ。こう、面を魔法に向けてキーワードを言えばいい」

 “マスク”が謎の内部に魔法物を吸収することは知られている。そのため“マスク”を強化するには魔法使いのところへ行き魔法自体を封じ込めるか、魔法物を直に吸収させる。だがそんな使い方ができるなどとは知られていないだろう。

「なんか昔破れかぶれでやってみたらできたっていうぜ」

 クロウの先祖は代々傭兵だという。ひとつでも武器になるものは多いほうがいい。“マスク”の使い方もふつうでは知らないやり方を伝えてきているのだろう。

「なんていうんだ、それ」

 クロウが“マスク”から手を放した。

「『吸魔』だ」

「スゲー、じゃあ兄貴には魔法は通用しねえんだ!」

「そのかわり、こっちも魔法が使えんけどな」

 “マスク”の魔法はかぶらなければ使えない。そして、吸収能力はかぶっているときは使えない。吸収と放出は同時には使えないのだ。

「そうかぁ……どっちかなんだ……」

 コウはそっと懐をおさえた。そこにはサードの巣から持ち出した“マスク”が隠されていた。

 クロウの言葉が本当ならコウにも同じことができるはずである。

「もう寝ろ。明日も大変だぞ」

「でも……マリ……エ……が」

 疲れが出たのかコウはそのままサードにもたれかかって眠ってしまった。

 飛竜がそばにいれば野生の獣は恐れて近づいてはこない。盗人などはなおさらだ。

 クロウも剣を抱えたままうずくまった。


 爆音と振動が船体を揺らした。

「何事だ!」

 警備員が駆けつけたときにはあたりは破壊されていた。黒煙を貫いて白い影が飛び出してきた。そのときには刃と化した水が警備員の身体を切り刻んだ。

 それは白い──甲冑のようなもので全身を覆った女だった。白い独特の輝きを持つ何かが女を守っている。頭部すら完全に覆われているが、髪を模したように細いものが伸びている。さながら純白の髪を持った女戦士だ。その顔は造作がない──“マスク”だ。

「レ、“レアマスク”!」

 無事だった警備員が“マスク”を着用したが、女のほうが早かった。

 空中から発生した水が男達を飲み込み、次の瞬間には凍りついた。

 意識をなくすわずかな時間、男は驚愕した。

(ばかな……いったいどこに“マスク”を隠していたんだ……)


「なんだ……こりゃあ」

 呆然とクロウは呟いた。

 そこにあったのは飛行船と呼ばれるものの残骸だった。昔、傭兵である父とともに諸国を渡り歩いていたからこそわかるが、そうでなければわからなかっただろう。

 地上に降りているときならともかく、飛行中の飛行船を落すことは飛竜の群れか魔法ぐらいでしか不可能だった。しかし、外板の破壊具合からすれば内側から破壊されたようにしか見えない。中から外に向かって張り出している破片はあってもその逆はない。

 もっと不思議なのは、あたり一面が水浸しだということだ。少なくとも昨日今日は、雨はふっていない。一体水はどこから来たものか。

 二人は残骸の中を調べてみた。足元が水音を立てた。内部には水溜りがあちこちにできている。そこに死体と思われるものが転がっていた。

「兄貴、これ……」

「わかっている」

 その死体が着ているものは集団(ファミリー)を襲った男達と同じ制服だった。

 ペンダントの光の導くままマリエを追いかけてきた二人は眼下の残骸に気づいて降りてきたのだった。

 男達はおそらくどこかの国か大きな組織の一員なのだろう。これほどの戦力を有していて──さらにそれをも落とすものと敵対している。

「やべぇ……大事すぎるぜ」

 単なる孤児が関わるにはことは大きそうだ。さすがにクロウも肝が冷えた。

「マリエ! マリエ!」

 半泣きになりながらコウは残骸の中を探し回った。これがマリエをさらった男達の仲間なら、ここにマリエがいたのかもしれない。死体の中にマリエがいないか、どこかにマリエが隠れていないか探した。

