51.悪役令嬢は正体を知る
「………え?」
驚きで目を見開く私の腕の中で、小さな魔獣はわずかに身動ぐ。そのあたたかな温もりを感じながら、私はなんと反応すべきなのか言葉を探した。
いきなり何を言い出すのかと思ったら。
いったいどういうこと?
「アリシア、ごめん。早い時点で話すべきだったんだけど…この魔獣の中身は生身の人間だ」
「なんですって!?」
「色々と疑いはあったけど、今日、王都へ向かう電車の中で君がマリソルで王太子に会ったという話を聞いた時に確信したよ。殿下、あとはご自分の口から説明を」
私は沈黙する桃色の塊を見つめる。小さな豚のような愛らしい鼻、つぶらな瞳、そしておでこから生える立派な角。諦めが付いたのか、人間のように肩を竦めたペコロスは私の腕の中で二回跳ねた。
そのまま廊下へと着地すると、その姿はもう、いつか見たエリオット・アイデンへと戻っていた。
「……嘘でしょう…どうして?」
信じられないという思いが先行する。続いて思い浮かぶのはペコロスと過ごした数々の思い出。ちょっと待って、ずっとただの魔獣だと思っていたから一緒に眠っていたのだし、私は当たり前のように彼の前で裸同然の姿を見せていたこともある。
いくら元婚約者と言えど、無礼過ぎないか。
無礼というか、時代が時代であれば覗きの罪で捕まってもおかしくない。というか、歩けるなら最初から歩いて移動してくれ。旅の後半やや太って重たくなっていたペコロスを抱えての移動は、かなりの苦行だったんだけど。
「な、なに?どういうこと……?」
「君が船で溺れた時に助けたのも、おそらく殿下だろう」
「………へ?」
「何か目的があったのか、それとも婚約者の日常を覗くのがただの趣味なのか、確認した方が良いだろうね」
皮肉った風に話すニコライの方を一瞥し、エリオットは冷たい冬のような目を私に向けた。その視線を受け止めて、逸らさないまま私は慎重に言葉を絞り出す。
「ねえ、ニコライ」
「うん?」
「エリオット様と二人で話をするわ。部屋で休んでいて」
「了解。また明日ね、アリシア」
そう言ってどういうわけか、私の手を取って口付けるニコライの姿に面食らった。エリオットの無表情が一変し、少し苛立ちのようなものが見えたのは気のせいだろうか。
私はニコニコとその場を去るニコライを見送って、エリオットと中庭に出ることにした。ネイブリー家の中庭には小さな噴水がある。昔は母のモーガンがそこで観賞用の魚を飼っていたらしいけれど、今でも泳いでいるかは分からない。
少しずつ噴水の方へ歩みを進めながら、気不味い沈黙にどう始末を付けようかと考えていた。
「……エリオット様、」
水の音が聞こえる。足を止めて見上げると、想像よりも上にあった仏頂面に、この男はこんなに背が高かったのだろうかと思った。知っているようで知らないことばかり。
「私に言うべきことがあるのではないですか?」
「すまなかった。君を不快な気持ちにさせたことは謝る」
「市場から私を付けていたということですよね?害のない可愛らしい魔獣の姿をして」
「……ああ」
「それは…つまり……ずっと?」
私の質問の意味を理解したのか、エリオットは困ったような表情を作って「プライベートな時間は覗いていない」と言った。
しかし、ペコロスは常にそこに居たのだ。
どうやって信用しろと?
「感覚の共有は切り替えが出来る」
「はい?」
「いわば仮の姿のようなものだ。俺だって四六時中君を付け回しているわけじゃない。オフモードの時の魔獣はただの眠り呆けた人形になるし、俺の意識は本体にある」
「なんですかそれ……」
ぐるぐると回る思考回路を整理するために、私は一度眉間に指を当てて目を閉じる。
風にそよぐ木の葉の音、秋を知らせる微かな虫の声。金木犀に似た花の香りはやはりここでもする。そして、それに混じる深く甘い匂い。そうだ、確かマリソルに行く船から落ちた時も、夢の中でこの匂いがした。
「貴方だったの?」
「?」
「海に落ちた私を助けたんでしょう?」
「………、」
「どうして何も言わないの?目的は何…!」
エリオットはその薄い灰色がかった瞳を伏せた。
「今、リナリーが王宮に居る。家賃が払えなくなって追い出されてしまうと聞いたので、空いていた部屋を貸し与えた」
ええ、知っていますとも。
さぞかし嬉しいことだろう。踊り出したいぐらい彼はルンルン気分なはずだ。念願の想い人が朝から夜まで同じ建物の中に居るのだ。そして厄介な婚約者は勝手に逃亡してくれた。
いっそ、このまま何処か遠くへ行ってほしかったに違いない。母親である王妃の誕生祭なんて、律儀に知らせに来なくて良いのに。
「こんなことを君に言うのはどうかと思うが…正直なところ、自分で自分の気持ちが分からない」
「………は?」
「マリソルで君に会った後に考えたんだ。しかし、どうにも説明できない状態にある」
「と、言いますと?」
「リナリーを見ていると心臓が痛み、苦しくなる。宮廷医師の見解では恋をしているらしい」
「えっと…ええ、そうでしょうね」
それを私にわざわざ言う?
齢二十七歳になるはずのこの男は、礼儀や思いやりといった心を母体に置いてきたのだろうか。なにが、神々が設計した男だ。完全無欠なんて書かれていたくせに。
「アリシア、婚約者である君が居る身でこのような気持ちを抱くことがどれだけ失礼であるかは理解している」
「うーん……はい…え?」
「なにか?」
「元婚約者ですよね?私たちは婚約破棄したので」
「え?」
「………あれ?」
まともに正面から顔を合わせたせいで、私はエリオットの冷たいグレーの瞳の中に映る自分の姿を認識した。気付けば随分と近くに彼の顔がある。揺れる瞳の中で、驚きに口をあんぐりと開けるのは比類なき悪役令嬢と呼ばれたアリシア・ネイブリー。




