一人のお食事会
アルフォンスの忠告は受け入れられなかったらしく、夕暮れどきになっても食事が運ばれてくる事はなかった。けれど、代わりにメイドが一人やって来た。
「夜のお支度をいたします」
「夜?」
「はい、今夜は王太子殿下とのお食事のお約束が」
そんな予定が入っているはずもないと正直に伝えてはみたものの、聞き入れられることはなかった。
「申し訳ありません。私は聖女様のお支度を調えるようにと命令を受けただけですので……」
「アルフォンスは知っているのかしら。彼はどこに?」
「神官殿は、後からいらっしゃいます」
「そう……。では、彼が来てから準備を始めることにするわ」
「いえ、それはなりません! 聖女の正装をしていただきませんと。それには非常にお時間がかかりますので」
「……わかったわ」
しぶしぶ了承すると、私は室外に連れ出された。王城内にある、来客が身支度をするために誂えられた部屋だ。
「さあ、こちらへどうぞ」
そう言いながら、メイドは私の着ていたワンピースに手をかけた。貴族令嬢の中には入浴の手伝いをさせる人も多いけれど、私は一人で入った方が気楽だ。
「手伝いは結構よ。自分で出来るわ」
「仕事を遂行できないと、私がお叱りを受けてしまいます」
やるやらないの押し問答に疲れ果てて、されるがままに髪の毛を洗われる。その間にも、メイドは延々と私を褒めちぎってくる。
「聖女様はとても白い肌をしていらっしゃいますね。まるで陶器の様です」
「……はあ」
「髪の毛も、枝毛の一本も見当たりませんし……まさに神がかった美しさとはこの事ですね」
彼女は私を褒めていい気分にさせる係か何かなのだろうか? 別に褒められたい訳ではなく、ただ普通に扱ってほしいだけなのだけれど……。
「聖女様のお世話が出来るなんて、こんな名誉なことはございませんから、ぜひわたくしにと立候補させていただいたのです。何なりとお申し付けくださいね」
メイドの微笑みに、思わず顔が引きつってしまった。目覚めてから顔を合わせた人達からは、まったくそんな雰囲気を感じなかったし、なにより私の悪評と言う名の伝説は有名な話の様だから、城に出入りするメイドが知らないハズがない。
今までぞんざいに扱われてきたのに、ここに来て妙に丁寧なメイドのおべっかにどこか薄ら寒いものを感じてしまう。
「お化粧をいたしますね」
甘い香りのする油で丁寧に全身を保湿された後は、爪を磨き、化粧を施し、髪を結う。そして晩餐会用のドレスに着替えると、随分と見た目はましになった。しかし真っ白になった髪の毛はそのままだ。
「とてもお美しいです。王太殿下もきっとアリア様に夢中になりますわ」
「……はあ」
王太子との食事会。おそらく、私があの騒動を聞いていたことはアーサーから聞いているとは思うのだけれど、彼はどういうつもりなのだろうか。周りの人間に説得されたのだろうか?
──それに、シェミナは何を考えているの?
私と王太子を婚約させることは、シェミナの独断のように聞こえた。
今もこの城のどこかにシェミナはいて、私をじっと監視しているはずなのに、まったく姿を現さないのが不気味だ。……わざわざ駒のひとつの顔を見る必要もないと言うことだろうか。
「アリア様?」
メイドのうろたえた様な問いかけにはっとする。考え事をしていて、ぼーっとしてしまっていたのだ。
「なんでもないわ」
広い食堂に一人通される。やはりアルフォンスはやってこず、私一人だ。すぐに食前酒と前菜が目の前に配膳される。
「申し訳ありません、殿下は多忙のため少し遅れるとの事です」
給仕係の申し訳なさそうな声。その感情に嘘はないだろうけど、きっと王太子は最初から来る予定など無いのだと思う。
──それならそれで、別にいいのだけれど……。
「まずはお食事をどうぞ」
……毒味係もいないのに、勝手に食べ始めていいのかしら。しかし、食事会と言うのは建前で、彼が来ない事が前提なのかもしれない。
「……あの、アルフォンスは?」
「アルフォンス様は現在手が離せない状況にあります」
「そうですか……」
……なんだか、とても嫌な予感がするけれど、食べ始めないといつまでたっても監視がとけない気がするので、仕方なしにナイフとフォークを手に取る。礼儀作法は覚えているが、緊張のせいでうまく手が動かない。なんとかして料理を口に含み、久方ぶりのきちんとした食事を味わう。……おいしいはずなのに味がしない。
「お飲み物はいかがですか」
正直そんなに喉は渇いていないけれど、断るとまた面倒な事になりそうなので、了承する。
「ええ。いただこうかしら」
グラスに薄桃色の液体が注がれた。細かい泡が浮き上がり、華やかな香りが鼻腔をくすぐる。……最後にお酒を飲んだのは……いつだっただろうか?
ぐいっとグラスを煽ると、喉が熱くなる感覚に懐かしさを覚えた。
「お味はどうでしょうか?」
「美味しいわ」
「それは良かったです。もう一杯いかがですか?」
「ええ、せっかくだし……」
何杯かお酒を飲んだものの、食事はあまり進まなかった。どうせ誰も来ないとわかっていても、どこなとく緊張してしまうものだ。給仕係は丁寧で優しく、にこやかではあるものの、会話する相手もなく、一挙一同をずーっと観察されている。
さすがに気分が悪いと言うか……体が火照って、だるさを感じるようになってきた。……この感覚はなんだろう? 体に小さな異物があって、それに反応しているような、まるで、指に小さい棘が刺さって腫れた時みたいに、体が熱い。
「ごめんなさい、少しお化粧の様子を見たいのだけれど……」
と言うと、あっさりと部屋を出ることができた。化粧室の椅子に腰掛けて、ため息をつく。
「落ち着かないわ……」
誰が訪ねてくる気配もなく、顔合わせはなくなったのだろうし、アルフォンスにもこの事は知らされていないのだろう──そんな事を考えながら、鏡を見て驚いた。顔が赤いのだ。
……おかしい。私はそれほどお酒には弱くないはずだ。久しぶりに飲んだから、悪酔いしてしまったのだろうか?
席に戻ると、給仕係に声をかけられた。
「デザートをお持ちします」
具合が良くないので断りたかったけれど、有無を言わさず赤いベリーのソースがかけられた氷菓子が目の前に置かれる。
食べ物を無駄にはしたくなかった。一さじ掬って飲み込むと、喉に違和感を覚える。
むせるように咳き込んだ後、視界がぐらりと揺れる。倒れそうになる身体を支えるためにテーブルに手をつくが、力が入らず、私は椅子から転げ落ちてしまった。
「聖女様! 大丈夫ですか」
「少し……体がびっくりしちゃったみたい」
まだ目覚めて数日。健康そのものだと思っていたけれど、急に固形物やお酒を胃に入れたせいで拒絶反応のようなものが起きたのだろう。立ち上がり、ドレスについたしわを伸ばしてから心配そうに見つめるメイドに微笑みかける。
「聖女様。お加減がよろしくないのでは?」
「え、ええ、そうね」
「少し別室でお休みになってはいかがですか」
私は促されるまま、別室に導かれた。白い天蓋がかけられた寝台には艶のある寝具がかけられており、調度品も高級な貴賓用の品だった。元の部屋に戻るにせよ、ここで休憩させてもらえるのはありがたい。
ベッドに横になると、ふわりとした感触が心地よい。
──私が倒れたせいで、彼女たちが怒られないといいけれど。
目を閉じてじっとしていると、耐えがたい睡魔が襲ってきた。