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狂人・月詠

狂人・月詠 ――天よりの宣告者――

作者: 月神 皇夜

この作品は『狂人・月詠 ――少年兵における人間観察――』の続編にあたります。

天よりの宣告者




月野(つきの)詠司(えいじ)

彼は私が立ち寄ることを日課にしているベンチによく居る少々変わった青年だ。見た感じは大学生くらいだが詳しいことは知らない。というより名前と彼が人の過去や未来、前世や来世を見ることができるということくらいしか知らないのだ。

まあ、かなり奇妙な知人というのが彼に対する私の認識だったのだが、それが今覆されようとしている。彼は奇妙というより、狂っているのかもしれない。私は目の前の光景を無言のまま見つめていた。

夕暮れ数歩手前の柔らかな色合いの青空と並び立つ木々の茂みの下で優しい表情を浮かべた彼は天に手を伸ばしている。その様はまるで一服の絵画のように美しかった。しかし、私が言葉を失った原因はそれとは違うところにある。


「カルは元気かい? ……そう。僕? 見ての通りさ。心配ないよ」


そう言って彼が見つめる天に伸ばしたその手の先には何もいなかった。いや、それ自体はいつものことだ。彼の目は常に常人の目には映らない何かを捉えている。唐突に突飛なことを口にするのもいつもと何ら変わりない。しかしそれでも、存在しない存在と会話をしているところを見るのは初めてだった。

彼はまるで空に伸ばした手の甲に何かがいるかのようにその一点を見つめ、それが親しい存在であるかのように穏やかな目をしている。周囲の目を一切気に止めないのは普段と同じだが、纏う雰囲気はいつもより数段柔らかかった。


「ああ、そうだ。君に紹介したい人がいるんだ。そろそろここに来ると思うんだけど……。え、来てる?」


私には見えない存在は私に気付いて、彼に私がここにいることを告げたらしい。彼は視線を私の方へ映した。その目は私を捉えているようで捉えていない。まるで私の背後にある何かを捉えているようだった。


「やあ。丁度よかった。彼に君を紹介したいと話していたんだ」


彼は何事もないかのようにそう言って微笑み、私には見えない何かがいる手の甲を私の前に差し出した。私はその手の甲をまじまじと見つめる。しかし、私の眼には何も映らない。にも関わらず彼は楽しげ微笑を浮かべながら、


「彼はノーティス。僕の友達」


と言った。そして私の思考は停止する。理解できないことが多すぎた。

まず、私の目の前にいると思われる見えない存在、ノーティスとは何なのか。加えて私はそのノーティスに対してどうすればいいのか。

次に、彼は本気なのか。何かの冗談なのだろうか。少なくとも私は彼が冗談を口にするところを見たことがないのでその判断はつけがたかった。

彼と知り合ってから訳のわからないことに対する耐性はついてきた気がしていたがこれは格が違う話のようだ。私は目眩のようなものを感じながら口を開いた。


「……えっと、月野さん」


「うん? どうかしたのかい」


彼はどこにも疑問点など無いように受け答えをする。しかし、私は違う。どうかしたも何も、問題だらけだと思う。そもそも、見えない相手にどう自己紹介をしろと言うのだ。


「私にはその、ノーティス、さん? が見えないんですが……」


私の言葉に彼は珍しくきょとんとした表情を見せた。そして、一泊置いてからこれまた珍しくはにかんでみせる。その表情があまりに優しいものだから私は思わず面を食らってしまった。


「ああ、そうか。そうだね、ごめん。嬉しくって、つい先走っちゃったよ」


そう言って彼は見えない何かに触れる。まるで大切な物を扱うかのように優しい動作だった。


「ノーティスは僕の友達で姿は……、そう鶴みたいに首の長い鳥で羽根は体をすっぽり被うくらいに大きくて、尾は地面に着く長さでね。色は薄く青みがかった白銀で、目は真っ青なんだ。この空よりもずっとずっと青い。その目で君をずっと見てるよ」


彼の言葉に私はその手の甲の上にいるであろうその存在を見つめた。根拠も何もないが何故だかその存在を疑う気は起きない。彼の言う空よりも青い目が自分を見つめている気がした。


