◎勇者様に。
「サロス。」
顔が黒く染まって見えない。
体も下から半分が透けている。
少女のような希薄な声で名前を呟いたその人は異質だった。
俺は、と言って言葉を詰まらせ、眼前の人に手を伸ばす。
「後は頼んだぞ。」
声質が変わり、冷静沈着で先生のような低く落ち着いた声で託された。
暗闇の中、その声を頼って必死に手を伸ばすも、透明な体を通り抜けて触れられない。
「君は生きるんだ。」
忘れられない、優しく、大胆で、信じてくれた声が遠くから聞こえた。
足を一歩ずつ、前へ前へ動かし、その声の元へ。
でもいくら足を動かしても、深淵の床を蹴ったって、届きはしない。
やがて声は消え去った。
残るのはサロスの言葉のみ。
「なんで、俺なんだ。」
サロスは目を覚ました。
目尻に溜まった水を指で拭き取り、ボヤついた視界が晴れていく。
目の前に広がるのは気を失う前の黒い雲ではなく、丸太が格子状に組まれた暖かな天井だった。
少しばかり痛む上半身を労りながらゆっくりと起こし、側にある窓から外を眺めてみる。
端々が土や砂でくすんでいるが木々の緑と空の青はしっかりと届いた。
「コアのやつになんて言ってやろうか。」
そう言うサロスの口角は自ずと上がるも、肩を落とした。
「そういえば、コアはどこだ。」
布団にくるまったまま部屋を見渡すも、あるのは豪華な彫刻がなされた木製の棚や机だけでコアの姿は見えない。
その彫刻から察せるに、ここは役所、言うなれば"ノビリス城"だろう。
羽毛が詰まった白い布を退かせば、部屋の中の冷気が足に、体に染み渡る。
思わず暖の天国に体を戻したくなるが体を震わせ足を床に付ける。
その瞬間、部屋にある唯一のドアが開いた。
「サロス!起きたんだね!」
軽く返事し、サロスが聞いた。
「体は大丈夫か。」
「僕よりも自分の心配しなよ。また数十メートルくらいの高さから落ちたんだから。」
コアの呆れ混じりの声を聞き、サロスは笑顔で腕を回すことで答えた。
ところがコアは納得できないのか、サロスを宥めるように落ち着いた調子でまだ寝ていて、と言い、それに続けた。
「しばらくしたら、また様子を見に戻ってくるよ。」
「どこか行くのか。」
「うん。火災の原因について話し合うんだって。」
火災の原因という言葉にサロスは目を見開いた。
クルックスとフード2人が頭の中を駆け巡り、順序が組み立てられる。
電話で何かを頼み、その後にあの火災。
加えてフードに書かれたあのマーク、火にタコの触手が絡まったようなマークで結論が付いた。
「俺も、その会議に出ていいか?」
コアのノビリス人の防災の意識が高いやら何やらと言う口を遮り、サロスはそう言った。
コアの心配が掘り返され、サロスに先と同様のセリフを吐きかけるも、彼の衝撃的な発言によってまたもや止められた。
「俺は今回の火災の原因を知ってる。」
サロスは体に巻かれた包帯の上から服を着て、マフラーを首に巻いた。
そうして、コアと共に会議室に向かい始めた。
その道すがら、こんな会話が耳に入った。
「あの試験者、お前知ってるか。」
「知ってるぜ。"勇者になりたい"って言ってたあいつだろ。」
「そうそう!あの変な奴。あいつ、家族のためだとか言って魔物を売ってたらしいぞ。」
「そういう奴は家族のこととか本当はどうでも良くて金のことばっかなんだよな。」
「それなー。」
口調から伝わるが、その試験者のことを愚弄するために話していることが分かる。
お世辞にも耳に心地良いとは言えず、サロスは彼らの続ける、あらゆる罵詈から顔を背けた。
2つの靴音が止まり、2枚の扉の前でコアはサロスに目配せし、扉のノブに手を掛け、部屋を露わにした。
その時、あらゆる感謝の言葉と念のこもった声がドッと2人を跳ね除けた。
「ありがとう!本当にありがとう!」
「貴方様方がいなければどうなっていたか!」
円形の巨大なテーブルを囲むエルフ達が両手を机に突き立てて、席から腰を浮かして、サロス達にひたすら浴びせる。
それら、賞賛、謝辞に辟易したサロスとコアはテーブルの中央に自然と動かされ、会議室の最奥に座るエルフに目を奪われた。
他の村長、町長と比べ、一回りほど若いであろうそのエルフは透き通った白い肌に青色の澄んだ目を持ち、閉口し腕を組むその姿はさながら神の風格。
半端に開けた口で固まっていれば、例のエルフが息を吸った。
すると、まるでテーブル上から発せられる声までも吸い込まれたように会議室が静寂に包まれた。
