突撃した自衛官は急に止まれない
「アアアアアアアアアアアアアア……って、あれ」
やけくそ半分意識朦朧半分でバカみたいに叫んで小高い山へと突撃したはずの、私。
突撃したはずの私なんだけれども。
なぜ、勢いよく扉を開け放っちゃってるんだろうか。そもそも何故扉が?
「ええっと」
開いた扉の先には唖然とした表情でこちらを見つめる人が3人。
茶色い髪をした男と、白髪の老人。それから短く整えられた黒髪の少年がひとり。
もちろん、どっからどう見ても同じ小隊員でもなければ自衛官ですらない。
加えて、目の前に広がっているこの光景がちょっと自分の予測と違うっていうか。
突撃した先にはこんもりした山っぽいものがあるはずで、そこにだっさい赤い旗なんかがあって、誰かがそれをもぎ取ったらとりあえず敵陣地占領ってことで状況終了、私たちハッピー!な展開になるはずだったんだけれども。
ここは明らかに演習場ではない。なんていうか、王宮マジ王宮。
日本の住宅事情じゃ考えられない吹き抜けの空間。敷き詰められた暗い赤色をしたふかふかの絨毯。東洋的な形のはめ込み窓から漏れる光は少なく、広間は少し薄暗く――なに、んじゃあ、あの富士の演習場のすり鉢山の先にはお城的なものが広がってるとか? あはははは……いやいやいや、ないないないない。
多分あれだ、私倒れたんだ、無理がたたって。絶対にそう。うん、それしかあり得ない。
演習場の私はきっと今、二戸3曹辺りに担がれて涎垂らしてるんだよ、きっと。
「そっかあ、なんだ夢かあ。夢だったらしょうがないよね……」
まだ固まる空気の中で、とりあえず明るくそんなことを呟いてみる。
「私もまだまだ乙女だなあ。すり鉢山の向こうはお城でした、とかもうあり得ないよね、22歳」
誰に訊かれるでもなく、7日間殆ど徹夜・空腹のナチュラルテンションで呟いていたら、なんだか可笑しくなってきた。
「9割男の職場で入隊して4年、ひとりも彼氏が出来ないとかマジないね。ちくしょう、神奈川地連のおやじ、“君なら部隊配属されたらすぐに彼氏出来ちゃうよ~”とか調子いいこと言いやがって。まあそれにのったのは誰かって言ったら私なんだけど。確かに小隊に女は私ひとりだけだけどさ、殆ど結婚済みじゃねえかちくしょう。余ってんのはどう見ても問題親父ばかりだよ! ああ、誰だよ群馬の山奥に配属決めたの、一生呪うからな、禿散らかせ!!」
場にそぐわない何か余計なことまで口走った気がしないでもないが、勢い付けてどん、と銃床を絨毯に打ち付けた鈍い音に私以外の男性達はようやく我に返ったらしい。
「お、お前は何者だ!」
その場にいた3人の中で最も低い位置にいた男が、腰の剣に手を掛けて叫ぶ。
茶色の髪をした騎士っぽいなにか、といか言いようがない服装。しかもファンタジーっぽいほうの。お前が誰だ、と睨み合いつつそこは徹夜の自衛官テンション。思わず執銃時の動作で敬礼。
「東部方面隊第12旅団第12後方支援隊第2整備中隊第4普通科直接支援小隊、装輪整備手、今村末葉陸士長! 認識番号はG1353774!」
この舌噛みそうな部隊名から氏名階級認識番号まで一気にぶっちゃけると、あまりのその呪文さ加減に――いや、威容さに叫んだ男は一歩退く。
女性自衛官なめんな。
「なん、なんだ……お前……」
そうだよね、なんていうか、世界観の違い?
こっちは迷彩服だし草くっつけてるし顔はドーランまみれの真緑で、検閲の時には中隊長から「おまえ気持ち悪い」とのお墨付きを頂いたりした。ちなみにドーランは資生堂製。
そっちはそっちで何それファンタジー? 戦国自衛隊だってねえよ、この組み合わせ。
「何かって言われても。ただの自衛官なんですけど」
「ジエイカン?」
惚けたような私の言葉に、今度は白髪の素敵なおじ様が微妙なイントネーションで訊き返す。眉間に皺が寄りまくっているのは……まあ、私上から下から顔面まで緑だし……。
「特別職の国家公務員です。ていうか今さらだけど、ここどこ? 富士○ハイランドまで突撃した覚えはないんだけど……」
そこまで言ってしまった、とそのロマンスグレーっぽい人に駆け寄る。
「てか、え、ちょっと待って! 間違って突撃しすぎちゃったとして、これって演習場突き抜けたにもほどがあるってこと!? それって脱柵? 脱柵になっちゃうの!? しかも89持ったままとかもうこれ大捜索並の失敗じゃん! やべえ、やばすぎる……」
「あの、ジエイカン殿……?」
「これって新しいアトラクションかなんかですよね!? あーもう、どうしよー! おじいさん本当に申し訳ないんですけど、一緒に来て事情とかそこら辺適当にうまいこと言ってくれません!? なんていうか、有り余る突撃パワーでなんか間違えちゃったらしいですよ、とか取りなしてもらいたいんですけど、主に中隊長に」
何だろう、一気に事が起こりすぎてただでさえ眠い頭がくらくらする。
こんな危機的な状況、新隊員教育の時の「怒りの半長靴マラソン」以来だよ。
あれだって、2区隊の志水さんが教育隊中隊長の座学中にうたた寝したあげくふてくされた態度で挑んでしまったがためのとばっちりだった。
半長靴のまま外周走らされた挙げ句に、隊舎前で腕立て用意の号令聞いた時にはもう死んだと思ったね。
1、の号令で肘を曲げて2、の号令で元に戻して1回カウントなのに、いつまでたっても2の号令が来ないとかもうなにその精神的苦痛。
背中からは「まだ1回もやってねえのになにへばってんだ!」のお言葉。思い出しただけでもいまだにガクブルくる。
「とにかく! なんかとんでもなく間違えちゃったみたいなんで!」
「いや、間違ってない」
食いつかんばかりにロマンスグレーっぽい人に迫ると、その上段から不意に声がかかった。
びっくりしてそちらを見れば、騎士とロマンスグレーと残りのひとり。
漆黒の短い髪に、黒のようにも見える濃い群青の瞳を鋭くこちらに向け、ちっちゃい少年がこちらに一歩足を踏み出す。
年の頃12歳前後と言ったところか、まだ幼さが残る顔立ちと細身の体は少年の若さを一層強調している。
そうなんだよねえ、男の子ってこれくらいの時が一番可愛いよねえ。ああ、いいな、若いとか。久しくうちの小隊足りないものだよなあ……。
なんてしみじみとその少年を見つめていると、慌ててさっきの騎士もどきが駆け寄って私とちびちゃんとの間に割り込んだ。
「ウェイフォン様、お下がり下さい!」
「ジュンレン、下がれ」
年頃の割には落ち着いた態度で騎士を制すると、そのちびちゃんはゆっくりと私の前までやって来る。なんとなく、気圧されるような雰囲気。
150センチ後半の私が余裕で見下ろせるくらいだから、ちびちゃんは140センチ台だろうか。
私をじっと見上げるその瞳には少年らしい好奇心というよりも、何かもっと深遠な思惑がかすかに過ぎる。
「おまえが予言の緑の乙女なのか?」
なんだろう、そろそろ本格的に気絶したくなってきたかも。