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ちび王様と自衛官な私  作者: 吉田
インゼリア
11/28

持続走3キロ13分の実力を発揮する時



 努力は人を裏切らない、とは教育隊でお世話になった班長から頂いた言だけど、私はたった今ものすごくそれに同意していた。人間やればできる!

 最後の最後で手が滑ってしまったが、終わりよければすべてよし。

 こすれて真っ赤になった手に息を吹きかける。そして、勢いよく地面に着地したためにびりびりとしびれる足と、遅れてやってきた恐怖感に笑う膝を叱咤するように数回、拳で叩いた。

 巻き付けたロープもどきをほどくついでに、身体の点検。自衛隊で普段からするように、両手で頭から足までを順番に触っていく。よし、特に怪我もなし。

 降下途中で風にあおられ、外壁におでこが激突する場面もあったが、木作られたそれがへこむことはあっても私のほうにはダメージはなかった。なに、この妙な敗北感。

 八つ当たりでロープもどきを地面に投げ捨てると、私はひとつ深呼吸。

 それから肩にかけていた小銃をいったん降ろし、負い紐を伸ばしてから今度は斜め掛けにしっかりと背負った。

 気持ちはなんだか障害物走のようでもある。

 小銃を背負って網をくぐり、地を駆け、自分の身体の倍もある壁にびたっと貼り付いてそれを乗り越えるという……ちょっとだけ楽しくもある、あれ。

 そうやって訓練の時のことを思えば、さっきまであった膝の震えも見事にすっと治まった。

 いつの間にか、そんな風に根っからの自衛官根性が身に付いてしまった自分に苦笑して、私は王宮に続くはずの道を見据える。

 この外苑を抜け、中庭の扉をから中に入り、そのまま行けば王宮中心部のはず。持続走3キロ13分という、体力検定1級の足を持ってすれば、そこまでの距離はあっという間。

 胸の前にかかる負い紐を握りしめ、いざ駆け出そうとした、その時。

 その目指す王宮のほうから轟音が鳴り響き、ここからでも見て取れるくらいの炎の柱が夜空に立ち上った。

 それは訓練展示で見た戦車の射撃よりもすごい衝撃。それから振動。いったいこの国に、何が起こっているというんだろう。

 さっきまでティアオと見上げていた静かな夜空は、今は禍々しいほどの赤に染まりつつあった。私は無意識に唇を噛む。それでも、動くって決めたからにはここでひとり、おろおろしていてもしょうがない!

 改めて覚悟を決め、私はその炎の明るさを頼りに王宮に向かって駆け出した。

 暗い足下、砂利の敷き詰められた外苑の道を、転ばないように注意しながら走り抜ける。

 震えはないけれど、まるで身体全体が自分のものではないような、変な感覚。緊張しているのか、パニックなのかすら判断ができない。

 こんな風に、自分一人で事に当たるなんて今までなかったことだから。

 いつもならば、陸曹や曹長、それに小隊長の指示に従って動いているだけだった。それがどんなに心強いことだったのか、私は思い知る。

 何かが少しずつこみ上げてきて、私はぐっと奥歯を噛み締めた。まだ、動き始めたばかりなのに、情けない。

 色々とごちゃ混ぜになった気持ちをこらえながら、私は人影を探して視線をさまよわせる。けれど、この場所にもともと人がいないのか、それともすでにみんな避難しているのか。まったく人の気配は感じられない。

 お祭りの準備をしていたはずの街の人たちはどうしているんだろう。

 それに借り出されていた近衛隊や、隊長や、様子を見に行ったままのティアオ。クワイにガン、それからシムさんに――。


「ちび様……」


 彼は確実にあの王宮の中にいるはずなんだ。

 その名を呟けば、昼間に言われたあの言葉が甦る。


『お前は俺が守ってやる』


 自然と目尻から流れた涙を、見なかったことにして乱暴に拭う。本当は、怖い。

 慣れたとはいえ知らない土地で、何が起こっているのかもわからなくて、ひとりで。

 だけど、私を助けてくれると言った彼を、私だって助けたい。あの小さな肩にこの国の全部を背負ってまっすぐ立っている、ちび様を放っては逃げられないよ。

 外苑を抜け、中庭との仕切扉の前で私はいったん足を止めた。

 ここから中に入れば、中庭をはさんで王宮はすぐ目の前。大した距離を走ったわけではないのに、いつもより呼吸が上がっているのがわかる。緊張のためだろうか。

 空気を吸うことよりも吐くことに重点をおいて、呼吸を整える。すると、目の前のその扉が開き、中から人影が飛び出してきた。


「うわっ」

「あっ、……ウラバ、さん?」


 驚いて飛びのいた私に、かすかに聞き覚えのある声がかけられた。

 顔を上げ、暗がりに目を凝らしてよく見れば、それは昼間中庭で私が激突したクガツさんの姿だった。

 泥と少しの血がついていた顔は清められ、服装もどことなく清潔なものに変わってはいるが、その細い目はよく覚えている。見れば、その近くにフクさんの姿もあった。

 この異常な状況の中、少しでも見覚えのある人たちに会えた私は、少し嬉しくなって声をあげる。


「クガツさん! フクさん!」


 怪我を負った様子もなく元気そうなその姿に、私はほっと息を吐いた。

 そういえば、ちび様とシムさんが話している時、ナツメからの人たちは中庭にって言っていた気がする。とにかく、無事でよかった!


