前編
──私の黒豹。
黒い髪に黄金の瞳。軍人らしい体つきの男を一目見て、アイシャは母語でそう呼んだ。うっとりとした響きのまま、その言葉を舌の上で味わう。その言葉の意味を知らないはずの男は、なぜか緊張したように息を飲んだ。
その男は一番目の兄の黒豹を思い出させた。艶やかな黒毛と月の光を注いだような美しい目。アイシャが父にどれだけ強請ってもその動物は与えられなかった。
その黒豹は兄が世話を使用人に丸投げしたせいで、思い出したように会いに来た兄に襲い掛かったという。アイシャはその黒豹が欲しかった。だからこそ、連合国の同盟強化の結婚式としては簡素な式場でその男を見たとき、「黒豹」と呟いてしまったのも無理はなかった。
しかもその男はアイシャの新郎と来たものだ。かつて魔物との戦場で見かけた、戦場を駆ける黒豹のような男。その男がアイシャの結婚相手らしい。
アイシャはレースで出来たベールを上げた男に向かって微笑んだ。私の黒豹。やっと私のもとに来たのか。
黒豹は驚いたようだったけれど、アイシャはそっと目蓋を閉じた。礼式は祖国で叩きこまれた。
唇を触れ合わせ、誓約を課す。だが、黒豹は口の端にちょん、と唇を触れただけ。角度的に参加者には正しい作法に見えているはずだ。目を開けて、背の高い男を見上げる。鍛え上げられた肉体に、アイシャよりも頭二つ分大きい上背。シュテルン共和国の人間は総じて背が高い。逆に言えば、ヤカモズ王国の人間が華奢なのだ。
その日のシュテルン共和国の新聞は「月下族の姫と鬼神閣下の結婚は連合国の未来を決めるか?」と書かれたという。そして「月下族とはヤカモズ王国の人間のことを言う。華奢な肉体ながらも大変に屈強な種族で、見た目で侮ることなかれ。戦場に飛び出せば一騎当千、その美しさに気づいたときには死んでいる。だからこそ神は、彼らの寿命を四十年と儚いものに決めたのだ」と丁寧に解説していた。
しかし、アイシャの黒豹は月下族の美しさには目にも留めず、初夜にも来ず、そして二か月もアイシャを放置している。用意された日当たりの一番良い部屋に隣接する共同寝室の扉には南京錠がかけられて、そのカギは黒豹が持っている。いくら使用人がみんな優しくても、ご飯が美味しくても、ベッドがフカフカでも、堪忍袋の緒が切れそうだ。
「我慢ならん。私は生け捕りにされた獣か?」
アイシャはヤカモズ語で呟いた。あの黒豹を躾けなければならない。とりあえず、アイシャに媚びを売るようになるぐらいにはビシバシやらねば。
そしてアイシャは知らなかった。旦那であるエルンスト・フォン・ヴァルベルグが執務室で頭を抱えながら部下に相談していることを。「触れたら壊してしまう……」と新婚でノイローゼになっていることを。
「早く寿命同期魔法が欲しい……あと二十年で私の仔兎が死ぬなど考えたくない」
とにかく重くて湿っぽい愛を向けられていることを。
◇
戦場を軍馬で駆けるその男を見たとき、なぜか兜をつけていなかった。その端正な顔立ちは泥と血にまみれている。それでもなおその顔を一層魅力的に思わせるものだから、アイシャは一瞬だけ呆けそうになってしまった。馬で並走する護衛騎士、さらに言えば腐れ縁のバトゥールが「姫!」と険しい声を上げたので、アイシャは飛んできた矢を持っていた複合弓で横に払った。
怒号の上がる戦場だというのに、その男はアイシャたちの声に気づいたようだった。アイシャもまた男を見つめて、重い兜を脱ぎ捨てた。
男が目を見開いてアイシャを見つめる。ヤカモズ王家特有の銀髪に驚いたのかもしれないし、戦場で女を見つけたから驚いたのかもしれない。「姫ェ!?」とバトゥールが目を剝いている。
ああ、やはりこの方が視界が良く、いろいろなものが良く見える。「ハハ!」とアイシャは笑った。前を見据えて弓をつがえ、人型の魔物の頭に向けて矢を放つ。餌のことしか眼中にないケダモノが隊列を組むなど、進化したものだ。だからこそ連合国の援軍としてアイシャも戦場へ出ている。十八の姫が戦場に出ることなど、ヤカモズ王家では珍しいことではない。
「姫、的を増やしてどうするつもりですか! 兜の予備は?」
「あるわけないだろう? それに私よりも魅力的な的があっちにいる、さぞや人気に違いない」