「初め、まして。神代涼子、です」


そう簡単な自己紹介をして軽く会釈をすると吹き抜けるような風が頬を撫でた。そして、彼は視線を手の甲から空へと移している。私は恐る恐る彼に問いかけた。


「……飛んでいっちゃいましたか?」


「うん。あそこで旋回してるよ」


彼は空を指差して微笑んだ。いるのかいないのか分からない存在ではあるが、何となくその存在を信じかけていた私としては飛んでいってしまったことが何となく寂しかった。


「何か、悪いことしちゃったみたいですね」


私は一人言のようにぼそりと呟く。すると彼はきょとんとして首をかしげた。


「……え? そんなことないよ。彼は君のことを気に入ったみたいだ」


その言葉に今度は私がきょとんとさせられた。そんな私に彼は微笑む。


「『優しそうな子だ』って言ってから飛んでいったから。珍しいよ、ノーティスがそんなことを言うなんて」


そう言って彼は私に背を向けるといつものベンチに腰を降ろした。彼は決まって右端に座る。なので必然的に私は左端に座っていた。丁度真ん中が開くこの距離感は私たちの関係を正確に表していると思う。私が彼の名前と何かが見えるということしか知らないように、彼も私の名前と学生であるということしか知らないのだ。

私は彼の後に続いていつもの定位置に座った。風がそよぎ、梢の茂みがざわめく。会話がなくても十分な音があるこの空間が私は好きだった。無意味な雑音を聞いているよりずっと心地いい。彼は下手に私を詮索しない。私も彼をもっと知りたいとは思わない。理想的な空間と理想的な人間関係だ。


「……君は不思議な人だね」


不意に彼が口を開いた。右を向くといつも通り宙を見つめる彼の横顔が見える。その表情は私がよく知る凪いだ海のように穏やかな表情だった。


「私からすれば月野さんの方が不思議な人です」


私がそう答えると彼は視線はそのままに微笑を浮かべ、


「君から見ればそうなのかもね」


と言った。そして、すうっと目を細める。一挙一動が絵になる人だという点も含め、やはり彼は不思議な人だと私は思った。浮き世離れしているとでも言えばいいのだろうか。存在の有無の境界線に立っている。そんな雰囲気を彼は醸し出している。


(幽霊、とは違うけど)


そう私が内心呟いた時、まるで彼は見計らったかのように口を開いた。


「昔ね、事故に遭ったんだ。自分でも助からないなぁって思うような大事故だった」


考えていたことと重なる内容に私は小さく息を飲む。彼は目を閉じたまま、淡々と言葉を繋いだ。


「頭蓋骨にひびが入って、肋骨も三、四本折れててね。複雑骨折の上、大量出血。何より、目を駄目にしてしまった」


彼はずいぶん壮絶な自分の過去をすらすらと語る。いつか聞いた戦争の話のように内容が鮮明な景色を見せつけられたように詳細でないのは私に気を使ってだろうか。それとも視えないからだろうか。どちらにしろその内容は私をギョッとさせるのに十分な内容だった。


「目を駄目に……って。じゃあ、今は……?」


思わずそんな疑問が口から溢れる。彼は笑って目を開いた。その目には夕日に染められた雲の流れる淡い水色の空が映っている。

彼の目は見えているはずだ。彼は同じものを捉えていながら私とは全く別の世界をその目で見つめているのだから。それは私の中にあった彼への揺るがぬ認識だった。しかし、その認識が今他の誰でもない彼の言葉で揺らいでいる。

私は動揺した。彼は今まで何を見ていたのだろう。その疑問が私の心を揺さぶった。今までの彼の言葉が絵空事だったとは思えない。思えない程度に私は彼を信じていた。

彼はそんな私の動揺に気付いた素振りも見せず、言葉を繋いだ。


「その時なんだ。カル、カルナディレが僕に語りかけてきた」


カル、という愛称には聞き覚えがある。ノーティスとの会話に出てきた名前だ。

彼はまるでそれが懐かしい思い出話であるかのような柔らかい口調で語った。


「目を交換しようって持ちかけてきてね。僕は聞き返したよ。『もう何も見えない目と何を交換するの?』って。そしたらカルは『私にならその目はまだ使える。私はそちらを視る目がほしい。お前には代わりの目をやろう』って言ったんだ。僕は彼の交渉に応じたよ」


彼は私の背後の宙に目をやった。そのカルナディレなる存在から与えられた目は不思議な光を宿している気がする。

彼は人と話す時でも目を合わせない。向かい合っていても今のように相手を見ているようで見ていない。だから私はあまり彼の目に注目したことがなかったが、その目は何故か人間のそれを越えた美しさがあるような気さえした。まるで魅了されたものを呑み込む深淵のような美しさ。私は咄嗟に目を反らした。

