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ちび王様と自衛官な私  作者: 吉田
ベアルリンガ
16/28

訓練用と日常用は違いますから!



「ウラバちゃん、これうちで採れたククミスとメリザナだよ。持っていきな!」

「いつもありがとうございますっ、リトスさん」


 焦げ茶色の毛並みに包まれたリトスさんから、抱えきれないほどの野菜を手渡され、私はちょっとよろめきながらも何とかお礼を口にする。

 どこからどう見ても森の熊さんなリトスさんは、けれど口調は豪快なおばちゃんそのもので「お礼なんていいよ!」と笑いながら、私の背中をどんっと叩いた。い、痛いです。

 そうしてお子さんたち――こちらは文句なしに可愛い小熊さんたち――に声をかけ、家へと戻っていく。私はその背にもう一度軽く頭を下げ、子供たちにも手を振った。なんていうか、慣れるもんだなあ、人間て。

 抱え込んだ大量の野菜、ククミスとメリザナに目をやって、私は少し苦笑する。ククミスはきゅうりっぽいもので、メリザナはナス。野菜炒めとスープと、あとは何にして食べようかな、なんて考えられるくらいに私はこの場所に落ち着いてきていた。

 木の皮でできたカゴをよいしょ、と抱えなおし、私は今生活している自分の部屋へと足を向ける。こんなのんびりとした日常の中にいると、あの出来事は遠い悪夢のように思えて仕方がない。


「お、お嬢ちゃんじゃねえか。野菜がひとりで歩いてるかと思ったぜ」


 ひょいっと私から大量の野菜が入ったカゴを取り上げた人が、そう声をかけてくる。見れば、突然現れたのは立派な体躯の熊――デファンスさん。いつものように、気安い笑みを浮かべて私を見下ろした。ただし、私にとってそれはヒグマが牙をむいたに近い感じに見えるんだけど。

 今やすっかり慣れたその笑顔に私も笑みを返す。


「デファンスさん!」

「デンスでいいって。それより、これ部屋に持ってくんだろ」

「ありがとうございます、正直助かりました!」

「これ、リトスだろ。あのおばちゃんは、お嬢ちゃんじゃこんなに食べきれねえっつっても、よくわかってないみたいなんだよなあ」

「まあでも、私はここで仕事らしい仕事もしてないし、こんな新鮮なもの頂けるだけで嬉しいですよ。私のいたところとここって、ちょっと味覚が似てるとこあるし」


 味噌っぽいものがあっただけでも大収穫だ。

 今夜はさっそくこれで味噌炒めを作るんだ、と思わず口元をゆるめた私に、デファンス――デンスさんが吹き出した。


「そりゃあよかったな。ところでお嬢ちゃん、まだ時間があるならちょっと俺と散歩しないか?」

「はあ。まあ、ちび様のところに行くのは夜ですから、大丈夫ですけど……」


 デンスさんの意図がわからないまま私がそう答えると、彼はまたもや牙をむいて笑い、近くを通った若熊に私の荷物を預けてしまった。

 そうしてその肉球ぷにぷにな手で私の手を掴むと、道を外れてどんどんと森の中へと突き進む。森の熊さん……。

 一応、若い娘としては男の人に連れられて人気のない場所へ、なんて真っ先に警戒すべき状況なんだけど、なんていうか……相手が熊なもんで。ある意味警戒心はあるが、そういう方向性でのアンテナが働かないっていうか。

 少し固めの毛並みに、簡素な麦色のシャツ、そして茶色のズボン。そこから下げられた大きめの鞄。靴はさすがに履いていないが、二足歩行。時々頭の上の丸い耳がぴこぴこと動く様は、ちょっとたまらない。