バトゥールがアイシャの視線の先を見る。そこにいる男にまた驚いて、「シュテルンの鬼神……」と呟いた。長い剣を手足のように使い、魔物の首を跳ね飛ばしている。まさしく鬼神のごとき働きぶりだ。
「シュテルンと連合なんて組んで足手まといにしかならないと思ったんですけどね、っと!!」
バトゥールがバトルアックスを振り回す。切れ味よりも重さですべてのものを叩き切っているような代物だ。少なくとも馬上で振り回すものではない。しかしながらそれで魔物を二匹屠るのだから、大したものだ。
月下族にまつわる『立てば月見草、座れば百合、戦う姿は人喰い熊』というジョークがあるが、たしかにこの華奢な体と持つ力は不釣り合いだ。連合国として共にシュテルン共和国の軍人と戦い始めてから、三度見されることはよくある。戦場なのでもっと注意しろ、と一喝したくなるが。おそらく、普通の人間は月下族の特異性に驚くものなのだろう。
「お父様に聞かれたら女神の樹に逆さ釣りにされるぞ」
「姫みたいに?」
「戦場で背後から射抜かれたくなかったら黙れ。友軍誤射という言葉を知らないのか?」とアイシャは愛馬のカヒットの首筋を叩いた。
「私は少し遊んでくる。お前もお散歩をしてきなさい。魔物はまずいから食ってはいけないよ」と言い、背にある矢筒から三本の矢を抜き取る。それからカヒットの背に上り、「姫ェエエエエエ!?」と絶叫するバトゥールを無視して、背後に飛び上がって一回転をする。
空中で矢をつがえて、三匹の魔物の脳天を射抜いた。着地点にはちょうどいい獣型の魔物がいたので、アイシャは四本目の矢を手に取って、魔物に着地すると同時に突き刺した。絶命する断末魔が響き、周囲の魔物が一気にアイシャへと目を向ける。
──こいつを先に殺さねば、という憎悪の視線を浴びるたび、アイシャの胸は恋する少女のようにときめいた。
ヤカモズ王家の人間は月の光のような白銀の髪と赤い瞳で生まれ、美しく咲き誇り一瞬で散る。月明かりの下、一晩だけ人知れず大輪を咲かせるのだ。
それこそが宿命であり、四十年の生を受けた月下族としての無上の喜びだった。
──アイシャ・ラカ・ヤカモズもまた、この時は違わずそう散る心づもりだったのだ。
◇
「偉大なる王国の主であり、慈愛に満ちた父であるベイトゥラ・ルカ・ヤカモズにお願い申し上げます」
「申してみよ」
アイシャは玉座の前に膝をつき、頭を垂れた。そのアイシャを睥睨するのは、間違いなく父でありヤカモズの月──国王陛下だ。
「我が敬愛なる姉のディライの代わりに、私をシュテルンに嫁がせてください」
「アイシャ」と父が呟く声は苦悩に満ちている。だからこそアイシャはもっともらしいことを口にするしかなかった。それが痛みを伴おうとも、姉への裏切りであろうとも。
「シュテルンはいまだ保守的な国です。女性は家の中に居て世継ぎを作ることを重視されます。ですがディライは足も悪く体も弱い。いくらそれを補う知力があろうとも、シュテルンでは無意味です。ですから、健康的な女である私をお送りください」
「姉のために自ら檻に入ると? 野山を駆け回ることこそが喜びであるお前が?」
「構いません」
「わかった。シュテルンにはお前を送る」
アイシャは反射的に頭を上げた。威厳に満ちた父はアイシャを見つめており、ただじっと目に姿を焼き付けているようにも見えた。
「そのようにお前の母に言いなさい。余はあの女を怒らせたくはないのだ」
「もちろんです。しかし、よろしいのですか?」
「セブレイルがディライを送れとうるさかっただけだ。アレは力こそ全てで知性などゴミだと思っておる。ディライは確かに体こそ弱いものの、優れた軍師の才がある。その有用性をアレは知らんのだ。ただでさえ短い寿命を縮める理由はない。戦いこそ我らの本分であれど、戦場で散らず家族のもとに帰ってこれるものこそが真の強者だ」
セブレイルとは一番目の兄だ。今現在最も王座に近い男とされているが、知性のかけらもない馬鹿な人間だ。
そしてアイシャは父の言葉に驚いた。勇猛果敢、戦場の華であるヤカモズの人間らしからぬ発言だ。
「シュテルンと連合を組んだのもその考えによるものですか?」
「ああ。ディライもまた同じ考えだ」
