再会②
「カイル……!」
鮮やかな青だった近衛騎士の服はまるで喪服を思わせる真っ黒なものに変わり、いつもきらきらとして、まるで澄んだ泉のようだった瞳はどす黒く濁っている。容貌は確かにカイルなのに、まるで違う存在に見えた。
「シェミナ様がお待ちだ」
カイルはゆっくりと、唇の端を持ち上げて、不自然なほど爽やかな笑みを作った。
カーレンは魂の片割れがこうなってしまうことを予見していたのだろうか? 私を見下ろす冷たい瞳は、いつも親愛の情を向けてくれていたカイルのものではなかった。
「貴っ様、この、恥知らずが! アリア様から受けた恩を忘れたのか!」
アルフォンスがカイルに向かって怒号を張り上げたけれど、彼は涼しい顔で、全く意に介した様子はない。
「妹を見ましたか? 体の再生が間に合わず、あの大きさでパタパタしている事しかできない。要領が悪いことだ。シェミナ様のお力を受け入れれば、こんなにも簡単に強大な力が手に入るというのに」
……確かに、カイルの放つ威圧感は、以前よりもずっと増している。これが私とシェミナの差、そのままだと言うのだろうか。
「……力欲しさに、マナではなく瘴気を受け入れたと言うの?」
「マナと瘴気は表裏一体。人間にとって都合のよいものをマナと呼ぶだけ。妖精はこの世の理を正しく理解している。ほんの少しばかりマナを操れるからと言って、マナは素晴らしく、瘴気は下等と考える人間は傲慢にも程がある」
カイルは腰に差した宝剣をすらりと抜き、切っ先を私に向けた。
「新しい剣の切れ味を試したい所だが……シェミナ様の許可なしには、な」
カイルはくるりと踵を返し、城内へと消えた。ここで私たちを始末する気はないらしい。
「メインディッシュは主君に、と言う事か」
アルフォンスが苦々しげに吐き捨てた。
「……カイル、どうして……」
「おそらく、弱った際に精神汚染されてしまったのだろうな。我らフェンリルの先祖がやられたのと同じ手口だ。内部からの崩壊を誘うつもりだ」
「アリア様、お気をつけを。ラーミヤの言うとおりです。奴はもう、あなたを守護する妖精騎士ではありません。言うなれば……魔女に付き従う、暗黒騎士」
「暗黒騎士……」
今のカイルは、身も心も魔女のしもべとなり、王家に保管されていた協力な武具を手にしている様子だ。アルフォンスがいくら天才の誉高いと言えど、相手が人ならざるものでは分が悪いだろう。いざとなれば、私がシェミナごと、責任を取らなくてはいけない。……片割れがこうなってしまったカーレンの事を思うと胸が痛い……。
『階段を上るのに、難儀しているのか?』
城内から、カイルの嘲るような声が聞こえた。
「……罠ですが、行くしかありません。アリア様、作戦は大丈夫でしょうか」
アルフォンスが立てた、無数の作戦。いくつもの選択肢の中から、私が選び、そして実行するのだ。
アルフォンスに向かって小さく頷くと、彼はカイルの後を追い、ゆっくりと階段を上っていく。ラーミヤが私を乗せて、慎重にその後ろを追走する。
「そんなに警戒したところで、そのあたりには何もないぞ」
カイルは階段の中腹で立ち止まり、私たちを待っていた。からかうような声は、以前のままだ。
……けれど、今のカイルは敵だ。記憶があるということは、シェミナに情報が抜かれているだろうから、油断はできない。きゅっと、腰の剣に手をかけた。
長い正面階段を登り切ると、いよいよ城の本体が見えてくる。異常な事に、文字通り最後の砦であるはずの中央の扉はすでに無く、ぽっかりと闇が口を開けていた。
「何と面妖な……」
アルフォンスが苦々しげに呟いた。
罠だと、敵の根城であるとわかっていても、歩みを止める事はできない。そっと闇の中に足を踏み入れると、内装は記憶と変わりがなく、普通のままだと表現してもよかった。しかし、煌びやかな装飾はそのままに、その景色とともに居た筈の人の気配はない。
進めど進めど、命の気配が何もない。ぞっとする。
「人間がおらんな」
「シェミナ様は近頃、ご機嫌斜めだ。うっかりして兵士を食い殺してしまう事が多く、皆逃げ出した」
私たちが眉を顰めるのも気にせず、振り向いたカイルはまるでなんでもないことのように語っている。