 日本にいた時には想像もしなかったけどね、しゃべる熊さん。服を着た熊さん。ああ、携帯があればなあ……。

 そういえば、相馬原の訓練場にも時々熊が出たとかいってたっけ。あれはツキノワグマだけど。まあなんというか、縁だよね、縁。

 なんてのんびりと考えていたら、突然デンスさんが足を止めたので、私はそのままその身体にぼふり、とぶつかった。さすがに鍛えられた熊さんの身体は痛い。


「で、デンスさん?」

「着いたぞ」


 赤くなっているだろう鼻を押さえながらデンスさんを見上げると、彼はその黒い瞳を優しくゆるめ、握っているのと反対の手で前を指さした。その爪の指す方向を見た私は、思わず歓声を上げる。


「綺麗……!」


 里から離れた森の奥、突然開けたその空間に広がっていたのは、色とりどりの花畑。まるで誰かが丹誠込めて作り上げた箱庭のような、美しい場所だった。

 近くに沢でもあるのか、かすかに清涼な水音も聞こえる。

 ひとつひとつは豪奢な花ではないけれど、ときおり森を流れる風にふわりと柔らかく揺れる様は、私の心にすっと染みこんできた。何だか、涙ぐんでしまうほど。

 そんな私の背を、デンスさんがそっと押す。


「昼飯まだだろう。簡単なもの持ってきてんだ、よければここで食おうぜ」

「あ、ありがとうございますっ」


 そう言って先に花畑に入っていくデンスさん。涙目になった私に気を遣ってくれたんだろうか。私は慌てて目尻に滲んだそれを拭って、あとに続いた。

 なんだか踏みつけてしまうのが勿体なくて、もたもたと花畑を進む私に、デンスさんは少し立ち止まってその手を差し出す。


「そんなに恐れなくても、こういう野草は踏まれても意外と強いんだぜ?」


 そう言いながら、差し出された手を掴んだ私の身体をふわっと持ち上げると、そのまま数歩歩いて花の真ん中へと降ろしてくれた。なんていうか、人生初のお姫様扱い!?

 それなりに筋肉もあって、標準よりは確実に重いだろう私を抱えても、その身体はびくともしなかった。さすが、熊!

 少し赤くなった顔をそらしつつお礼を言うと、デンスさんはますますご機嫌になった。そして、下げていた大振りの鞄から布を取りだして畑に引くと、私にその上に座るように指示する。おおっと、本日二度目のお姫様扱い!

 職業柄いつもなら、草の汁が尻につこうがまったく関係なしの私だけれど、そういえば今着ている衣装は借り物なんだった。

 この里の女性が身につける、民族衣装みたいなもの。なんとなく着物みたいにも見えるけれど、袖は洋服のようにしぼんでいて、手首のところだけが少しふわりと広がっている。布を重ね、それを胸の下で帯を使って止め、そのままロングスカートのように足首まで流す。帯のあまり部分も一緒に垂らしているので、優雅なことこの上ないんだけれど、久しぶりのスカート感覚になんとなく慣れないでいたりする。

 迷彩服から着替えても、インゼリアではズボンだったしなあ。なんて、布の上に腰を下ろしながらぼんやりと考えていた私に、デンスさんがこれまた布に包まれたものを差し出した。


「パナーラだ。ここいらじゃ、農作業の間によく食べるんだけどな」

「パナーラ……」


 デンスさんの説明に、少しわくわくしながら包みを開けると、出てきたのは美味しそうなハンバーガーっぽいものだった。肉挟みパン万歳っ。

 その嬉しさが表情にばっちり出ていたのか、私が何か言う前にデンスさんは大きな笑い声を立てた。


「喜んでもらえたようで、よかったよ。お嬢ちゃんは人の月から来たって言うもんだから、俺らの食いもんで大丈夫なのか、最初はわかんなかったからなあ」

「さっきも言ったとおり、ここは私のいたところと似てるみたいですよ」


 デンスさんが言う『人の月』っていうのは、前にティアオに教えてもらった三つの月のひとつ。私のようにこことは明らかに違う場所からやってきた人は、あの月から来たって思うのがここらの考えみたい。

