09 映画鑑賞のお供
鍋に水を張り、卵を一つずつ沈める。
五個の卵が丸に収まり、白い殻がつるりと光った。
火を入れると水面がわずかに震え、泡が立ちのぼる。卵同士がぶつかり、とんっ、とんっ、と小さな音を立てた。
台所に立つ胸の内に、出来上がる味への楽しみがふくらむ。
しかし、ゆで卵を作る間にも使命はある。キュウリを二本、スライサーでしゃしゃっとスライス。ビニール袋に入れて、塩をほんの気持ちぱらりして、揉み揉みして、冷蔵庫へ退避完了。
ピピッとタイマーが鳴り、火を止める。
茹で上がった卵を氷水にさらせば、熱はすぐに引いた。
殻をむくと白身がつるりとあらわれる。少しくらい欠けても構わない、どうせ潰すのだから。
ボウルにぽぽいっと放り込み、フォークでサクサク押しつぶす。潰しすぎないのが肝。
黄身はほろほろと崩れ、白身は欠片になり、半熟の橙色がとろりとほどけて全体に広がる。
次いで、マヨネーズをぐるりとボウル一周分。
フォークでざっくり混ぜれば、黄と橙と白がぐるぐると渦を描き、しっとりとまとまる。
砂糖をぱらり、塩コショウをパッパッ。さらにぐるぐる混ぜ合わせる。
なんとなく馴染んだら手の甲にちょんっと乗せて、ぱくりと味見。
「ん。おいし」
まろっとした酸味と甘みがじわじわ舌に広がった。
ロールパンに切れ目を入れると、白い層がふわりとのぞく。
そこへバターを塗り、卵サラダを詰めれば、パンはずしりと重みを増し、断面から鮮やかな色がこぼれた。
「ふっふっふーん」
三つの卵ロールパンが、皿の上に並んで完成。
ころんと丸く太った姿に、きゅん。思わず鼻歌が漏れちゃう可愛さだ。
お次は、退避しているきゅうりの入ったビニール袋を冷蔵庫から取り出す。
袋の端を切り、押し出すように握りしめると、水がじわじわ流れ出す。だけど、こんなもんじゃあ足りない。親の仇とばかりに力をこめ、ぎゅうぎゅうっと絞る。
まだ出る、まだ出る、とさらにねじり上げると、切った袋の口から水が滴り落ちた。
最後はクッキングシートを広げて包み込み、水気を吸わせる。
ここでようやく、きゅうりは「サンドされる準備完了」と言わんばかりに落ち着いた。
それをボウルに移し、マヨネーズを加える。分量は量らず、勘で大匙二ほど。
粒マスタードと塩コショウを加えて混ぜ合わせ、八枚切りの食パン二枚にバターを塗る。その上にきゅうりをこんもりとのせる。多すぎかな? と戸惑うくらいがちょうどいい。
ラップできつめに包み、冷蔵庫で五分休ませる。
さあ、この間にちゃちゃっと洗い物を済ませよう。
そして、きっかり五分後、ラップごと包丁を入れれば完成だ。
みっちり詰まったきゅうりの断面を見て、のゆりの口角がにんまりと上がった。
盛り付けに選んだのは、グレーベージュに白い花模様が散る楕円の皿。
彼の皿には卵ロールパンを二つときゅうりサンドを一つ、彩りにミニトマトを三つ。
お揃いの皿には卵ロールパンを一つ、きゅうりサンドを一つ、ミニトマトを三つ。
卵ロールパンが一つ多いほうが彼の分だ。
ちょんと置かれたミニトマトの赤が、花柄の皿と調和して可愛らしい。きゅん。
「文ちゃ~ん、できたよ~!」
じゃ~ん、と効果音付きで小さなテーブルに置くと、理文は「美味そう」と言って、小さく拍手を贈ってくれた。
ちょっと誇らしい。
後に自分より料理上手な相手だと知るのだが、この時のゆりはまだ知らず、ドヤ顔である(南無)。
「子供の頃、これを食べながら映画見るの好きだったんだあ。お母さんがパート行く日の土曜日のお昼時にね、いっぱい作ってから出かけるの。お父さんとお兄ちゃんと一緒にお母さん待っててね……あ、うち、皆、お母さんのこと好きだから……えへへ。ごめん、どうでもいい話だったね」
「いや、いいと思う。そういうの……ふ、想像できる。口いっぱいに頬張ってそう」
優しい顔で笑われると勘違いしてしまいそうだが、のゆりは片思い検定準一級なので、これくらいじゃあ勘違いしない。ただし、きゅんきゅんぎゅんぎゅんはしているけれど。
氷をいっぱいに入れたコップへ水出し紅茶を注ぎ、二人で「いただきます」と声を揃えて手を合わせた。
映画はサブスクの月間トップテンから三位を選ぶ。一位と二位はホラーなので却下。食事をしながら観るには重すぎる。
選んだのはコメディ寄りの作品で、子どもでも楽しめる安心な内容。上映時間は一時間半と短めだ。
付き合っているわけではない。けれど気づけばいつも一緒にいる関係を、のゆりの親友・みっちゃんは「あり得ない……!」と評する。それでも現にあり得てしまっている。摩訶不思議。
卵ロールパンを食べ、きゅうりサンドに手を伸ばした時、理文が「あのさ」とちょっと真面目なトーンで話し出した。
映画の中では主人公の男が、美人なヒロインをデートに誘っていた。
「来月から研修で、K県に行くことになった……」
「え……?」
まだ学生ののゆりは社会人の『研修』とやらが分からない。ただ、バイトの研修と違うことは察していた。
「どれくらい、行くの?」
「短くて半年。長くて、一年」
「そ……かあ」
きゅうりサンドをかじる。粒マスタードの辛さが鼻に抜け、胸の奥までツンと痛んだ。
映画の内容は頭に入ってこなかった。
◇◇◇
「あ、あ、ねえねえ、今日の夜、あの映画放映だって!」
のゆりがテレビのCMを見て声を上げる。
「ああ、シリーズの新作やるから宣伝で放送するんじゃない? ……観る?」
「観る!」
「じゃあ、サンドイッチ作るか」
理文は軽く伸びをしながら、テーブルの上の食パンの袋に目をやる。
「うん、あっ、でも、ロールパンないよ~」
のゆりが立ち上がり、戸棚を覗き込んで口を尖らす。
「買いに行こ」
理文は玄関の方へ歩き、鍵と財布をポケットに入れると、のゆりも素早く立ち上がる。美味しいものの為ならば、腰は重くないのだ。
「ついでにアレも買わなきゃねえ」
のゆりはエコバッグを手にする。
「ああ、洗剤ね」
理文がうなずき、靴をつま先で揃えた。
マンションを出ると、空は青く澄んでいるのにどこか白っぽさを帯びていた。真夏ほどの照り返しはなく、風に混じって土と草の乾いた匂いが漂う。
道沿いには低い家が並び、庭先の柿の枝に実が色づきはじめている。軒先に干された洗濯物が風に揺れ、遠くから子どもの声とボールの弾む音が響いた。
歩道を進めば、花を並べた鉢の前で水を撒く老人、買い物袋を提げて戻る主婦、自転車で駆け抜ける学生。暮らしの気配がそこかしこにあった。
二人は肩を並べて歩き、やがて角を曲がる。個人経営の理髪店を過ぎると、スーパーの看板が見えてきた。
「私、あの映画、もう観たくないなあって思ってた時期があるんだけど……ふふ、今はそう思わないや」
【映画鑑賞のお供:完】
お好きなサンドイッチは何ですか?