「旅のお方。ノビリス国を未曾有の火災から救って頂いたことについて感謝を。」
エルフの実年齢は見た目では分からないが、人間で言うところ、15歳の少年の彼はその若い容姿とは裏腹に落ち着きを保った"長"の声と共にサロスたちに礼をした。
コアはその礼にぎこちなく答えるも、サロスは無音の空間を切り裂いて、若町長に進言してみせた。
「失礼。少し話があります。」
エルフは表情を変えず、冷静に耳を傾ける。
しかし、サロスから出てきた言葉に青い目を見開き、席を立った。
急に立ち上がったので、2人は取り残された鳥のように彼を見上げ、固まってしまった。
次の瞬間、若町長は机に両手の平を叩きつけた。
「今回の火災の原因が判明した。」
サロスに話すよう促し、辞儀する。
彼の腕がなぞる方向に一歩前へ、ノビリスの当主達の前に立った。
「火災の原因は、」
そこまで言って、息を吐いた。
ある懸念があったためである。
それは、ノビリスの人達も勇者を裏切り者として見ているということ。
道すがら聞いたあの会話からもある程度察せる。
そして再びを空気を吸って、続きを言う。
「"レスレク団"です。」
レスレク団の言葉を聞いた途端、当主達がざわつきだした。
その当主の中の1人が体を机から迫り出させ、サロスに問うた。
「レスレク団と言いますとあの魔王信仰教のですか。」
サロスが一言、はい、と答えると、また別の当主が疑問を投げる。
「貴方は確かにこの国を救ってくれたお方であるがどうしてそんなことが言える。」
「実際にこの目でレスレク団の一員を確認しました。」
サロスから出る一言一句に反応せざるを得ない。
レスレク団が火災の原因であるなら代償を払って貰おうという意見が次々に挙がる一方で火災による被害を立て直すべきという意見も挙がる。
新たな議題で沸き立つ会議室を尻目にコアがサロスに聞いた。
「レスレク団の居場所って分かるの。」
「ああ。でも300年前の話だから、」
コアはサロスの言葉を最後まで聞かず、机の上に躍り出た。
「なら、僕達がレスレク団を壊滅させます!」
サロスがそのことに気づいた時には手遅れで、言葉にならない声を出していた。
加えて、会議中の言葉をまたもや止めてしまった。
「レスレク団を壊滅。本当ですか、旅人さん方。」
コアはサロスを否応もなく巻き込んだことを忘れ、エルフの長からの問いに答えた。
もちろんです、と。
中々あっけらかんとした口調での答えであったがエルフの長達はこれを信じ、喜んだ。
ノビリスの新たな英雄だと、両腕を肩が外れるような勢いで上げるほどに歓喜に満ちた。
この歓楽の中、エルフの長がコアに耳打ちしてくる。
「当主達が1人残らずいなくなった後、私のところへ戻っていただけますか。」
そんな前置きの次にこう言った。
「あなたにだけに頼みたいことがある。」
的を得ないし、怪しかったけれど、コアはこれを了承。
エルフの長が体よく会議を締め、当主達を帰させ、サロスまでも会議室から追い出した。
もちろん、コアを問いただしてみたが軽くあしらわれてしまい、ドアの前で立ち尽くす。
サロスは頭を下げて、肺から全ての空気を吐き出した。
扉の反対へ踵を返し、自分の寝ていた部屋に戻る。
ドアを開け、改めて部屋の中を見渡し、あることに気付いた。
「剣が無い。」
ベッドに立て掛けてもない、棚の上にも、床から壁、天井まで余すところなく舐め回すように見てみても、無い。
ベッドの下も見て、棚の一段一段を開けて、中の物を投げ飛ばしても見つからない。
サロスは部屋を飛び出し、廊下を歩く役人達に剣の場所を尋ね回った。
だが、役人の皆は口を揃えて知らないと言う。
気を失った時に失くしたのか、寝ている時に盗まれたのか、そんな悪い予想が頭を埋め尽くし、視界までも占領してくる。
その隙間、微かに空いていた視界の間に、1本の矢が通り過ぎ、壁に突き刺さった。
注意深く、刺さった矢に近付いて見ると、羽の
部分に紙が付いている。
紙を破かないよう糊を剥がし、伸ばす。
中には端々まで美しく整えられた文字が横一列になって並んでいる。
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城外、庭園にて剣を預かり申し上げますーー。
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口調と文字の丁寧さからサロスはこの手紙の主が予想が付いた。
ひとまず、今自分がいる2階から降りて、その庭に向かう。