 つまりは私以外にもちらほらそういう存在があるってことで、つながっているならこちらからむこうに戻れる確率もゼロじゃないってこと。それがわかっただけでも、ほっとする。


『必ず、お前を元の世界に帰す。約束する』


 そんなことを考えていた私の脳裏に、あの日のちび様の言葉が不意に甦ってきた。抱き締めてくれた温かく小さな身体。瞼に目尻に額に頬に、優しく触れた唇の乾いた感触。

 そのちび様は今、深い眠りについている。あれからもう、ひと月になるんだ。

 みんなと別れ、インゼリアが焼け落ち、そうして懸命に慰めてくれていたちび様までをも失いかけたあの日。私は、目の前で大きな口を開けているこの熊さん――熊族ベアルリンガの若長デファンスさんと出会ったんだ――。





「ウェイ? それはウェイフォン・インゼルじゃねえのか!」


 警戒心と危機感が最高潮に達していた私に、目の前にのっそりと姿を現した大きなヒグマはそう言って目を丸くした。熊なのに、熊なのに、しゃべった!

 思わずあんぐりと口を開けて固まる私に、その熊はのしのしとその巨体を揺らし、近づいてくる。

 木々の間から差し込む月の光と、遠くで燃え落ちていくインゼリアの炎に照らし出されたその姿は、さらに私の驚きを誘う。だって、熊が二足歩行まではあり得るとして、なんで洋服着ちゃってるの!?

 胸元をゆるく紐で結んだ簡素なシャツに、茶色の着古されたズボン。それを身につけている身体は確かに熊の、少しごわごわとして見える黒に近い茶色の毛並み。意外とつぶらな黒色の瞳がなんとなくびっくりしたように、私たち二人を見つめていた。

 ぬっと伸ばされた鋭い爪のついた手に、私は我に返り身を固くする。腕の中のちび様を自分の方に引き寄せて、震える手に握っていた銃剣を前に突き出す。


「こっ、来ないで!」

「おっと」


 私のその行動に、素早く手を引いたしゃべる熊は、一定に距離をとると困ったように首を傾げて見せた。か、可愛いとか思ってないよ、多分。

 それから、熊はふんふんと辺りをうかがうように鼻をひくひくと動かす。


「血の臭いか。お嬢ちゃん、もしかしてそこで寝ちまってる奴、怪我をしてるんじゃないのか? だったら悪いようにはしない。それを収めてくれ」


 落ち着いた低い声で、人懐っこく熊はそんなことを言う。

 私は右手で銃剣を突き出したまま、一瞬だけ視線をちび様へと落とした。その顔はどんどんと血の気を失い、白く変貌していく。時間がない。

 そして私はもう一度わずかな明かりの中で光る、そのしゃべる熊の瞳をじっと見つめた。

 黒く、身体の割には小さなその瞳の中には、少しの焦りと心配そうな光。しばらくそうしてにらみ合い、それから私は右手をゆっくりと降ろし、全身の力を抜いた。

 それを見て取った熊が、再びゆっくりと私たちに近づいてくる。気は抜けないけれど、賭けてみるしかない。

 ここで殺されなくても、私ひとりじゃあちび様を守りきれない。情けないけど、今はそれが現実だった。


「こりゃあひでえな。どんな力でぶっ刺さったんだか、深いところまで入っちまってる」

「た、助かりますかっ。ちび様、死んだりしませんよね!?」

「ちび様ってこたあ、やっぱりウェイなんだな?」


 確認するように訊かれたその名前に、私は戸惑いながらも頷く。

 もしかしてこの人たちがガナドール側だったら、私とちび様がこのあとどんな扱いを受けるかわからない。いい方向にいくってことは、絶対にないだろうことだけはわかるけど。

 私のその警戒心を的確に読みとって、しゃべる熊さんはにいっと笑って見せた。牙むき出しで、大変に安心感のない笑顔だけれど。


「俺たちはミーメの里のもんだ。どうもインゼリアによくないことが起こってるらしいってんで、斥候隊をまとめて来た。ミーメはインゼリアと縁深い。だから、ウェイもお嬢ちゃんも悪いようにはしねえって」