「ナツメの皆さんは、大丈夫だったんですか!?」


 私のその言葉に、クガツさんは少し戸惑ったように口を開いた。


「私たちはこの通り無事ですが……。ウラバさん、あなたはどちらに行かれるんですか。中庭から先はすでにあちこちが崩れ、とても危険です。王宮を守っていた王の防壁も、今は消えてしまっているようですから」


 荒れることのない落ち着いたその声に、私はいくらか冷静さを取り戻した。彼のどこか静かなたたずまいに背筋を伸ばし、そして私は扉の向こうにあるはずの王宮を見上げた。

 ここからでは、中庭と外苑を仕切る塀によって全体を見ることはできないけれど、今も小さな破裂音と炎の熱が、かすかにここまで届いてきていた。

 ぱきり、とどこかで木の爆ぜる音が心細さを煽る。

 王の防壁が、ない。

 それはちび様の力で成り立っていると、隊長や見習いたちが言っていたもののことだろう。

 だとすると、その防壁が消えてしまっているというのは、ちび様にとってどういう状況なんだろうか。

 無事であってほしい。それを確かめたいから、私は――。


「私は王宮にむかいます」

「しかし……」


 暗闇の中、クガツさんの顔を見上げてそう言った私に、彼は何かを言おうとして言葉を切る。その背後から、クガツさんを制するように肩に手を置いたフクさんが私の前に立つ。

 彼は少しの間私と視線を合わせると、ふわり、と優雅な動きで夜空を指さした。

 その動きにつられて空を見上げれば、そこには炎の色を映したような月。

 ティアオと見上げた時には優しい色をしていたはずの、竜と人と神様の月。


「月がすべて紅く染まり、人の月は煙に覆われてしまっています。この国には絶望が降りかかっている。それでも、行くのですか?」

「絶、望……」


 聞き慣れないその言葉は、私の胸の内を大きく揺さぶった。心の中に生まれた不安はもやもやと渦巻いて、あの炎と煙のように胸の内に広がっていく。

 だけど。


「私が困っている時によくしてくれた人たちがいるから、私は行くんです」


 強く、ほとんど睨み付けるようにして、私はフクさんに言う。

 かすかな炎の明かりに照らされたフクさんの金髪が、場違いなほどに美しくそれを反射して、揺れた。うっすらと、彼はなぜか満足そうな笑みを浮かべてみせる。そうして、「そうですね」とだけ静かに呟き、その手を下ろした。

 ふたりのやり取りを困惑したように見つめていたクガツさんと、そのまままたじっと私を見つめているフクさんに、私はなんとか笑顔を作ってみせる。感謝の意を込めて。


「ご心配、ありがとうございました。おふたりも、ご無事で!」


 次にどこかで会えたらいいなと思ったけど、それは言わずに私は中庭への扉を開ける。

 気持ちを切り替えて。この先に何が起こっても、とにかく行けるところまでは行こう。

 そう決意して、私は一歩足を踏み出した。



***



 扉の中に消えていった娘の小さな背中を見送って、クガツと呼ばれた青年――ノウェム・セプテンベルは思わず深いため息をついた。

 最後までこちらを気遣うことを忘れなかった彼女が、この事態を生み出したのが自分たちだと知ったなら、どう思うのだろうか。柄にもなく、胸が痛む。

 そんなノウェムの姿に目を細め、からかうような笑みをゆるりと口の端にのせたフク――テラス・ガナドーレは、それに気付いて非難するような視線を送る彼に、ますます笑みを深くした。


「何を戸惑うことがある」

「……副官の地位に置きながら、あなたは私に何も明かさない。これはいったいどうしたことなのですか。この国で、今何が起こっているのです」


 ノウェム自身、まさかテラスが自らこの地まで来て、皇帝への言葉通りに偵察だけで大人しく帰るとは思ってはいなかった。

 そもそも、インゼリア国境には堅固な防壁があるのは周知の事実であったし、上辺だけの扮装で身の内に持った害意を誤魔化せるとは思えない。だから、まずは使者を送り様子を探るべきだと進言したノウェムに、テラスが差し出したのは真っ赤な液体。

 それが何かと問う間もなく、頬に、首に、塗りつけられる。

 錆びて、喉の奥をぐっと押されるような匂いに、思わず顔をしかめたノウェムに、彼はやはりからかいの笑みを見せたのだった。

 テラス曰く、これさえ身につければ防壁を越えられるということ。果たしてその通り、伺いも立てずとも、防壁はなんの抵抗もなく自分たちに開かれた。

 そうしてテラスと自分を含めた6人の偵察隊は、インゼリア王宮の中庭まで通されたのだった。

 しかしながら、インゼリア王は慎重な対処を見せる。

 彼らを招き入れた中庭に防壁を施し、建前は安全の為としながら自分たちをそこに押し込めたのだ。

 大胆ではあるが合理的なその対応に、ノウェムは唸る。中枢に近すぎる感はあるが、防壁がある以上、こちらは好きに動くことはできない。そしてなまじ民草の中におくよりも、ずっと監視がしやすいだろう。