「……妖精騎士を洗脳して、そばに置いておくぐらいだからな。人望がないと言うのは悲しいことだ」
アルフォンスが皮肉とともに、静かに歩みを進めた。私とラーミヤも、静かにそれについていく。高い吹き抜けのある広場を越え、玉座の間に向かって、空中に、支えもなしに階段が伸びている。罠の気配は、まだない。
一段一段、踏みしめるように進む度に、瘴気が濃くなってゆく。鳥肌が立つ肌をつねって、気持ちを奮い立たせる。
「怖いか?」
ラーミヤが、小さく語りかけてきた。
「ええ、そうね」
「正直でよろしい。案ずるな、我がついている」
ラーミヤが、我は恐れてなどいないのだ、と主張するかのように、私を乗せたままアルフォンスの前に進み出て、カイルの後ろについた。
「忠犬ぶりがさまになってきたな」
からかいにラーミヤが不愉快そうにふんと鼻を鳴らすと、階段の中腹で、カイルはぴたりと歩みを止めた。
「この先に、シェミナ様がいらっしゃいますよ」
「……っ」
カイルが指し示した先には、玉座の間へと続く扉があった。言われなくても、わかっている。それは彼も承知のはずだ。カイルはただ、私の動揺を誘うために、わざわざあえて言わなくてもわかることを口にしている。
相手にしたくないのに、どんどんと心臓の音が速くなっているのがわかる。血管の中で血と一緒にマナがめぐり、今にもマナが体を突き破って、そのまま肉体が壊れてしまいそうだ。
──気にしてはいけない。平静を保つのよ。
「──アリア様!」
ふいに、アルフォンスのするどい声がして、意識が引き戻される。驚いて振り向くと、彼は毒々しい瘴気の枝に足を取られ、階下に引きずり落とされそうになっていた。
「女同士の会話に口を挟むのは、無粋じゃないかと思ってね。神官様にはご退場願おう」
カイルの言葉と共に、階段が崩れていく。
「アルフォンス!」
咄嗟に手を差し伸べたが、アルフォンスは私の手を取らなかった。
「くそっ、この、暗黒騎士めが! 恥を知れ、地獄に落ちて、輪廻転生の輪から外れてしまえ、この親不孝者め!」
アルフォンスは口汚くカイルを罵りながら、崩れた階段に巻き込まれていった。階下を覗き込むと、底が見えない。果たして地面なのか、それとも……。
「そんな……」
「案ずるな。この程度の瘴気、やつなら自分でなんとかするだろう」
「ラーミヤ……!」
ラーミヤの足にも、また、瘴気の枝が絡みついていた。普通なら、フェンリルの長であるラーミヤはものともしないだろう。
「待って、今、浄化を……」
「いや。我にかまうな。お前は一人でも、行くのだ」
ボロボロと階段が崩れ落ち、私たちのすぐそばまで迫ってきているが、瘴気の枝は次からつぎへと伸びてきて、払っても払ってもきりがない。
「そんな、ラーミヤまで……」
「行け!」
ラーミヤの後ろ足が闇に飲み込まれて、私はやっと駆けだすことができた。崩れる階段を駆け上がり、登り切ってから後ろを振り向くと、空中階段は跡形もなく消え去っていた。物音がしない。眼前には、ただ闇が広がるばかりだ。
あっと言う間に、私は一人になってしまった。
「ここから先は、姉妹の感動の再会、と言う事で」
ご案内しましょう。カイルは私に、手を差し伸べた。
「……ええ」
極力、冷静に振る舞う。シェミナは今も、城のどこかで私を見ているはずだから。負けるものか。きっと皆は耐えてくれる。私がすべきことは、一刻も早くシェミナを倒し、皆を解放することだ。
差し伸べた手を取る事はしない。失ったものに、未練がましく縋ることはしない。
「さあ、アリア様。あの時のようですね。初めてお会いした時、俺はあなたを城から連れ出した。けれど、ここにあなたは戻ってきてしまった。そうして今、何の策もなく、シェミナ様の前にひれ伏すことになる。俺の働きは、全て無駄だったということですか?」
「……無駄なことなんて、何もないわ」
「そうですか」
全ては定められたこと? あがきは無駄だった?……そうは思わない。負け続けても、最後に勝てばいい。そうして正しい道へと、戻してみせる。
「シェミナの所へ、案内して」




