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ちび王様と自衛官な私  作者: 吉田
ベアルリンガ
15/28

誓約と銃剣と



(ごめんなさい)


 真っ暗闇の中、その声が私の凪いだ意識にひとつの波紋を呼び起こす。

 閉じてないのに、なにも見えない目を、開ける。それは不思議な感覚だった。そうして私は上も下もない、右も左も存在しないその場所で身を起こす。

 無意識に探った手に、小銃の慣れた固い感触があたり、ほっと息を吐く。どこにも知る場所や人がいないこの世界で、私を元の居場所とつなぐ唯一のものだから。


(ごめんなさい、末葉)


 愛おしく小銃を撫でていた私に、再び小さな呼びかけ。

 その声に導かれるように顔を上げると、そこには十代らしき少女が泣き腫らした目をして私を見ていた。どこか、懐かしさを覚えるその顔立ち。


(たすけて)


 ぼんやりとそれを見つめていた私に、彼女はぽろぽろと涙をこぼしながら訴える。悲痛なその言葉に戸惑う私に、彼女はさらに重ねて言った。


(可哀想なイグニスを、たすけてあげて……!)


 イグニス?

 人の名前だろうか。けれど、聞き覚えのないそれに私が首を傾げると、彼女はいよいよ本格的に泣き崩れ、そうしてその身体がうっすらと透け始めた。

 驚いて伸ばした私の手は、透明な何か膜のようなもので弾かれる。その瞬間。真っ暗だったその空間が光に包まれ、真っ白になった。

 少女の姿も何もかもが消え、飲み込まれる、そう恐怖した。そこに――。





「……バっ、ウラバっ!!」


 がくがくと強く身体を揺さぶられる感覚に、私の意識は急激に元の場所へと戻っていく。ふわふわと浮いていた身体が、重りをつけられて落っことされたみたいな、ひどい気分。

 私は小さく呻くと、ようやくうっすらと目を開けた。


「ウラバ、よかった……」

「ちび、様……?」


 目を開けたそこにあったのは、暗闇の中で光る青。ちび様の瞳。

 まだぼやける目を何度かしばたたかせていると、いくらかほっとしたような表情のちび様が、私からそっと身を離した。

 その動きにつられるように、私はゆっくりといつの間にか寝かされていた状態から身体を起こす。あちこちに小さな痛みが走るけれど、大きな怪我はないみたい。

 無意識に両手を使って身体を点検していた私は、そこで先ほどの記憶を取り戻した。静かに私の様子をうかがっていたちび様にすがりつく。


「シムさんっ、シムさんはっ! ティアオも、クワイにガン、隊長がっ!」

「落ち着け、ウラバ」

「だって、血がっ、みんな……っ」


 急激に甦ってきた生々しい光景に、知らず身体が震え出す。まるで一気に気温が下がったみたいに、奥歯がかちかちと鳴り、さあっと顔から血の気が失せていくのがわかった。

 その私の肩を、ちび様の小さな手が強く掴む。

 見れば、彼はひどく静かな表情をしていた。風のない日の湖面のような、そんな青の瞳。


「よく聞け、ウラバ。インゼリアは……焼け落ちた」

「え……?」

「シムが法力を反転させた。あいつの力だったら、あの辺りを巻き込んで吹き飛ばすはずだ。王宮や防壁は古竜のせいでとっくに壊れちまってる。俺の力じゃ近衛の者達が今どうなっているか……わからねえ」


 そう言って、ちび様はふっと私の後ろに視線を流した。

 それを追うようにして振り向けば、今いる森の木々の間から、うっすらと赤い炎が見え隠れしている。ずいぶん遠いけれど、あれは……インゼリア!

 暗くてよくは見えないけれど、王宮の周りを囲む森の半分がえぐられたように失われ、そこから煙と炎が立ち上っていた。あまりの光景に、私は言葉を失う。

 こんなのは、嘘だ。嘘に決まってる。


「炎がおさまれば、ガナドールが押し寄せる。俺たちは帰ることはできねえ」

「そんな! だって、あそこには……!」


 あそこには、みんながいるんだよ?