 短い時間ともにいただけだが、マリエは目の前でさらわれた。何もできなかった自分にコウは一番憤っていた。

 クロウはペンダントを取り出し、光を確認した。位置を変えてマリエを示す光がどこにあるか調べる。ふたつ近くに光る光点は自分達なのだろう。しかし、他に光は映らない。

「コウ、ここにマリエはいない。移動するぞ」

 瓦礫を持ち上げようとしていたコウはクロウを振り返った。

「あに……き……」

「こいつらの仲間が来ると厄介だ。行くぞ」

 なにせ問答無用で皆殺しにしようとするやつらだ。こんなところを見られたら、なにをされるかわからない。

 コウはサードに乗り手綱を握った。クロウもサードにのろうとしたが──遅かった。大きな影がさした。

「これはきさまらの仕業か!」

 響いた声にクロウは思わず舌打ちした。

 上空には五騎ほどの飛竜がとんでいた。その先頭にいるいかにも偉そうな男が誰何したのだ。予想にたがわず同じ制服だ。

 クロウは怒鳴り返した。

「んなわけねーだろーが! 飛竜一騎で飛行船が落せるか! たまたま通りがかったものだ!」

 男達に聞こえたのか、なにか話し合っている。クロウはコウにだけ聞こえるように囁いた。

「俺が足止めする。サードで逃げろ。後で追う」

 コウは躊躇した。

「でも、兄貴……」

「やつらのやり方は知っているな。間違いなく口封じしてくるぞ。俺のことなら大丈夫だ」

 話し合いは終わったようだった。先頭の男があらためて聞いてくる。

「きさまらは何も知らんのだな?」

「ああ、そうだ」

 クロウが怒鳴り返す。その手はさりげなく懐の“マスク”を掴んでいた。

「嘘を吐くな! 飛竜使いが偶然居合わせただと? 胡乱にもほどがあるわ! きてもらうぞ!」

 号令とともに飛竜が降下した。

「行け! コウ」

 コウがサードで飛び出す。クロウは“マスク”を装着し──雷鳴が鳴り響いた。急降下した飛竜は間近に落ちた電撃に取り乱した。もともと飛竜は耳がよく、雷鳴などの大きな音に弱い。

 乗り手が振り落とされそうになり必死にしがみついている間に、コウはその場を逃げ出した。雷鳴を背にしているだけにサードが飛ぶ分にはむしろ後ろから押されているようなものだ。

 相手が飛竜に乗っていたことがむしろ功を奏した。おそらくは相手も“マスク”を持っているだろうが、暴れる飛竜の上ではそれを取り出すことすらむずかしい。

「大盤振る舞いだ!“(サンダー)(ケージ)”」

 クロウは数条の雷を絶え間なく落とし、檻とした。いまは不意打ちが聞いているとしても、立ち直られれば同じ“マスク”の所有者だ、数で不利になるのが分かっていた。コウが逃げる間の時間稼ぎができれば、後はさっさと逃げ出すつもりだった。

 敵の一人が飛竜から落ちた──いや、自ら手綱を放し空に身を躍らせた。その手には“マスク”。

「な!」

 クロウは慌てて飛翔した。クロウの“マスク”には飛行魔法も封じられている。全速力でその場を離れた。

 男は空中で“マスク”を装着する。そのとたん──白く輝く物質が“マスク”から噴出し男の全身を覆った。それは瞬く間に甲冑のごとく形を整え──男は空中で体勢を変え上昇する。

 “雷の檻”の一部が捻じ曲がり白い戦士がそれを突破する。その直後に再び“雷の檻”は元の形を取り戻す。

 男は飛竜を見限り“雷の檻”を突破するため乗り捨てたのだ。さすがにそこまで大胆なまねをするのは一人だけだった。残りの飛竜と乗り手は雷に阻まれたままだ。

 男がクロウに迫る。それは顔の部分が“マスク”の細身の鎧をまとったような姿だ。まるで服のように薄手のもので動きを阻害するようには見えない。丁寧にも髪を模したものが頭部に生えている。飾りなのだろうか。

「こんなところで“マスク”の所有者に出会うとはな! しかし所詮ただの“マスク”。“レアマスク”には敵うまい!」

 不思議と響く男の声がクロウに聞こえた。

「“レアマスク”だと?」

 耳慣れない──だが、過去に確実に聞いた名前だ。“マスク”の中には特別な物があるという──だがクロウが知る噂では──その“マスク”は──自らの意思を持つという。

 男は剣を抜きかけ──何かに気づいたように手を止めた。

 クロウが舌打ちする。

「気づきやがったか」

 クロウの回りには微細な火花が散っていた──帯電しているのだ。魔法を使うとき、発現させる寸前、術者の周りにその力が集まる。火炎の術であれば炎が、風の術であれば風を一時的にまとうことになる。クロウはその状態を維持しているのだ──そんなところに刃で切り込めば──感電する。