アイシャはそれを聞いて安心した。体の弱い同腹の姉は知略に長けている。アイシャは姉ほど賢くはなく、どこにでもいる弓使いだ。アイシャをシュテルンに向かわせた方がこの国のためになるだろう。アイシャはもう一度頭を深々と下げた。そして深呼吸をしてから顔を上げる。
「私の弓を王家に返還いたします」
「……本気か?」
「エルフ族の友好の証であるあの弓を一時でも貸していただけたことを光栄に思います」
アイシャはそう言って最上級の拝礼をした。膝をついたままに心臓の上に手のひらを乗せ、そして額に拳を軽く当ててまた深く頭を下げる。
「決意は固いようだな。シュテルンには二名ほど侍女を同行させるつもりだ。お前が決めなさい」
「ありがとうございます」
アイシャは立ち上がり、王座の間を辞した。自分の宮殿に戻りながらも、これからのことを考える。シュテルンは女性が戦場に立つことを許さない。共和制ではあるが保守的な層はいまだ多く、アイシャは貴婦人の鏡のような生活をさせられることになる。
第三王女として生まれたアイシャは山猿のような女の子だったが、ある程度考える力がついたのは第二王女であり姉であるディライのおかげだ。ディライは賢く理知的で、そして穏やかだった。
「アイシャ!!」
「ディライ?」
向かい側から杖を突きながらディライが歩いてくる。しかし心ばかりが先行したようで足がもつれて、アイシャは地面を蹴って姉の体を支えにいった。腕の中に倒れ込んだディライは目を真っ赤にして泣いている。初めて見た姿だ。
「なんて馬鹿なことを!」とディライがアイシャの胸を叩いた。その拳の弱弱しさにアイシャは笑ってしまう。それを見てディライはアイシャをキッと睨みつけた。
「もう知ってるのか? さすがだな、ディライ」
「あなたの行動パターンなんて丸わかりなんだから! 本当にあなたって私に心配ばかりかけて!!」
「すまない、姉さん」
「すまないと思うなら撤回してきなさい! 連合国との繋がりを強化したいならセブレイルでも送ればいいのよ!! あの猿を檻に入れてシュテルンで見世物にでもすればいい!!」
激昂するディライの肩を掴んで、距離を取る。真面目な話をするためにも、目を見たかった。
ディライの目は不安で揺れている。潤んだ真紅の宝石のような瞳はアイシャとおそろいだ。唯一の同腹の兄弟であり、姉であり、師でもある敬愛なる家族。
──そんな彼女を守るためにアイシャは生まれたのだと、たしかにそう思った。
「姉さん、姉さんはこの国に残るべきだ。お父様の跡を継ぐ人間がいるのなら、私はそれが姉さんだと思っている」
「そう思ってるのはあなただけよ!!」
「お父様もそう思っているはずだ。力だけではどうにもならない未来が来る。私も戦場で散る人生だと思っていたが、お父様の考えは違った。短い寿命を全うすべきだとおっしゃっていた。それならば策略がいる。死なずに戦士を帰らせるための知略に長けた軍師が必要だ」
「父上が……?」
「姉さん、私は王家の三十一番目の子供であり、生き残った十一番目の子供だ。このまま生き残って、シュテルンでもそれなりに楽しくやるさ。知ってるだろう、私が図太いことは」
「……知ってるわ。あなたが子兎のように野山を駆け回っている頃から、あなたが強く優しく勇敢な戦士だと知っていたもの」
姉の手が癖の強い銀髪を柔らかく撫でていく。アイシャも手を伸ばして、涙に張り付いた銀糸のような髪を耳にかけてやった。
「ありがとう、姉さん。じゃあ母さんの説得を手伝ってくれる?」
「はあ、本当に手がかかる妹だわ」
「でもディライは最高の姉さんだよ」
「はいはい、行くわよ」
アイシャは姉と腕を組み、母の元へと向かった。すべてを母に報告すれば、想像とは違って大きなため息をついたあと「今回は珍しくアイシャが正しい」と憂鬱そうに言った。
そしてアイシャを見つめて「我慢ならなかったら旦那の首を跳ね飛ばしてもいいけど、先にディライに相談してから殺りなさい。この子ならうまくやるでしょう」とだけ告げられた。さすがは側妃二十名の中で唯一生き残った三人のうちの一人である、とアイシャは血のつながりを強く感じたのだった。
◇
エルンスト・フォン・ヴァルベルグ。
