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聖女の力③

 一瞬にして、私の目の前に水柱が立ち上る。瘴気で濁っていたはずの水の色は透明だ。そのまま竜巻のように渦を巻きながら天高く立ち上り、やがて雨の様に、私たちの頭上に降り注ぐ。


「水だっ!」


 誰が口にしたのかは分からない。けれど、その叫びには確かに歓喜がこもっていた。


 吹き出す水の勢いは止まらず、足元にはどんどんと水が溜まってゆく。


「やった! やったぞ!」


 誰かがそう叫ぶと、それがまた新たな歓声を呼ぶ。


 皆の表情からは疲れの色は消えていた。希望を見つけたのだ。これからの事を夢見て笑顔になるのも当然だった。


 しかし、喜んでばかりはいられない。ここはもうまもなく、湖の底になる。澄んだ水はその美しさとはうらはらに、体の自由を奪う。


「は、はやく階段まで戻らないと……」


 私は水泳ができない。このままだと、水の生み出すうねりに足を取られ、流されてしまいそうだ。


「アリア様、失礼いたします」


 カイルに抱きかかえられたと思った瞬間、そのままふわりと体が宙に浮く。


「ちょ、ちょっと……っ」


 身をよじって振り向くと、カイルの背中から半透明の薄絹のような羽が生えているのが見えた。どうやら、普段は隠していたらしい。そのままふわふわと、ゆったりと上下しながらも、彼は私を地上まで運んでくれようとしているらしい。


「飛べたのね……」

「はい。けれどご心配なく。俺はアリア様を落としたりなど、絶対にしませんので」


 カイルの力強い返答に思わず苦笑してしまう。


「心配はしていないわ」

「ありがたきお言葉」

「気持ちは嬉しいのだけれど……他の皆は助けてあげられないのかしら?」

「彼らは彼らでなんとかしますよ」


 カイルの言ったとおり、皆は私の無事を確認するやいなや、湖の水が満たされる前にさっさと階段を上って地上に戻りはじめた。私以外は、普段の生活で鍛えられていて健脚なのだろう。


 カイルによって地上にそっと降ろされて、一息つく。この瞬間にも、水面はどんどん上昇している。


「ひとまず、水問題はこれで解決なのかしら」

「アリア、君のおかげだ。ありがとう」

「エディアス様……」


「命がある間に、こんな景色が見られるなんて。本当に、ありがとう……」


 エディアス様は吹き上がってきた水を浴びてびしょ濡れで、ガラスの瞳にも水滴がついている。まるで涙のようだ──いや、きっと彼の魂が喜びの涙を流しているのだろう。


「君がいなかったら、この土地はどうなっていたかわからない」


 エディアス様は感極まったように声を震わせた。──領地の存続にかかわる重大事項だと言うのはもちろん自覚があったけれど、私の力でみんなを助けてあげられた。その事実がとても嬉しい。


「皆の協力があってこそです」


 私一人では、城から出ることがかなわなかっただろう。エディアス様が領地を守り、人を育ててくれたからこそ、この大地の復活につながったのだ。


 湖面に水が満たされ、青空を映し出した。昨晩、成功したときの事を考えてはいた。けれど、目の前に広がる景色は、想像していたよりもずっと美しく、尊く感じる。


 天に立ち上る水柱を見つけて寄ってきたのか、いつの間にか周囲には大勢の人が押し寄せていた。皆、豊かに湧き出る水を見て、喜びの声をあげる。感極まって飛び込む人もいるほどだ。笑い声が響いて、エディアス様が笑った。


 いつも、優しげだけれど悲しい瞳をする人だった。けれど、今、彼は笑っている。私も同じ気持ちで、つられて笑った。


「さぁ、これから忙しくなりますね! まずは水路の整備をしませんと……まずはここに拠点を立てる。そのための資材を集めて……そのためには、早く屋敷に戻らなくては、ささ、早く早く。あ、その前にお着替えをしなくてはなりませんね。いや、この気温ならすぐに乾くか。……屋敷の皆にもこの奇跡を早く伝えたいので、ここはティモシーに任せて私は先に戻ってよろしいですか、アリア様?」


 まくしたてるようなアルフォンスの言葉に、苦笑する。彼の頭の中には、これからの展望が溢れて止まらないのだろう。


「私達も戻りましょうか、エディアス様」

「そうだね、帰ろう、か……」


 ちかくに居るはずのエディアス様の声が、随分と小さく聞こえた。


「エディアス様……?」


 問いかけに返答はなかった。振り向くと、エディアス様が胸を押さえて、ゆっくりと倒れ込む。


「……っ!」


 嫌な予感が、胸をよぎった。


 ──術の効力は、一体、いつまで。


「エディアス様っ、しっかりしてください、エディアス様っ!」


 ぷつりと糸が切れたように倒れたままのエディアス様の体を抱き上げると、ぞっとするほど、エディアス様の体は軽かった。光を受けていつもきらきらと輝いていた黒い瞳は、砂埃で濁り、光を失っている。

 

 ──彼の魂は、ここにはない。


 やっと見えてきた希望が手のひらからすり抜けてゆく……そんな予感がした。

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