彼は優しく、にこりと微笑む。その微笑は何もかもを達観したかのような、私の心をも見抜いたような微笑だった。


「それからなんだ。カルのくれた目は僕に色んな物を視せる」


そう言って彼は空を仰ぐ。恐らくノーティスを見つめているのだろう。

私は彼と同じように彼の見上げる空とは違う空を見上げた。


「……何者なんですか、そのカルナ、ディレ? さんは」


私が疑問の一つを口にすると彼は少し困ったような声色で


「うーん。僕も知らない」


と答えた。私は驚きの余り思わず空から彼へと視線の先を切り換える。得体の知れない存在から与えられた目で常人には見えないものが見えたらかなり気味が悪いのではないかと思う。そもそも、どうやって目を交換したのだろう。それを考えると私の中ではカルナディレという存在が不気味なものになってきた。

そんな中、彼は困ったような苦笑を浮かべる。


「前に聞いたんだけどなんだか曖昧でね。神様か何か? って聞いたら『それを決めるのは人間の価値観だ。少なくとも私は人間のいう神という価値観に当てはまるものでも悪魔という価値観に当てはまるものでもない』だって」


「……とりあえず人間より高次の存在って感じですか」


話を聞いた限りで分かることを口にすると彼は三度珍しく、心底おかしそうに笑った。今日の彼はいつもと違って表情が生き生きしている気がする。友人が来ているからだろうか。

私がそんなことを考えていると彼は心底そう思っている様子で口を開いた。


「やっぱり君は不思議な人だ。僕の話を信じてくれるなんて」


心の中で私は彼に同意した。彼は不思議な人、いや寧ろ狂っているかもしれない人だ。その話を信じてしまう自分もどうかと思う。しかし、私は私なりにこの月野詠司という人物を理解しているつもりだ。


「月野さんは変な人ですけど嘘は吐かない人だと思ってますから、私」


私がそう言うと彼は嬉しそうに微笑んだ。やはり、今日の彼の表情はいつもより人間らしいと思う。こう言っては失礼だが彼の表情はいつも仮面のようだった。それが偽りだとまでは言わないが本当の心は隠しているような気がしていた。しかし、今の彼が仮面をしているようには見えなかった。


「ありがとう」


彼はそう、微笑んだまま私への感謝の言葉を口にする。私はあまりに無邪気な反応にどう返したものかと悩んでしまった。とりあえずここは無難に、


「……どういたしまして」


と返す。すると彼はすう、と自然な動作で空に手を伸ばした。自然と釣られるように私の視線もその手の先に注がれる。手の甲が掲げられたその様からノーティスがそこに降りてくることが予想できた。


「僕はね、こう考えているんだ」


そう口を開いた彼の手の甲が上から何か力が加えかれたかのように動く。青い目の鳥がそこにいることの証だ。


「カルもノーティスも僕の友達。だから何者なのかとかは大して気にしてない。友達は友達だから。ただ、カルはきっと空の彼方にいる。その橋渡しがノーティスなんだ」


彼はいつも空から降りてくるからね、と彼は付け足し、自らの手の甲に降り立ったばかりの友人を撫でるような素振りを見せた。私はその様子を見つめながら、


「何だか神様みたいですね」


と思い付きをそのまま口にする。すると彼はにこりと笑った。


「『我が主は宣告者だ』ってノーティスが。……前に僕も同じことを言われたよ」


「宣告者……?」


何かを言い渡す者、ということだろう。なら何を誰に言い渡すのだろうか。そんな疑問が脳裏によぎったその時、一陣の風が吹き抜け、私の頬を掠めた。そしてその刹那、私は風の中に鳥の羽ばたきを聞いた気がした。


「え……?」


思わず立ち上がり、振り返って空を仰ぐ。しかし、見上げた空は青を失い橙色に染まっているだけで何もいなかった。


「逃げちゃった。きっと宣告者って何って聞かれたくなかったんだろうね」


私の背後で彼が口を開く。振り向くと彼も立ち上がり、空を見上げていた。


「僕も知らないんだ。何でかは知らないけど教えてくれない」


そう言ってその宣告者の目で彼は友の飛び去った空を見つめている。私ももう一度その空を見上げた。しかし、青みがかった白銀の鳥の姿を捉えることは出来ない。羽ばたきの音も空耳だったのだろうか。そう思いながらも私はもうしばらくその姿を探してみようと思った。

狂人・月詠、第二弾です。いや、なんかこの二人は書いてて筆が進みやすい。

近日中にまたあげるかもです。

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