 倒れた隊長が、傷ついたティアオが、戦っているクワイとガンが。私たちを逃がしてくれたシムさんが、あそこにはいる。

 言葉にならない私の訴えに、ちび様はただ静かに首を振った。やめて、否定しないで。

 インゼリアから離れたら、ここから離れたら、全部なくなってしまうような気がして、私は恐慌状態に陥った。自分自身を固く抱き締め、耳を塞ぎ、しゃがみこむ。

 全部、全部全部、嫌だ。こんなのは、嫌。わからない。間違ってる。どうして。

 その私の身体を、ちび様が急に強く抱き締めた。

 私の全部を包み込むにはまだ幼い身体は、それでも懸命に私を腕の中へと抱き入れる。なにか、すべての恐ろしいことから守ってくれるように。

 小さいけれど固い豆だらけの手のひらが、私の背中を薄いシャツ越しに撫でていくのがわかる。何度も、何度も。

 そうしてちび様は、かたくなに耳を押さえつけている私の手をそっと外し、頬を包み込んだ。ゆっくりと合わさった視線の先で、ちび様はひどく切なそうな表情になる。


「ちび、様」

「ウラバ。いいか、俺を見ろ。俺の目を見るんだ」

「や……っ」


 目を逸らして自分の中に閉じこもろうとする私を、ちび様は許さずに、もっと顔を近付ける。こつりと、額と額が触れた。すぐそばに、特徴的な縦長の瞳孔。鮮やかな虹彩。

 それらが私の、ばらばらになりかけた心をつなぎ合わせていく。


「俺が、守るから。絶対にお前を守るから。必ず、お前を元の世界に帰す。約束する」


 低くささやかれた言葉は優しく、力強いものだった。誓約させる、そんな響きが私の涙腺を緩ませる。

 ぽろぽろとこぼれ落ちていくそれを、ちび様の唇がそっとすくった。

 それは恋だの愛だの、そういうものでは決してなくて、ただひたすらに相手を癒すような行為。言うなれば、兄が妹にするようなそんなものだった。壊れ物に触れるような仕草に、私は身体の力が抜けていくのを感じる。


「俺の前で我慢すんな。好きなだけ、泣け。その代わり、頼むからひとりになろうとすんなよ。抱え込むな。いいな?」


 苦しげに問われたその言葉に、私は黙って頷いた。

 今までため込んでいたものが、まとわりついていた負の感情が、止まらない涙と一緒に流れ落ちていく。その間ちび様はずっと私の瞼に、目尻に、頬に、そして額に、優しく口づけてくれた。

 そして落ち着いた頃合いを感じ取り、頬から手を離すと私の顔を覗き込んで笑う。


「もう、大丈夫だな?」

「はい……。ちび様、ありがとう」


 少しだけ笑顔を作った私に、ちび様は大人びた笑みを浮かべて何かを言おうとして。ぐらり、とその身を私のほうに傾けた。

 反射的に差し出した両腕の中に、ちび様が倒れ込む。落ち着いたはずの心が、再びざわりと波を立てた。


「ちび様っ」


 ふっとその背を見ると、そこには大きな木片がひとつ、突き刺さっていた。黒髪の間から見える顔が、苦悶に満ちている。

 受け止めた手に何かが触れ、呆然としたままそれを見れば、私の手のひらは真っ赤に染まっていた。それは、隊長の身体を受け止めた時に見た――。


「や、だ……っ。いやだっ、ちび様っ、ちび様っ!」


 私の呼びかけに、かすかにその眉がぴくりと反応を示す。違う、まだ生きてる!

 そのかすかな希望を頼りに、私は再度恐慌に陥ろうとした自分の心を叱咤する。私がここでパニックになったら、ちび様は助からない!

 とっさに着ていたシャツを脱ぎ、縦に裂いてちび様の傷口を塞ぐ。そしてそのままぐるぐると身体全体に巻き付け、木片が動いたりしてより深く刺さらないよう、抜け落ちて出血しないように固定する。

 一刻も早く、刺さっているものを取り除いて止血しなきゃ。

 周りを見渡せば、そこはただひたすらに暗い森が続いている。ずいぶん遠くまで飛ばされたのか、ちび様が運んでくれたのかわからないけれど、インゼリアの人たちが避難している場所ではないみたいだ。

 どうしよう。どこへ行けばいいの。

 いつもの癖で、私は自分自身を確かめるように、背負った小銃の追い紐を握りしめる。

 ちび様を私が抱いて運べないことはないだろう。けれど、傷口を動かさずにそれができるかというと、正直不安だ。

 この木片が彼の内部のどこにまで達しているのか、それがわからなければ安易に動かすことはできない。けれど、このままここにいれば必ず事態は悪化する。

 焼けつくような焦燥感に、私が叫びだしたい気持ちを必死に抑えていた、そこに。

 ぐる、と何かが喉を鳴らす音が聞こえてきた。

 はっと辺りを見れば、一定の距離を保った場所にいくつかの光る瞳があるのに気がつく。いつの間にか、何かの動物に取り囲まれている。

 腕の中のちび様を強く抱き寄せて、私はその瞳たちと対峙した。右手で素早く腰に括りつけた銃剣を強く引き抜く。血の臭いに誘われた肉食動物?

 刃止めされたこれと、小銃しかない私が追い払える相手?

 なるべくちび様の身体に負担がかからないよう、慎重に私は後ずさる。けれど、後ろはもうさっきみた斜面だ。限界がある。

 がさり、がさり、そんな大きな何かが草をかき分ける音がして、そうしてついに私の目の前にそれが姿を現した。

 私の何倍もある体躯。全身が固そうな毛に覆われ、暗闇で光って見えたその瞳が鋭くこちらを睨んでいる。大きな手と、それに付随する鋭い爪。

 それは、私で言うところの『熊』だった。

 どうしよう、どうしたらいいの、どうすれば!

 震える体を必死にコントロールしようとしている私に、その仁王立ちの熊はのっそりと近づいて、そして――。


「ウェイ? それはウェイフォン・インゼルじゃねえのか!」



 熊が、しゃべった!



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