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あの時とは違う

 もう、まぶしさや恐れは感じない。まるで、赤子の頃、シーツにくるまれて母に抱かれている時のような、あるべきところに帰ってきたような、懐かしい気持ちになる。


 きっと、人間は生まれる前、ここにいるのかもしれない。


 たゆたう流れに身を任せていると、赤子のような泣き声が聞こえてきた。


 ──世界樹だ。


 きっと、これは世界樹の核だ。人間の都合であちらこちらに振り回されて、どうしていいのかわからないのだろう。


 ──大丈夫よ。落ち着いて。振り回してごめんね。


 両手を広げ、世界樹にゆっくりと語りかけると、赤子の泣き声のようなざわめきはおさまった。代わりに、なにか、あたたかいものが、私のそばへとやってくる。


 ──私が、一緒にいてあげるからね。


 扱い方によって、人間にとって良いものにも、悪いものにも変わるだろう。世界はゆらめきながら、ゆっくりと回転している。私はその中で、赤子のように、ゆらゆらと漂っている。


 小さな裂け目──きっと、現世とこの世界をつなぐ窓──から外を覗き込むと、マナの光が雪のように降り注ぎ、王都を覆い隠しているのが見えた。


 静かな雪のように降り注ぐマナは……優しい光は、傷つき、病に倒れた人も癒してくれるだろう。


 ──私はきっと、このために、今日まで耐えてきたんだ。


 満足すると、体がもう一段、ふっと軽くなった。


 ──ああ、私は消えるのだ。


 自分の体が上を向いているのか、それとも下を向いているのか、それすらもうわからない。けれど恐怖はない。私は聖女として為すべき事をした。


 ──もう、これでいい。



『アリア!』


 ゆっくりと目を閉じようとした時、エディアス様の声が遠くから聞こえてきた。やるべき事を終えて、私の元にやってきてくれたのだろう。律儀な人だ。


 ──お別れです。今度こそ、本当に。


『アリア!』


 エディアス様は、もう一度私の名前を呼んだ。もう、眠ってしまいたい。あんなに大切に思っていたエディアス様の声を、今はうるさいと感じてしまう。


「アリア! くそっ、ダメか! ラーミヤ、僕が飛び込むから、後ろから引っ張ってくれないか!?」


「馬鹿の親は馬鹿とみえる。……さっさと飛び込め、我の気が変わらんうちにな」


 ──エディアス様、無茶な事はしないでください。……ラーミヤも、止めてくれればいいのに。カイルとカーレンはどこへ行ったのかしら。まさか、私がいなくなったら彼らもどこかへ行ってしまうのかしら。手伝って欲しかったのに。最後にきちんと言い残しておけば良かった……。


 止まった思考が動き出し、世界樹のなかに固定されかけていた魂が、再びもぞもぞとし始める。


「アリア、手を!」


 もっとはっきり、エディアス様の声が聞こえる。


「エディアス様、大丈夫です。私は、聖女ですから……私はここで過ごします。それが、自然な事なんです。どうせ、もう、人間には戻れないのですし、このまま……」


「……そんな嘘、もうこりごりだ! 君は大丈夫でもないし、そのままそこに居たいなんて、本当は思っていない!」


 ──嘘、確かに。本当は嘘。私は聖女になんてなりたくない。昔も、今も。人間に戻りたいし、皆と一緒に過ごしたい。


「アリア、戻ってこい!」


 ──私は、まだ、アリアのままでいいのだ。


「……エディアス様!」


 声がする方に、必死に手を伸ばす。体が鉛の様に重い。けれど、マナの中でもがく私の手を、エディアス様が掴んだ。


「アリア!」


 エディアス様は生身の人間だ。妖精やフェンリルのような強いマナに耐性がある体ではないし、魔力だってない。本当は、ここにいるだけで、全身に針を突き立てられたようないやな感覚があるはずなのに……。


「エディアス様、手を離してください! あなたまで……」


「離すものか。絶対に」


 意識は、そこで途切れた。

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