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03 隠し味には、愛情を一匙

短編初掲載日:2023/07/26※検索除外 改稿:2023/08/10

 七月某日、AM9:34。

 実家から大きなダンボールが届いた。


 重くて持てないので、玄関先でダンボールのガムテープを剥がそうとするも、のゆりの短い爪では剥がせないので、カッターを求めて部屋に戻る。


 カッターでガムテープの凹み部分に刃を入れて開封すれば、新聞紙にくるまれた夏野菜──とうもろこし、トマト、なす、きゅうり、ズッキーニ、オクラ、かぼちゃ、玉ねぎが入っていた。

 きゅうりとトマトはのゆりの祖母(ばあば)の菜園で取れたもので……残りは大槻(おおつき)のおじちゃんのお裾分けだろうか? 形は不格好で不揃いだけど、うん、最寄りのスーパーのものよりも大きくてお得感がある。

 え? 大きい野菜は大味だって? のんのん、そんな野暮なことは思っちゃあいけない。愛情が詰まってる分、美味しいに決まってるのだ!


 のゆりの好きなじゃがいもスティックのお菓子も入っていて、にんまり頬が持ち上がる。チーズ味とサラダ味のそれをシャカシャカ鳴らしてからお菓子ボックスに放り込む。

 幼児に大人気のキャラクターの四連ソフトせんべいも入っていて、のゆりは『これを入れたのはお兄ちゃんだな』と思った。何歳になっても、クソガキ感が抜けない兄である。

 次に林檎と蜂蜜のイラストがプリントされた長方形の箱を発見する。

 ゴシック体で書かれた白文字に、のゆりの喉がごくりと鳴った。


 大学は夏休みに入ったばかりで、今日はバイトもお休みだ。


 つまり、絶好の『カレー日和』だ。


「よしっ! カレーを作ろう!」


 のゆりは一人暮らしのアパートでなすを掴んでいる右手を挙げた。


 そうと決まれば近所のスーパーにお出かけである。

 お肉を買わねばならない。

 ついでに麦茶のパックと牛乳と卵も買おう。

 おっと、茶色の福神漬も忘れてはいけない。スマートフォンのメモ帳に記入する。


 布地製の柔らかいトートに畳んであるエコバッグと財布、スマートフォンを突っ込んだら準備は完了。

 真っ白なスニーカーを履いて、キャップを被って、いざ出発だ。


 アパートを出ると、蝉の鳴き声と共にむわっとした熱気に迎えられた。


 白い雲が欠片も見当たらない水色の空の下、遮るものがないせいでじりじりと火傷しそうに熱そうなアスファルトに咲く雑草の影はくっきりと濃く、ねっとりした不快な空気がうざったい。

 確か、お天気お姉さんが「今年は、例年より随分高い温度を記録しています」と言っていた。

 どおりで、階段を降りただけで汗が生まれるはずである。

 

 のゆりは北国生まれ北国育ちのせいか、東京の夏にめっぽう弱い。

 毎年食欲がなくなってしまう。でも、今日はなぜだか食欲が湧いている。

 実家から送られた野菜のおかげだろうか?


 のゆりは、今日の夜は実家に電話をしよう、と決めて目を細めた。





 スーパーに入ると、のゆりの体はぶるりと震えた。

 いきなり冷やされた空間に入ったからだろう、むき出しの二の腕が冷気にびっくりしている。


 のゆりはスマートフォンのメモ帳を確認してからカゴを持ち、てくてくと目的の場所に向かう。


 野菜コーナーは素通り……と、思いながらも横目で見ていると、なんだか見覚えのある後ろ姿を発見した。


(ぶん)ちゃん!」


 間違ってたらどうしようなんて一切考えずに呼ぶと、その人は「え」と言いながら振り向いた。


「やっぱり文ちゃんだー!」


「やっぱりのゆりだ」

 と、のゆりの口真似をする彼が口角を上げる。


 ──彼こと、新田(にった) 理文(まさふみ)はバイト先の先輩だった人である。

 理文はのゆりの二つ年上なので、もうバイト先の先輩ではないのだが、彼がバイトを辞めてからもちょくちょく連絡を取って、二人で会っている。

 それは理文が新人研修で一年間東京を離れても変わらずで、出会った時はお互い名字で呼んでいたが、今ではすっかり名前と渾名で呼び合う仲だ。

 しかし、男女交際には至っていない。

 ……遺憾である。


 のゆりは理文のことが恋愛的な意味で大好きだけれど、彼はのゆりのことを妹だと思っている為、清く正しい関係なのだ。


 初恋にトラウマのあるのゆりに、当たって砕ける勇気はまだない。

 