歳はアイシャより五歳上の二十三歳だ。
本来ならばアイシャの結婚すべき相手は王族だったが、未婚で適齢期の王族がいなかったため、現王の妹である王女が産んだヴァルベルグ公爵に白羽の矢が立ったらしい。
エルンストは背が高く、体はがっしりとしている。ヤカモズ王国の男性よりも二回りほど体が大きいのではないだろうか。それでいてヤカモズの男より非力なのだ。まるで的にしてくださいと言っているようなものだ。神はなぜこのようにお作りになったのだろう?
エルンストは初夜に部屋に来たが、「慣れない国で怖がる君に手を出すつもりはない。しばらくゆっくりしてるといい」とだけ告げて、共同寝室の扉に鍵をかけた。かなり頑強な南京錠だ。それよりも、「怖がる」とはなんだ? ヤカモズ王家が怖がるのは「弱虫」のレッテルを張られたときだけだ。アイシャは憤慨しながらもその日は一人で寝た。ベッドがフカフカすぎて秒で寝てしまったが。
朝食と夕食だけは一緒に取っている。と言っても、夕食はエルンストが忙しすぎて一緒に取れないことも多い。侍女長とアイシャ付きの侍女が「寂しくないですか?」と気遣ってくれて、なぜかエルンストの席に大きなふわふわのウサギの人形を座らせたときはさすがにギョッとした。主人の席にぬいぐるみを置くなど許されないことだ。
「あの、わたし、子供じゃない」
シュテルン語は少しだけ話せるが、だいぶたどたどしい。もしかしたらこの喋り方のせいで子供だと思われている可能性がある。なので、アイシャは指で1と8を作り、「十八歳!」と言葉とともに強調した。そうしたら偶然入ってきたエルンストが胸を掴んで膝をつき、「ウグッ……!!」と呻いたのでアイシャは背後の窓をすぐさま確認した。
よかった、矢で射抜かれた痕跡はない。窓ガラスは無事だ。アイシャは未だ膝をつくエルンストに駆け寄る。
「エルンストさま? 毒か? 誰だ、やった?」
「わ、私は大丈夫だ。よく噛んでたくさん食べなさい。いいね?」
何も良くないのにそそくさとどこかに行ってしまった。食事に来たのではないだろうか。そう思い、ハッとした。エルンストの席にはウサギのぬいぐるみがある。「私はお呼びではなかったか……」とエルンストが疎外感により去って行ったのかもしれない。アイシャはぬいぐるみを抱きかかえ、エルンストを追った。
ちょうど執務室の前に居たので、「えるんすと!」とアイシャは読んだ。呼びづらい名前なのでいつも舌を噛みそうになる。エルンストはアイシャを見て、驚いたように目を見開いた。
「これ、みんなが気を遣う、寂しくないように置いてくれてました、あの、エルンスト、いらない、ちがう……」
アイシャはうまく話せず、大きすぎるウサギのぬいぐるみを抱きしめて視線を床に落とした。こういうとき、アイシャはもっと姉のように賢かったらと思う。そう思っていたらエルンストがなぜか斜めになって壁によりかかっていた。さすが鬼神、体幹も強いらしい。
そういえばこういう斜塔をどこかで見たことがある。
「……だ、大丈夫だ。理解している。きっと親切な侍女長が君が寂しくないように手配してくれたのだろう。褒美をやらねば……」
「ほーび、お願いします。じじょちょう、優しい」
「わかった。家を三件ほど買ってやろう」
そんなに家があっては管理が大変じゃないだろうか、と思ったが、たぶん褒美として渡す資産としては妥当なのだろう。アイシャにはスケールが大きすぎてよくわからないが、公爵家が裕福なのは邸宅からしてよくわかる。ちょっとしたお城のような家なのだ。
「アイシャ様が迷うのでは……?」「鈴をつけた方がいいのでは……?」と侍女長たちが話しているのを聞いたこともある。やめてほしい。アイシャは山猿のように育ったので方向感覚は優れている方だから、決して迷うことはないのだ。
「ありがとう」とアイシャはぬいぐるみを抱きしめて笑った。
「……そのぬいぐるみは気に入ったか?」
「うさぎ? フワフワしてる。かわいい」
「……そうか。オーダーしてよかったな」
エルンストは斜めのままに腕を組んで満足そうに微笑んだ。オーダーとはアイシャが知ってるオーダーのことだろうか。まさかエルンストが特注品のうさぎのぬいぐるみを頼んだ? 鬼神エルンストが?
