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30年経つんだなあ  作者: きむらきむこ
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2 自宅に帰る

 産後二ヶ月。

実家から神戸の自宅へ帰ることにした。

とは言え、乳児を抱えての代替バスの利用はちょっと辛い。


 それでも震災から二ヶ月で、交通の便は日々復旧していた。

夫にどうやって通勤していたか、聞いてみたが、本人も日によって復旧具合が違うので覚えていない、とのことだった。


 とりあえずまだスマホどころか携帯電話も、一般的ではなかった時代なので、情報は主に新聞とテレビ。


 夫は、震災後、大阪の自分の実家に避難していた。

自宅から西宮辺りまでの距離、多分大体30キロほどをたまたま結婚時に持ってきていた自転車で移動し、そこから電車で実家まで。


 途中、陥没した道路や壊れた家など、常とは違う道路の様子に愕然としたらしいですが、夫はあまりそういった事は私に詳しく話しませんでした。


 夫は朝、新聞を広げて、どの線がどこまで使えるかを確認して、駅に向かっていたらしい。JRも阪急も阪神も、地下鉄も山陽も、ありとあらゆる電鉄会社が協力して、人を運んでいたそうだ。


 それはさておき、私と夫、そして娘は、奈良から大阪の南港に向かい、そこから神戸のフェリーターミナル行きの船に乗って、というルートで帰宅したのでした。


 その船に乗ったのは、その時だけで、通常的にでてる便なのか、震災で復旧してない電車の代わりに出ていた便なのかも分からない。


 いつ泣き出してオムツなり、オッパイなりを要求されるか分からない乳児を連れた身としては、電車よりもスペースに余裕のある船を利用できた事に感謝している。



 帰宅後、夫は春から転勤でバイク通勤となり、私と言えば、娘との生活、三ヶ月健診に予防接種等など、半径二キロのささやかな世界で生きておりました。


 良かったのか悪かったのかといえば、明らかに良かったのですが、赤子三昧の日々は、私を世間から遠ざけたのでした。


 たまたま運良く被災しなかった地区に住んでいたから、それが可能だっただけなんですが。



 だから、今になって何故、震災や避難所の、明らかなドラマのセットに気持ちが波立つのか分からない。


 


 

先日、ほっともっとフィールドに野球を見に行った際に配布された㈱神戸クルーザーという会社のチラシに、震災発生後三日目から道路網と鉄道の代わりとして大阪神戸間を運航していた旨が書かれていました。


ありがとうシルフィード(当時の船の名前)、ありがとう㈱神戸クルーザー

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