「どうしたの? 会社は?」


 今日は平日だ。大学生ののゆりは夏休み中でも、理文は社会人である。

 不思議に思ったのゆりが聞くと、「振り休だよ」と返事が返ってきた。

 どうやら、土日に休日出勤だったそうで今日明日に振り替え休日をもらったとのこと。


「のゆりは?」

「私は夏休み」

「いいなあ、夏休み……」


 ぼんやり話す理文の手には、もやしがある。

 

「……文ちゃん、繁忙期期間に何食べてたの?」


 理文がここ最近忙しいというのは、メッセージのやり取りで知っていたが、彼の夕飯事情までは知らない。

 のゆりが聞くと、「コンビニの弁当とか、カップ麺とか……」という、とても気まずそうな声が返ってきた。

 理文はとってもきちんとしている人なので、この返答にのゆりは驚いた。


 よくよく彼の顔を見てみれば、心なしか頬が()けている……気がする。

 目の下には隈もあって、最後に会った日よりも痩せている……気がする。


「ねえ、その手に持ってるもやし戻して?」

「え、なんで?」

「もやしじゃ栄養取れないからだよー」

「栄養あるよ?」

「え? そうなの?」

「うん。ビタミンB1、ビタミンB2、ビタミンC。あと、カリウムもある」

「かりうむ?」

「うん、むくみ解消に有効」

「そうなんだ! じゃあ、もやしは買わなきゃね!」


 のゆりは理文の手からもやしを奪って自分のカゴにぽいっと入れた。

 カリウムは大事だ。

 むくみ、だめ。絶対。撲滅!


 もやしは、届いたきゅうりと一緒に和えてナムルにしよう──ごまをたっぷり入れて、わかめも和え、ごま油は使わずに刻んだ梅干しを入れてさっぱりさせたい。


「なんでそっちのカゴに入れるんだ?」

「いいからいいから。あとねえ、文ちゃんはこれから私と一緒に昼ご飯を食べようね、晩ご飯も食べてっていいよ」

「……え?」

「さあさあ、お肉コーナーに行くよー」


 のゆりは首を傾げる理文の腕をむんずと掴み、ズンズン進む。


 ……理文はどうやら大変お疲れのようだ。

 その証拠に、大人しく引っ張られていて、ツッコミを放棄している。

 この様子は珍しくって楽しいけど、少し心配になる。


 のゆりは『文ちゃんに、美味しいカレーを食べさせよう!』と、強く強く決意した。



 実家のカレーには豚肉と鶏もも肉の二種類を入れる。

 なので、それにならったのゆりは二種のお肉をカゴにぽぽいと入れた。

 赤くない福神漬、麦茶のパック、牛乳、卵もぽぽいとカゴに続けて入れたら、最後にアイスコーナーへ向かう。


 のゆりは甘いものが苦手なので、理文のアイスだけを買う。

 甘党の彼は、クッキー&クリーム味のリッチなカップアイスを選んだ。


「お会計してくるから、文ちゃんはそのカゴ返してきて?」


 レジに並びながら、それ、と理文の持っているカゴを指差すと、顰め面の彼は「だめ。俺が払うから、のゆりがカゴを戻す係だよ」と却下してきた。


「え、嫌。いっつも文ちゃんの奢りだから、今日は私が払う」

「だめ。学生に払わせられない」

「嫌。今日は私が払うの!」

「だめだ」


 彼はとても頑固である。

 結局、代金は理文が払い、のゆりはまた負けた。


 ◇


 アパートに着くと、丁度いい温度の部屋にほっと息が漏れた。


「適当に座っててねえ」


 冷蔵庫にお肉と卵、牛乳を入れながら言うと、理文は「うん」と素直に頷いた。

 アパートに帰る道すがら、のゆりが『井上(いのうえ)家のカレーレシピは門外不出だからお手伝い禁止だよ』と言わなかったら、彼は「手伝う」と言ったに違いない。


「麦茶でいい?」

「ん、ありがとう」


 コップを二つ並べて、氷をカラコロ鳴らしながら麦茶を注ぐ。一つは理文に、もう一つは自分用だ。


 コースターに麦茶入りのコップをのせて、本棚を指差し「本でも読んでてー」と言うと、理文はまたもや素直に「うん」と頷いた。



 ──さて、カレーを作ろう!