「小ざかしいまねを!」

 男は速度を落とし距離をとる。直ぐにその回りに風──白く凍てついた冷気──が集まった。

「“白い牙(ホワイトファング)”」

「“(ウォール)”」

 男が放った槍状の氷がクロウの立てた不可視の壁に阻まれ砕けて散る。接近戦を阻まれれば中距離の魔法が来ることは分かりきっていた。

「くらえ!」

 クロウが雷を放つ。

「“壁”」

 今度はクロウの放った雷が男の立てた壁に阻まれたが──横合いから男を水の刃が襲った。

「うわあぁぁああ!」

 クロウに集中していた男はもろに喰らった。血飛沫は上がらなかったから、鎧が刃を防いだのだろうが、衝撃は殺しきれず男は落下した。

 クロウは慌てて刃の来た方向を振り向き──そこに空中に浮かぶ白く輝く人影を見た。

 おそらくは男と同じ素材の甲冑の──だが、明らかに相違点もあった。髪を模した飾りがずっと長く腰までも届いていた。全体的なシルエットがほっそりとして優美な曲線を描いている──女なのだ。顔には“マスク”。

「……なにものだ?」

 女は答えず、身を翻して飛び去った。


 コウとクロウが合流するのは比較的簡単だった。ペンダントの光を頼りに双方が移動すればいい。すぐにクロウはコウを見つけた。

 コウは所在無さげにサードの手綱を握っていた。

「コウ」

「兄貴ぃぃぃ~~!」

 クロウに気がついたコウは一直線に駆け寄りしがみついた。そのまま泣き出した。

「よかったあぁぁああ! 無事だったんだね! 兄貴~、兄貴ぃぃぃい!」

 耳のはたで泣き叫ばれるクロウにとってはやや鬱陶しいが、気持ちが分かるだけに大目に見た。

「無事にきまってんだろ。俺様を誰だとおもってんだよ」

「だって~、だって~あんなにたくさん。飛竜乗りで“マスク”持ってる奴ばっかりだよ~。兄貴が殺されちゃったんじゃないかと思って~」

「無事だっただろうが」

「だって、おれ、逃げて……兄貴を置き去りにして……」

 クロウ本人に言われたことだとしても、クロウを見捨てて逃げたという事実はコウを苛んでいた。

 ぽんっとクロウがコウの頭に手をおいた。

「俺がそうしろと言ったんだ」

「次は、おれも戦う……おれも、戦うんだ……兄貴だけを戦わせたりしない……」

「だめだ。俺には“マスク”がある。奴らに対抗できるが、お前は戦えないだろうが」

「戦えるよ! おれだって──」

 茂みが音をたてた。とっさにクロウはコウを後ろにかばった。だが──茂みを掻き分けて現れたのは──金色の髪の少女だった。

「あ──」

「マリエ!」

 マリエが呆然としていた。見る見るうちに瞳に涙が溢れ──

「よかった──生きて──生きててくれたのね──みんな、みんな死んじゃったかと──」

 クロウが両手を広げて見せた。

「大丈夫だ、このとおり生きてるぜ。誰一人、怪我しちゃいねえよ」

 泣きかけたマリエが涙をこらえながら訊いた。

「ほんとに、本当にみんな無事なの?」

 コウはマリエに説明した。

「兄貴が守ってくれたんだ」

「まあ、回りの森とか、畑とかは焼けちまったけどよ……家と人は無傷だぜ」

「うあ……うあぁああん!」

 とうとうこらえきれずにマリエがクロウにしがみついて盛大に泣いた。

「わ、わたしのせいで、みんな死んじゃったと思ったわ……よかった、よかったあぁああ」