「ミーメ……?」

「ここらのもんじゃないのか? その服装はインゼリアのもんだと思ったが……まあいい。まずはこいつの治療だ」


 探るように見つめてきたその瞳がちび様の背に落とされ、鋭い爪のある分厚い手のひらがそこに触れる。意識がない中、ちび様はそれに呻いて顔をしかめた。

 熊さんはその様子に頷くと、固定していたシャツの残骸を取り除きながら、背後でこちらを窺っている仲間たちに指示を出す。


「おい、ダーティ! 紫草しそうを出せ!」


 名前を呼ばれた仲間の熊さんが、素早く腰に下げられたシザーバックのようなものから、紫色に染まった草らしきものを取り出しこちらに差し出した。

 しゃべる熊さんはそれを受け取り、口の中に放り込んで四、五回噛み締めると、それをちび様の背中の傷へと押し当てた。

 じゅっという嫌な音が小さく響き、ちび様の喉からひどく辛そうな呻き声がもれる。力無く私の肩に回っていた腕に、力がこもる。

 それにかまわず、熊さんはその草を押し当てながらゆっくりと刺さっていた木片を引き抜いた。その瞬間、びくりとちび様の小さな身体が緊張し、その手が痛いくらいに私の背中を掴んだ。声にならない声が放たれ、そうして次の瞬間身体は力を失い、私へと倒れ込む。


「ちび様っ」

「とりあえずこれで保つ。あとは、里に行ってからじゃねえと、何もできん」


 大きく息を吐いて、熊さんは泣きそうになっている私を見た。自分が今どんな顔をしているかなんて気にもしていなかったけれど、どうもよっぽどひどい顔だったらしい。熊さんはその毛皮に包まれた手をそっと、私の頭に乗せた。そしてぽんぽん、と軽く宥めるように叩く。


「大丈夫だ、心配すんなって。こいつはこの程度じゃ死なねえよ。仮にも『ウェイフォン』の名を継いでんだからな」


 熊さんはそれだけ言うと、私の身体からちび様の身体を離し、抱きかかえて立ち上がった。釣られるようにして私も立つ。もう何年も立ち上がってなかったかのように、膝が震えてよろけてしまった。

 その私を身体で受け止めてくれた熊さんが再び仲間に目配せをすると、さっきダーティと呼ばれた熊さんがやってきて、私に背を向けてしゃがむ。えええ?

 きょとんとしゃべる熊さんを見上げれば、「里はここから遠い。おぶされ」とだけ言う。熊におんぶしてもらうなんて、どういうことなの!

 なんて思いつつも、この膝じゃあついていけるかわからないと、ここは素直に熊さんたちの言うことを聞くことにする。そうして恐る恐るその背に乗った私は、思いがけない暖かさにようやく安堵の息を吐いた。

 その私の背に、今度は別の熊さんがさっとマントのような布をかけてくれる。


「あの、寒くはないですよ?」


 私が歩くのとは比べものにならない速度で移動を始めた熊さんたち。私はしゃべる熊さんに遠慮がちにマントのことを伝える。

 すると、ちび様を抱えたままで熊さんは器用にウィンクして見せた。


「だってよお、そんな格好さらしとくのは、もったいねえだろう?」


 その言葉に私は、着ていたシャツはさっき引き裂いて使ってしまったことを思い出す。慌てて自分の今の格好を見下ろし、そして思いっきり悲鳴を上げてしまった。上半身ブラのみって、どこの変態だ!

 ちがあああうっ! これは訓練用のスポブラであって、いつもはもっと可愛いふりふりなんだよおおおっ!

 との私の心の叫びは、もちろん熊さんたちには届かなかったのである。



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