番外編13-1 亘希とエルファム
※亘希が襲われかけてエルが助けに来る話(前編)。若干の無理矢理描写注意。
「うー痒いぃぃ」
俺は猛烈に右腕を掻きむしりたいのを耐えながら第三区の裏道を歩いていた。街に出る時は髪を隠すために着ている丈の長いローブをたくし上げ、腕を見る。赤いブツブツがたくさんできていて大変に気持ちが悪い。腕を見てうへぇ、と意味のない声を上げた。
これは多分毛虫の毛のアレルギーだ。昨日、シェールと教会の庭木の手入れをした時に付いたのだろう。最近暑いからって腕まくりをして作業したのは失敗だった。赤い斑点を見て、そういえば以前ラディオが食物アレルギーの症状を「呪いを受けた」と言っていたのを思い出す。この世界ではこの腕も呪いって言われたりするんだろうか。それはちょっと面白いなと、ふっと笑う。
「さて、早く戻らないと」
なんとなく独り言を呟きながら大通りへの道を急ぐ。今日はエルと一緒に城下の大市へ来ていた。さっきまで二人で露店を見て回っていたんだけれど、偶然エルの学生時代の級友と出くわしたから、俺は近くの店を見てるから話してきなよ、とエルを送り出していた。
本当はエルの見える範囲で待っているはずだったんだけれど、近くを走っていた子供が荷物にくくりつけていた上着を落としていったので、拾って追いかけた。さっき無事に追いついて上着を渡してから、気をつけてね、と声をかけて別れた。日本で言えば小学校高学年くらいの男の子で結構足が速かったから大通りから外れた裏道まで来てしまった。もしかしたらエルが探しているかもしれないから、早く戻らないと。
と、その時脇道から女の人の声が聞こえて目を向けた。何かあったのかな。石造りの家の壁と壁に挟まれた細い路地は暗くてよく見えない。でも俺が覗き込んだことで影が差したのか、中にいた人物がこちらに気づいた。二人いるようだが、そのうちの一人が飛び出してきた。細い路地の出口に立っていたので、思い切りぶつかる。
「っ痛ぅ」
突然のことに油断していた俺は、よろけてその場で尻餅をついた。まったく、今日は痒いし痛いし碌なことが無い。ぶつかったまま、振り返ることも無く走り去っていくその後ろ姿は女性のようだ。
「おにーさん、大丈夫?」
路地の暗がりから出てきた、もう一人の人物が俺に手を差し出した。エルよりは背が低いが、体つきのがっしりしたガタイのいい男だ。
「あ、どうも」
差し出された手に掴まって、助け起こされる。
「さっきの女の子、具合悪そうだったから声掛けたんだけど、暗かったから痴漢だと思われちゃったみたいだね」
「うわぁ、それは災難でしたね」
人の好さそうに笑う男の笑顔につられて笑い返す。善意なのに逃げられたのならさすがに可哀想だ。
「あ、おにーさん。ちょっと見て欲しいものがあるから来てくれる?」
そう声を掛けられてそのまま路地の奥まで手を引かれる。今会ったばかりの俺に見て欲しい物って、と一瞬思ったが、数歩も歩かないうちに男が壁の割れ目を指差したのでその疑問も立ち消えた。
なんせ細い路地で周りが暗いため良く見えない。地面に近い下の方のその割れ目を近くで見ようと屈むと、急に両手首を掴まれた。そのまま壁に背を向け座り込む形に反転させられる。え、と、想定外のことに目を白黒させていると、男が可笑しそうに言った。
「さっきの子は警戒心有り過ぎだけど、おにーさんは警戒心無さすぎじゃない? 手首も女の子みたいに細いし、顔も悪くないからもう君でいいや」
「は?」
ここまで言われれば、さすがにこの世界の常識に疎い俺でも今自分の身に何が起きているのかを理解した。ていうか、両手首を頭の上で相手の片手で拘束されているんだが、なんで俺が力を入れてもびくともしないんだ。普通よりもやしな自信はあるが、一応俺も男だぞ。
