聖女の想い①
私がラング領へ戻ってきて数日。シェミナから受けた傷は目覚めた時点で跡形もなく消え去っていた。
あれだけ死を覚悟するような大けがにもかかわらず、だ。これも聖女の──マナの力。これほどの力、人間や、人ならざるもの全てが大地の恵みを求めるのも当然だろう。
私達は最初に受けた攻撃の復興と並行して、王城に潜入して魔女を倒すための作戦を練っていた。こうなってしまうと、強力な力を持つ妖精騎士を失ってしまったのは痛手だった──アルフォンスは「妖精はアリア様がいる限りは消えない。魂にダメージを負ったでしょうが、そのうち新芽が生えるようににょっきりと復活してくるのではないでしょうか」と私を励ましてくれたけれど、日増しに成長する世界樹のもとに、金色の妖精が現れることはなかった。
「聖女よ。時間だ」
木の幹に耳をあてて、世界樹がマナを吸い上げる音に耳を傾けていた私は、ラーミヤの声にうっすらと目をあけた。
「ごめんなさいね。毎日護衛をしてくれて、ありがとう」
私の言葉に、ラーミヤはしゅるりと白銀の尾を揺らした。
「我はあの失態以降、二度とお前のそばを離れないと決めた」
カイルとカーレンを失ってしまってから、ラーミヤは群れの長でありながら、ずっと私のそばについていてくれている。
「ありがとう」
お礼代わりに、籠の中から朝食として持たされた肉とチーズを挟んだサンドイッチや果物などをラーミヤに与える。
「うむ、うまい。魔猪は瘴気くさくて食べられたものではないと思っていたが、浄化をすると美味だな」
目を細めて舌鼓を打つラーミヤは、普段の威風堂々たる姿とは変わってとても愛らしい。本人に言うと怒るだろうから、口には出さないけれど。
「良かったわ」
「聖女は食が細い。もっと肉を付けてもいいのではないか?」
ぺろりと舌なめずりをしたラーミヤに、愛想笑いを返す。
「私はお昼ご飯を沢山食べているから大丈夫よ」
それは嘘だった。食欲が湧かないのを心配されたくなくて、こっそり食事をラーミヤに食べて貰っているのだ。
「うむ……そうか? まあ、聖女は走らないからな。それほど力は必要ないのか。よし、乗れ」
ラーミヤの背に乗り、屋敷への道を駆けていると移住者らしき集団が街道を行くのが見えた。彼らはもちろん私たちの事を知らないため、こちらを驚愕と言った表情で見送った。
「乗せてあげたいけれど、ラーミヤには二人ぐらいしか乗れないものね」
「そもそも、人の子がフェンリルの背に乗っている事がたいへんな事態なのだがな。……普通は、乗せないぞ。それにしても、このあたりも随分と人間の群れが多くなってきたな」
「そうね……」
ラーミヤの言葉通り、王都からの人口の流入は止まらず、ラング領は日増しに人が増えている。水はあるし、人手はいくらあってもいいけれど、人口が増える速度が速すぎて、諸々の物資が間に合っていないのが現状で、王都に乗り込んで魔女を倒すどころの騒ぎではない。
「アリア様……」
戻るなり、アルフォンスが駆け寄ってきた。疲労のせいか、最近の彼は数年分老け込んだように思える。
「どうしたの?」
「お忙しいところ申し訳ないのですが、難民の対応をお願いできますでしょうか」
いいわ──と返事をしようとして、続けられた言葉に耳を疑う。
「どうやら王都で大規模な瘴気の汚染が発生しているようで、瘴気中毒の患者が溢れているのです」
「そんな……」
人間はマナが多く、清浄な地に拠点をつくり、そこが国となる。つまり王都がある場所は国内でも有数の安全な土地であるはずだった。
しかし、今。その王都の中心部から瘴気が吹き出し、人々を苦しめているのだと言う。それが原因で国民達の間に争いが起き、内部では暴動や略奪などが発生して酷いありさまだとアルフォンスは続けた。
「ここに辿り着いたのは、比較的体力や物資に余裕があった民です。しかし瘴気に汚染され、体を蝕まれているものがほとんど。特にひどいものは礼拝堂に集まってもらっています」
お疲れの所申し訳ありませんが、とアルフォンスはぺこりと頭を下げた。
「分かったわ。任せてね」
礼拝堂へと向かった私は絶句した。人の多さはもちろんだが、印象的なのは皆一様に疲れた表情をしていることだ。中には小さな子供もいる。大人の争いに巻き込まれて、生活がめちゃくちゃになり、流れ着いたここがどこかも分からずに泣きじゃくっている。
「なんてこと……」
子供達の集団の中から、一人の少女が私に向かって駆け寄ってきた。
「聖女さま、お母さんとお兄ちゃん、喉がいたいの。黒い煙を吸っちゃって……お願いします、たすけてください」
礼拝堂に飾ってあった私の絵を見たのだろう、私の手を引いて家族を治してくれと懇願してくる。
「聖女様、我々をお助けください」
「私も……!」
「俺も!」
会話を聞きつけたのか、あっと言う間に周囲に人だかりができる。
「ま。待ってください、落ち着いて。順番にやりますから……」
助けを求めて騒ぎ立てる人々を何とかなだめながら、私はまず最初に声をかけてきた女の子の家族の処置から始める事にした。
「今から、体内に溜まった瘴気を中和しますね」
高熱によってすっかり弱り切った子供に手をかざし、体内の瘴気を私の手の平に集める。光を放つ手を見て、子供達は驚いたように目を丸くしている。
「これで大丈夫よ」
安心させるために微笑みかけると、目の前の子供も嬉しそうに笑い返してくれた。うまく出来て良かったと感じたその瞬間、体中のマナが一気に逆流して、一瞬意識が飛びそうになる。
「……!」
この感覚はなんだろうか。……王家の墓で、シェミナと対峙したとき。あの時、私は怒りにまかせて力を振るった。今はまったく怒ってなんていないのに、どうしてマナの流れを制御できなくなったのだろう。
「聖女様?」
急に沈黙した私を不審に思ったのか、周りの人が心配そうに声をかけてくる。
「ごめんなさい、少し考え事をしていて……大丈夫です。順番に並んでくださいね」
悩んでいる暇はなかった。私は聖女としてやるべき事をやらねばいけないのだから。




