【第1話】 「鏡から落ちてきた少女」
高校二年の春。
俺――朝倉 恒一は、一人暮らしをしている。
両親は海外赴任。
残された俺は、ワンルームのアパートで自由な生活……のはずだった。
「……自由って、もっと楽なものじゃなかったっけ」
朝、ネクタイを締めながら、ため息をつく。
部屋の隅には、前の住人が置いていった古い姿見。
「今日も変わらず、普通の日……」
そう言いかけて、言葉が止まった。
鏡の表面が、ゆらっと歪んだ。
「……え?」
水面みたいに、揺れている。
目をこすっても、揺れは消えない。
「いやいや、ホラー展開いらないから」
そっと、指で触れる。
ひんやりした感触――のはずが。
ぬるっ。
「うわっ」
次の瞬間。
「きゃあっ!?」
女の子の悲鳴と同時に、何かが飛び出してきた。
どんっ。
柔らかい衝撃。
俺は後ろに倒れ、床に仰向けになる。
その上に、女の子がのしかかっていた。
「……ち、近くない?」
「それは、こちらの台詞です!」
顔が近い。
近すぎる。
銀色の髪が、俺の頬に当たる。
「ちょっと、降りてくれる?」
「……あっ!」
慌てて起き上がろうとして、足を滑らせる。
今度は俺が、少女の上に倒れた。
「わっ!」
「すまん!」
手をついた先が、なんか柔らかい。
「……それ、どこ触ってますか?」
「誤解だ! 事故だ!」
「事故にしては、位置が……」
「やめろ、言語化するな!」
慌てて離れる。
◆◆◆◆
とりあえず、落ち着くために床に座る。
少女は、俺の部屋をきょろきょろ見回している。
「……ここは、どこですか?」
「俺の部屋」
「……異界?」
「東京都内です」
「……聞いたことありません」
どう見ても、日本人じゃない。
服も、ファンタジー寄りだ。
「あなたは?」
「朝倉。朝倉 恒一」
「……リュシアです」
「どうして、鏡から?」
「……歩いてたら、鏡が光って」
「歩いてたら鏡が光る世界なの?」
「たまにあります」
「嫌な文化だな」
◆◆◆◆
昼。
冷蔵庫から、食パンを出す。
「……これは?」
「パン」
「……食べられる?」
「信用なさすぎだろ」
トースターで焼く。
匂いが広がる。
リュシアは、そっとかじった。
「……あつ」
「だから言っただろ」
「……でも、おいしいです」
「感想、素直だな」
牛乳を出すと、警戒する。
「……白い液体」
「怪しく言うな」
「……生き物?」
「ただの牛乳!」
◆◆◆◆
午後。
シャワーを浴びようとしたら、背後から声がした。
「……それは、何をする場所ですか?」
「風呂」
「……水場?」
「身体洗うところ」
「……一緒に?」
「入らない!」
「……なぜ?」
「説明が難しい!」
タオルを取ろうとして、振り向く。
リュシアが、ドアのすぐ外にいる。
「……見えます」
「見えるな!」
勢いよく閉める。
「……文明、難しい」
「距離感覚えろ!」
◆◆◆◆
夕方。
姿見を調べる。
叩いても、光らない。
「なんで、昨日だけだったんだろ」
「……門は、不安定です」
「門って言うな」
「……通路?」
「それもやめろ」
リュシアは、少し不安そうに言った。
「……帰れなかったら」
「調べる。ちゃんと調べる」
「……一緒に?」
「一緒に」
少し安心した顔をする。
◆◆◆◆
夜。
布団を二つ並べる。
「……床、硬いです」
「文句言うな」
「……近くで寝ても?」
「だめ」
「……距離、短い方が安心です」
「俺が安心できない」
電気を消す。
暗闇。
「……朝倉」
「なに」
「……落ちてきたとき、怖かったです」
「……そりゃそうだろ」
「……でも、あなたの顔が最初に見えました」
「それ、どう反応すればいいんだ」
そのとき。
姿見が、淡く光った。
「……え?」
光が強くなる。
「……また開きました」
「いや、今日はもう十分なんだけど!」
次の瞬間。
「いたた……」
黒髪の少女が、鏡から転がり出てきた。
巫女服っぽい格好。
「……ここは、どちらでしょうか」
俺は天井を見る。
「……一人暮らし、向いてないかもしれない」
銀髪の少女と、巫女服の少女が並んで首をかしげる。
こうして俺の部屋は。
異界の待合室になった。




