富士の麓には野生動物と飢えた自衛官しかいない
団体名・役職名等、実際にあるものをモデルにしていますが、もちろん現実のものとこのお話のものとは全く関係はありません。
7夜8日ってわかるかな。ななやようか。
まかり間違っても7泊8日じゃない、あくまでも7“夜”8日。
たまの休みに娑婆の友人たちにそう訊いてみれば、みんな一様に「なんのこと? 旅行?」と逆に聞き返される始末。
そうか、そうだよね、旅行だったら楽しいよね……。
だがしかし、「7夜8日」という単語は例えば「7日間オールで8日目まで遊ぶぜー!」とかそんなクソ羨ましいような楽しい行事では決してない。
7日間ほとんど眠ることなく8日目まで活動し続ける、というのが7夜8日の意味である。
そしてその真っ最中にいるのがこの私、今村末葉陸士長なのであった。
「今村! ぼけっとすんな!」
「すみません!」
怒る方も怒られる方もすでに瞳は茫洋とし、死んだ魚の如くなっている。
そりゃあ仕事とはいえ、夏でも寒い富士の麓で食うものも食えずに草むらで泥にまみれていれば、最低一度は人生ってものを片足つっこんでよくよく考え直したくなるっていうものだ。
7日目の朝ともなれば、曹長のポケットマネーから出たあんパンひとつでもめちゃくちゃうまい。なんていうか、もう天上の食べ物。世の中にこんなうまいものがあったのかと泣けるほどだ。昨日まで飲んでいた虫入りみそ汁なんて目じゃない。あいつら暖かさに釣られて飛び込んでくるからどうしようもない。
本当、人間お腹が空くとなんでも美味しく食べられるって本当だよね……。
数年前まで「虫虫虫ー!!」なんて騒いで逃げ回っていた自分が懐かしい。ていうか、あの頃の乙女な私カムバック。
今やみそ汁に虫が浮いていようが、ご飯の中でもがいてようが、ちょっと払ったり見なかったことにしてそのままいけてしまう自分が怖い。
誰に言うでもなく言い訳させてもらえれば、「食わないと動けない」、この一点に尽きるのだ。
だからって、「動けないなら休んでいなさい」なんて言ってくれるほどこの職場は甘くない。まあ、仕事なんだからどこの職場でも似たようなものかもしれないけれど。
つまり、食べられなくて動けないけれど動かないといけない。
辛い。それは果てしなく辛い。
新隊員の頃はそんな可愛さもあったけれど、どうしたって動けなくてその上で懲罰腕立て伏せとかくらうくらいなら、なんだろうと腹に詰めてその時間を乗り切らねばならない。
同期や上官なんかは「自衛官の女って女じゃねえよな」などと、おまえらガスマスク付けて駐屯地走ってこい、と言いたくなるような文句を吐くが、可愛らしいお嬢さんやっていたのでは生き残れない世界なのだ。
「今村ぁ! 一秒でも眠ったら、ガスマスク付けてビール飲ませるからな!」
「すみません、汚すと佐藤 1曹に殺されかねないので勘弁してください」
隣の地げきから掛けられた二戸3曹の声に、天に召されそうだった意識が繋ぎ止められる。
「ぼけっとしてんなよ。 今回何でか中隊長がやる気でよー、昨日も居眠りしてた歩哨に偽爆薬投げ込んで喜んでたぞ」
「うわ、迷惑な」
本気で顔をしかめて二人してため息をつく。
私たちの所属する第2整備中隊の中隊長と来たら、大体「変人」で通る。
営内点検に来れば、「女性隊舎に入れてラッキー」とか「片付けられていてつまらない」とか勝手なことをぬかして五分で帰り(点検前には半日はかけて見られるところは全て掃除と隠蔽を施すというのに)、懇親会ともなれば一滴も飲めない癖に何故かべろんべろんの酔っぱらいよりテンションが高い。とにかくそういう人なのだ。
その中隊長の一言により、なぜか今回、後支隊などは全くやる必要性のない7夜8日なんていう地獄のような戦闘訓練がここ、富士山の麓で繰り広げられているのである。
「二戸3曹、私、敵陣地に向かって突撃なんて教育隊以来ですよ……」
「俺だって陸教以来だよ……。 あー、この泥だらけの89(はちきゅう)、最終的に俺が整備するんだろうなあ……キャリバーも俺が……」
「……強く生きましょうよ」
段々と小さくなる声に、とりあえず上辺だけの慰めを試みてみる。合掌。
とにかく、そろそろ終わる突撃支援射撃――ちょっとした煙幕っぽいそれっぽいものが転がるだけ――の後に、赤い旗目指してえっこらやっこらと突撃すればこの地獄は終わる。終わる、はずだ。うん、きっと終わる。
「着剣よおーい!」
曹長の声が響き、一列に等間隔を置いて並んだ小隊員たちがごそごそと腰から銃剣を取りだし始める。
「ああ……これも……」
「終わったら飲み会ですよ、飲み会っ」
虚ろな目で銃剣止め外す二戸3曹を励ましつつ、泥の中に転がったまま89に着剣。いよいよと突撃を待つのみ。
「だいいっぱーん!」
「だいいっぱーん!」
「目標、鉢山頂上、敵散兵200!突撃にー……」
伏せの状態でいつでも飛び起きられるよう呼吸を整える。
訓練とはいえ、クライマックスのこの突撃時にはさすがに小隊員も多少の緊張感。
「進めっ!!」
曹長の号令とともに、腰の辺りで89式小銃を右手に保持したまま、とにかく野っぱらへと駆け込んでいく。
アドレナリンなんか最高に出まくり。ついでに雄叫びも上げまくり。
だって気合いの足りない状態なんて見られてみろ、絶対に「はい、やりなおしー」とかなる。絶対になる。
だので、私ももうやけくそに叫んだのだ。
「ヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!」