番外編5 ラディオとイオリス
書類の束を持ってイオリスの部屋を訪れたラディオはドアの前で足を止めた。伝統的な決まりで形式上関係者のサインを集める、要するに「無くても良い書類」の処理は、イオリスが一番嫌うものだ。こういう場合にイオリスをなだめすかしてサインを貰う役目のエルファムは、今は別件で城を出ている。そのためこうしてラディオにその役が回ってきてしまった。一つ息をついて、覚悟を決めてドアを叩く。ほどなくしてイオリスが戸口に顔を出した。
事情を話すと、想像と違わずイオリスは嫌な顔をした。こういう無意味な仕事本当に時間の無駄じゃない、といういつもの愚痴を聞く準備はとうにできている。しかし予想に反してイオリスは少し眉を寄せた。
「そういえばラディこの前告白されたんだって?」
「は、え、イオ……リス様まで知ってるんですか?」
あまりに想定外な質問に間の抜けた声が出る。
確かに先日、出入りの花屋の女の子に告白された。それを見ていた騎士団の人間がいたため少しだけ噂にはなったのだが。
「その子と付き合うのやめときなよ」
「なぜそんなこと言うんですか? 良い子ですよ?」
その場で断ったから付き合うことはないのだが、どういう訳かつまらなさそうに言ったイオリスにほんの少し頭にきた。イオリスはあの花屋の女の子を知らないはずだ。それにも関わらず反対されるいわれはない。
ラディオが少しきつめに言い返すと、それが悪かったのか、イオリスは、む、と一度口を閉じた。そしてなぜかラディオの首に両腕を回す。細い体が密着する。
「そろそろ僕の可愛い嫉妬に気づいてよ」
上目遣いに見つめてくる琥珀の瞳は僅かに潤んでいる。これはいつもの悪戯だ、そう思うのにどうしても腰が引ける。こうして動揺するから面白がられるのに。
「ま、またそんなこと言って。イオは女の子の方が好きでしょ~」
思わず消えた敬語に、一転機嫌が良さそうにイオリスの唇が弧を描いた。
「そうだけど僕はラディならいいと思ってるよ」
潜めた艶っぽい声に、首に回された両腕にはキュッと力が込められる。頭に差し込まれた細い指がくるりと髪を一房巻き取ったのが感触でわかった。
どう逃れるか考えてラディオが停止していると、ほんの少し体を離してイオリスが笑いだした。
「あはは、真っ赤。ほんっと君もコウキも僕の顔に弱いよね。コウキは文句言いながら、僕の顔見て黙ることあるもん」
「え、気付いてた~?」
「もちろん。二人とも顔に出すぎ。だから僕に付け込まれるんだよ」
エルファムのように「女性には優しく」なんて掲げてはいないが、ラディオもこのイオリスの見た目に引っ張られている自覚はある。例えば、同じことをその辺の男にやられても響かない。
こういう態度をとるからより一層イオリスに遊ばれることにも気づいてはいるが、しかしどうにも改善できない辺りその美貌が恐ろしい。
「イオひどい! もう騙されないからねー!!」
そうは言っても悔しいので一応抗議の声は上げておく。残念だがこの程度でやめてくれる相手ではないのはラディオも骨の髄まで知っているが。
形だけは不機嫌に引き結んだラディオの唇に、イオリスが人差し指の先で触れた。そのままラディオだけに聞こえるように声を潜めて囁く。
「騙すとは心外だね。僕、嘘は嫌いなんだ。ラディならいいって言うのは本当」
蠱惑的に目を細めたイオリスは、ラディオから離した人差し指を自分の唇に寄せる。
「みんなには内緒だよ」
尖らせた唇で指先にふっと息を吹きかけて、イオリスは薄茶の長い睫を一度瞬かせた。そのままラディオの肩に回していた腕を解き、両手でラディオの体を反転させる。
「またね」
イオリスに軽く背中を押されて、ラディオはドアの外に出た。振り返るより先に、イオリスがパタンとドアを閉める。たっぷり三秒静止して、ラディオは右手で真っ赤な顔を押さえて俯いた。
『って、書類のサインから逃れようったってそうは行かないからねー!』
『バレたか』