 まずはご飯の準備だ。


 スーパーに行く前に米は浸水させて冷蔵庫に入れてある。

 とうもろこしをこそぎ落とし、炊飯器に米とメモリ通りの水を入れて塩をひとつまみ加えて、よく混ぜる。

 そこに、こそげ落したとうもろこしとその芯、バターをのせて炊飯ボタンをぽちっと押す。

 豚肉と鶏もも肉を大きめの一口大に切り、トマト、なす、ズッキーニ、オクラ、かぼちゃ、玉ねぎを、ザクザク大きめで豪快にどんどん切ったら、次は、少しだけ憂鬱な玉ねぎを炒める作業だ。


 上京が決まった時、祖母(ばあば)に買ってもらったお高いフライパンは家庭用のもので、とても大きい。

 そのフライパンで、玉ねぎが透明みを帯びるまで炒めたら、お肉を投入する。

 お肉に火が通ったら、水を加える。

 沸騰したらあくを取り、コンソメキューブと、くし切りにしたトマトをちゃぽんと沈め、弱火で十分ほど煮込む。

 その間に、もう一つの──一人暮らし用サイズのフライパンで野菜を焼く。

 中火で焼いて、火が通っていい感じに焼き目がついたら取り出す。


 そうこうしている間に、ピピ、とタイマーが鳴り、大きいフライパンの火を止めて、くるんと丸まったトマトの皮を掬ってから、ルウを割り入れて溶かして再び火を付ける。

 焦げないように、大きくゆっくりかき混ぜる。

 とろみがつくまで約五分煮込んだら、カレーは完成だ。


 さて、炊飯器がまだ歌わないので、お次はもやしときゅうりの梅ナムルを作ることにする。


 乾燥わかめを水で戻し、もやしを大きめの耐熱ボウルに入れて電子レンジで加熱する。その間にきゅうりを太めのせん切りにして、塩少々で軽く揉んで水分を出し、大粒の梅干しを包丁で叩く。