 自ら中庭をあちこち見て回ったが、さすがに穴らしきものはなかった。

 その途中、さきほどの娘にぶつかられたことを思い出したノウェムは、問いに答えないテラスをただじっと見つめた。

 ノウェムは軍人ではない。少しでも知己のある者が巻き込まれていくだろうということを、自分の中でうまく割り切ることができなかった。

 そんなノウェムにかまわず、テラスは闇夜に軽く右手を挙げる。すると、どこからともなく四つの影が現れ、彼の足下に跪いた。


「狩りの開始だ。目に付くものはすべて滅せよ。ただし、あの娘は私のもとへ」


 静かだが重く響くその命に四つの影は黙って頷くと、現れた時と同じように気配もなく、闇の中に溶けていった。

 その指示の内容にノウェムは驚き、さきほどのことは忘れて再びテラスに声をかける。


「なぜ、あの娘を」

「気に入ったからだ。それ以外の何がある?」


 当然のことのように返され、ノウェムは何も言えずに黙り込んだ。

 確かに気だては好さそうな娘だが、これといって何か特徴があるわけではない。そこらにいくらでもいるような、そんなただの娘に彼が興味を示すものが何かあっただろうか。

 しかも、帝国軍内で『つるぎ』と称される精鋭部隊に直接指示を出してまで。

 納得できずにもう一度言葉を重ねようとしたその時。

 轟音が響き、ひときわ大きく上がった炎がテラスの横顔を闇夜に浮かび上がらせた。

 完成されすぎたその白皙の面に、紅い炎が映りこむ。開け放たれたままの扉から熱をはらんだ風が吹き付け、彼の豪奢な金の髪をなぶる。

 そして、歪められた鮮やかな緑の瞳を見た瞬間、ノウェムは息を飲んだ。

 肉食の獣のようなそれが今は愉悦を湛え、燦然と輝いている。

 本能に根ざす畏れに近い感情で、発するはずの声は喉の奥にへばりつき、ただ病にかかった動物の鳴き声のような音が漏れただけだった。

 そこに、今度はふたりの近くで爆音が起こる。はっしてそちらを見上げたノウェムの瞳に、吹き飛ばされてこちらへと落ちてくる屋根の破片が映った。

 避けられない、と身を固くしたノウェムの身体を中心に、突然風が巻き起こる。それは暴力的のほど強く頭上までの昇り、渦巻いたかと思うと飛んできたその破片をいとも簡単に消し去った。名残のように、塵になったそれがぱらぱらと降り注ぐ。

目を見開いたまま振り返れば、そこにはこちらに手を掲げたままのテラスの姿。

 その手から発されたのだろうあの力は、間違いなく法の力だった。

 それを見せつけられたノウェムは、今度こそ完全に言葉を失って立ち尽くす。この場に、決してあってはならない力だったからだ。

 テラス・ガナドーレ。帝国の第一王子は、王族の血を受け継ぎながらも法力に恵まれなかった。なかった、はずだ。

 だからこそ王族を離れ、皇帝の臣として下りここにいる。

 何事もなかったかのように身体を覆う布を翻し、背を向けたテラスにノウェムは喉を潰され出もしたかのような、無様に震える声をかけた。


「テラス・ガナドーレ! あなたは……あなたは、いったい“誰”なんですか!」


 その問いに、テラスは一瞬歩みを止める。

 しかし振り向くことなく、ただ感情の読みとれない声を闇に響かせた。


「知りたくば、どこまでもついてくるがいい。私の隣で、すべてをその目にせよ」


 そうしてそのまま、彼の姿は炎の明かりも届かない闇の中へと消えた。

 残されたノウェムは、額から流れる熱さとはまったく違う種類の汗をそっと拭う。彼がわざと自分に力を見せつけたのだ、ということはわかった。

 だが、それで何になるというのだろう。

 ノウェムがそれを本国に報告でもすれば、テラスの立場はすぐに危険なものになる。その立場上、常に簒奪の疑いをかけられながらもこうして軍の要職に突いていられるのは、彼が所詮“出来損ない”だ、という認識が皇帝派にあるためだ。

 才覚に優れ、人を惹きつける魅力を持ち、その外見だけでも現皇帝より優れる兄王子に、法力までもあったとすれば、今の反皇帝派が放ってはおくまい。

 そうなれば、争いになる前にその種となる彼は軍から追放。最悪、幽閉か処刑となるだろう。

 以前、ノウェムが知っていたテラス・ガナドーレには、弟である皇帝に対する歪んだ感情が確かに見えた。上辺を優美に装っても、いつでもその瞳はほの暗く燃えていた。

 けれど、今の彼は――。


「知りたくば……」


 かけられた言葉の意味を探るように、反芻する。

 そうして意を決すると、ノウェムは闇に目を凝らし、テラスとの背を追って歩き出したのだった。


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