 いったん納まりかけていたコウもクロウにしがみついて泣き出した。左右からしがみつかれて盛大に泣かれるクロウは弱り果てていた。


 泣くだけ泣いて気が治まったのか、マリエが二人に話があると言った。神妙に座るマリエの前に向かい合う形でクロウと甲が座った。

 まだ赤い目をしたマリエはぽつりぽつりと事情を話し始めた。

「どこから話していいのか、分かりません。でも、あなた方を巻き込んでしまったことは謝ります。まさか、あそこまで見境がないとは思いませんでしたから……」

「マリエ、あんたが何かを隠しているのは分かっていた。だが、今話してしまっていいのか?」

「……話せば巻き込むと思っていました。でも話さなくとも同じなら、知っておいて貰った方がいいのです」

 マリエが隠し事をしていたことにまったく気づいていなかったコウは驚いた。

「隠していることって、マリエ、あいつらの正体を知っているのか?」

 マリエは頭をふった。

「いえ、それは知りません。でも、あの人達がなにを求めているかは知っています」

 ここでマリエは一度息を吐いた。

「わたしが暮らしていたのは小さな……隠れ里のような公国でした。その公国は時の王からあるものを守り、決して世の中に出さないようするため命じられ作られたものだといいます。わたし達はその使命を守り暮らしていました」

「察するところ、その『あるもの』を奪うために襲ってきたのか?」

 クロウの問いにマリエが頷いた。あまりのことにコウは立ち上がった。

「あるものって、なんだよ……そんな、人を虫けらみたいに殺しても欲しいものなんて、あるのかよ!」

「……見てください」

 マリエが視線を落として上着とスカートの間に手を入れた。その頬が赤らんでいく。

「み、見るって、なにを! え? え?」

 コウは慌てた。思い切ったように目を閉じマリエが上着を持ち上げた。そこには──滑らかな少女の腹部──があるはずだったが──人面相のように腹部に癒着しているものがあった。顔の造作のない仮面──“マスク”だ。もともと“マスク”には固定するための止め具や紐はない。顔に装着すればなぜかそのまま顔についてはなれない。だが、顔以外の人の体にも張り付くとは、考えていなかった。

「これ……です……これがわたしの一族が代々守り続けたもの」

「……“マスク”……でも、あいつらあんなにたくさん“マスク”を──」

「──“レアマスク”──か?」

 クロウの問いにマリエが頷いた。

「なに……それ?」

 一人、それを知らないコウは思わず呟いた。

 それに答えたのは、傭兵であった父について各地を渡り歩いたクロウだった。

「俺も噂にしか聞いたことがない。“マスク”の中には“レアマスク”という特別なものがあるそうだ──桁外れの力を持ち──自らの意思を持つという」

 クロウが身振りで衣服をなおすよううながした。マリエは素直に従った

「そうです……彼女の名はミズナ……あいつらは彼女を奪うため、わたしの国を襲い、あなた方をも殺そうとした」

 コウは目を瞬いた。

「彼女って……“マスク”が?」

 マリエが頷いた。

「そう、女性なんです。だから、彼女と意志の疎通を図るため一族のなかから持ち主が選ばれます。彼女は男性を自分の持ち主とは認めないので」

 “レアマスク”には意志があり、その意識は性別もあるのだという。マリエの『ミズナ』は女性人格であり男を持ち主としては認めないのだという。そのため一族の女性の中から持ち主が選ばれる。

