大切なやつ
少し肌寒い部室を二人で片付ける。
桜の季節にはまだ程遠いなか、先輩はこの学校を卒業するのだ。
東京の大学に進学するということは聞いた。学校の名前はあまり覚えていないけれど。私だって来年の今頃には進路が決まっているはずなのに、あまり興味が持てなかった。むしろ頭の片隅に追いやっていた。だってその選択は、私の目の前から先輩を遠くへ連れて行ってしまうものだから。
「ねー、ちゃんと真面目にやってるー?」
冬服とマフラーを身につけた先輩が私に声をかける。本領発揮するには少し時間がかかる暖房のせいで先輩の鼻と耳は少し赤い。
「ちゃんとやってますよ。ほら、これ先輩が前に持ってきてたブランケットです」
女子高生が使うには少し可愛げが足りない茶色のシンプルなブランケット。たしかクレーンゲームで取ったものだと言っていた。
「あー…それどうしようか。一応私のだけど、君たちもいつも使ってるから別に置いて行ってもいいんだよね」
「一旦グループチャットで聞いてみます」
先輩たちの代が抜けた写真部のグループチャット。そこにブランケットが必要かどうかを確認する。
「ね!これみてよ!」
私がスマホを触っていると先輩はやけにテンション高めにこちらにやってきた。手に持っているのはSDカードとケース。カード自体にはラベルが貼られている。
“写真部 ツナカワ”
「これ先輩のですか?」
「私の名前書いてるでしょ、私のに決まってるじゃん。これずっと探してたんだよね」
先輩は答えながらパソコンに向かう。中のデータを見るためにセッティングを始めた。
「いやそうじゃなくて、なんで部室に置きっぱなしに?」
「わかんない、多分どっかに置きっぱなしにしてたやつを誰かが保管してくれてたのかな?」
「どんな写真が入ってるんですか?」
「大切なやつ」
大切なものをなぜ部室に置きっぱなしに?という疑問はぶつけずに先輩の後ろ姿と液晶に表示されるデータを見る。
一枚目、それは見慣れた景色だった。
「…黒板?何も書いてないですけど」
「何も書いてない黒板だけど、大切なものなの」
少し視線をずらして写真が撮られた日付を見る。その日は、私が入学する一年前の五月だった。もしかして、
「部活に入ってから最初に撮った写真ですか?」
先輩は驚いたようにこちらを見る。
「なんでわかったの!すごいね!」
「いや日付…」
と呟いたものの先輩には届かなかったようで、写真がどんどん変わっていく。
見たことのない人が制服を着てこちらにピースサインをしている。多分先輩の先輩だろう。
それから見覚えはあるけれど、見慣れた姿と比べてとても幼い部活の他の先輩たち。今より少しだけ若い気がする顧問。
「この人、誰ですか?」
「私の先輩、この時三年だから君は会ったことないもんね。めちゃくちゃ優しくて良い人だったんだよ」
「…そうなんですね」
そこから先輩は写真をたどりながらその時の思い出を語る。
「放課後にみんなでカメラ持って散策したんだよね」
「このアイス、顧問が奢ってくれたんだ」
「体育祭でこの先輩がめちゃくちゃ足速いのが面白くて」
「これ先輩にいい写真だねって褒められたんだ」
その一つ一つに私は相槌を返しながら、なんとなく面白くない気分になる。私の知らない先輩がいる。私の知らない先輩が見た景色がここにある。その景色には当然ながら私はいない。
「…この人と仲良かったんですか?」
写真にも何度も出てくる一人の先輩を指差す。
「ん?仲良かった、というか今も仲良いよ。たまに会うし」
「…そうなんですね」
嫌になる。先輩は楽しそうにしているのに、楽しくできない自分が。もう先輩との時間は少ないというのに、子供のような幼稚な感情に振り回されている自分が。
「あ、学年変わったねー」
液晶には校門の桜並木が映っていた。連続して桜の写真が続く。そして入学式の写真。これは私たちの学年だ。
「これ初めて学校行事の写真撮っていいよって言われた時でさ、ちょっと緊張したんだよね」
先輩の話を聞きながら、私の同級生たちが映る写真を見る。そんなに時間が経ってないはずなのに、みんなとても幼い雰囲気だ。
「あ、これ君じゃない?」
「え?」
画面の端で壇上にいる誰かを見つめているらしい私が少し映っていた。緊張しているのか、顔が強張っている。
「よく気づきましたね、こんなに小さいのに」
「そりゃずっと一緒にいるからね」
先輩と出会って二年足らずしか経っていないのに、ずっと一緒と呼べるくらい私たちは仲良くなれたのだろうか。
今まで一緒だったとして、先輩がいなくなってからのこれからはどうなるのだろうか。私は、どうなりたいのだろうか。
