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「アリア様!」
騎士の間をすり抜けて、私に歩み寄ってくる人がいた。
薄紫の長い髪を持つ青年で、歳は二十代の半ばほどと言ったところ。彼は私の前で膝をつき、抱き起こしてくれた。
「大丈夫ですか、アリア様」
「え、ええ……ありがとう……」
青白い肌に、少し中性的な雰囲気。眼鏡の奥の瞳は青く理知的な輝きを放っている。身につけている白を基調としたローブは、彼が聖職者かそれに近い役職であることを示している。……当然だけれど、全く知らない人だ。──五十年の時が経過した後の世界の事だ、もしかして知っている誰かの子孫かとも思ったけれど、彼の横顔からは誰の面影も感じ取れない。
「ささ、参りましょうか。このようなところに居てはお体に障ります」
「アルフォンス! 神官風情が、口を挟むな!」
騎士のひとりが苛立ちを隠さずに、青年の名を呼び、私は彼が「アルフォンス」と言う名前なのだと知った。
「それはこちらの台詞だ。私はアリア様に仕えるためにここにいる。今働かないでいつ働くと?」
「王命に逆らうと言うのか!」
するどい叱責にも、アルフォンスはまったくひるむ様子がない。
「世界樹の発芽をその目で見ておいて、よくもそのようなふざけた口がきけるものだ。……さ、行きましょう、アリア様」
振り向いたアルフォンスの表情はにこやかだ。どうやら、彼だけは私に敵意がないらしい。何処へ、と尋ねる元気もなく、私はアルフォンスに支えられながら世界樹の神殿を後にした。
「申し訳ありません、非力でして」
見た目通り、アルフォンスには私を抱えて歩くだけの腕力はもちろんなかったし、私の体は動き方を忘れていた。結局、肩を借りながらとぼとぼと芝生の上を進むことになる。
……これではまるで老女……いいえ、私の実年齢は六十八歳。
「名実ともにおばあさんね……」
「え?」
「なんでもないわ。手を貸してくれて、ありがとう」
「いえいえ。このアルフォンス、ずっとこうしてアリア様の隣を歩くのが夢でしたので」
……どうやら彼は若干、変わった人のようだ。
そうして進むうちに、古ぼけた小さな建物が見えてきた。振り返ってみると、随分と歩いたような気がするが、世界樹の神殿とは目と鼻の先で、ほとんど進んでいなかった。
「ここは?」
「……アリア様が目覚めた時の為に用意されていた離宮です」
アルフォンスは申し訳なさそうにうつむいた。確かに『離宮』の響きから受ける印象とは裏腹に、目の前にある建物は立派とは言いがたい。けれど生きた人間の気配やあたたかみが感じられて、そこまで悪い印象はない。少なくともあのまま連れていかれるよりは、ここの方がずっと居心地が良いに違いない。
「掃除はしていますが、なにしろ急な事だったのでお迎えの準備ができておらず……」
小さくて素朴なソファーに身を沈めると、アルフォンスは床に跪いて深々と頭を下げた。
「アリア様。マナのゆらぎを感じ、慌てて駆けつけたはいいものの、一足早くあいつらに踏み込まれてしまい、不愉快な思いをさせた事を国民を代表してお詫びいたします」
「あなたがそんな気を使うことは……」
「いいえ。謝らせてください。謝らなければ気が済まないのです」
「お願いだから、そんな申し訳なさそうにしないでちょうだい」
「いいえ。このアルフォンス、生まれてこのかたこんなにも同国人を恥に思ったことはありませぬ」
アルフォンスは変わっているうえに、どうやらかなりの頑固者のようだ。
「彼らにはわからないのです、あなたの偉業が。だからあのような恥知らずな態度を……」
「目覚めたばかりの……寝起きだったから、うまく受け答えが出来なかった私にも問題があるわ」
「そもそも、あんな奴らに礼を持って接しようと言うのが間違いですよ!」
アルフォンスは気が済んだのか、がばりと顔を上げた。つっけんどんな言動からは、彼もおそらくは私と同じような扱いを受けているのだと判断できる。
……私付きの神官となると、もしかしなくても、それは……左遷された結果なのかもしれない。
「とにかく……さっきは助けてくれてありがとう。本当にね、アルフォンスが来てくれなかったら、今頃どうなっていたか。……しばらく、一緒に居てくれるのかしら?」
苦虫を噛みつぶしていたようなアルフォンスの表情が、パッと明るくなった。
「いの一番にご挨拶出来なかったのは心残りではありますが……このアルフォンス、アリア様の為なら何でもいたします。どうぞなんなりとお申し付けください。ささ、まず何をしましょうか」
……そう言われても、五十年の封印から解かれて、今すぐやりたいことなんてあるはずもない。けれど、何かを言わないと彼はこの場から離れてくれない気がした。
「そうね……喉が渇いた、ような気がするわ」
「では、お茶を用意しましょう!」
何とかお願い事を捻り出すと、アルフォンスは嬉しそうに立ち上がり、台所だろうか、部屋の外へと駆けて行った。……なんだか調子が狂う。
彼は何故私に優しくするのだろうか。ただ単に、ものすごく仕事熱心なだけだろうか。
考え事をしているうちに、風に乗って甘い、懐かしい香りが漂ってきた。
「はい、カモミールがお好きなのですよね。どうぞ」
「……確かにそうだけれど」
私がカモミールを煎じたお茶を好むのは、数えるほどの人間しか知らない。
「詳しいのね」
「勉強しましたから!」
アルフォンスは誇らしげに胸を張る。見た目はキリリとして知的な青年だと思ったし、その印象が覆った訳ではないのだけれど……どこか近所で慣れ親しんだ少年のような、初めて会った気がしないのは、何故だろう?
アルフォンスが私の向かい側に腰を下ろしたので、ひとまずカモミールティーを一口飲んでみることにする。その味は昔と変わらず、優しいものだった。少しだけ開いた窓からそよいでくる風が心地よい。
「……どうして私に親切にしてくれるの?」
何気ない私の問いかけに、アルフォンスは眉をひそめた。
「聖女をぞんざいに扱う方がおかしいと思うのですが。城の奴らは全員、瘴気で頭がやられているに違いありません」
腹立たしげにがんと音を立ててテーブルにカップを置き、アルフォンスは立ち上がった。
「失礼。先ほどの光景を思い出すとどうにも腹が立って……ご紹介が遅れましたね、改めて。私はアルフォンス……アルフォンス・ラングと申します」
優雅に礼をするその仕草は洗練されていて、とても様になっている。……貴族教育を受けた人特有の優雅さだ。
しかしその所作の美しさより気を引いたのは、彼が名乗った家名だ。
「ラング……」
「はい」
「アルフォンス、あなたは……ラング公爵家の縁者なの?」
「はい。私はエディアス・ラングの息子です」
アルフォンスは、淀みの無い声できっぱりと言い切った。
エディアス・ラング。それは私が、かつて愛した人の名前だ。