明らかに獲物を逃がす気のない男に内心で焦る。そんな俺をよそに男は俺に顔を近づけてしげしげと覗き込んだ。空いている手で俺の髪を触る。黒い髪とは珍しいな、なんて楽しそうに呟いている。そういえばいつのまにか髪を隠すフードが外れている。さっき尻餅をついた時だろうか。
ぞぞっと表現しづらい不快感が背筋を走る。が、ここでパニックになってはいけない。この世界に来たばかりの頃、男でも襲われることがあるとイオリスに言われて、万一の時にはどう対処しようかとイメージトレーニングをした。まずはそれを思い出して、落ち着け、俺。
とりあえず闇雲に叫んではいけない。人が近づいた時に助けを呼ぶ口を塞がれたら最悪だ。力の差は歴然なので隙を見て抜け出すことを第一に考えるべきだ。相手が服を着ている以上、ある程度事を進めるためには下穿きを緩める必要がある。その時に必ず隙が生まれるはずだ。
「ひらひらして邪魔だな」
俺の髪に触れていた手が、俺のローブの前身ごろを力任せに引っぱった。留め具が飛び、縫い目から布が裂ける。ぎゃあ、暑いからって薄手のローブにしたのは失敗だった。全然防御力が無い。簡単に裂けた布に気を良くしたのか男がヒュウと口笛を吹き、シャツの裾から俺の服に手を入れた。感触を確かめるようにゆっくりと腹を撫で回す。
「手に吸い付く様な滑らかな肌だな、おにーさん」
そりゃ腹が弱いせいで酒もタバコも嗜まないし暴飲暴食も出来ないからね。肌の健康は規則正しくバランスのとれた食生活から! なんて、現実逃避をしている間に、男の口元が満足そうに釣り上がった。ますますゾワゾワと背中に怖気が走る。暴漢のくせにそんな詩的なセリフ吐かなくていいよ!
でもおかげで思い出した。「肌」といえば。俺の腹を撫でることに夢中の男をよそに、落ち着くためにバレない程度に小さく息を吸う。逃れようともがいていた体から力を抜くと、俺が諦めたと思ったのか男の下卑た笑みが深まった。
ふうと息を吐いて、俺やラディオを揶揄う時のイオリスの笑みを思い出して口の端を持ち上げる。こういうのははったりが大事だ。
「俺、呪いを持ってるんだ。徐々に体を蝕んで死に至る呪い。体液で伝染る。誰かに被害があると困ると思ってたけど、あんたならいいや」
「は、そんな嘘で俺が騙されると思ってんのか?」
俺の言葉を嘲るように一蹴した男に、これまたイオリスを見習ってにっこりと笑う。
「嘘だと思うなら、右腕を見てみたらいいだろう。逃げないから放せ。証拠を見せてやる」
少し考えた男は、それまで俺の手首を壁に押さえつけていた手を離した。自由になった手でローブをめくり、ゆっくりと腕まくりをする。そこには赤い発疹が腕の内側の柔らかい皮膚に広がっていた。必死すぎて忘れていたが、思い出すと超痒い。ん、だが、今ボリボリと掻いたりしたら台無しだ。どうにか真面目な顔を続けたまま男を見やる。
「これがだんだんと全身に広がっていくんだ。俺も長くないし、もうあんたでいいや。せっかくだから楽しもうよ」
ぺろりと舌なめずりをして発疹が広がった腕を近づけると、男がジリと後退った。よし、効いてる。今のうちに局部を蹴り上げて逃げだそう。そう思って足を上げかけた時、路地の入り口に影が差した。
「何をしてる!」
その良く通る鋭い声には聞き覚えがある。バッと声の出どころを見ると、やはりエルだった。
「エル!」
呼んだ声に、エルも俺だと気付いたらしい。一瞬の引きつるような呼吸の後、エルがスラリと腰の剣を引き抜いた。刀身が外の光を反射して暗い路地に光を飛ばす。一帯の空気が張り詰めた気がした。
「……貴様」
身体の芯から震えるような低い声でそれだけを呟き、一足飛び、というのはこういう時に使うのかという速さで目の前に迫ったエルが、向かいの男に刃を向ける。座り込んでいるため下から見上げたエルの瞳は少しも笑っていなかった。……ヤバイ! 本気と書いてマジと読む! て、突っ込んでる場合か!