 ここで電子レンジが鳴ったので、耐熱ボウルを取り出す。

 もやしの水分を捨てて全ての材料を混ぜ、ごまと鰹節も入れてみりんと醤油で味を整えて完成だ。


 梅味のナムルは、タッパー三つ分作れた。

 のゆりは二つは理文に持って帰らせよう、と思いながら冷蔵庫に閉まう。


 これで全ての作業は完了だ。あとは炊飯を待つのみ。


 途端、のゆりは物凄い達成感を感じた。


 気付けば、すっかり汗だくである。


「ふう!」


 コップの麦茶をおかわりして、一気に飲んで大きく息を吐くと、理文がふっと笑った気配がした。


 のゆりのアパートは台所がしっかりしている代わりにリビングが狭い。

 そのせいで距離が近いのだ。


 振り返ると、予想通り彼がこちらを向いていた。

 スーパーで会った時よりも顔色が良い気がする。


「できた? 井上家の門外不出カレー」

「うん! コーンバターライスが炊けたら食べよ!」

「楽しみ」

「文ちゃん、お腹減ってる?」

「うん、減ってきた」

「そっか、じゃあいっぱい食べてね。梅味のナムルも作ったの」

「お、美味そう」


 今何時だろう? と思いながらトートの中にあるスマートフォンを取り出すと、正午ピッタリだった。


「文ちゃん、何読んでたの?」


 コップを持ちながら理文の隣に移動すると、彼は表紙をのゆりに見せて「これ」と言った。

 それは『おわかれ致します』から始まる、昆虫の名前がタイトルの文庫本だった。

 ほんのり後味が悪くて、でも色っぽい語り口で書かれた短編は、何とも言えない後引く癖があり、のゆりはもう何度読んだか分からない。


「面白かった?」


 のゆりが聞くと、理文は少し考えてから口を開いた。


「……のゆりが好きそうだなって思った」

「ふふっ」


 のゆりと理文は本の好みが全然違う。

 彼から借りた本を、のゆりは最後まで読めた試しがない。

 音楽の趣味も違う。

 のゆりは流行りの曲を好んでいるが、理文は洋楽しか聞かない。

 そして、彼は甘いものに目がないけれど、のゆりは甘いものが苦手だ。


 でも、一緒にいると楽しいし安心するし、居心地が良い。

 ……まあそのおかげで彼の前で『可愛い』を演じ損ねてしまうのだが。


 すっかり妹枠に収まってしまったなあ、と思っていると、炊飯器の電子音に呼ばれた。


「炊けた!」


 ぱかっと炊飯器の蓋を開けると、とうもろこしとバターの匂いのする白い湯気が現れた。


 とうもろこしの芯だけを取り出して、混ぜたらコーンバターライスの出来上がりだ。


 一目惚れして買った藍色のオーバル皿にコーンバターライスを盛って、カレーをかける。

 それから焼き目のついた野菜を並べる──粗熱どころか熱自体無くなってしまったが、ご飯とルウが熱いので良しとしよう。


 綺麗に盛り付けられて嬉しい。

 ……と、思っていたら、理文の盛り付けの方が綺麗で悔しい。


 100円均一で買った涼し気なガラス皿に福神漬を出し、ナムルをタッパーから小鉢に盛ってから、ころんとした木のスプーンと銀のカレースプーンを理文に手渡す。


「文ちゃん、お酒飲むー?」


 麦茶の入っていたコップを回収し、洗いながら聞くと「飲むー!」と今日一番元気な声が返ってきた。


「酒、何あるの?」

「冷蔵庫開けて好きなの持っていっていいよ」

「分かった。のゆりの分も出す?」

「うん、水色の缶の持ってって」

「んー……これか。てか、これどこで買ったやつ? 見たことないんだけど」


 理文が冷蔵庫から取り出した『水色の缶の』は、食事に合う、と書いてあるポップを見て購入を決めたメイヨンラガーだ。


「えと、お店の名前なんだったかなあ? ごめん、忘れちゃった。東京駅のリカーショップなんだけど」

「ふうん? 珍しい。一人で行ったの?」

「ううん。一昨日、みっちゃんと遊びに行った時に連れてってもらったの」

「そっか。笹部(ささべ)さん、元気?」


『みっちゃん』とは、のゆりの親友で同郷の女の子だ。

 理文は彼女を『笹部さん』と呼んでいる。

 理文とみっちゃん、二人はお互いに会ったことはないのだが、のゆりがしょっちゅう話題に出すので、各々知っているという不可思議な状況が生まれている。

 

「元気だよー。二人でね、就活の愚痴大会開いたの」

「はは、愚痴大会? 盛り上がりそうだな」

「うん! 盛り上がった! 焼肉食べて、ビール飲んで、いっぱい愚痴る大会」

「……就活、大変?」

「うん、でも、まあ何とかなるよ。愚痴大会もね、途中からみっちゃんの推しのプレゼンになったし」

 気遣う声の理文に、のゆりは明るく言った。


 悩みはそれなりにあるけれど、今日は就活の話をしたくなかった。

 わざわざ落ち込む話題を振りたくはないのだ。そして、余計な心配もさせたくない。

 それに、理文に元気になってもらうという目的もあるが、のゆりだって彼といると元気になれるので、今日は楽しい話だけをしたい。


「へえ、笹部さんの推し? 誰?」


 理文は、のゆりの『就活の話はしたくない』気持ちに気付いたのだろう、先ほどの心配そうな声を消し、普段のトーンに戻した。


「今期の朝ドラのヒーロー役でね、安次嶺(あしみね) 新人(あらと)っていう俳優さん。知ってる?」

「あ、チョコレートのCMしてる人?」

「うん、みっちゃんね、そのチョコ毎日食べてるって言ってた」

「ははっ。ファンの鑑だな。あ、俺、この黒ビール貰ってもいい?」


 スタイリッシュな文字列が並ぶ真っ黒な缶を持つ理文に「いいよー」と頷いて、コップを拭いたら、待ちに待ったランチタイムの始まりだ。




 缶のプルタブをプシュッとやって、コップに注いで「乾杯」したら、ごくごく飲んで、二人で「ぷはーっ」と言う。


 それから、のゆりは理文の選んだ黒ビールを一口貰って、のゆりのも一口お裾分けした。


 昼から飲むビールは最高に美味しくって、最っ高に楽しい!


