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聖女と魔女②

「がっ……」

「戯言ですね」


 シェミナの口から、真っ赤な血がこぼれ、伸ばした手は空を切った。生臭い血の匂いに、これこそが魔女の見せた幻覚で、私とシェミナの懐かしい思い出など存在しなかったのだ、とはっきりと理解することができた。


「猿芝居とはこのこと」


 カイルはやれやれ、と言った様子で首を振った。──その瞳には、澄んだ輝きが戻っている。


「カイル……」

「アリア様、お褒めの言葉はのちほど。ゆっくりしている暇はありません。王家に伝わる宝剣の効果も、そう長くは続きません」


「……ええ」


 最後の最後で、また魔女に騙されるところだった。魔女はシェミナを乗っ取ったかもしれないけれど──シェミナもまた、魔女なのだ。


「姉さん、やめて!」


 世界樹の枝に絡めとられたシェミナは、どす黒い血を流しながらも、なおも私に命乞いをしていた。けれど、もう耳を貸すつもりはない。


「さよならよ、シェミナ。──これっきりね」


 ためらいはなかった。シェミナの体に、一思いにマナの剣を突き立てた。


「がっ……」


 まるで、張り詰めていた空気がしぼんでいくように、シェミナの美しい頬から張りが失われていく。五十年分の時の巡りが、まるで一気に押し寄せるように──。


「いや、やめて、見ないで! 私の、私の、顔がっ!」


 この期に及んで、シェミナは自身の容貌を気にしている。けれど、滑稽な様子を笑う余裕はない。息が上がって、心臓が破裂しそうだ。手が震える。そういえば、首の怪我は大丈夫だろうか……すべてが終わる前に、失血死なんて笑えない。


「嫌、やだ、どうしてよ、どうして……そんなの、おかしいわ。どうして、こんなひどい事をするのよ。ずっと寝ていたくせに、どうして今更、私の何もかもを奪おうとするの? ずるいわ、そんなの」


「すべて、あなたの行いのせいよ」


 目覚めた世界で、シェミナが善政を強いていたら。私をかばったエディアス様に、不当な扱いをしなければ。そうすれば、魔女の敗北はなかったかもしれない。


「伝承にあるような本物の魔女なら、エディアス様をもっと早く殺していたでしょうし、私を逃がすこともなかったでしょう。敗因は──シェミナ、あなた自信の愚かさね」


「ずるい、ずるいずるいずるい、なんで、なんでなんで」


「耳障りだ。うるさい」


 自力で這い出してきたラーミヤがシェミナを前足でコツンと小突くと、シェミナだった老婆は、世界樹が作り出した床の裂け目に落ちていった。耳をつんざくような叫び声が闇に溶けたあと、私は静かに目を閉じた。


 ──あっけない。


 心臓の鼓動が落ち着いていく。私がずっと恐れていたシェミナは、こんなにも矮小で、くだらない存在だったのだ。


 剣や魔法の心得があるわけではないから、そううまくいくはずがないと思っていた。私は、知らず知らずのうちに、強大な敵の幻を作りあげてしまっていたのかもしれない。


「ふう。この服、瘴気臭くてたまりません」


 カイルがもう辛抱たまらないとばかりに騎士の上着を脱いで、投げ捨てた。


「カイル、どうして──魔女に取り込まれていたのではなかったの?」


 カイルは随分とかっこつけて、片目をつぶった。様になってはいるけれど、何だか憎らしい。


「俺は世界樹の騎士ですから。世界樹があるかぎり、基本的には不滅です。魔女に二度も不覚はとりません。……王家の宝物庫には妖精にうってつけの財宝が沢山あると聞いていたので。人間にはもったいないので俺が拝借しました」


 カイルとカーレンは共に人間サイズの体を保つ力を失ってしまったが、カイルはそのまま、これ幸いと王城に潜入する事にしたのだと言う。敵を騙すにはまず味方から。妖精はラング領の人々の生きざまを見て、知恵をつけ、洗脳されたフリをして、単身敵地にもぐりこむと言う冒険を始めることにした、らしい。


「宝剣の力、すごかったでしょう? まあ、壊れてしまいましたが。骨董品でしたね」


 どんなに深刻な状況でも、少しずれたとぼけたような言動は間違いなく、私の知っているカイルだった。


「……迫真の演技だったわ。絶望してしまうぐらいにはね」

「お嫌いになりましたか?」


 カイルは悲しげに眉尻を下げて、伺うように私を見つめた。


「『どらまちっく』なのに憧れがあったんでしょう? ……そうよ、アルフォンスはどうなったの!?」

「ただ階下に落としただけですよ」


 それを聞いて、すとんと肩の荷が下りた。アルフォンスが無事なら、それでいい。


 カーレンから報告が来た通り、王都は制圧され、魔力砲は沈静化した。


 ──私がやることは、あと一つだけ。


「アリア様。あなたが正しくいる限り、私たちはあなたのそばにお仕えします」


「──ありがとう」


 ……妖精にとっての「正しさ」とは何だろう? 一つだけ分かるのは、私がどうなってしまっても──歪むことを止めてくれる人達がいる事だ。


「それとは別に、正しいかどうかは関係なく、俺たちはアリア様の事が好きですよ」


 カイルは、私に向かって手を差し出した。今度は彼の手を握って、すぐに離す。


「……本当に、今まで、ありがとう。私、もう行くわね」

「ご武運を」


 ここから先は、フェンリルも妖精も助けにならない。誰かの教えを請わなくても、今は何をすべきかはっきりと理解している。


 漂っている瘴気を浄化し、この大地を清浄なものにする。私が力を解放することで、世界樹はこの地に根付き、数百年の繁栄をもたらすだろう。


 カイルから背を向け、静かに、世界樹の幹に手を当てた。世界樹は定着しつつあるのか、再び樹木の形を取ろうとしており、表面は硬化しつつある。そっと触れてみると、不安定なマナが幹の中でぐねぐねとねじ曲がり、外に出たがっている。


 もう、大丈夫。振り回して、ごめんなさい。


 そっと世界樹に語りかけると、今までの暴力的なほどの力強さを感じるマナとは別の、優しい光が私を包み込んだ。

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