画面が切り替わって体育館から部室に変わる。そこに、私がまた映っていた。
「これ体験入部の期間?まだ君緊張してない?」
「だって高校生になって初めて学年が上の人たちと会話しましたから。怖い気持ちもありましたよ」
「そうなんだ、今は生意気な後輩なのにね」
そう言って笑いながら画面を切り替える。
部室から撮った夕焼け。園芸部が中庭の世話をしている後ろ姿。食堂で誰かが食器を片付けているところ。
そしてまた私が現れる。これは正式に入部した日の写真だ。同学年のメンバーが全員横並びでぎこちない笑顔をしている。
「誰も辞めなかったね、君たちの学年」
「ですね、みんな仲良しで先輩たちも優しかったですし」
最後の言葉を聞いて先輩はこちらをニヤニヤして見てくる。言わなきゃ良かった。
「ふふふ、優しいだなんて今まで言われたことなかったなぁ」
「別にわざわざいうことじゃないでしょ」
「えー?君がデレてくれたって他の子たちにも言わなきゃなー」
「もういいですから!…早く次の写真に行ってください」
「仕方ないなー」
次の画面。部員全員の集合写真。顧問も入れた写真。それぞれ部員が会話してる写真。カメラを向けられていることに気づいた人はポーズを取ったり笑顔を向けていたりして、気づいていない人は自然な表情で楽しそうに映っている。
「先輩こういう写真撮るの好きですよね」
「なんか良くない?思い出って感じがするじゃん。実際今振り返って楽しいし」
「そうですね」
また写真が変わる。私が他の先輩からカメラの操作方法を教わっている。その次はカメラを構えている。そしてまたカメラを覗いて、嬉しそうな顔をしている。
「………恥ずかしいですね」
「なんで?可愛いじゃん」
「…ありがとうございます」
先輩はよくこういうことを気軽に言ってしまう。私はそれを受け止め損ねて、こうして可愛くない返事をしてしまう。それでも先輩はいつだって私を褒めてくれる。
「この時の君、髪型が違うね」
「そうですね、一年の夏でバッサリ切ったので」
「どっちも似合うねー」
「………」
ほらまたこうやって。
場面が変わって学校の近くのコンビニ。そこでアイスを買ってる。
「さっきもあったやつですね、この時も顧問に奢ってもらいました」
「だね、この時はめちゃくちゃ暑かったの覚えてる」
タオルを首に巻いてカメラを覗く部員。日陰で涼む部員。公園の遊具で遊んでいる写真もあった。
「こんなことしましたっけ?」
「全然覚えてないや」
どんどん私の中の記憶にある景色と先輩の写真が一致する。二人で写真を見て、懐かしいと思い出話をする。
そんな中で少し引っかかる部分があった。
「ちょっといいですか?」
「なに?」
「私の写真多くないですか?」
「………そうかな?」
先輩は少し間を開けて返事をする。
「いやだって、ちょっと遡ってくださいよ」
先輩からマウスを奪い取って、私たちが入部したあたりから見直す。
入部初日に同級生や先輩と話している私。カメラを初めて触って教室内を楽しそうに撮っている私。放課後、学校近くの公園で犬を撮っている私。部室で試験勉強をしている私。黒板に落書きしている私。窓の外を見ている私。
最初はみんなに混じっているだけだったが、どんどん私単体の写真が増えていった。
「ほら、多いですよ!途中から三回に一回は私のソロショットです!」
「それは、近くにいたから撮る機会も多かったんじゃないかな?」
先輩はそういうが、それにしたって私が多すぎる。
「でも一年生の時はこんなに誰かをずっと撮ってることなかったですよ?同級生の方が近くにいること多いはずなのに」
「それは…えっと…うーん…」
画面をスクロールする。どんどん私の割合が増えていく。気がつけば今年になっていた。
「先輩、なんでこんなに私を撮ってるんですか?」
「別に理由なんてないよ。………ただ、カメラ構えたら君がそこにいただけで」
少しずつ先輩の声から覇気が無くなっていく。本当にそれだけなのだろうか。よく一緒にいた後輩の写真をこんなにも残すのだろうか。だって先輩はこのSDカードのことをこう話していた。
「このカードのこと“大切なやつ”って言ってましたよね」
先輩は口を閉じてそっぽを向いた。しかし、顔と耳が真っ赤になる。暖房は効いていて部屋はもう暖かい。
わからない。まだわからない。先輩のこの表情は、この行動は、私と同じ気持ちだから?もし違ったらどうしよう。踏み込んでいいのだろうか。なんで先輩はわざわざこのSDカードを私に見せてきたんだ。