実際のところ、庭は公園であった。
敷地内に入ると、エルフの子供達が笑い声を伴い遊んでいた。左脇を通り、走り去っていく子供達を追うと見覚えのあるものを見つけた。
大木の日陰に呑まれたベンチに、剣を抱え見る、1人のエルフがいた。
鞘から柄までを右手で軽く触れ、喜とも悲とも言えない、何か含みを抱える表情だった。
サロスは彼女の隣に腰を下ろした。
「勇者様!」
「呼んだ側が驚いてどうする。」
気恥ずかしそうに顔を背け、まるでバレンタインのチョコのように剣をサロスに渡した。
両腕を伸ばして下に向けた顔は紅くなっているのだろう。
生憎、日陰であるため見えないが。
サロスは礼を言って、剣を受け取った。
アンバーと同じように300年の間に付いた鞘の傷を撫でる。
陽光が葉の間から差し込み、子供の声もいよいよ佳境となった頃、アンバーは地面に転がる石を見て話し始めた。
「勇者様。きっと疑問に思っていますよね。なぜ私があんなことをしたのか。」
力が抜け、何かを諦めた声でポツポツと言う。
「私にはたった1人の家族がいます。その人は私にとって他のどんな人よりも大切で、私にしか助けられないんです。だから、」
「犯罪を犯した、ってことか。」
否定せず、首を縦に振った。
「…夢まで諦めて。」
「なんで、」
加えられたサロスの一言にアンバーは顔を上げ、彼の黒い目を見つめた。
「小耳に挟んだ程度だよ。」
今度はサロスの顔がアンバーから逸れた。
そよ風が過ぎるのを待ってから、サロスはアンバーに聞いた。
「なんで勇者になりたいんだ。」
「…人を助けたいからです。」
アンバーは口を詰まらせてから吐き出すように理由を答えてみせた。
その後、自身の手指に視線を移し、息を吸った。
「私の両親は消防隊員でした。」
昔から、森林の中に住むエルフにとって火災は切ってもきれないものだった。そのために消防隊員は"勇者"のようにかっこよく、讃えられた。
「私はそんな両手が大好きでした。どんな時でも助けを求める人を見捨てない。たとえ、犠牲になっても。」
ある日、人為的起こされた火災がノビリスを襲った。その炎は今回のものと同じように逃げ場を塞ぎ、内側の人を閉じ込め、絶望に叩きつけた。
そんな中、アンバーの母と父は火の進みが他と比べ遅れている場所を見つけた。
そこを集中的に消火することで逃げ道を作り多くの人を救った。
1人も見捨てないと最後の住民を救い出すまで
2人は火の中を探し回った。
そうして、町を囲う大火災で脅威の死傷者0人を達成した。
しかし、2人は炎から出る魔粒子を多く取り込んでしまったせいで中毒となり火災現場で命を落とした。
「私は、最後まで人のためを思って行動した両親が大好きです。だから最初は親の後を追おうと消防隊員を目指しました。ですが私には水の魔法の素質がなかったんです。そこで消防隊員をサポートするレンジャーになろうと決めたんです。」
レンジャーは消火する消防隊員の代わりに逃げ遅れた人を助け、兵士としても働く仕事である。
アンバーは必死に勉強し、レンジャーの資格試験を受けた。
結果は。
「合格でした。」
しかし、そう言う彼女の顔は暗く落ち込んでいる。
「試験官が私の夢を聞いた時、私は幼い頃からの夢を言いました。"勇者になりたい"と。」
それが原因で、合格を取り消しにされ、アンバーは借金を返せなくなった。
元より、お婆さんを養いながらの専門学校に通うという、無理をしていたためである。
レンジャーはノビリス公認の職業であるためにお金の問題はじきに解決するものだった。
だが、不合格となり、計画は狂った。
「後は、簡単です。どうにかして、お婆ちゃんを養いながら借金を返済しなければいけないと根を詰めていき、やがて魔物のブローカーに志願したんです。」
サロスから、言葉は出ない。
「ここまで私の人生を壊した、"勇者"に憧れるのはなぜか。勇者様はそう思いますよね。」
一枚の葉がサロスとアンバーの間に落ちる。
「"勇者"が今の私を作ってるからです。」
微風がアンバーの短い茶色い髪を揺らした。
「明後日。俺とコアはレスレク団の陣地に潜入する。それまでこの剣を持っていてくれ。」
サロスはそう言うと、アンバーの方を向き、剣を押し付けるように渡す。
一拍置いて、こう言う。
「"お前"を信じる。」
アンバーは預けられた剣を抱えた。
サロスが去った後、剣をより力強く抱き締めて呟いた。
「私は"勇者"になりたい。」




