45.悪役令嬢はサイコを知る
イグレシアの家は孤児院の裏手にあった。
蔦の絡まった外壁に沿って歩くと、やがて草木に埋もれたポストと色が抜けて読めない表札が現れた。呼び鈴らしきものもなく、声を掛けても返事がないので、恐る恐る庭に足を踏み入れる。荒れ果てた外装とは違って、不思議なほど庭は綺麗に手入れされていた。
「すみません!イグレシアさんはいらっしゃいますか?」
玄関まで辿り着き、木の扉を叩いても返事はない。
困った私の胸中を察するようにペコロスがブフッと鳴く。
どうしたものかとニコライと顔を見合わせていたら、玄関の向こうで大きな咳払いが聞こえた。続いて杖を突くコツコツという音がして、勢いよく開かれた扉の向こうにイグレシア本人が姿を見せた。
「昼寝してたんだ!うるさいよ!」
「ご…ごめんなさい……」
「リナリーか、何の用だい?さっきは会わせる顔もないみたいに逃げてったくせに」
「すみません、気が動転してしまったんです。私はリナリーではありません」
「なんだって?」
「アリシア・ネイブリーです。どうやらリナリーは…私の双子の妹だったようで……」
なんとも頼りない自己紹介を終えると、イグレシアの目が隣に立つニコライに移ったので、彼の名前と私の友人であることを説明した。疑り深い目で私とニコライをジロリと見ると、フンと鼻を鳴らして、イグレシアは家の中に入るように言う。
明らかに歓迎はされていないけれど、なんとか話を聞くことは出来そうだ。
案内されたのは小さな部屋で、壁には頑固そうなイグレシアからは想像のつかない可憐な花の絵が飾られていた。繊細なタッチで描かれた絵の中には、サバスキアの青い蝶が花と共に描かれたものもある。絵画に混じって、いくつか本物の蝶の標本も飾られていた。
「綺麗だろう。昔はもっと充実していたんだけど、盗みが入ってね。貴重なものはもうないんだ」
「そうなんですね…」
「嫌な思いをさせて悪かったね。アタシは目が弱くて。忌々しい赤毛の若い女だったから、つい……」
イグレシアは私たちに着席するように勧めながら、自分も一人用のソファに腰を下ろした。
「いいえ、大丈夫です。あの…宜しければ、どうしてイグレシアさんがリナリーを良く思っていないのか教えていただけますか?」
「あの女はサバスキアが生んだ悪魔だ」
「……え?」
「孤児院には行ったかい?目も当てられない様子になっていただろう?」
「ええ、子供が少ないと…」
「ははっ!院長もボケたことを言うね」
部屋の中に、乾いた笑い声が響いた。
「まだリナリーが孤児院に居た頃、アタシは掃除婦としてあそこで働いていた。決して豊かな施設ではなかったけれど、きちんと手入れが行き届いて、子供の笑顔が溢れるいい場所だった」
「…………」
「でも、人々は皆、急におかしくなり出した」
「?」
「始まりは確か小さな喧嘩だ。リナリーは友達と人形の取り合いになってしまったんだ。教師が間に入って、順番に使おうと約束させた」
よくある風景だ。
子供同士のいざこざに大人が介入する時の常套句。
「でも、翌朝になると教壇の上には燃えてドロドロに溶けた人形が置いてあった」
「………!」
「慌てふためく教師は、リナリーとその子供を呼び付けた。するとその子は自分がやったと言うんだ」
「どうして、」
「リナリーと喧嘩になるぐらいなら、そんな人形はない方が良いんだと。泣きじゃくる女の子はそう言った」
「そんなことを…子供が?」
「そうだろう。アタシもそう思ったさ。掃除婦ながら教師にも助言した、あんな恐ろしいことを許してはいけないと。するとなんて言ったと思う?」
「……なんて言ったんですか?」
「子供同士で解決できたなら一番だ。リナリーも悲しまずに済む、だとさ」
靄がかかったように白んだイグレシアの瞳を見つめる。
目の不自由なイグレシアが語る真実。そして、目が見える者たちが語る彼らの真実。私の頭はまだ混乱の中にあった。