「この家では君は好きに過ごしてくれていい。たくさん我儘を言ってほしい。ここは君の家なんだから」
優しい言葉に惑わされそうになる。エルンストが政略結婚の相手にここまで優しくする理由はなんだろうか。アイシャはエルンストを殺すことができる。多少手こずるだろうが、おそらくは殺せるのだ。
「……エルンスト」
「なんだ?」と問う声は優しい。少し斜めになってるせいか、エルンストの目を見つめやすくて、アイシャは満月のような目を見つめた。そうすると、ポロッと本音がこぼれた。
「……あのね、訓練場、使うの、良くない……?」
結婚してからこっそり筋トレだけはしていたが、この国では不必要だとわかっている。それでも、弓が恋しかった。王家に返還した弓じゃなくても構わない。訓練場の弓矢を触りたい。
「弓、使いたい。でも、女の子、使うのよくない……そのことは、知ってる……」
「そんなことか」
そんなこと、と軽々しく言われてアイシャは殺気立ちそうになった。しかしエルンストの目に軽蔑の色はない。むしろ真剣な顔つきでアイシャを見ている。
「君ほどの弓の名手は見たことがない。そんな人材を腐らせるなど無意味だ。もちろん、訓練場は使っても構わない。うちには女性騎士も在席してる」
「女性騎士!?」とアイシャは驚きおうむ返ししてしまった。そんな存在がこの国で許されるのだろうか。
「王家の騎士団には女性は入れないし、魔物の討伐隊に選出することは今は法律でできないが。公爵家の中でなら可能だ。話はつけておくから、明日その女性騎士を君のところに向かわせよう」
「あっ、ありがと! エルンスト!!」
アイシャは嬉しくてフワフワとした感情のままに微笑んだ。そうしたらエルンストの傾斜が深くなったので、大丈夫だろうかと心配になってくる。
「だいじょうぶ? 斜めすごい」
「大丈夫だ。たまにこうなるが気にしないでくれ……。いや、その、あ、足を鍛えすぎたのだ。気を抜くと立っていられないほどに鍛錬しすぎたな。戦うには足の筋肉が重要だ。君も戦士ならわかるだろう?」
「わかる」とアイシャは頷いた。戦士、と言ってもらえることが嬉しくて、ホワホワとした気の抜けた声音にになってしまった。そうしたらエルンストの傾斜がさらに深くなった。もはやなにか体を鍛える新しい訓練法かとすら思えてくる。
「良くなるといいね」
「本当に良くなるといいんだが……。まあ食事に戻りなさい」
「うん、ありがとうございます」
アイシャが無意識にヤカモズの最敬礼をすれば、エルンストもそれにならって胸に拳を当てて返してくれた。それだけで笑み崩れそうになり、アイシャは慌てて「ご飯、冷める、悲しいこと」とだけ言って逃げ去った。敵前逃亡のような有様に頭を掻きむしりたくなる。
なんだあの男は!! まったく、私の黒豹はなんといじらしいのか!! 躾ける必要もなく無意味に甘やかして眺めていたくなるではないか。
毒されているな、とアイシャはずれ落ちそうになるウサギのぬいぐるみを抱え直して、家族用の食堂に戻るのだ。