「それがマリエか?」

 マリエは頷いた。

「あの人達はどうやってか、わたしたちの一族が“レアマスク”を守っていることを知ったようです。そして奪いにきた──おそらく一族の者は皆捕らえられたか──」

「殺された──か……」

 マリエがすべてを言わないうちにクロウが呟いた。

 考えられないことではない。アゼラ村での問答無用の所業を見れば、マリエの国でなにをしたのか予想はできる。

 一度とまったマリエの涙がまた溢れた。

「わたしは……一族の者が必死に逃がしてくれて……秘密の抜け道を通って外へ……その後……は……彼女に助けられてきました」

 公国には秘密の逃走路があったのだという。そこから国の外に出たマリエは『ミズナ』を肌身離さず隠し持って逃げ続けてきた。

「あなた方を巻き込むつもりは……ありませんでした……ごめんな……さい……どう……お詫びすれば……いいのか……」

 激高したコウは叫んだ。

「マリエが悪いわけじゃないよ! 全部、あいつらが悪い!」

 クロウも頷いて肯定した。

「コウの言うとおりだ。人死には出てねえんだ、気にするな」

「でも……」

 マリエが視線を落とした。関係のない人間を巻き込んだことに良心の呵責を感じるのだろう。

「これからどうする?」

 クロウに問われ、マリエは顔を上げた。

「……あなたには……分かっているようですね……」

「逃げる気はねえわけか」

 父について戦場に立ったこともあるクロウにはわかっていた。

 マリエの目は覚悟を決めた者のそれだ。

「……逃げても無駄です。あいつらはどこまでも追いかけてきて……次は人死にがでるかもしれない……それなら……」

「敵う相手か? あっちにも“レアマスク”があるらしいぞ」

 真偽のほどは分からないが、クロウが相手をした敵の“マスク”がふつうではないことは確かだ。

「覚悟の上です。彼らが“レアマスク”を集めてなにをしようとしているのか、分かりません。ですが、まともなことじゃない。それに……一族の仇です」

 クロウはなにも言わずしばらくマリエの目を見ていた。マリエは目をそらさず視線をうけとめた。

「わかった。それだけの決心ならしかたねぇ。コウ、村に帰ってくれ」

「兄貴!」

 コウはクロウにを振り返った。

 クロウが片目をつぶって見せる。

「ブラウンにうまく言っといてくれよ」

 クロウが戻らないつもりなのを察してコウは食って掛かった。

「言っとけって……兄貴は!」

 にやりとクロウが笑う。

「仇討ちの助っ人だ」

「だめだよ! おれ一人じゃ帰れない! おれも行く!」

 マリエが目を見張った。

「ま、待ってください! わたし、そんなつもりじゃ──」

「──見殺しにするのは後味が悪い。それに、もうあんただけの問題じゃあない。こっちも知りすぎたからな」

 コウもクロウの尻馬に乗る。

「そうだよ! おれ達も殺されかけたし、兄貴とマリエだけを危険な目には──」

「──おまえは帰れ」

 ついていく気のコウにクロウが冷たく言った。

「なんで!」

 自分だけマリエの加勢をするつもりらしいクロウにコウは食って掛かった。

「俺達には“マスク”があるが、おまえにはない」

「サードはおれの言うことしか聞かないよ。歩いていく気かよ。“マスク”で飛ぶのも大変だろ! ゼッテーついてく!」


 横腹に受けた傷が痛んだ。不意打ちだったというだけではない。“レアマスク”が作り出す白義体(はくぎたい)の鎧をも貫く攻撃だった。おそらく相手も“レアマスク”を使っていたのだろう。だがなによりも痛むのは──

「くそぅ……」

「ギシン様、痛みますか?」

 治療していたマリスが心配そうに声をかけた。

「白義体がなければ死んでいた……形状といい“レアマスク”だな」

「公女でしょうか?」

「……だろうな」

 落とされた飛行船はマリエ・フランシード公女の移送が任務だった。おそらくはフランシード公国が隠し持っていた“レアマスク”の持ち主。飛行船が落とされ、その近くに“レアマスク”が現れたとなればまちがいないだろう。

 わからないのは“マスク”の持ち主と飛竜乗りの子供だ。

 あれはいったい何者か?

 無関係とは思えない。

 男が所有していたのは強いほうだったが間違いなくノーマルの“マスク”だ。だが状況を利用する術を心得ている。“レアマスク”の乱入があったとはいえ、結果として飛竜五騎と“マスク”の所有者五人を一人で足止めしてまんまと逃げおおせた。

 飛竜が音に弱いことを逆手にとるとは。

 飛竜を見捨てなかった部下をなじるつもりはギシンにはない。じっさい飛竜から飛び降りるには勇気がいった。あのはらわたが縮こまるような感覚は忘れられない。

 技を発動寸前でとどめ雷をまとうなどという手も初めてだった。

 機転の効く男だ。

 だが──“レアマスク”を使いながら、ただのノーマルな“マスク”に出し抜かれるとは──ギシンの自尊心はズタズタだった。

 亡国とはいえ高貴な出自であるギシンにとって、出自も知れぬものに後れを取ったというのは屈辱だった。

(この借りはいつか必ず返すぞ……)

「ギシン様、オルグ号はどうやら水か氷系統の魔法によって破壊されたようです」

「『コウル』と同じ系統の術が得意のようだな」

 ギシンへの攻撃も水を高速で操り刃とするものだった。

「不審な二人組みとフランシードの“レアマスク”か……本部へ報告しなければなるまい。マリスだけついて来い。他の者は生存者がいないか探せ」

 本部へ報告するには支部にある魔法装置が必要だった。巨大なものであり自然界にある魔力を利用しているため動かすことは不可能なのだ。

 三人の部下を残しギシンとマリスは一番近い支部へと向かった。

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