「いただきます」

「どうぞ召し上がれ」


 スプーンで大きくすくったカレーを理文が口に運ぶのを、のゆりはじっと見つめた。


 それから、咀嚼し飲み込み、また大きくカレーをすくう彼を見て、のゆりもようやく一口目にありつく。


 ──食べたカレーは、実家のカレーに大差で負けていた。


 原因は、肉に生姜やにんにくを揉み込む作業を省いたからだろうか?

 それともルウを三種類使わなかったせいだろうか?

 それとも面倒くさがって揚げ野菜ではなく、焼き野菜にしたからだろうか?


 と、考えて、全部だなあと一人結論付ける。


 けして不味くはない。

 でも、『すごい美味しい!』ではない。……『普通』だ。

 理文には最高に美味しいカレーを食べさせたかったのに、のゆりが『面倒臭がり』を発動させたせいで、普通のカレーを食べさせるはめになってしまった。


「……」

 何となく落ち込む。


「井上家のカレー、美味いね」

「そう? ほんとに?」

「? うん、本当。なんでそんな不安そうな顔してんの? あ、おかわりしてもいい?」

「……ふふ、いいよ。いっぱい食べて」


 ──まあ、いいか。


 にこにこしてる理文を見て、のゆりはすぐに立ち直った。


 しかし、リベンジは絶対にしよう。

 そう心に決めて。






 ◇◇◇






「ん〜! 美味し〜! そして、悔し〜〜〜!」


 のゆりが叫ぶと、目の前の理文が「悔しい? 何が?」と言って首を傾げた。


「私の作るカレーよりも、文ちゃんが作るカレーの方が美味しいから」


 のゆりは口を尖らせ……られない。

 なぜなら、彼の作ったココナッツチキンカレーが美味しいからである。

 こんなに美味しいものを頬張りながらは怒った顔はできない。

 完全敗北だ……。お店のものより美味しい……。


 せっかく料理教室に半年も通ったというのに、手順を聞いただけの理文の方が美味しいスペアリブやピザや半熟スコッチエッグを披露するという事態が起きているから困る(困らない)。


 そんなわけで、のゆりの四年前のリベンジはまだ叶っていない。

 ……というか、果たして叶う日はくるのだろうか? とすら思ってしまう。

 もしかしたら、一生叶わないかも知れない。

 先日、彼が作った野菜とマカロニのガトーインビジブルは、味も見た目も完璧だった。


「俺はのゆりの作るカレーの方が美味いと思うけど」

「嘘だあ、あんなずぼらカレー。絶対に文ちゃんの作ったカレーのが美味しいもん」


 のゆりが落ちそうなほっぺたを押さえながら言うと、「本当なのに」という少し拗ねたような声が返ってきた。


 彼に嘘を吐いている様子はない。


 のゆりは、嘘だと疑ったことを少しだけ反省した。


「……ねえ、文ちゃん?」

「ん、何?」


 貰い物の赤ワインを飲んでリラックスした様子の理文が格好良いので、これまた悔しいのゆりである。

 なぜ、こんなにも素敵な人がのゆりを選んでくれたのか、今でも謎だ。

 デリカシー皆無の兄も、そう言っていた。……悔しいが、兄の言う通りなので言い返せなかった。くそぅ。


 でも──


「いつか、(胃袋を掴んで)メロメロにしてやるんだからねっ!」


 覚悟してね! と、のゆりは宣言した。


 てっきり、『はいはい頑張ってね』的な言葉が返ってくると思ったのに、のゆりの予想とは違う言葉が返ってきた。


「もうとっくにメロメロなんですけどね……」


 照れると敬語になる理文を前に、のゆりは『私の夫は女の趣味が特殊だなあ』としみじみ思うのであった。




【隠し味には、愛情を一匙:完】

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