聖女の力②
翌朝、私達は馬車に乗って、屋敷から少し離れた荒野にやってきた。ティモシーが提案した通りの、元々は豊かな恵みをもたらす湖だった場所だ。
「私に出来るのかしら……」
「アリアなら可能だろうと思ってしまうのは、いささか無責任がすぎるかな」
馬車から見える殺風景な景色に不安になっていると、エディアス様が声をかけてくれた。それは非常に単純ではあるけれど、強力な励ましだった。
自分の手の平を、窓から差し込む光にかざしてみる。私の体はどう見ても普通の人間だけれど、この中には確かに聖女としての力──マナを操る力が備わっているのだ。
五十年の眠りと引き換えに、得てしまった能力。今でもまだ、全ての力を自分のものにできていないと言う。
──これから、自分はどうなってしまうのだろう?
心の中に、わずかな不安があった。力を得たことで自分が変わってしまうかもしれないし、本当に聖女の力に目覚めたならば、誰も私の事を放っておいてなんてくれないだろう。
「アリア? 大丈夫かい」
エディアス様の心配そうな声にはっと意識を戻す。
「はい。頭の中で、マナを操る練習をしていました」
「君は聖女である前にアリアだから、僕の前では正直に愚痴を言ってくれていい。──話は聞き慣れているつもりだ」
馬車を降りると、エディアスが手を差し伸べてくれた。
「ありがとうございます」
私達の前には広大な荒れ野原が広がっている。地平線の向こうまで何もない、乾燥した世界。
「ここに本当に湖なんてあるの?」
思わず私は疑問を口にする。──その昔、ここには世界樹があり、かつては緑豊かだったなんて、信じられない。
「湖の、跡だね」
エディアス様はゆっくりと、その先を指し示す。
湖が涸れ、長い時間が経過し、あとには巨大な穴が残されているのみだ。崖の縁に沿って、階段が掘られている。水位の低下とともに、水を汲むために作られた──今や、それは湖底まで達している。
階段を下り、かつては水底だった場所に降り立つ。中心部から、わずかに水がしみ出しているが、濁った紫色だ。
「瘴気に汚染されているのね」
こうなってしまうと、飲用水には使えるはずもない。
現状、瘴気の塊が蓋となって水が湧き出るのを妨げており、ここを浄化する事ができれば、再び清水が手に入るのではないか──と言うのが彼らが導き出した仮定、つまりは希望だった。
責任は重大だ。問題は水の浄化だけではない。そもそも、水を引っ張ってくる事が私に出来るのかどうか。瘴気を取り払って、水が勝手に湧き出てくるといいのだけれど……。
水に手をかざすと、どこかざわざわした、悪寒のようなものを感じた。魔の森とは比べ物にならない濃い瘴気の気配に、体が警告を発しているのだ。
「ど、ど、どうでしょう、アリア様」
深刻な空気に耐えかねてか、ティモシーが焦ったように問いかけてきた。振り向くと、皆一様に真剣な表情だ。真剣……いや、これは、祈りに近いかもしれない。
──期待されている。やってみる、じゃない。私は皆のために、やり遂げなくてはいけないのだ。
「水よ、来たれ!」
祈りの言葉を紡ぐと、手のひらにマナの光が集まっていく。やはり、少しずつ、マナを捜査できるようになってきているのだ。集めたマナを、瘴気に汚染された水にかざすと、溜まっていた紫の液体がかすかに波打ち始めた。
「すごい! うまくいきそうですよ!」
ティモシーの声に、思わず口元がほころぶ。
──できる。
更に集中するために、瞳を閉じて地中のマナの気配を探り、力を込める。しかし、マナの光は遠くに見えるけれど、感覚として目の前に立ちはだかる瘴気を消しても消しても、地中のマナまで意識を到達させることができない。
「……っ」
集中力が続かなかった。ふらつきながら後退り、地面に手をつく。うまく出来ない。
……力が足りないのだ。何かが掴めそうだけれど、まだぴったりとネジが嵌まっていなくてがたついている──そんな感覚がする。
エディアス様が私に駆け寄り、心配そうに背中を支えてくれた。
「あまり無理は良くない、また日を改めよう。ただでさえ、毎日領民のために働いてくれているのだから……」
「いいえ、もう少し……やらせてください」
「アリア。君がラング領に責任を負うことはないんだ」
「私が自分のために、成功させたいんです」
毎日無理をしているのは全員同じだ。私しか出来そうな人間がいないと言うなら、尚更だ。
目をつぶり、もう一度両手をかざし、意識を集中させる。遠くに、マナの光がぼんやりと見えている。
やがて、身体の中から何かが流れ出ていくような感覚を覚えた。その流れは次第に大きくなり、地面へと広がっていく。「それ」はゆっくりと回転しながら地中深くに染み込んでいき、じわじわと、強いマナの光の方へ伸びていく。
──お願い。こっちに来て。私の所に……。
「──っ!」
光に向かって呼びかけた瞬間、ごぼっとした音と共に水が噴き出した。




