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番外編4 セラフィスとユークリート

※本編より前の話です。

 錆びて立て付けの悪くなった扉を開けると、そこには先客がいた。今はもう使われなくなった時計塔の古びた鐘の下に、こんな場所には似つかわしくない綺麗な少年が座っている。彼はすぐに気づいたようで先に話しかけてきた。


「あれ、あなた最近新しく宰相に決まった人?」


少しウェーブのかかった柔らかな金の髪に、紫の瞳の彼はこの国の第三王子、ユークリートだ。


「ええ、直接お話しするのは初めてですね。セラフィス・ノイライトと申します。よろしくお願いいたします」

「こんなところで何を?」


不思議そうに首を傾げるユークリートに苦笑する。そもそも彼がこんなところにいる方がおかしい。


「それは私の質問です。ここは老朽化のため閉鎖しているはず。危険ですよ」

「でも、あなたも来てるよ?」

「私は傷んでいる箇所を確認しに来ました。お仕事ですよ」


ユークリートは納得というようにパチリと一度大きな目を瞬いた。立ち上がって胸ほどの高さの塀に手を置いて外を見る。鐘を鳴らす以外に用途のないここに窓はない。


「大丈夫、落ちても飛べるから」


なんでもないことのように言った彼に頷く。


「ああ、風の属性なのですね。私は体を浮かせて落下速度を落とすことはできても、飛ぶことはできないので羨ましい」


その言葉に彼は少し笑って、手に持っていたものを持ち上げた。


「ここは静かだから本を読んでた。仕事の邪魔をしてごめん」


それだけ言って出て行こうとした彼を引き止める。先客は彼であるし、何よりも王族とは思えないその当たりの柔らかさに興味が沸いた。


「何の本を読んでいたんですか?」


話しかけられるとは思わなかったのか、少々戸惑った様子のユークリートが本を差し出す。


「これ」

「あ、流行りの冒険小説ですね。私も読みました。面白いですよね」

「え、こんなの読むの?」


物静かな雰囲気だが、年相応に驚いた顔をしたユークリートに少し笑う。


「良い政治には今の流行を知るのが大事なんです。……と、いうのは建前で、気分転換に読んだらハマってしまいました」


ありがちな英雄譚だがなかなかにキャラクターが魅力的で、巷で流行るのも頷ける物語だ。

 主人公の相棒が好きです、と言うと、自分は主人公の方が好きだな、と少年らしく笑った姿が印象的だった。その日はそれだけの会話で別れた。




 仕事中、耳に入ったのは第三王子の姿が見えないという話だった。本来ならば私が関わることではないが、ひとつ心当たりがある。閉鎖された時計塔へ足を運ぶと、そこには探し人がいた。

 どうやら眠っているようだ。隣には専門家が読むような分厚い学術書が置いてある。彼の年頃で興味本位で読む類の本ではない。屈みこんでまだ細い肩に触れた。


「起きて下さい、ユークリート様」


ん、と小さく呟いて、ユークリートが目を開ける。ほんの少し視線を揺らめかせ、すぐに私の顔で止まった。


「あれセラフィスだっけ? なんでここに?」

「あなたがいなくなったと皆探していますよ」

「え、本当に? うわ、本気で寝てた……」


どうやら体調不良ではなさそうだ。本当に居眠りをしていただけのようで少し安心する。


「よくここがわかったね?」

「なんとなくです。私の友人もあなたくらいの歳の頃、何かあるとよく高いところに登っていました。上手く息が吸える気がするから、って」


仮にも王子であるのだから静かに本を読める場所などいくらでもある。それにも関わらず隠れるようにこんなところにいるのは、やはり彼の特殊な立場のせいだろう。


「貴方にとってここは息苦しいですか?」


ついそんなことを訊いてしまったのは、彼と同年代であろう年若い友人とあまりにも目の輝きが違うから。赤毛の彼とは比べることも出来ないほどの豊かな生活を手にしながら、ユークリートのその光はあまりに弱い。


「誰にも言いませんから本当の事を言って構いませんよ」


私の言葉に、彼は相当に迷ったのだろう。随分と長い沈黙の後、ぽつりと言った。


「少しだけ」


訊いてはしまったものの、今の私に彼のために出来ることは何もない。塔に吹き込む風に溶けたその小さな声に、返事の代わりに床の本を拾って手渡した。


「どうぞ」

「ありがとう。じゃあ、行くね」


端から返事は期待していなかったのか、ユークリートはにこりと笑って軽く手を上げる。パタパタと足音を響かせて去っていったその背中を眺めてひとつ息をついた。

 いつか彼がこの塔から自由に飛び立てる日が来るといい。その時が早く訪れるように柄にもなく空に祈った。

『あの日から随分と長い時間が掛かってしまいました』

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