「ちょ、エル! 待って!」
慌ててエルに声を掛けると、一瞬エルの意識がこちらに向いた。同時に俺の声に我に返ったらしい男が一目散に走り出す。
チッとエルから聞こえるには似つかわしくない舌打ちをさせて、追いかけようとしたエルの足に手を伸ばしてなんとか止める。路地の奥へ走り去る男に一度目を戻し、エルは剣を鞘に納めた。壁際に座り込んだままの俺に、視線を合わせてエルが屈みこむ。
「お怪我はありませんか?」
「うん、平気」
「本当に? ええと、言い辛いかもしれませんが怪我以外にも何かされていませんか?」
気遣わし気なエルに、申し訳ない気持ちと、情けない気持ちがないまぜになる。同じ男なのに押さえつけられて抵抗の一つも出来ないとかどういう事なの、俺。
「あー、えっと、他は腹を撫でられたくらいかな」
なんとも気まずくてわざと明るく言うと、エルの目がすぅっと細まった。男が逃げた方に目を向け、その手が剣の柄に触れる。殺気、というのだろうか。その瞬間周囲の空気が一気に冷えた気がした。ゾワリと背筋が泡立つ。しかしもう路地には男の姿は影も形もない。
俺に視線を戻し、剣の柄に触れていたエルの右手が俺に向かう。それについびくりとしてしまった。俺はこんなエルは知らない。そんな俺の様子に気が付いてエルが手を引っ込めた。すまなそうに目尻を下げる。
「遅くなってしまい、申し訳ありませんでした」
そう告げる顔はいつものエルだ。助けてもらったのにこの態度は失礼だ。申し訳ない気持ちで首を振る。
「ううん。前から裏道に気をつけろって言われてたのに、俺が不注意だった。助けてくれてありがとう、エル。でも良くここがわかったね」
「大通りで貴方が居た辺りを探していたら、襲われかけたという女性が来てその方が教えてくれました。私が王城の騎士だと知っていて声を掛けたのでしょう」
その女性はたぶん路地の出口でぶつかった子だろう。ちゃんと俺の事を気にしてくれて助けを呼んでくれてたんだ。有難い。
「さっすがエル、有名人だ。その様子だとその子も無事だったんだね、良かった」
城下のヒーローの騎士団副団長だもんな。きっとその子も心強かっただろう。できるだけいつも通りを意識して笑う。そうするとエルがほっとしたように息を吐いた。でもすぐに痛ましそうな表情に変わる。
「あの、コウキ。無理して笑わなくても構いませんよ」
「そんなことな……い」
全てを言い切る前にポロリと涙が零れた。なんか本当にもう大丈夫だと思ったら急に力が抜けてしまった。
襲われたことよりも、エルが本気で剣を抜いたのが怖かった。昔、学校の授業でラットの解剖をしたことがある。命が失くなっていく様を一部始終眺めた経験は忘れられない。暖かい肌にメスを入れたその瞬間の感触は今でもこの手に残っている。
もしかしたらエルは人を斬るのは初めてではないかもしれない。でもきっと人間を斬る衝撃はあのラットの比ではないだろう。俺のせいでエルにそんな思いをさせなくて本当に良かった。もちろんエルも、命まで取る気はなかっただろうがそれでも人を傷つけさせるのは嫌だった。
本当に何事もなくて良かった。安心したら涙が止まらなくなってしまった。ボロボロと雫を落とす俺に、エルが焦ったように手を伸ばした。しかし途中で止める。
「あの、コウキ。触れても大丈夫ですか?」
弱々しい声で訊いてきたエルにこくりと頷く。どうしようかと迷ったのか、一度空中を彷徨ったエルの手のひらが俺の頬に触れた。流れる涙を親指で拭ってくれる。
高い体温に、俺とは違う硬い手の皮膚の感触。何もかも男として負けている気がしてちょっとだけ悔しいけれど、でもそれ以上に安心感を与えてくれた。その大きくて優しい手に、思わず頬を擦り寄せる。すぐにエルが驚いた顔で目を見開いた。それに俺も正気に戻り急に恥ずかしくなる。
えっと、これは、としどろもどろに意味のない声を漏らす。でもそのおかげで涙は止まった。俺の動揺と混乱が伝わったのか、エルは今の俺の奇行は不問にしてくれたらしい。ゆっくりと立ち上がる。
「ひとまず今日は帰りましょう。立てますか?」
エルが手を伸ばしてくる。その手を握り返して起こして貰い、空いている方の手でパンパンと服の埃を払った。お礼を言って手を離そうとしたら、その手がぎゅっと握られた。そのままエルが歩き出す。路地の外へ出ても離してくれないので、ちょっと気恥ずかしいけれどそのまま城まで手を繋いで帰った。
『貴方の衣服が破れているのを見た瞬間、体中の血が逆流した気分でした』




