再会③
「え……」
ぬいぐるみはひょいと腕から飛び降りて、とことこと私の前までやってきて、ガラスの瞳でじっと私を見上げた。黒い瞳に、呆けた顔の私が映っている。
「アリア。本当に久しぶりだね。君はちっとも変わらない。僕は……この通りだ」
思考が硬直する。この熊のぬいぐるみがエディアス様だと理解したくないのに、ひとまずはそれを受け入れるしかなかった。
「ええ、お久しぶりです……本当に……」
瞬きをしてみたけれど、やっぱり熊のぬいぐるみだ。けれど、声は確かにエディアス様。
「アリア、お疲れ様。……聖女として世界樹を発芽させてくれて、本当にありがとう。皆、君に話しかけたくてうずうずしているけれど、まずは僕からお礼を言わせてくれ」
「エディアス様……」
しゃがみ込むと、エディアス様はふわふわの手を私に伸ばした。その手を取る。感触は確かにぬいぐるみなのだけれど、その奥には魂の重さと言うべきか、中に一本芯が通ったような質量を感じる。
「五十年前、君を守る事ができなくてすまなかった……」
続けられた言葉に、静かに首を振る。エディアス様が謝るような事ではないのだから。
「私の事を覚えていてくれてありがとうございます。こんな風にお話しできる日が来るなんて、夢みたいです」
姿が変わってしまっても、中身がエディアス様であることには変わりがない。
「でも、そのお姿はどうして……」
納得しようとしたつもりだけれど、疑問が口からこぼれてしまった。
「まあ、緊急避難……というところかな。話すと長くなる。セバスチャン」
エディアス様が小さく手を上げると、セバスチャンと呼ばれた老人が小さく頷き、壁の一部分を押した。石が擦れ合うような音がして、次にゆっくりと本棚が動いた。──隠し扉だ。
「せっかく訪ねて来てくれたのに、こんな話を君にするのは気が引けるけれどね」
私を見上げるエディアス様の黒いガラスの瞳には、たしかに人間の感情が宿っている。彼の人生に何が起きていようとも、私が知っているエディアス様には違いなかった。
「聞かせてください。今までの事を」
私の問いかけに、エディアス様は小さく頷いた。
「ついてきて」
セバスチャンはゆっくりとエディアス様に手を伸ばし、エディアス様は器用にセバスチャンの肩に乗った。薄暗い階段を降りていく二人の後ろを、私は黙ってついていく。
「ここはラング領の宝物庫。存在を知っているのは、アルフォンスやティモシーを始め数名程度」
つまり、この場所に隠されているのは機密中の機密ということだ。
小さな部屋は書斎のようになっていて、かつて王都に居た頃のエディアス様の私室の面影があった。壁をぐるりと囲む本棚や、厳重に鍵がかけられた箱は、エディアス様が王家から引き継いだ財産ということだろう。……そして、部屋の真ん中に人が一人入りそうなほどの大きさの長方形の箱があり、その上には布がかけられている。
まるで棺のようだと、思う。
「君が聖女になったあと、僕がこの地に追放されたことは知っているね」
「はい」
「国に不和を生み出そうとした愚かな王子として、僕はこのラング領と、最低限の供だけを与えられた。しかし、それは形式上のこと。僕は王家の所有する聖遺物の一部を譲り受け、管理人として保管することになった」
聖遺物。かつて、この大陸は瘴気を操る悪しき魔女によって支配されていた、と言われている。初代の王が魔女を打ち倒し、地中深くに封印した。その時に使用した道具の数々が国宝として王家が代々所有している。エディアス様は秘密裏にそれを相続していた。
……国王夫妻は、王位継承権のないエディアス様の事を、多少は気にかけていてくださったのだろう。
「君が封印され、現在の王が誕生してすぐに国では疫病が蔓延し、両親が相次いで亡くなり、弟が王位に就き──シェミナが王妃になった」
小さく頷くと、エディアス様はセバスチャンから飛び降りて、冷たい石の床の上に一人で降り立った。
「王位を継承し、全ての権力を得たところで、二人は宝物庫の品が足りない事に気が付いた。すぐに僕が残りの品を持っていると気がついたのだろう。宝を返せ、盗人め、と罵られたよ」
「エディアス様が正当に相続されたものでしょう」
「僕には豚に真珠、という事なのだろうね」
エディアス様は長方形の箱にかけられていた布を引っ張った。あらわになったのは、まさしく大理石とガラスで出来た棺──そこに横たわっているのは、紛れもなく、私が知っている、在りし日のエディアス様だった。
「……」
言葉が出てこない。棺の中のエディアス様は眠っているように見える。
けれど、彼の魂は、間違いなくここにない。
「聖遺物を引き渡せ、という要求を断った後、僕の体には異変が起き始めた。肉体がどんどんと毒に侵されていくような──体の自由がきかなくなっていった。症状は日ごとに悪化し、僕の命はもうあとわずか、と宣告を受けた」
「どうして……」
エディアス様は健康で、子供の頃から風邪一つ引いたことがないのが唯一の自慢だ、と言っていたのを覚えている。だから僕は人より沢山働けるんだ──なんて言っていたっけ。
「呪いだ」
「呪い……それを、王家が……シェミナが、やったと言うのですか」
正統な継承者であるエディアス様から奪い取ることができないのなら、いっそ死んでしまえばいい。相続人が居なければ、財産は国に戻るしかないからだ。類い希なる才能を持ち、国の中枢で権力を握っているシェミナならば、魔術に対抗する術を持たないエディアス様の肉体を蝕む呪いをかけることはたやすい事かもしれない。
……けれど、なんの恨みもない相手に対して人間は自分の欲のためにそこまで非道になれるものだろうか?
「証拠はないよ。君の肉親がそういう人間だと、僕だって考えたくはないものね」
エディアス様は私がシェミナの実姉であることを気にかけているようだった。
「いえ……状況からして、彼女ならやりかねません」
「僕たちラング領の人間は話し合って、残された聖遺物を利用し、僕をなんとか延命させることにした。それがこの方法だ──禁忌とされた反魂の術を使い、僕の魂と肉体を分離させる。呪いがかかっているのは僕の魂だけれど、魂の入れ物がただのぬいぐるみならば呪いは進行しない。そうして魂を分離させ、いつか事態が解決することを祈って元の肉体をここに保管している」
アルフォンスの言葉が脳裏に蘇る。「シェミナはマナを独り占めし、それを自分の美貌を保つために使っている」と。シェミナは若さを保つために、王家の秘宝に手をつけようとしていたのだろうか……。
「僕が呪いから逃れるために、このような手を使った事は向こうも察しているだろう。つまり、求めているのはそれ以外のもの。……狙いがわからない以上は、こうして生きながらえて、役目を全うし続けるしかない。アルフォンスたちに背負わせるにはあまりにも重いことだから……」
「それを……一体、何年……」
「君が封印されていた時間よりは短いさ」
発作的に何かを言いたくて口を開いたけれど、考えがまとまらなくて、かすれた声だけが出た。私が意識なく封印されていた間も、エディアス様はずっとこの土地で戦い続けてきたのだ。
「……まあ、いいこともあるよ。こうして君に再会できたし、老いた姿を見せずにすんだのだから」
エディアス様は両手をあげて、私を励まそうとおどけたポーズを取ったけれど、まだ気持ちの整理がつかなくて、全然笑う事ができなかった。




