誰が為のマナー?
私は最近、世の中で増えていく“新しいマナー”に、どうしても強い不快感を覚えている。
もちろん、他人を思いやる気持ちや礼儀が大切ではないと言うつもりはない。
ただ、中には明らかに、自分が実生活では使わない作法を、あたかも必須の常識であるかのように提示して、他者を評価したいだけの人がいる。
とくに気になるのが、飲食店やコンビニでの支払いの場面だ。
お釣りとして店員さんが渡すお札の向きが“整っていない”と不満を述べる人がいるらしい。
けれど考えてみれば、その“こだわり”を声高に言う側の多くは、日常的にレジに立ってお金を扱っているわけでもない。実際の現場の忙しさを知らないまま、「こうあるべきだ」とだけ主張し、あたかもそれが基本的な礼儀のように語る。
私はそれがどうにも理解できない。
丁寧さという言葉を使いながら、実際には店員の手間を増やし、仕事の負担を静かに押し付けているだけではないか。
しかもそれを“美しい所作”と呼ぶ。
私は、そういう美しさに、どこか薄ら寒さを感じてしまう。
新しいマナーを作る側は、自分が安全な場所から理想だけを語る。
実務の現場で負荷を受けるのは、いつも別の誰かだ。
それにもかかわらず、「知らないと恥ずかしい」という空気だけは、当たり前のように広がっていく。
私は、そこに特有の傲慢さを見る。
本当に必要な礼儀とは、相手を困らせないことのはずなのに、なぜか最近の“マナー”は、困らせる方向へ向かっている。
そう考えると、私の中にある棘はどうしても抜けない。
私は今日も、丁寧な接客を受けながらふと感じるのだ。
この向きは、誰のためなのだろう。
そして、誰が本当に得をしているのだろう。




