×××は嫌だ(前)
五十年ぶりに足を踏み入れた王宮は古びてはいるけれど、構造は変わっていない様だった。
すれ違う人々は皆、私を見て驚いた顔をする。時代遅れだろう白いワンピースに、高濃度のマナに長年浸かっていた影響からか銀色になってしまった髪の毛は足首まで伸びている。客観的に見て、私の容姿は異様に違いない。
しばらく進むと、石造りの床は赤い絨毯が敷き詰められた、やや幅が狭いものに変わる。この辺りは私の記憶が正しければ、王族やそれに準ずる人々の私室があるあたりだ。
アルフォンスはそのうちの一つの前で足を止めた。扉の上には、獅子と剣が組み合わさった紋様が描かれている。
「指示されたのはこの部屋です。しかし、ここは王太子の私室に繋がる部分なのですが……」
と、アルフォンスは首をひねった。
「公爵ではなく、王子が呼び出したって事かしら?」
「妙ですね。やはり、一旦戻りましょう。第一、呼びつけられてほいほい出向くと言うのも、侮られるのが加速しそうです」
アルフォンスは警戒心を隠さない。それは同感なのだけれど、へたに断ると私どころか彼の立場も悪くなりかねない。ここまで来てしまった事だし。
「なんでも後回しにせずに先にやってしまうに限るわ」
「……父上にもいつも同じ事を言われて育ちました」
アルフォンスはわずかに唇を尖らせた。そうすると、エディアス様が小さな男の子に口を酸っぱくして言い聞かせるさまがありありと目に浮かんで、何だか切なくなった。
私の感傷をよそに、アルフォンスは気を取り直したのかコンコンと二回扉をノックする。
「失礼いたします」
中から返事があり、私たちは部屋の中に足を踏み入れた。応接室だろうか、広い部屋の中には品のいい調度品が置かれている。部屋の中心には、立派な椅子に座っている一人の男性がいた。
彼はこちらを見るなり立ち上がり、優雅な仕草で礼をした。すらりとした長身で、年の頃は三十過ぎたばかりといったところだろうか。亜麻色の髪はきれいに整えられ、目立った欠点のない容姿は人好きのするもので、さぞ女性にもてるだろう。
「やあ、はじめまして、アリア・アーバレスト。君のことはよく知っている。私は貴女の甥にあたるアーサー・アーバレストだ」
柔和そうな表情は好感が持てるけれど……なんだか胡散臭い感じが否めない人だと言うのが正直なところ。
「はじめまして」
差し出された手を軽く握ると、アーサーは柔らかく微笑んだ。
「どうして、私をここに呼び出したのですか?」
殆ど間を置かずに問い詰めると、アーサーの頬はますます緩んで、だらしないほどになった。
「婚約の話は聞いただろう? すぐにでも、君と王太子を引き合わせるべきだと思ってね。君はアーバレスト公爵家に連なる者だから、この私が仲介役を務めないことにははじまらない」
「婚約について、王太子殿下は了承を?」
「ああ、それはもちろん。アリア、君の目覚めによって我がアーバレスト家がかつてない栄光を極めるであろう事は……」
『ゼアキス様、おやめください!』
アーサーのもったいぶった言葉は応接室のさらに奥の扉から発生した、ガシャンガシャンと陶器が割れる音と、女性の痛々しい叫びにかき消された。
「……っ、……だっ!」
それに続いて、くぐもった男性の声が聞こえて来たかと思えば、メイドが奥の部屋から飛び出してきた。
「な、何事?」
私は思わず、アーサーの横顔を凝視した。その視線の先にある部屋の入り口からは、更にもう一人、メイドが飛び出してくる。
彼女は私たちを見ると一瞬ビクッとしたが、すぐにアーサーの元へ駆け寄り耳打ちをする。アーサーは一瞬苦い顔をした後、私に向き直った。その顔は、どこか気まずそうだ。
今度は金属のぶつかり合う音──例えるなら、燭台をひっくり返したかのような音が響く。部屋の構造上、奥の豪奢な扉は王太子の私室に繋がっているはずだ。何か事件かもしれないと慌てて駆け寄ろうとすると、行く手をアーサーが遮った。