中身が何かわかっているはずなのに。私がこの写真を見て引っかからないわけないのに。
「先輩、あの」
「…なに?」
まだこちらを向いてくれない。
「この大切なもの、なんで私に見せてくれたんですか?」
「…それは、だって、」
暖房だけが部室内で音を立てる。
「一つ確認していいですか?」
「確認って、なに?」
唾を飲み込む。いつのまにか私も暑くなってしまった。多分先輩と同じように顔と耳が真っ赤のはずだ。それでも、とにかく確証が欲しかった。
「先輩って私のこと好きだったりしますか…その、恋愛的な意味で」
言った瞬間に目を強く瞑る。あまりにも自惚れていて自意識過剰な発言だ。顔から火が出るとはまさにこのこと。今すぐ暖房を冷房に変えたい。
「………すみません、やっぱり無かったことに、」
「ダメ!」
言葉を取り下げようとすると、先輩が勢いよく立ち上がったような音が聞こえた。思わず目を開ける。さっきよりも顔を真っ赤にして、少し涙目の先輩がこちらを睨むように見ていた。
「…ダメだよ、そんなの」
勢いを失ったかのように小さな声で呟く先輩。
「好きじゃなきゃこんなに撮らないよ、君のこと」
心臓が震えた。頭が沸騰する。全ての音が遠くに聞こえて、鼓動だけが耳の奥を揺らす。
「あ…えっと、………その」
自分で聞いたはずなのに言葉が出なくて情けない。
「………」
「………」
先輩が勇気を出してくれたんだから、私も何か言わなければ。そう思えば思うほど、言葉が喉で詰まって呼吸しかできなくなる。
「……ごめん、今のやっぱ無しで」
「…え?」
その言葉に時が止まったような心地になる。なんで、せっかく言葉をくれたのに。
「な、な、な、なんで先輩まで取り消すんですか?!!!」
「だって、君が何も言ってくれないから!私が間違ったのかと思って!」
「それは、まさか本当にそうだとは思わなくて!先輩が私のことを好きだなんて、知らなかったから」
「でも私は君に告白したんだよ!今のはほとんど無視じゃないか!?」
「無視じゃないです!なんて言葉を返そうか考えて…それで時間がかかって!」
二人で顔を真っ赤にしながら言い合う。いつの間にかさっきまでの空気は消え去って、私も先輩もいつもの調子になってしまう。
「じゃあ早く返事してよ!私のことどう思ってるの?!」
「そ、そんな感じで良いんですか!もっと空気とか!」
「良いよもう!君は私のこと好きなの?!教えて!」
「好きですよ!………好きです、大好きなんですよ、先輩のことが」
初めて口にした先輩への自分の気持ち。自分でも分からなかった部分があったはずなのに、この人を前にすると考える前に言葉が出てしまう。そうなのだ。好きなのだ、この人のことが。
「…そっか、ありがとう。私も好きだよ、君のこと」
さっきまで同じように顔を真っ赤にして言い合っていたはずなのに、いつの間にか年上らしい優しげな表情で私のことを見つめている。一つしか歳は違わないはずなのに、彼女は私よりもずいぶん大人に見えてしまう。
「進学先、東京なんですよね」
少し苦しそうな顔をしてから先輩は返事をする。
「そうだね」
私たちはまだ子供だ。先輩は東京で大学生として新生活を始める。私だって進路を選択しなければならない時期になる。それぞれのことで必死になるだろう。
少しの沈黙があって、先輩の息遣いが聞こえる。
「でも、それでも私は君のことが好きだよ。これからどうなるとか、そんなことは分からない」
先輩を見る。少し照れたような顔で、まっすぐ私を見てくれた。
「けど、君が好きで、君から私への気持ちも聞けて、嬉しくて、とっても嬉しくて」
私は先輩の言葉をしっかりと受け止める。
「これがずっと続けば良いと思うし、そのためならいろんなことを頑張れると思う。…だから」
先輩は言葉を区切って、大きく息を吸う。私はなんとなく背筋を伸ばして次の言葉を待つ。
「私と、付き合ってくれませんか?」
今度は間を開けない。暖房の音が部室に鳴り響く前に返事をする。
「私でよければお願いします」
二人で顔を見合わせる。
少し気恥ずかしくて、でも目は離さなかった。
「………片付け、再開しますか?」
「ふふっ、そうだね」
先輩は笑ってその場から離れた。私は先輩の大切な写真たちを見つめてから一つ思いつく。
スマホを起動して、画面の中の先輩の後ろ姿を見る。
「先輩!こっち見てください!」
どうしたの?という表情をしてこちらを振り返る姿は、いつも通り優しくて頼りになる先輩のままで、私はシャッターボタンを押した。
「…え?今なんで撮ったの?」
少し戸惑う先輩に私は言った。
「この写真も大切なもの、なので」




